無料ブログはココログ

« ピラミッド築造 | トップページ | 落花生 »

2007年10月25日 (木)

大石政則日記

昭和十九年
六月十六日

0二00頃空襲警報発令、五格横防空壕に避退をなす、うすら寒さを感ぜり。約一時間の後、寝につくを許可せらる。敵機の大分地方空襲中なるを分隊長に聞く。夜食に乾パン配給。
起床の0六三0に延び、直ちに朝食。飛行作業は平常通り実施。開始前、分隊長より今朝来襲の敵機種及飛行作業中、万一空襲ありし際の処置を達せらる。別科時、昨日同様壕作りを行なう。終了して駈足にて兵舎に向かわんとせしとき、折柄教員による特殊飛行の実施中なりし一機の宙返りをなせしに後席より黒きもの落下せり。何か帽子か他の物を落せるならんと気軽に考え、その垂直に落下して行くを面白半分に眺めやりておりしが、あとで話を聞けば分隊の某教員なりし由。自殺説濃厚。
   (「ペンを剣に代えて」より引用しました。出水航空基地での訓練の日々を淡々と綴ってある部分です)。

今朝しごとに出かける前に、なにかが気になって、この日の大石政則日記を打ち込みました。じつは、ここまで読んで、先へ読み進めないのです。なにをそんなに気にしているのか。打ち込めばみえるかと思いました。

もとより、「治にいて乱を忘れず」とはいいますが、こんなに弛緩しきった時代に、正反対の精神状態の日記をよむことは、とてもつらいものがあります。逃げようとするじぶんの弱いこころと闘いながら、それでも、さくらさんとの縁を不可避のものと感じ、最後まで読みたいと思います。

おもいっきり不謹慎な話をしていいですか。
私は、戦争中に自殺した人を知りません*。自殺しなくても死ぬのに、なぜ自分からいのちを落す必要があるだろう・・とおもったのかもしれない。しかし、そんなことを思う自分はなにもわかっていませんでした。

今日の仕事は、水田天満宮の御神幸祭の警備でした(写真を撮りましたので、後日アップします。役得でした)。縁があって、重要無形文化財にもなっている稚児風流を警護でき、とてもうれしかった。そんな特別の日に、帰宅して西日本新聞をひらきますと、おお!なんという偶然か、「ペンを剣に代えて」大石政則日記の宣伝をしているではありませんか。あの懐かしいにこやかな笑顔が、「彼は死にひるまぬ、勇敢なまことの武士であった」・・という推薦文つきで目に飛び込んできました。・・なにか、つよいメッセージを感じます。

追伸)
* そういえば、丸山豊著『月白の道』のなかに出て来る、水上中尉が、わたしのしっている唯一の戦争中の自害者です。記憶があいまいになってゆきます。切腹をなさったか、銃であったか。いずれにしても、大きな樹の下で自ら果てておられた。それがずっとこころにのこって、いつまでもいつまでも一つの問い掛けとしてたち現れるのです。これは、著者の丸山豊先生自身の問い掛けでもあったはずです。

« ピラミッド築造 | トップページ | 落花生 »

コメント

大石政則日記を打ち込んでくださりありがとうございます。

この日記とまったく同時期、宇佐空での訓練の日々を書いたもうひとつの書物があります。
阿川弘之(阿川佐和子さんの父上で海軍もの作家)著、「雲の墓標」です。

政則日記とは対照的に、胸のうちの本音を手紙にして恩師に打ち明けるというものです。
これが本音だよねと思う見事な表現です。
それを平行しながら読みましたが、そっちを読んでいてhimenoさんと同じようなというか妙な気分になりました。非常につらい。

現在息子の結婚で母が上京中です。
一緒に靖国神社へ行き、資料館に展示されてる父の写真を見せました。
全部で1万枚ほど展示されている写真の中の、一枚の父の写真を、数秒もたたないうちに母は見つけました。
妙におかしかったです。

その瞬時にみわける能力は超能力だろうけど、愛するひととか、縁あるひとの場合は、エネルギー体から特殊な電波がでるのでしょうね。接着剤みたいな。母上のおきもちをおもうと、胸があつくなります。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/6513/8605719

この記事へのトラックバック一覧です: 大石政則日記:

« ピラミッド築造 | トップページ | 落花生 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31