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2007年12月30日 (日)

『呼びにゆく』ー自恃のこころを

佐藤みさ子川柳句集『呼びにゆく』(あざみエージェント刊)をよむ。

いくつか既に印象を書いた句もあるが、未読の句もあり、少しまとめたい。

 

何ももう産まれぬ家に寝静まる  佐藤みさ子

産む、産まぬということばは、太古の昔から女性だけにゆるされた特別な女性主体のことばである。それにひきかえ、「産まれる」という場合は、人知を超えた領域への敬虔な思いがどこかにある。だれのせいでもなく、「運」をころがすものへの敬虔な思い。この句には、なぜかそんなたいそれた人類の歴史とかことばへのおもいとか、あるいは柳田國男が民俗学者になった理由の一つとされる、狭い日本の木と紙の家のなかに数世代が寝起きする悲哀めいたものが、そこはかとなく、まぼろしのように付随している。
いや、それはアンタ一人の誤読よ。と糾弾しないでほしい。少なくとも昭和二十年代最後の年生れの私は、そんなふうに読んだ。日本って、すべてにおいて、そんなかんじだと思わない。人よりもそれを容れる家が主体なのだと。俳句や短歌が、内容にではなく、なによりその容器(五七五や五七五七七)の絶対性に重きを置くように。この句の主体も人ではなく、家である。作者はそれをはっきり意識していて、ひとり夜半に目を覚まし、寝静まるイエを真上から見下している。

この読みが一つの読み。
いまひとつのよみはありふれているが、子宮のメタファーとして家を捉える場合。
私は佐藤みさ子の年齢を存じ上げなかった。しかし、この句集には簡単な略歴が書かれていて、それによると1943年宮城県柴田郡生れということだ。

礼装の衿元川が流れこむ  みさ子

宮城県の柴田郡には、「えりもとがわ」という小川が流れているのだろうか。どんな川か見てみたい。と思い、検索をしたら、そんなものはありません。と出た。
黒紋付の礼装をしているのは、わたし。その衿元にだれかが滝のような涙をこぼす。漫画ではいくらでもお目にかかる場面も、川柳で喩的表現すれば新鮮である。いくらなんでも・・というきもちと、でもわらえるなというきもちと。諧謔の句はほかにも、

深いかと聞いた溺れている人に  〃

これは、わたしなどしょっちゅうやっている。ブログの内容にべたつきのとってもナイーブなトラックバックをつける機械の反応も、おなじです。

さびしくはないか味方に囲まれて  〃

なぜか知らぬがみかたはあじかたと書く。このことは、いつもおなじものを食べている仲間というイメージを否応なくもたらす。仲間うちだけにわかる何か。仲間うちだけに通用する批評眼。そういったものが案外世の中を左右していることに、文芸の世界に長く身をおいていると気づくはずだ。多数決の世の中で一人だけの価値観を貫き通すのは勇気がいる。

周りすべてが敵であってもよしとする人の決意の句であり、次の一句とおなじく、たからかに自分をたのむひとの自恃のうたでもある。それはしかし、うぬぼれとか自己保身という次元のものでなく、しっかりと保つべきものを保ってきた人だけがもつ、どこにも逃げない逃げようがない、自己への信頼をさすのだろう。さびしさは代償として引き受ける覚悟が、既にできたひとの句である。

たすけてくださいと自分を呼びにゆく   〃
風絵の炎どこへも行くあてなく     〃

点線で表す塔の地下部分   〃
物入れた記憶で立っている袋  〃

塔としてすっくと立つために、地下ふかく潜らねばならない。高架橋の工事をずっと見てきて、それを知った。地下には数階建てのビルが建つかとまがうほどの鉄骨で基礎工事をやっていた。塔が夢であれば、点線で表されるのはその見えない部分。記憶とか根性とか挫折とか傷みとかうぬぼれとか自信とかでできた形而上のぶぶんをさすのだろう。

万物をゆすりこどもが通過する  〃

これについては以前、書いた。だれもが納得する、川柳らしい川柳、イキオイと諧謔と現代性をもった名句である。ゆすられたじたじとなるよわい大人ばかりだ。ここらでガツンと一発、ゆすりかえさねばならない。

まだ来ない痛みを待っているような  〃

おばさんからおばあさんにならんとする今、この思春期よりも困難な時期に、自分よりおよそ一回り上の女性の句作品をよませていただきましたことは、とてもありがたいことでありました。立ち向かう勇気をいただけました。この先、なにがあろうと、自恃のこころで乗り切るしかないと思った次第です。そうです、お産のときのあの痛みに耐えられたんだもの。

空虚は「無から(ex nihilo)の出発」を強いる。ボードレールが『悪の華』の詩「旅」で歌ったように「本当の旅人とは、ただ出発のために出発する人々だけだ」とぶつぶつ言いながら。(阿部重夫ブログ「FACTA」編集後記より無断引用)

佐藤みさ子についてのバックナンバー:

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_e327.html

それにしても茂吉が詰られた「無常観・遁走観」こそは、ぼくが茂吉を読む理由なのである。無常は迅速、けっしてとろくない。かえって意識が速い。復古でもない。無常はまっすぐ向こう側へ駆け抜けるものなのである

↑松岡正剛の千夜千冊、齋藤茂吉「赤光」について述べられた最後の部分引用のところの出典はhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0085.html

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_4cdc.html

2007年12月28日 (金)

