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2007年10月31日 (水)

さし色

又きょうも現場だった。一週間に一度くらいならいいんだけど、きのうも今日もとなるときつい。きのうは一時間半くらい立ち、今日は八時半から二時半まで。その間休みがないんですよね。ずっと立ちっぱなし。それに、日焼どめしていても焼ける。手も軍手の真白のをしていますが、どうも焼けるのです。ユニフォームの襟元に紫のタオルマフラーを巻いて、首が焼けないようにしてる。これ、きれいな色で綿百%のちぢみ加工、五百円でした。なんでも洗濯が利くのが一番。建築現場ってまったく色気がないところ。さし色は大事だとおもう。きたない色ばかりの世界でちょこっとのおしゃれは、ゆとりをうみます。まよなかのぞうきんみたいな警備員にはなりたくないよね。プライドをもって仕事したい。サービス業だし、いっしょけんめい安全に配慮して、お客様によろこばれる仕事をしたい。

あしたはやっと少しひま。でも請求書書く仕事がたまってる。わが社はすべて手書きというのが気に入っています。マイボスは請求書に必ず季節のあいさつ文を墨で書いたのを付けます。このひとはほんとにえらいひとです。どんなに忙しくてもそれ、やってますものね。(茶人ってそうですね。)

そういえば。このごろ、敬礼する癖をみんなにうつした。わたしの最初の職場では必ず敬礼をさせられたのに、今の職場はだれもしないのだ。だから、挨拶がわりにびしっと敬礼をしています。だんだん若いころの現場感覚がもどってきました。わたしって警備員だったんだなあ、ってあらためて思う。昔は誇りが持てず、いやでたまらなかったのに、今は大好きです。ふしぎですね。

2007年10月30日 (火)

句集 『樹の下の時間』

『九州俳句』に拠る長崎の俳人・前川弘明の第三句集『樹の下の時間』(平成十九年十月八日発行、表紙カバー版画・小崎侃)を読む。

序文に師の金子兜太が賛を贈っている。

        前川の〈体〉 
                 金子兜太 

 前川弘明は長崎育ちだが、その俳句に沁み込んでいる長崎の風土と言えるものが格段に色濃く独特で、魅力的なのだ。この人の句作りは人並みで、日常に即し、心象風景をまとめる。ところがどの句にも普通の感じがないのは、前川の〈体からだ〉になっている風土のおかげである。東支那海の照り返しとともにある古い港町。その肉付、情感の色合い。

   平成十九(2007)年 長崎原爆の日
        熊谷・熊猫荘にて

「この人の句作りは人並みで」とおとしめながら、重ねて「普通の感じがない」とひきあげる、それはひとえにナガサキの風土が身に染み付いているからだと妙な理屈をくっつけて。この言い方に金子兜太の第二の故郷と言ってもいい長崎への郷愁、身内意識を嗅ぎ付ける。金子兜太は若き銀行員時代、長崎で日を送り、九州俳句から大きなものを受けたし、またそれに大きな影響を与えた。だから、このカリスマの現代俳句の大家が「前川の体」と書くとき、それは同時に、金子自らの青春時代のにおいをどこかに帯びている「兜太の体」でもあるのだろう。

青僧侶露を踏みつつ蛍光す  弘明

銀行員ら朝より蛍光す烏賊のごとくに 兜太

前川は1935年3月長崎生れである。三年ほど前に主宰誌「拓」を創刊、いま九州でもっとも油ののった俳人の一人である。
次の句の捨て身の風格。簡単にできた句にみえて、ここまでたどり着くには長い時間と曲りくねった空間が必要だったろう。この句を得たことが、彼にとってのひとつの到達点であった、とわたしはおもった。

月光や破船のように父坐る  弘明

ボクシングの亀田兄弟の父のような男が、傷をいっぱい負いながら、それでも負けを認めずに坐している。月光はそのなまみのからだへふかぶかととどく。どんな理屈もいらない。この句集のなかで一番の句だと思う。

