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2007年10月30日 (火)

句集 『樹の下の時間』

『九州俳句』に拠る長崎の俳人・前川弘明の第三句集『樹の下の時間』(平成十九年十月八日発行、表紙カバー版画・小崎侃)を読む。

序文に師の金子兜太が賛を贈っている。

        前川の〈体〉 
                 金子兜太 

 前川弘明は長崎育ちだが、その俳句に沁み込んでいる長崎の風土と言えるものが格段に色濃く独特で、魅力的なのだ。この人の句作りは人並みで、日常に即し、心象風景をまとめる。ところがどの句にも普通の感じがないのは、前川の〈体からだ〉になっている風土のおかげである。東支那海の照り返しとともにある古い港町。その肉付、情感の色合い。

   平成十九(2007)年 長崎原爆の日
        熊谷・熊猫荘にて

「この人の句作りは人並みで」とおとしめながら、重ねて「普通の感じがない」とひきあげる、それはひとえにナガサキの風土が身に染み付いているからだと妙な理屈をくっつけて。この言い方に金子兜太の第二の故郷と言ってもいい長崎への郷愁、身内意識を嗅ぎ付ける。金子兜太は若き銀行員時代、長崎で日を送り、九州俳句から大きなものを受けたし、またそれに大きな影響を与えた。だから、このカリスマの現代俳句の大家が「前川の体」と書くとき、それは同時に、金子自らの青春時代のにおいをどこかに帯びている「兜太の体」でもあるのだろう。

青僧侶露を踏みつつ蛍光す  弘明

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとくに 兜太

前川は1935年3月長崎生れである。三年ほど前に主宰誌「拓」を創刊、いま九州でもっとも油ののった俳人の一人である。
次の句の捨て身の風格。簡単にできた句にみえて、ここまでたどり着くには長い時間と曲りくねった空間が必要だったろう。この句を得たことが、彼にとってのひとつの到達点であった、とわたしはおもった。

月光や破船のように父坐る  弘明

ボクシングの亀田兄弟の父のような男が、傷をいっぱい負いながら、それでも負けを認めずに坐している。月光はそのなまみのからだへふかぶかととどく。どんな理屈もいらない。この句集のなかで一番の句だと思う。

ほかに私の好きな句は、

毛虫焼く彼方に青き五島灘 
天金に触れて愛しよ秋の指*
ロビー転がる蜜柑を皆で見ておりぬ
唐寺の赤き柱やつばくらめ
深く拝す戦争見たる夏の月
足垂れて蜂くる桃のような児に
花束で枯木を殴るおとうとよ
小春かな品川駅も踊り子も
ビル街の隅の死蜂のこがね色
紅梅紅梅生鮮保冷車が走る
山椒魚泣かねばならぬときもある
地球回るぽつんと被爆の叔母住んで
まなじりに紅剃く宮日(くんち)踊りかな
あねいもと髪切りそろえ星祭
蜂来たる路面電車の顔面に
花粉はこぶ蜂いて朝のオランダ坂
秋の蜂義士の墓群を渡るなり

西坂の丘 より八句

旭が昇る殉教の丘われらに蜂
蜂あるくキリシタン刑址の白い砂利
色鳥くる殉教の足垂れならび
どれも瞳を上げし磔像木の葉降る
曼珠沙華磔刑の空美しき
聖ルドビコ小手毬の雨聴いただろうか
美塔ふたつ秋天に立ち疾風(はやて)の鳥
暗し聖壁実りの葡萄一房彫り