かびをお送りしてしまう。

いとこから電話。

わたしが送った御仏前の博多あまおういちご、膨大な、かつてない、極限に達する量の黴をかもしたって。

うわ~どうしよう。

田中の艶おばあちゃん。
ほとけさま!どうかおゆるしください。
たすけて・・もやしもん*

21日ごろ直売店で送った。町外れの出荷場まで行くべきだった。

いとこだから、クレームをつけてくれた。もうひとり同じものを送った。そのひとからはなにも言ってこないが、大丈夫だったろうか。・・・。とても気になる。この時期。いまにしておもえば安きあまおうよ。1パック580円の4パック2400円。クール便で送った。じつにていねいに包装してくださった店員さん。

どう詠めば俳諧になるんだろう。うう・・おれはわからん。

真心に腐れ蜜柑も混じるなり  正岡子規

* もやしもん 

かささぎの旗2006年1月3日付漫画紹介

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_f4b2.html#comments

2007年12月26日 (水)

連歌と連句と和歌と俳句と川柳

白石悌三先生への追悼文を引用しましたのは、私が最初に連句に出あったとき、平成六年か七年ころ、札幌の俳諧師・故窪田薫師のまわしておられた文音のなかに先生がいらっしゃったからです。えらい先生であるとしっていましたが、連句のなかでは同志でした。そういう連句の平等さがとても魅力で、リクツではなく、いろいろと実学でいろんなかたたちから学んできたことはありがたいことでした。そういう座を与えて下さった窪田薫先生にとても感謝しております。

山盛りのいちご一期一会かな  悌三

たしかこのような句だったと思います。最期の句。(新聞の追悼文で読んだ記憶があります)。ちがってたらごめんなさい。

窪田薫式の連句ルールは、超簡単で「一語一会」でありました。一巻のなかに一語は一回こっきり。おなじことばを出さない。というものでした。ごちゃごちゃと複雑な式目はなにもいわれなかった。(じっさいは山のようにごちゃごちゃとおっしゃってましたけどね。)そのことを思い出させる句であり、また肩のこらないスムーズな句で思いも深い句だとおもいます。

さて。

ぐうぜんとはすごいもので、たまたま知人からいただいた「円」誌のこの一文に、故白石先生のことと、平成十六年ごろにれぎおんの前田先生が伊丹でもたれた連歌興行で指揮をとられた連歌の大家・島津忠夫先生のお名前を見出したときは、とても懐かしく、しぜんに笑いがこみあげた。きっと、あの日あの連歌興行に連なった連句人、連歌びとたちはみな、この藤本氏の一文に、同じ感慨をもたれることだろう。連衆のみなさまとは一度しかお会いしなかったし、きっとこれからも会うことはない。けれどもあの日、たしかにあの席で、句を競って出し合って、しんぎんの末、わらったりくるしんだりよろこんだりした。そのことをずっとわすれないだろう。その席に連歌の大家と呼ばれる偉い先生がたが三人もいらした事とともに。

連句的に書くと、つながっている偶然がほかにもあって、でも、長くなるのでやめます。連歌と連句の歴然たる違い。実際にあの日やってみて、さばきの先生にばっさばっさ自分の句を切り捨てられ、身につまされた。忘れられない。発句は島津先生の句でした。脇は鶴崎裕雄先生、第三は光田和伸氏。自分の俗っぽさが骨身にしみたひとときでした。泣きたかった。出す句出す句がすべて没となる悲哀。でも、ふりかえれば、いまなら笑えます。こんなかんじでした。

初折おもて四句目で出した句。

大湯気(おおほけ)抜ける天上の穴

光田先生がおっしゃるには、「大湯気」と言う語は思い切り俗語です、と。文字通り、おおぼけであったわけで・・。会場・伊丹・柿衛文庫の開設者の生家を見学したばかりで、酒造家の造りを見て回った印象をそのまま句にしたもので、自分としては、会心の出来とおもったのに。つまづきはここから始まり、ずっと最後まで続いた。

雅語とはなにか。俗語を正す芭蕉の真意は。そんなことまでが、とても身近に思われた。それと、どんな偉いひとにも、私情があるんだということまでがみえた。人間、みな、おなじなんです。それがせつなくわかっただけでも、じっさいにたいけんできたことのすごみはあるわけで。

にんげん、意地をはりあうって、とてもこっけいだけど、とてもだいじなことですね。

連歌はそういうわけで、いまもなお、みやびと格調の王者として、古典芸能のなかに今も君臨しつづけている。

妥協しないことの気高さよ。

さて、川柳や俳句は、なにをめざせばいい。

2007年12月25日 (火)

白石悌三先生

(きのうのつづきです。)藤本静子氏「白石悌三先生」の全文引用です。

 これまで詩歌に詠まれたのは「天の香具山霞たなびく」といった歌枕でしたが、芭蕉は「名もなき山の薄霞」です。「菜畑に花見顔なる雀」であったり、「痩せながらわりなき菊のつぼみ」であったり、自然の小さな生命の営みに対する慈しみの眼差しであります。固定観念に捉われない、素人の目と耳で感じたままをそのまま詠むというのです。これが俳諧ですと申し上げました。

 御進講中、笑い声が起ったり、なごやかな雰囲気で成功裡に終りました。私共はお土産に菊の御紋の押されたどら焼の十枚宛をおし戴いて帰りましたが、帰福して一枚のどら焼を八片に切って八十枚にしました。その一片づつを皆様にさし上げて御進講の記念としました。
 