ほかに私の好きな句は、

毛虫焼く彼方に青き五島灘 
天金に触れて愛しよ秋の指*
ロビー転がる蜜柑を皆で見ておりぬ
唐寺の赤き柱やつばくらめ
深く拝す戦争見たる夏の月
足垂れて蜂くる桃のような児に
花束で枯木を殴るおとうとよ
小春かな品川駅も踊り子も
ビル街の隅の死蜂のこがね色
紅梅紅梅生鮮保冷車が走る
山椒魚泣かねばならぬときもある
地球回るぽつんと被爆の叔母住んで
まなじりに紅剃く宮日(くんち)踊りかな
あねいもと髪切りそろえ星祭
蜂来たる路面電車の顔面に
花粉はこぶ蜂いて朝のオランダ坂
秋の蜂義士の墓群を渡るなり

西坂の丘 より八句

旭が昇る殉教の丘われらに蜂
蜂あるくキリシタン刑址の白い砂利
色鳥くる殉教の足垂れならび
どれも瞳を上げし磔像木の葉降る
曼珠沙華磔刑の空美しき
聖ルドビコ小手毬の雨聴いただろうか
美塔ふたつ秋天に立ち疾風(はやて)の鳥
暗し聖壁実りの葡萄一房彫り

西坂の丘とは、戦国時代に殉教した二十六聖人像がある地。この有名な彫刻家・舟越保武による像には、詩人の高橋睦郎の「日本二十六聖人殉教者への連禱」という印象的な長い詩作品がある。だから、「どれも瞳を上げし磔像」とよまれると、「それはちがいます」と、声をあげたくなる。(一人ひとりの写真をみるとわかるが、二十六人のうち、ふたりほどは目をあげていない。水平に視線をとっている。じっとわたしたちをみている。これは彫刻家が空間を大きくとらえるためのはからいであり、横一列という難しい構図にあたえる変化への意図だ。そしてそれはそのまま宗教的な神のはからいとなる。連句の視点に似ている。) だが、そんな事実、もちろん前川はしっているのだろうし、ここは詩作品の勢いとして、こうよまざるをえない。この句にはちからといきおいがある。
聖ルドビコ。この殉教者は最年少で12歳、あかるい無邪気な少年だったという。こでまりの花のやさしさ、はずむような花のあかるさ。どこかさびしい、かなしい、純潔の花。この取り合わせを見ただけで、前川弘明のセンスのするどさはみえる。
それにしても、前川の句はどれもごつごつしていて、記憶に刻み込むには滑らかさに欠ける。たとえば、西坂の丘十一句の第一句、

旭が昇る殉教の丘われらに蜂

これなど、


日がのぼる殉教の丘われに蜂

でいいとわたしはおもう。きっちりと五七五にまとめたいのだ、わたしは。でも、森進一が曲に遅れ遅れして歌うのに似て、かれのリズムはぎこちなく硬直し、師の金子兜太を体のどこかにくっつけては、字あまりを堅持する。なんて海程風なんだとわたしは慄然とする。師の影ふみをしているような。だが、冒頭にかかげた破船の一句を見ていると、こう思えてくる。父思いの亀田三兄弟はあのやさしさと泪を抱いたまま、親離れしていくのだろうが、前川も師への熱い想いを抱いたまま、親離れしていくに違いない。

日本二十六聖人殉教者の連祷:http://www.yukinoshita.or.jp/tsuushin/byb0002.htm

日本二十六聖人像:
http://www1.odn.ne.jp/tomas/nihonseijin.htm

水平に視線をとっているのは、聖パウロ・三木と聖ペトロ・バウチスタですね。高橋睦郎の詩作品もですが、この彫刻のすばらしさは、なんにも具体的な手がかりはない無のなかから具象を鮮明に呼び起こしているところです。彫刻ってもののかたちそのものですし。ものすごいアプローチがあったんだろうなとおもいます。26名のうち、此岸をみつめる人物の選択をこの二名にしたのには、確信的な理由があったんでしょうか。

*
これは本句集のなかでは、
「天金に触れてかなしや秋の指」と推敲されている。でも、初出(ほんとはどっちが初出かを知りません。私は「愛しよ」の形のほうを最初に「拓」誌で読んだ記憶があります。)のかたちのほうが余情がある。それはなぜかと考えてみた。「や」だと正統派の切字だし、ぱっと解放される明るい風情があり、「よ」のほうは、くぐもった響きから内向的な味わいがのこる(別のいいかたをすれば、完全な切れを獲得しない魅力がある)。表記も漢字がいい。ルビはつけないで。

