無料ブログはココログ

« 人孔を覗く | トップページ | 張形としての俳句 (10) »

2007年11月20日 (火)

九州俳句148号

  共鳴抄 (前号作品より)

       大分・ 吉賀 三徳・ 選

死も生も遊びの続き赤のまま  波多江敦子

風紋へなびいていたる蛇の衣  星 水彦

青鮫をかくまう風の開襟シャツ  松井康子

蛇あなを出るには齢をとりすぎし 松下雅静

夕顔と話した友を亡くしけり    村上雅子

鯖売りを首長くして待ちにけり   赤星文明

房総五月ぐいと男の腕かな    有村王志

春月の毀れゆくまで母といる    泉 尚子

桜桃忌人にことばが届かぬ日   上野一子

還らざる父の春田に杭打たれる  角谷憲武

十薬をまたぐやわらかな猫の足   竹原とき江

春落葉秘かに落とす実年齢     王城幸子

まだ少しあるときめきや鮎の香や  寺井すみえ

手をあげて桜咲いたかと戦中派   暉峻康瑞

蜘蛛の囲の向こうは何もない真昼  成清正之

 一眼・二足・三胆・四力  

 剣道の教えのなかに”一眼、二足、三胆、四力”というのがある。「眼は心の窓」ともいわれ、相手の眼を見ながら、その奥にある心を察知するように努める。次に足は、足さばきである。足の動きがなければ、相手に打ってゆくことはできない。三番目の胆は積極果敢に攻める決断力と実行力。また、忍耐力や持久力といった気力のことである。そして、最後の力とは技のことである。技とは眼足胆と修練していくなかで、自然に達するものとされている。
これらのことは俳句にも当てはまる気がする。詠むべき対象をよく見ることは、俳句でも一番大事である。次に、足はフットワークであり、まず調べたり現地に足を運ぶことも必要な時がある。胆は自分の感情であろう。そして、表現技法は経験と共に身につく筈だ。
ただ、道はまだまだ険しい。(吉賀三徳・文)

      九州俳句誌148号より引用
      平成19年11月15日
      北九州市・中村重義編集発行

還らざる父の春田に杭打たれる  角谷憲武

この句をよみ、すぐ浮かぶ景があります。
春でした。晩春です。
減反の調査員に父の代理で立会ったことがあります。
句のように、杭が打たれます。ここまでは耕作してよい。という境界の杭です。たんぼのうんと向こうの端にはスケールのはじっこを持った調査員、こっちの端にはもう一方の先端をもって計測している調査員。長いながいスケールが風にところどころ裏返ってひらひらと照り輝き、それをあおるように紋白蝶がひらひらと舞っていました。余白のたっぷりある余情ゆたかな句であります。(姫野)

追記)

吉賀三徳句が引用されていました。
『乾燥大根の話』
http://www.randdmanagement.com/c_food/fo_062.htm

  専門的な内容のおはなしに見出しとしてご紹介していただき、ありがとうございました。 

 

« 人孔を覗く | トップページ | 張形としての俳句 (10) »

コメント

こちら、おいでくださりありがとうございました

よしがさんもなくなりました

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 九州俳句148号:

« 人孔を覗く | トップページ | 張形としての俳句 (10) »

最近のトラックバック

2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31