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2007年10月20日 (土)

句集『清夏』

最近、或る人に見せていただいた句集の、ぱっと開いたページに次の一句があった。

   薪村・一休寺

髭植ゑし一休坐像冷まじや  吉津清子

たきぎむら。いっきゅうじ。
そうだ、これは最近引用したもののなかに出て来た寺じゃないだろうか。(9月11付かささぎの旗「虫 3」)

もっと読まねばならない気がし、その縁あるかたに頼んで、句集をかりた。吉津清子句集『清夏』 (卯辰山文庫、平成十八年九月二十五日発行)。

はつ夏や人なつかしく水田べり

葛桶の昼のうすらひ女ごゑ

神鏡はなにも映さず花あかり

観音は暗きに在すぼたんかな

のどかさの金魚田見つつ郡山

黄ばみゆく稲田村ぢゆうが睡し

柿の木にこがらしの月千早村

冬木聳えて震災地夜に入る

夕凍みの穂草のあまた海へ向き

吉野葛提げて余寒の辻にあり

茎立やいまのこといま忘れゐる

父と歩くや涼しさの杉の月

芝水平に朝涼の皇居前

放念の月あげてゐる櫟山

鳥雲に出を待つ人形つかひかな

法要の僧の見てゐる海開き

水に浮く白桃予後の杳として

富嶽いま雲の中なり蕎麦の花

うすらひの灘や夜風に杜氏唄

鉄骨の上に人ゐる南風

抽んでて柞の梢山廬の忌

・・・・

なかばまで読みすすみ、なにかがふかく触れてくることにきづく。はっとする。山廬の忌。飯田蛇笏の命日は十月三日だった。石橋秀野も山廬へ寄せた句を句集に残している。

山廬先生の還暦を祝ぎまつる五句、雲母支社より乞はれて

鳶の笛囃せ菁々たる柳
雪雫甲斐の大鵬翔たすなる
六十年山廬の雪消聞かれしと
春燈をつぎて在して古き裔
かげろふの甲斐はなつかし発句の大人

(石橋秀野句文集『櫻濃く』より)

なぜこの吉津清子という俳人の句がぐいぐいと静かな炎をあげてじぶんにせまるのか、やっとわかった。

そういえば、今年二月、飯田蛇笏の息であり、俳壇を代表する俳人でもあった飯田龍太が亡くなった。わたしが唯一もっている俳人のCDが、このひとの『俳句のこころ』(朝日カルチャーセンター1990年4月収録、アートデイズ発行)である。その帯にあたる部分にかかれた紹介文をひく。

「子規逝くや十七日の月明に」。弟子の高濱虚子が師の死に際して詠んだ何気なくも思い深い句。芭蕉は愛する寿貞の死後、「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」と詠んだ。優れた俳句は、日常の誰もが持っている感情を詠んだものが多い。俳句は、自分の心の奥底にあって気づかなかったことを正確に言いとめることが大切だ・・・。(飯田龍太)

(うわっとおもう。本質を見ていた人だ。こんなにさらりと、虚子は子規の弟子だといっている。)

吉津清子の句には、どことなく秀野とおなじ古典的な匂いがするが、もっとずっと「お能的」である。表面だってはほとんど派手な動きがない。ゆっくりじっくり面の下で、発酵させるかのように言葉をえらんで吟味し、ひそとさしだす。はげしくつよい感情や精気は濾過されてきれいなかげだけがそこにすがたをあらわす。一句一句に、静かな綺羅というべき花を秘めているのは、そのゆえだろう。

負ひきれぬ杉の冥さを蟇  清子
冬の蔵音もたぬもの嵩をなし
風花や堤の裾の忘れ魚籠
とどまれば人老ゆるらむ桃畑
風花や見えて遥けき比良比叡

補遺)

囀りや畳にひらく日本地図   清子

(この句のなんとイメージ鮮明なこと。「ひらく」の使い方、西東三鬼の、「広島や卵食ふとき口ひらく」を思い出させる。天国と地獄ほどもちがう句柄ながら)。

校倉の大閂やイカル鳴く   清子

(これにもハッとしました。イカルについて書いた文を引用したばかりでした。かささぎの旗9・29付:「虫 5」。右のカテゴリー「連句誌れぎおん」をひらきますとでてきます。)

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コメント

本日、縁あって、亡き吉津清子さんのご主人より、お便りをいただきました。こちらこそ、ありがとうございます。
高橋甲四郎先生のところで、この句集を拝見し、上記にしるしたごとく気になることが次々に目に入り、この句集ははずせないと直感し、先生に頼んで大事な遺句集を借りました。読んですぐこの感想文を書きますと、なぜか心が安堵し、私は先生に本を戻したとばっかり想っていました。
そういうふしぎな縁があります。
それで、また今日、読み返してきづいたのですけど、読み返すほどにいいのです。しみじみといいのだ。

とどまれば人老ゆるらむ桃畑  清子

これ。この一句の味わい。桃畑はこの句のためにあるといっても過言ではないとすら想う。じぶんの女の時間の経過をわずかな言葉数で情緒ゆたかに的確にのべて、無常の余韻を残す。

九月二十七日が命日で三回忌だったという。
         合掌

負ひきれぬ杉の冥さを蟇  清子
とどまれば人老ゆるらむ桃畑  清子


奇しくもまた今年もおなじころにこのかたの句集を振り返ることになりました。
この二句をあわせたものと、そっくりの読後感をもつ句が高木晴子にあります。私がそう感じるだけかもしれませんが通底するものがおなじなので。あ、いまおもいだしました、これです。

雛祭杉の迅さのくらやみ川  晴子

表記はこれでよかったとおもいます。ネット検索すれば確認できるはずですが。ながれているのは、「おんな時間」。

きおくの高木晴子。マイベストスリー。
寒晴やあはれ舞妓の背の高き  晴子
月光の象番にならぬかといふ   晴子
茶の花に押し付けてあるオートバイ 晴子

月光の象番。すごい。
こんな句がかけるなんてこの世のものではないとさえおもう。

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