↑こんな自分勝手なごたくをこねながら、ひとはみな、ひとさまの句集をよむのですよね。前川弘明先生、いつものことながら、たいへん失礼を申しました。どうぞ、一度、八女にもおいでください。そしてみんなで連句を巻きましょう。(笑)

2007年10月29日 (月)

天上の乳房

また、うんと不謹慎なはなしをしていいですか。
うまれつきの漏斗胸で乳房も小さいことをずっとコンプレックスにしているものにとって、乳がんで乳房を失って乳房を再建手術するひとのことは、むしろうらやましかった。(だって堂々と整形手術ができるんですから。)

それが、ごく身近な人が乳がんをわずらって乳房をなくし、神の手とよばれるおいしゃさんの手にかかって乳房再建をしたのをかいま見ると、そくそくとその悲しみといたみが伝わってきて、なんというばかなことを自分はうらやんでいたんだろうと、ものすごく反省させられる。

今号の「女性自身」の辻仁成のエッセイにこのことが書かれていました。パリの街角に大きな大きな上半身ヌードがかかっていたんですって。思わず目が釘付けになってよくよくみれば、それらは、乳がんで乳房が片方なかったりする女性たちの写真なわけです。フランス健康省の乳がん撲滅運動のポスターであったそうです。

もしやこの句は・・と思う一句があります。引きます。
作者は室蘭在住です。数年前までは大分県におられました。とても美しいかたです。いろいろとあまえておはなししたくなる、でもそれははばかられる。そんな句です。(十年ほど前いちどたちきの新年句会でお会いしたことがあります)。

天上へ行けば逢いたき乳房あり 宮川三保子

  (『樹句集』、樹創刊15周年記念アンソロジーより)

2007年10月27日 (土)

祭の裏方

祭の裏方

祭を支える氏子の家の若おかみたち。稚児の母。
祭の裏方

「このあと、どの家へ参ります・・」打ち合わせ中の長老と駐在さん。
祭の裏方

カメラマンとその助手。太宰府国立博物館へおさめる資料作成中。

水田御神幸祭

水田御神幸祭

この日(十月二十五日)は都合十七軒ほど廻り、三キロ近く歩いたと記憶します。去年より四軒多いと伺いました。ここはもう上がりにちかい、天満宮境内です。「九州二大天満宮 水田天満宮(みったてんまんぐう)」の幟。とても暑い無風快晴の日で、幼稚園生から小六生までいる稚児(八年間祭に参加できる)にはちょっと過酷な暑さでした。

水田御神幸祭

水田御神幸祭

御神幸祭

御神幸祭

これ、何ていうのでしょうか。幟ですが、あれに似てます、大名行列のとき、下に~下にと先頭の家来がふる幟に。とても重そうで、風がふけば顔にまきつき振り回されるそうです。力のある人じゃなきゃ務まらない役です。(急いでいるときの状態です。)

御神幸祭

先頭の赤い神輿がなければ、野辺の送りみたいな写真ですが、氏子の家を一軒一軒ほがひしてまわります。一曲謡ひ舞ふのに数分かかります。それが済むと家の人からお接待をうけ、次の家へとむかいます。
御神幸祭

ごめんね、ちょっと疲れた顔をうつしていましたね。この子たちは小学六年生だとか。朝学校へ挨拶へいき、それで出席扱いとなるそう。一曲おわって休んでいるところ。

水田御神幸祭

水田御神幸祭

練りあるいた農道よこのイチゴ畑では来月下旬にも収穫がはじまるイチゴの手入れを忙しくやっておられました。暑いですね。農婦のがんばりに神さまは収穫の祝福をなさいます。
水田御神幸祭

水田御神幸祭

梅の紋

梅の紋
梅の紋

「おかあしゃーん」かべにはりつくぼく。稚児はみな男児でした。
梅の紋

秋の祭

秋の祭

竹の先端にわらしべをきっぱりと詰めてあります。何に使うのですかとたずねると、これにすがって休むといわれました。正体は不明。いかにも秋祭の小道具、きれいです。
秋の祭

頭にしゃぐまといわれる茶色の毛皮みたいなかぶりものをします。
秋の祭

水田天満宮は筑後で一番古いといわれる天満宮で、すぐ裏には「恋木神社」があります。(むしろ最近はこっちの摂社のほうが有名です、若いひとたちに。)いわれとか歴史的なことを詳しく知りたいかたは、『筑後市史』第三巻に記述がありますので、ご覧になってください。のどかでうつくしい中世をしのぶ祭でもあります。