 私は万一の事故に備えて前日に飛行機で行って、その夜はホテル泊り、翌日は御所を退所してそのまま帰れば帰れないこともなかったのですが、先述の先生方と打ち上げをして成功を祝い合いましたので、又々ホテル泊りとなりました。」

 白石先生のエピソードを一つ紹介する。
昭和58年から60年にかけて先生はNHKの教育番組にご出演であった。58年度は芭蕉、蕪村、一茶について、そして『奥の細道』を、59年度は芭蕉の俳文『甲子吟行(かつしぎんこう)』『笈の小文(おいのこぶみ)』で素晴らしい講義であった。
当時私はさる結社の句会に籍をおいていたが、その句会に京大出身、福岡市役所の局長という某氏がいた。その席上で氏は「皆さん福岡大学の白石教授がテレビ出演しておられることを知っていますか。内容は芭蕉を中心として蕪村、一茶のお話ですが、その内容の深さ、新しさにいつも勉強させられます。三〇分の放送の間、原稿なしで一語の無駄もなく渋滞もなく、ゆるみもたわみもない、白石教授の言葉をそのまま活字にしたら名文となるでしょう。福岡大学も立派な教授を抱えこんだものですね。」

 白石先生はNHKの放送テキストの中で次のように自己紹介しておられる。
 「衣食住のようやく調いはじめた九大入学当初、奥手ながら、堀辰雄から万葉集へ、朔太郎から蕪村、芭蕉へと心ひらかれた。それも隣の芝生の青さに憧れたまでで、詩才の乏しさを省みるほど真剣なものではなかった。それが垣根を乗りこえる結果になろうとは・・・。かくて私は医学部コースから落ちこぼれた。」

 先生は四年前六十七歳にて逝去された。持病の肝炎悪化であられた。

    俳句雑誌『円』437号、平成15年11月1日
       福岡市、岡部六弥太 編集発行 
     

2007年12月24日 (月)

俳句雑誌『円』

西日本新聞の文化面と地方欄は毎日読むようにしている。俳句月評は大牟田の谷口慎也先生担当。先日の月評に、福岡の「円」(岡部六弥太主宰)が廃刊になるという知らせがあった。数冊の「円」誌をもっていて、それから以前「九州俳句」に引用して書いた。そのとき、一部引用じゃいけない、この文は全文引かなければ、と思った。今朝、思いついたので、なにはさておき、実行します。長いです。

  白石悌三先生 

          藤本 静子

 俳諧が皇室に初めてはいった時のことを福岡大学教授・故白石悌三先生のお口を借りて述べることにする。
 「私が俳諧の御進講を命じられた時は緊張しましたね。何しろそれまで皇室は短歌一辺倒でしたから。毎年新年のお歌会が催されることはあっても、俳句がどうのこうのということはありませんでしたからね。御進講の時日(じじつ)が決まった時は、万一の事故を思って一日早く東京に着きました。御進講の模様をお話ししましょう。」
 正方形の応接台を囲むかたちで、現天皇陛下と皇太子殿下がお庭を背にして掛けられ、その向かいが東宮職のお二人、両横が私どもです。(私どもというのは、大阪大学の島津忠夫先生、早稲田大学の堀切実先生と佐藤和夫先生、尾形仂(おがた・つとむ)先生、それに私、以上五名。因みに堀切実先生、尾形仂先生は度々テレビ御出演でした。)
 着席して一同しんと静まりましたら、突然大阪大学の島津先生が
 「今日は美智子さんはお見えにならないのですか。」
と言うより早く侍従が飛んで行って口をふさぎました。初めての民間御出身美智子皇后様には私共も大変親近感を抱いておりましたのでね。
御進講はトップバッターが島津先生で「連歌と俳諧」についてお話になりました。すると皇太子殿下が 「五七五に七七を付けるというのはどういうことですか。」 と御質問がありました。島津先生がお答えし、尾形先生が更に補うようなことをおっしゃると、皇太子殿下は「連歌と俳諧は形は同じなのですね。結局、どこが違うのでしょうか」 と御質問が出ました。そう改まって聞かれますと答えることの案外にむづかしい的を得た御質問でした。
 私は芭蕉の「古池や」の句を取り上げて、芭蕉の話を致しました。従来、蛙は「水に住む」というのが伝統的素材でした。蛙の鳴き声に詩情を感じたのです。芭蕉は蛙が池に飛びこんで音をたてるところに新しいポエジーを発見したのです。従来の詩歌の優雅に対して俳諧は卑俗であるとは言っていないのです。それまでは「花に鳴く鶯、水に住む蛙の声」にしかポエジーがないのが優雅という動かしがたい伝統の上に詠まれてまいりました。
 もう一句、「鶯や餅に糞する縁の先」 と芭蕉は詠みました。花に来て鳴く鶯でなくて、庶民の家では、かびたお餅を縁先に干すのですが、その餅の上に鶯がひらりと飛んできて糞を落して飛び去った。その一瞬に興をもよおした印象の句です。鶯をこんなふうに詠んだ詩歌というものは芭蕉以前にはございません。「花に鳴く鶯」ではない、排泄をする生きた鶯です。「水に住む蛙」ではなくて跳躍して水音をたてる蛙です。従来の固定観念を破る新しい発想です。連歌と俳諧は形は同じですがどこが違うか。松永貞徳という、啓蒙家として大変すぐれた人がいましたが、彼は手っ取り早く、一句の中に「俳言(はいごん)」のあるのが俳諧、ないのが連歌だと教えました。俳言というのは、和歌、連歌に用いない言葉、つまり俗語、当世語(今風の流行語)外来語(具体的には漢語)の類です。

