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2007年12月26日 (水)

連歌と連句と和歌と俳句と川柳

白石悌三先生への追悼文を引用しましたのは、私が最初に連句に出あったとき、平成六年か七年ころ、札幌の俳諧師・故窪田薫師のまわしておられた文音のなかに先生がいらっしゃったからです。えらい先生であるとしっていましたが、連句のなかでは同志でした。そういう連句の平等さがとても魅力で、リクツではなく、いろいろと実学でいろんなかたたちから学んできたことはありがたいことでした。そういう座を与えて下さった窪田薫先生にとても感謝しております。

山盛りのいちご一期一会かな  悌三

たしかこのような句だったと思います。最期の句。(新聞の追悼文で読んだ記憶があります)。ちがってたらごめんなさい。

窪田薫式の連句ルールは、超簡単で「一語一会」でありました。一巻のなかに一語は一回こっきり。おなじことばを出さない。というものでした。ごちゃごちゃと複雑な式目はなにもいわれなかった。(じっさいは山のようにごちゃごちゃとおっしゃってましたけどね。)そのことを思い出させる句であり、また肩のこらないスムーズな句で思いも深い句だとおもいます。

さて。

ぐうぜんとはすごいもので、たまたま知人からいただいた「円」誌のこの一文に、故白石先生のことと、平成十六年ごろにれぎおんの前田先生が伊丹でもたれた連歌興行で指揮をとられた連歌の大家・島津忠夫先生のお名前を見出したときは、とても懐かしく、しぜんに笑いがこみあげた。きっと、あの日あの連歌興行に連なった連句人、連歌びとたちはみな、この藤本氏の一文に、同じ感慨をもたれることだろう。連衆のみなさまとは一度しかお会いしなかったし、きっとこれからも会うことはない。けれどもあの日、たしかにあの席で、句を競って出し合って、しんぎんの末、わらったりくるしんだりよろこんだりした。そのことをずっとわすれないだろう。その席に連歌の大家と呼ばれる偉い先生がたが三人もいらした事とともに。

連句的に書くと、つながっている偶然がほかにもあって、でも、長くなるのでやめます。連歌と連句の歴然たる違い。実際にあの日やってみて、さばきの先生にばっさばっさ自分の句を切り捨てられ、身につまされた。忘れられない。発句は島津先生の句でした。脇は鶴崎裕雄先生、第三は光田和伸氏。自分の俗っぽさが骨身にしみたひとときでした。泣きたかった。出す句出す句がすべて没となる悲哀。でも、ふりかえれば、いまなら笑えます。こんなかんじでした。

初折おもて四句目で出した句。

大湯気(おおほけ)抜ける天上の穴

光田先生がおっしゃるには、「大湯気」と言う語は思い切り俗語です、と。文字通り、おおぼけであったわけで・・。会場・伊丹・柿衛文庫の開設者の生家を見学したばかりで、酒造家の造りを見て回った印象をそのまま句にしたもので、自分としては、会心の出来とおもったのに。つまづきはここから始まり、ずっと最後まで続いた。

雅語とはなにか。俗語を正す芭蕉の真意は。そんなことまでが、とても身近に思われた。それと、どんな偉いひとにも、私情があるんだということまでがみえた。人間、みな、おなじなんです。それがせつなくわかっただけでも、じっさいにたいけんできたことのすごみはあるわけで。

にんげん、意地をはりあうって、とてもこっけいだけど、とてもだいじなことですね。

連歌はそういうわけで、いまもなお、みやびと格調の王者として、古典芸能のなかに今も君臨しつづけている。

妥協しないことの気高さよ。

さて、川柳や俳句は、なにをめざせばいい。

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コメント

ここに窪田薫師が出ています、ちょっとだけよ

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