参照

水田天満宮:http://www.kaiun-goriyaku.com/40j-008.htm
摂社 恋木神社(こいのきじんじゃ):http://www.mizuta-koinoki.jp/koinoki/

2007年10月26日 (金)

落花生

    落花生

           姫野恭子

まよみ堂の落花生棒を齧りながら
森山光章の『終わりなき冥夜』をよみ
まことこの異能の人は月夜見であると
いまさらのようにきづく

月予見の深い森で
十九年ごとに累ねあわさる
寂(しろ)い光の時の澄み
だがその死のかげは常に一定の濃さで

月余見は遅延着床未来永劫

みえていた
あなたのはこぶ落花生
宇宙空間にうくたいじのじょうたいで
繭のようなからつきのみをあじわった

2007年10月25日 (木)

大石政則日記

昭和十九年
六月十六日

0二00頃空襲警報発令、五格横防空壕に避退をなす、うすら寒さを感ぜり。約一時間の後、寝につくを許可せらる。敵機の大分地方空襲中なるを分隊長に聞く。夜食に乾パン配給。
起床の0六三0に延び、直ちに朝食。飛行作業は平常通り実施。開始前、分隊長より今朝来襲の敵機種及飛行作業中、万一空襲ありし際の処置を達せらる。別科時、昨日同様壕作りを行なう。終了して駈足にて兵舎に向かわんとせしとき、折柄教員による特殊飛行の実施中なりし一機の宙返りをなせしに後席より黒きもの落下せり。何か帽子か他の物を落せるならんと気軽に考え、その垂直に落下して行くを面白半分に眺めやりておりしが、あとで話を聞けば分隊の某教員なりし由。自殺説濃厚。
   (「ペンを剣に代えて」より引用しました。出水航空基地での訓練の日々を淡々と綴ってある部分です)。

今朝しごとに出かける前に、なにかが気になって、この日の大石政則日記を打ち込みました。じつは、ここまで読んで、先へ読み進めないのです。なにをそんなに気にしているのか。打ち込めばみえるかと思いました。

もとより、「治にいて乱を忘れず」とはいいますが、こんなに弛緩しきった時代に、正反対の精神状態の日記をよむことは、とてもつらいものがあります。逃げようとするじぶんの弱いこころと闘いながら、それでも、さくらさんとの縁を不可避のものと感じ、最後まで読みたいと思います。

おもいっきり不謹慎な話をしていいですか。
私は、戦争中に自殺した人を知りません*。自殺しなくても死ぬのに、なぜ自分からいのちを落す必要があるだろう・・とおもったのかもしれない。しかし、そんなことを思う自分はなにもわかっていませんでした。

今日の仕事は、水田天満宮の御神幸祭の警備でした(写真を撮りましたので、後日アップします。役得でした)。縁があって、重要無形文化財にもなっている稚児風流を警護でき、とてもうれしかった。そんな特別の日に、帰宅して西日本新聞をひらきますと、おお!なんという偶然か、「ペンを剣に代えて」大石政則日記の宣伝をしているではありませんか。あの懐かしいにこやかな笑顔が、「彼は死にひるまぬ、勇敢なまことの武士であった」・・という推薦文つきで目に飛び込んできました。・・なにか、つよいメッセージを感じます。

追伸)
* そういえば、丸山豊著『月白の道』のなかに出て来る、水上中尉が、わたしのしっている唯一の戦争中の自害者です。記憶があいまいになってゆきます。切腹をなさったか、銃であったか。いずれにしても、大きな樹の下で自ら果てておられた。それがずっとこころにのこって、いつまでもいつまでも一つの問い掛けとしてたち現れるのです。これは、著者の丸山豊先生自身の問い掛けでもあったはずです。

ピラミッド築造

ピラミッド築造

これ、だれが作っているのでしょう。見事な工芸品です。黒と黄色の生地は、触ってみましたら、ガムテープみたいでした。ロープの巻き方、杭の立て方、美しくてほれぼれしました。
ピラミッド築造