※ ながくなりましたので、明日またつづけます。
出典は『円』平成15年10月号(通巻437号)。
無断引用をお詫びいたします。
(看過するにはしのびないすぐれた文章であり、また、内容でありました。偶然戴いたのですが、まるで、この文をここに引くためにこの号をいただいたような気がするのです。)

2007年12月22日 (土)

進捗

進捗
進捗
進捗

現場2

現場2

クレーンで人孔のなかに道具を吊り下げたり吊り上げるとき、電線が邪魔になります。触らぬように見張るのも誘導員の仕事の一つです。

この写真はまさにぎりぎりです。ずっとむこうのほう、水平にオレンジ色の三角形の旗みたいなものがいくつか電線に下がっているでしょう。あれは電線のあることを目立たせるためのしるしです。こういう場合に役立ちます。

現場2

二週間ほど前の現場で。ひまでひまでじぶんのかげをうつした。
制服はドゴール帽にスタジャン(ダークグリーン)、その下はなぜか、私だけまだ夏の服。右肩に無線機。(格好だけはそこそこかっこいいんだわ。)
現場2

これはマンホールの蓋です。散らばる道具がおもしろかったので、知らない顔して写させてもらいました。

2007年12月21日 (金)

自分を生きる

先日の続きです。

「吾亦紅」の歌詞。

おれはじめて自分を生きる

ってでてきますよね。とても印象的です。

ことし、いろいろと読んだ俳句作品のなかで、それも現代俳句のなかでですが、連作風に書かれた「草の男」(瀬川泰之)が深く残っています。このブログでもとりあげていますので、興味がおありのかたは探してみてください。

団塊の人たちはとても苦労して今の日本を築いた人たちです。自分を生きることがなかった、のでしょうか。そもそも自分を生きるってどういうことでしょう。自由に生きる、ってこと?

これ、ずっとかんがえてます。

2007年12月20日 (木)

大石政則日記 その2

昭和十九年九月九日の日記より、一部を抜粋させていただきます。
この日の日記は、突出して長いのです。
記載のない日やわずか一行という日もあるなか、七ページにわたり(正確にいうと六ページ余り)、大好きな竹田の記憶をはじめさまざまな思い出を綴っておられます。それが目をひき、重陽の日付との関連性(菊の節句とはもののふにとってどんな格別の日だったのか)、それと死期が近いことをじゅうぶん悟っている魂の「書きのこすこと」が知りたいのです。*)

思い出(一)

私は至って不器用な方である。けれども唯一つ、人前に出て大して恥ずかしくもなさそうなのがある。それは模型地図の作成なのである。地図の等高線を拡大してボール紙を切り、それを糊で貼り付けて行くありふれたやり方であるが、小学五、六年の頃は組中のオーソリティを以て任じ、盛んに作成したものである。
ここに至ったのは抑々(そもそも)、鯰田炭鉱に勤めていたT氏に教えていただいた賜物に外ならない。私が主宰して級友と作ったもの、或は一人で作ったものは四つか五つかある。今憶えているものでは東北地方、支那本部*、台湾、富士山等であるが、すべて手元には持っていない。みな鯰田の小学校か竹田の中学校にある筈である。今もあるかどうかは分らないけれども、何時か折りがあったら両校を訪ねて思い出の品を見せてもらいたいと期待している。

  (「ペンを剣に代えて」 117頁

  特攻学徒兵海軍少尉 大石政則日記 より)

時間が許せば、この前段階も後ろもこの日の記載を全部ひきたいんですが、とりあえず。場所的なことが私にはよくわからないんですが、竹田は豊後竹田で、鯰田はなまずた、きっと筑豊のほうじゃないのかな。福岡県人のくせにさっぱり位置がつかめてない。すみません、ただ、模型地図とはどういうものか、どんなに時間をかけて根気をつめて、集中力をもってするものかは、漫画「七夕の国」を読んだものにはわかります。

まだあるのでしょうか。鯰田小学校か竹田中学校には古い戦前の地図模型。・・ないでしょうね。

※ いましらべてみたら、福岡県飯塚市の鯰田小学校は、昭和36年の火災で全館焼失、重要書類も全て灰燼に帰した模様です。もう一方の竹田中学はいまの竹田高校らしいのですが、七十年ちかくも前のものはおそらく保存されてはいないでしょう。

* 重陽の節句、菊の節句ともののふの話で思いつくのが、上田秋成の物語と石橋秀野です。『石橋秀野ノート』には書いた記憶があるのですが、そらで憶えていません。ただ、上田秋成のはなしはこんな話でした。父を亡くしおちぶれた武家のあととりの少年が、或る日落ち武者を助ける。家に連れ帰り看病する。やがて男の傷も癒え、二人は菊花の契りを結ぶ。男は故郷に帰り、主君の敵を討とうとするが、それは適わず、獄に幽閉され死ぬ。少年とかわした約束があった。敵をうち、必ず菊の節句の日には少年のもとへもどる。というもの。九月九日、死んだ男は霊になって、少年のもとへ帰る。

かささぎはこのはなしをよみ、重陽の節句ともののふの菊花の契りを重ねることの歴史的な先蹤がほかにもあるのだろうか。それを知りたく思います。と同時に、佐賀の金立の弘学館裏にある「葉隠」を書いた人の碑を思い出します。それと・・・それを翻訳し実践しポピュラーなものにした三島由紀夫も。