西坂の丘とは、戦国時代に殉教した二十六聖人像がある地。この有名な彫刻家・舟越保武による像には、詩人の高橋睦郎の「日本二十六聖人殉教者への連禱」という印象的な長い詩作品がある。だから、「どれも瞳を上げし磔像」とよまれると、「それはちがいます」と、声をあげたくなる。(一人ひとりの写真をみるとわかるが、二十六人のうち、ふたりほどは目をあげていない。水平に視線をとっている。じっとわたしたちをみている。これは彫刻家が空間を大きくとらえるためのはからいであり、横一列という難しい構図にあたえる変化への意図だ。そしてそれはそのまま宗教的な神のはからいとなる。連句の視点に似ている。) だが、そんな事実、もちろん前川はしっているのだろうし、ここは詩作品の勢いとして、こうよまざるをえない。この句にはちからといきおいがある。
聖ルドビコ。この殉教者は最年少で12歳、あかるい無邪気な少年だったという。こでまりの花のやさしさ、はずむような花のあかるさ。どこかさびしい、かなしい、純潔の花。この取り合わせを見ただけで、前川弘明のセンスのするどさはみえる。
それにしても、前川の句はどれもごつごつしていて、記憶に刻み込むには滑らかさに欠ける。たとえば、西坂の丘十一句の第一句、

旭が昇る殉教の丘われらに蜂

これなど、


日がのぼる殉教の丘われに蜂

でいいとわたしはおもう。きっちりと五七五にまとめたいのだ、わたしは。でも、森進一が曲に遅れ遅れして歌うのに似て、かれのリズムはぎこちなく硬直し、師の金子兜太を体のどこかにくっつけては、字あまりを堅持する。なんて海程風なんだとわたしは慄然とする。師の影ふみをしているような。だが、冒頭にかかげた破船の一句を見ていると、こう思えてくる。父思いの亀田三兄弟はあのやさしさと泪を抱いたまま、親離れしていくのだろうが、前川も師への熱い想いを抱いたまま、親離れしていくに違いない。

日本二十六聖人殉教者の連祷:http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/byb0002.htm

日本二十六聖人像:
http://www1.odn.ne.jp/tomas/nihonseijin.htm

水平に視線をとっているのは、聖パウロ・三木と聖ペトロ・バウチスタですね。高橋睦郎の詩作品もですが、この彫刻のすばらしさは、なんにも具体的な手がかりはない無のなかから具象を鮮明に呼び起こしているところです。彫刻ってもののかたちそのものですし。ものすごいアプローチがあったんだろうなとおもいます。26名のうち、此岸をみつめる人物の選択をこの二名にしたのには、確信的な理由があったんでしょうか。

*
これは本句集のなかでは、
「天金に触れてかなしや秋の指」と推敲されている。でも、初出(ほんとはどっちが初出かを知りません。私は「愛しよ」の形のほうを最初に「拓」誌で読んだ記憶があります。)のかたちのほうが余情がある。それはなぜかと考えてみた。「や」だと正統派の切字だし、ぱっと解放される明るい風情があり、「よ」のほうは、くぐもった響きから内向的な味わいがのこる(別のいいかたをすれば、完全な切れを獲得しない魅力がある)。表記も漢字がいい。ルビはつけないで。

↑こんな自分勝手なごたくをこねながら、ひとはみな、ひとさまの句集をよむのですよね。前川弘明先生、いつものことながら、たいへん失礼を申しました。どうぞ、一度、八女にもおいでください。そしてみんなで連句を巻きましょう。(笑)

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コメント

日曜美術館、ちょっとしか見れませんでしたけれど、この26聖人殉教像を制作した船越保武のことをとりあげていましたね。
わたしはこの文章の中で、前川の句の、
 どれも瞳を上げし磔像木の葉降る
を暗に批判していたのですが、ほんとうは二人が水平にまっすぐをみている。ほかの24人は天をみあげているけれども。
そういう構図の取り方のすばらしさについて、だれの解説でか、よんだことがありました。
高橋睦郎先生の26聖人への連禱の本、だったかなあ。

ここに追伸で書き加えたいことがあります。
26聖人は秀吉の命で殉教したのですが、その亡くなった日は、慶長元年12月19日で、グレゴリオ暦だと1597年2月5日。そして、今日しったこと、彫刻家の命日もその二月五日だったそうです。
むすめさんが父について語っておられた。
26聖人とおなじ命日になくなって幸せな父だった、と。
かげしかない歴史上の人物たちに、目に見えるかたちを与えた彫刻家の魂について、思うともなく思っています。なんだかなみだでそうだ。

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