漏斗胸 

あのう。

非公開のトラックバックがついてました。「天上の乳房」に漏斗胸の記事。ありがとうございました。公開させていただきました。

読んで、はじめてくわしくじぶんの畸形をしりました。

小学生のころ、校医さんが胸をみて、いつもこう書き込まれました。「ロウトキョウね」。

ろうときょう。ロート、ろーとろーと。目薬の会社かとおもいきや、じょうごのことでした。中央部から右にかけて、まるで隕石が堕ちたようにへこんでいます。お風呂からあがると水がたまるほど。でもくらしに影響はないからそのままでいい。といわれ、その気でずっと過ごしてきました。成長するとわからなくなるよ。ということでしたが、娘が評していうには「ひどい・・」だそうです。

ほかの体になったことはなく、感覚的なことは比べようがありません。ただ、マラソンはみんなとおなじには走れなかった、胸が苦しくて。校内マラソンは棄権してました。とても胸が薄いのです。あるとき、きものの着付け師が補正のためタオルを六枚も胸の上部に置かれました。ガ~ンとなりながら笑ってしまいました。(着物はなぜかずんどうで鳩胸にしちゃいますね。)

弥勒菩薩半跏思惟像とか百済観音像のむねがちょっとにてまして、あれをみるたび、おお、わがともよ!!と駆け寄りたくなる。少女のままの夢見る胸。(ってそげんロマンティックなもんじゃじぇんじぇんなかばってん)

最近、訃報欄で校医の先生の訃を知りました。
慎んでお悔やみを申し上げます。下津浦先生。しょっちゅうおせわになっておりました。ありがとうございました。合掌。

追伸。

漏斗胸の女の子がいたら、ちいさいときに手術をしてあげてください。ずいぶんなやみます。授乳には差し支えませんでしたが、恋をする年頃になって、言い寄る人ができても、こころをひらけなかったし、お医者さまに胸をみられるのがいやで、病院はほとんど行きません。
原因を考えています、素人なりに、ですが、生まれてくるとき、さかごだったからか、あるいは、母が妊娠中に飲んでいたらしい粗悪なカルシウム剤のせいってことはないのか・・とか。まったくわかりません。)

天上の乳房:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_c2bb.html

2007年12月19日 (水)

吾亦紅

勤め先のボスがさいきんボリュームいっぱいで聞いている曲がある。

  あなたにあなたにあやまりたい

このフレーズがくりかえされる。曲調はド演歌+フォークソング+ニューミュージック(とかつていわれたもの)ミックス風。

無頼を妻にわびているのかな、とおもって聞いていました。

そうしたら、どうもよく歌詞を聞くと、ちがうようです。田舎の母親に詫びる歌みたいです。へえ・・

http://jp.youtube.com/watch?v=MtQMyLP3Gjo

さがしたら、ありました。
いい歌ですね。くらしがみえてくるような。

2007年12月18日 (火)

久留米夜景

久留米夜景

mona lisa smile

近現代女性史に興味を持つ人必見の映画。
1953年当時のアメリカの女子教育がリアルに描かれる。
つい引き込まれてしまった。かの国のこの時代ものをみたことはなかったから。女子大の生徒がいろいろ出てくる。どのタイプも記憶にたしかにあるとおもえるほど、生き生きと描かれている。

して、自分はあの子に似てるなあ。
皮肉屋でいじわるな、抑圧されていることにすら気づかず、周囲に八つ当たりしてヒステリーをおこす女の子。スパイダーマンの相手役の女優さん。(名前が難しい。覚えきれない。)。結婚式のとき、母親から命令されて、夫に小細工をして思い通り操ろうとする場面には、とてもこころが痛んだ。醜い。自分にも似た思い出がある。胸がわるくなる。ほんとにかわいそう。彼女は最終的にディヴォースを選択するけど、(そして、映画を見ているおおかたの人もそれに賛同するだろうけど)、わたしはそれが宥せないなあ。逃げだとおもう。アメリカ人は甘いな。・・。

ここが日本人との違いなんだろうか。
それともそう感じる自分が病的抑圧人間なのかもしれない。

ジュリア・ロバーツ主演。
いい役です。
このひとは繊細だけじゃない、しなやかな野生を秘めている。

2007年12月17日 (月)

方言を音楽的に響かせる

いえ、これは西日本新聞の文化面連載「劇的九州人」の14回、田中ちかお(千と禾と夫)の戯曲についての見出しのことばです。なるほどーと思って。

田中ちかおは田中せんかという俳号で(すんません、なにしろ五分しかない、あとで字をだします)俳句も書いていた。山本健吉(石橋貞吉)とこの人とあとひとり、原民喜との三人は、三田の三黙人と呼ばれたほどのだんまり人間で、おなじ慶応大学の同級生だった。秀野を調べていたころ、資料として田中ちかおの戯曲の本も古本屋から買ったのに、どうも写真をみているとむづかしくおもえて、とっつきにくそうで、しりごみして敬遠して・・。だから、この文章を読めてよかった。ありがとさん!

方言を音楽的に響かせるのは北原白秋がうまかったなあ。

あ。

もう時間だ。いってきます。

今日はたたなくていいんです。給与計算。時間がない!

2007年12月15日 (土)

ツバメ

山崎まさよしが好きになったのは、『One more time, One more chance』 から。この曲が入っているcd を探したら(町内の積文館で)『with strings』 が一番あたらしかったので(八女ではね)、借りてきてパソコンのiTunes のライブラリーに入れ、音楽用cd に採録し、行き帰りの車中で聞く。ひかれる曲がある。ツバメ、plastic soul、やわらかい月、八月のクリスマス、fat mama、などなど。

ツバメ。歌詞が実感があってとても自然。ビブラート聲がきもちをゆらす。

さまざまなことおもひだすツバメかな 

参照)

you tubeから。山崎まさよしオリジナルはなくて、素人さんのツバメになっておりまする。これはこれでまた。・・聲のふるえって、意識的にできるものじゃないんですね。ワンモアタイム・・も、アニメ映画主題歌版があったので、それひきましたが、武道館ライブのwith strings版はもっと真剣みがあって、感動的です。

ツバメ:http://jp.youtube.com/watch?v=Vh88t7DSpus

秒速5センチメートル*テーマ曲:http://jp.youtube.com/watch?v=JNtVhoCCGv4

湯川潮音のツバメの唄:http://jp.youtube.com/watch?v=qGrDhXGPBvM

* 秒速五メートルとは、さくらのはなびらの散る速度だそうです。連句人必見。

2007年12月14日 (金)

このさかを

このさかを

現場2は範囲がひろいのです。
この坂をのぼりつめれば、道は二つに分かれ、左にいけば久留米大学御井キャンパスや南筑高校、右には久留米大学前駅があります。

参照:http://www.nishinippon.co.jp/nbl/station/2006/04/post_6.shtml

この記事は読ませますよね。泣きそうです。
(わたしもここにはりつくまで、知らなかった、この駅の存在。それほど新しい駅です。2000年の創業。笑)

現場2

現場2
現場2
現場2

高架橋工事。地下にビルを建てているように見えますが、基礎工事をしているのでしょう。写真では立体的に見えませんが、とても深い地下です。とびのおにいさん(おじさんも)たちが、平気でしゃばしゃばと細く高い鉄骨の上を歩き回っているのを感動のおももちで見てました。

いちばん下にちょこっと見えるショッキングピンク色の鳶パンツ、すごい鮮やかな色で、目を引きます。紫のはみたことあったけど、ピンクはお初です。目立つって危険防止上、大事なことなのね。

2007年12月13日 (木)

現場2

現場2

シリーズものです。
前回撮ったときからずいぶん日がたちました。ご覧のとおり、ピラミッド築造かと眼を疑った土の山は三分の一の高さになり、その手前にひろがる地下の鉄筋の骨組みには、次第に肉体(コンクリート)がまとわれ始めています。
現場2

これ、なんだとおもいますか。
失礼ながら、すぐ隣で展開しておられる発掘隊の写真を撮ったつもりでしたが、あれれ。車しか写ってない。公務員なみに昼に一時間、十時と三時に三十分、休憩をとられます。その横でまったく休みやらなく防人のごとく立ち続けるのであります。笑。あわれんで、黒砂糖ニッキ玉という妙な大粒の飴を妙齢のおじさんがくださいました。とても寒くて、ホカロンを背中にいれてても震えてました。
現場2

もう一箇所、対岸の現場。警備しているところは高架橋工事の所ですが、じっさいはそこの露地の下水道工事業者さんのために誘導をしているんですよね。だから、このあたりは今、土建屋さん、建築業者、警備員が幾社も乗り入れてやっているジャム状態。ついでのことに、ミスター・やのかんぶのおすまいもあり、こっちもジャム状態。・・どちらさまも、ごあんぜんに。

あんことハイヒール

『イン・ハー・シューズ』をみてから、グラマラスなハイヒールがほしくなる。

振り返れば、ハイヒールをはいた記憶が数回ほどしかない。笑

167の背で7センチのヒールをはくと、174どすえ。ひえーでかい!

でも、ハイヒールをはくと、背中もこころもシャンとする。かかとを細いヒールで支える、あの独特の感覚は、自虐的で爽快である。・・こけそうになるけどね。

夜、子を待つひととき、靴を買った。
7センチヒールのを買おうかどうしようか、迷ったけど、3cmのにした。それも疲れないような特殊加工が靴底にしてあるの。げげ。なんやねん。ちっとも色気、ないねんな。笑

それでだ。

くたびれはてて帰宅し、きのうの残り物の毛がになべの汁で雑炊を作り、ざざざっとかっこみ、ふとごちゃごちゃとしたなつかしの食卓に目をやると、なんだ、なんだ。これはあんこだ。鍋いっぱいにあんこが練られている。

わーい。ねんねばあちゃんの味だ。なつかしや。

母が、去年の小豆が傷むから、と言って、あんこを作った模様。あずきも漉し餡も、手作りはぜんぜんちがいますわよ、おくさま。おほほほほ。

2007年12月11日 (火)

手形、ヒャッホウ!

師走の集金。
この時期、どこも手許にお金をおいておきたいらしく、支払いが滞る。あおりをうけぬよう、心配な取引先には現金で支払ってくださるよう懇願する。が・・じっさい、やはり、でます、手形、ヒャッホウ!
たとえばですよ。請求額が百万円として、そのうちの五十万は小切手ではらいましょう。残金は四ヶ月後決済の手形で払います・・と、土建屋さんがかうのたまひぬ。これがわが有限会社の大口の契約先。義理と人情をみちづれに、地の果てまでも御一緒に。・・この世は、こんなことがままある。小口
の契約先はかうだ。請求が10988円ならば、有無を言わさず勝手に988円を切り捨て、1万だけ小切手で支払う。

あのねー。
いくらなんでもひどすぎる!大阪商人でもそんなえげつないことはせんて。人件費なのに。千円という金額は、こちらの隊員さんの夜間残業代1時間分なんだよ。この鬼。只働きさせる気。・・と怒っていたら、集金にいかれた人がいわれた。「あちらさんも、雇用している人たちに支払わねばならんから・・せいいっぱいなんでしょう。」

夫の会社は昨日、賞与が支給された。毎年きまった日にいただけるって、とてもありがたいことだ。こんなに感謝のきもちをもったことは、これまでなかった。当然だとばかり思い込んでいたから。

いつもどこかでわが勤務先と比べてる。隊員さんたちがとても気の毒だ。賞与もなく、保険もなく、なにもなく、多忙なときは毎日のように昼も夜も立ちつづける彼ら。でも別段苦にしているふうでもない、けなげなけなげなかれら。

こういう世界もある。
それを知っただけでも、ここに来てよかった。(この六日で再就職満一年になりました。自祝。ひゃっほう!)

2007年12月10日 (月)

五足の靴

西日本新聞文化面に先日高橋睦郎先生が近代の幕開けとして象徴的だった、「五足の靴」(与謝野鉄幹、北原白秋、太田正雄、とだれだっけな。あとふたりの文学者)の旅について的確な批評をなさっていた。本来は鹿児島までの旅だったとある。それを長崎までで解散となった理由の考察が、なるほど連句をなさるかたの現実的な意見だな・・とおもった。個性と個性のぶつかりがあって、それに我慢ができないとき、ひとははなれていく・・ということ。

俳句誌をひとさまから頂くと、スタイルがほぼおなじなのに気づく。そのなかで、沖縄の俳句誌「wa」(岸本マチ子編集発行)だけは少しちがっている。各人に一ページあて、上段に俳句作品、下段にはエッセイが平等に採録されている。これはこれまでなかったスタイルで、同人が増えている。かなり以前にいただいたとき、十数人だった同人は、いま百人を超えているんじゃないかな。これは何を意味するか。岸本マチ子先生のご人徳とともに、誌の体裁だ。みな、かきたいことがあり、よみたいことがある。その潜在意識を掘り起こしたんだなあとおもう。今後はこのスタイルが主流になるかもしれないと思った。

きのうみた映画二本、編集に配慮があった。
ずいぶん余白があった。
余韻が残ったのはそのせいだ。

(in her shoes で最もつよくきざまれているのが、一回しか出てこない姉妹の母の写真のまなざしだったということに、時間がたってきづく。映像による回想シーンは一度もない。ただ祖母の話の中と姉の話の中できれぎれに語られる思い出だけ。みるひとが心情やそだちをよみとる余白を、ここにのこしている。)

2007年12月 9日 (日)

イン・ハー・シューズ

午後から二本のdvd をパソコンでみた。今日返さねばならないのに、忙しくて見ていなかった。

「愛されるために、ここにいる」 というフランス映画と、「イン・ハー・シューズ」。フランス映画はタンゴ映画だったから借りてきた。主人公の孤独な中年おとこの秘書が、ラスト近くでボスを思って発する助言がとてもよかったな。・・って、これだけじゃなんのことか、見た人じゃないとわからないでしょうね。すみません。興味があるかたは、ぜひみてください。笑

いやあ、とってもすごくよかった。うるさくなくて、おとなの味。わたしなら、こんな複雑なタイトルじゃなく砂漠の薔薇とでもするのにな。でも、砂漠のバラはきざすぎて浮きそう。それなら、愛されるために、じゃなく、愛するために、のほうが今風なかんじなのにね。主人公の男とヒロインがおどる場面がはっとするほどセクシーで印象的だった。

キャメロン・ディアスの映画のほうは、おばあちゃん役のシャーリー・マクレーンがいきていた。もちろんキャメロン嬢はとても元気でかわいいし、姉役の女優さんもたくさんの犬をつれて階段をのぼるシーンや最後の表情がなんともいえずよかった。老人ホームで老教授が亡くなる直前に、おばかなキャメロン嬢に詩の朗読を依頼し、読ませ、いくつかの質問をする場面がとくに印象深い。「姉のいた夏・いない夏」でのキャメロン嬢しか知らなかったけど、この映画も家族愛と姉妹の友情を描いてこころにのこる。

(二本をこの順にみたんですが、ふしぎと連句的なつながりを感じる映画だった。)

2007年12月 6日 (木)

愛人

一昨日、ボスのあいじんがきた。
わが娘と同年のフィリピーナなり。

かわいらしい。
しかもだ。なにやらめちゃくちゃ純粋で、圧倒的によく気がつき、とてもやさしいのであるのであるのであーる。

ボスの趣味はわるくない。

瞬間的に、そうおもった。

しかし、つぎの日。

中国人の彼女がきた。
ロングブーツが玄関にしなだれかかっている。
が、こちとら鬼の形相でひっしに請求書書きしていたから、その姿をみることあたわず。
無念なり。見たかったなあ!(笑)

60はふつう定年じゃん。定年って諦念のことかとおもってたよ。
いくらわかいころ十数年もムスリム圏で暮らしてたからって、一夫多妻をこんな国で堂々とやっちゃうとはねえ。

ボス、そんなにがんばんないでよ。
という親心みたいなきもちと、
ボス、うらやましいぞ。このはげおやじめ。
というげせんなきもちがふくざつにいりまじる。
なんなんだろね・・。
とりあえず、ははは・・。

(つい男の視線でかいてみました。)

2007年12月 5日 (水)

八女丘陵

八女丘陵

しののめ

しののめ

2007年12月 4日 (火)

修学旅行

けさ、子は三泊四日の修学旅行へ旅立った。広島、京都旅行。

おもい荷物は前もって宿泊先へ送っている。だから身一つだ。

「ほんじゃ、いってきまっす!」

と元気に言って、自転車ままちゃり号で出かけていった。ほくほくと・・

出端、じいちゃんが「ほれ。こづかいばやろう。」と言って、大枚いちまんえんもくれていたから。ばあちゃんからとじいちゃんからともらって、こげなときはほんなこつよかねえ。おみやげ、ちゃんとかってこやんよ。というと、ああそげんとはいらんいらん。と父がすぐいう。それがいかんちゃ。そのひとことが。笑

2007年12月 3日 (月)

喪中欠礼

喪中欠礼のたよりが届き始めた。

東京にいる短大のころのルームメイトから、父親の死を知らせる葉書がとどく。82歳だったそうだ。

豊後高田の彼女の実家にはとうとう一度もおじゃまする機会はなかったが、彼女の母上は、みかんやお米をどっさりしょって、二回ほど小倉のわたしたちの下宿を訪ねて見えた。その母上も、当時一人で作っていたイチゴをたくさん下宿のおばさんやお世話になる人たちに持たせてくれたうちの母も、八十近いいま。・・お元気だろうか。この、胸がしめつけられるようなものはなんなのだろう。

なつかしい友の顔が、二十歳のころのままでこころをよぎる。
短大生活、ペギー葉山さんの『学生時代』って歌の歌詞どおりのくらしを私たちはおくった。あのころのわたしは、ものすごいロマンティストで偽善者でわがままで、苦労をしらないいなかむすめだった。友はあとで打ち明けてくれたが、一つ年上であったし、中学時代から一人暮らしをしていたそうで、はるかに大人びていた。バイトも途中ですぐ音を上げた私より、うんと長く続けていたし、就職も、なんの計画性も志向性もない流され型の私とくらべ、現実的で堅実な自己実現型であった。大企業の地方事務になり、やがて東京へ転勤した。ちっとも望まぬ空港警備という仕事につき私が四苦八苦していたころ、彼女からは東京の男と結婚したとのしらせをうける。

ゆみちゃん。東京の人になってからのあなたには、一度しかあっていない。でも、あのころのわたしたちのくらし、とても大事な、いとおしいものにおもえる。質素だった。じぶんたちで交互に料理をして食べ、朝日新聞を読み、月刊ジュリストっていう硬い司法の本もあなたのおかげでわたしもよんだ。あなたがギターを弾き出してからは私もちょっとだけ弾けるようになったし、あなたがタバコをおぼえてからはわたしもすってみたりした。あなたはいろんなことをおしえてくれた。お礼をいったこともなかったけど、ありがとう。おっとりぼんやりしている私と、きびきびしっかりもののあなたが、異質ながらもひびきあって暮らした一年半。たのしかった。

おもいでが、たからものです。

父上のご逝去を、慎んでお悔やみ申し上げます。

2007年12月 2日 (日)

ファクタ

ことしは・・。

もうそんな総括の時期になってしまいました。

日経記者だった阿部重夫さんのブログを読んでますが、先日はかようなことを書いてあり、理解できないながらも、こういう言辞を書けるということこそがほんものの知性なんだろうな。とおもいました。以下、引用。

恥かしながら私には歯が立たない。そういう経験をしたのはこれで2冊目、フォン・ノイマンとオスカー・モルゲンスタインの「ゲームの理論と経済行動」以来である。相当高度な数学の素養がないと、延々と続く数式に耐えがたくなる。両著とも英語の原書を買ってみたが、途中で投げ出してツンドク状態である。

幸い、私は専門のエコノミストではないからさぼっているが、一知半解のエコノミストたちは明らかにてあてずっぽうを並べ立てている。冗談で高橋氏に「どうせなら、ウッドフォードを訳したら」と言ったら。出版社が首を縦に振らないそうだ。なんとなれば、まず売れない(難解すぎて)、そして数式が理解できる人は日本語を必要としない、からだそうだ。日本の経済学とはその程度らしい。

おーい、アベシゲさま。おらも歯が立たないよ。さっぱり話題についてけないざます。笑

でも、この一個前の記事を読んだときには、お。新聞よりテレビよりずっと早く、政界スキャンダルを嗅ぎつける能力をこのおかたは持ってんだと、わかった。これはすげえことなんじゃないかなあ。ほんとに、あたらしいメディアの時代が始まっていると、実感させてもらったことです。

でも、おらは月刊ファクタは取らないよ。だってお金がないんだもん。たちよみするよに、彼のブログのこみだしをひろうのさ。ぜんぶはみせてくれないけど、においだけは嗅がせてくれますからね。笑

参照:http://facta.co.jp/blog/

かささぎの旗、八月十八日付「編集者の目」
         八月十九日「いりひ」
(無理をもうしてすみませぬ。↑は右横のバックナンバーから、八月の項をひらき、たどり着いてくださいまし。)

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