近くに踏切があるんです。そこはいつも通勤時間に車の行列ができます。私などはぼけっとしてるので、三回ほど踏切ぎりぎりのところで立ち往生したことがあります。うしろにさがれない、前にもすすめない。ラッシュにはさまれて。それで遮断機が落ちる。うわわ悪夢!一度、死ぬかとおもったほどです。高架になるんだそうです。道路は下を走るわけ。その工事中。ピラミッド築造

2007年10月24日 (水)

これは何。

これは何。

先日の仕事現場で庭の塀ごしに落ちていたもの。
上には椿の木みたいな樹木がありました。
三つの花弁にみえる茶色のは下の丸い種子数個をくるんでいたシェルターですが、弾けてこのような美しい形になるのがふしぎです。

(このときの現場は直径二メートル半の大型人孔を深部に設置する工事でした。邪魔にならぬようにちょっと下をのぞかせてもらうと、孔の下で人が二人、それぞれの仕事をなさってた。上からクレーンが大きな金属の部品を、孔の下へ吊り下げます。クレーン車には誰も乗ってないのに、どうして動くのだろう。きょろきょろ見回すと、孔のすぐそばでリモコン操縦している作業員がいた。へえ・・・。下で作業している人と上から部品をおろす人との息がちょっとでも合っていなければ命をおとす、とても危険な作業でした。)

2007年10月23日 (火)

歌仙 『扉をたたく』

亜の会歌仙

  『扉をたたく』

       四吟付回し

太刀魚をさげて恋慕の扉をたたく   貞永まこと
  傘さしかける銀(しろがね)の月  姫野恭子
風炉名残一杓日ざしへ傾けて     沢 都
  かすれラジオの日本語放送    まこと
特急がもうすぐ駅を通過する      恭子
  山より時雨降り初むる朝      都

ばあさまの霊気ただよう寒卵      まこと
  一枚二枚とめくるトランプ       恭子
乱れ籠いっぱいになる頃合に      都
  よされ磯節 瞽女(ごぜ)の喉鳴る 木場敬子
埋木は妻ともならず尼となり       恭子
  引き出しにある新約聖書       都
冬の月くたびれ眠るトナカイに      敬子
  夢の中でも地雷処理とは       恭子
海原に混じりて淡し風の色        都
  散骨の日のほがらかに晴れ     敬子
花びらがぺたりぺたりと貼りついて    恭子
  ペットボトルと春の土踏む       都

ここからは大股で行く弥生尽      都
  医師宣告は痔疾いやはや      恭子
呼び塩にこたえてもどる干し魚     まこと
  酒あり升と金釘の文字        敬子
纏向の日代の宮は日照る宮       恭子
  這いつくばって望む雲海       都
あの人はいつまた帰る繭を煮る     恭子
  乳与えたく胸はだけます       まこと
味細胞アルカリ性と結合し        都
  高く低くにティンパニの音      敬子
潮満ちて月がこぼした黒真珠     まこと
  防霜ファンを回し損ねる      恭子

ダンボール箱に詰まりし冬支度    敬子
  下りの坂の影はすり切れ      都
この国の両生類に幸あれと     まこと
   ほのかに温し竹皮の飯(いい) 恭子
花の庭直立不動の母おわす     都
   夏の隣に語るあれこれ     敬子

(文音)起首 平成13年10月31日
    満尾  平成14年3月23日

  留書

    時給610円

            貞永まこと

五月の連休に入る前に、丸三年ぶりに故郷でもある東京へ出向いて二泊してきた。上の娘が今春から大学一年となり上京したので、その様子を少し見てみたかったこともあるが、大きな理由としては埼玉の奥でやはり一人暮らしをしている母に会いたかったのだ。
かの悪名高き新大久保で少年時代を過ごした身ながら、ほぼ二十年近い九州での田舎暮らしにとっぷりと漬かり込むと、都会というものは、ある日突然視界から消え失せてしまう、正に虚像そのものだということが良くわかる。
かつて文芸座、文芸地下のあった辺りにパルコビルのキンキラが建ってしまい、何故かその最上階で古書市などが催事としてかかっていた。仮に新書版とはいえ、大分では再び手にすることはできないだろう、と思われる掘り出し物を、荷物になるのも厭わずに漁り出して、ついつい買い込んでしまうヨソ者の私は、例えて悪くなければ、バーゲンセールで「半額」の値札を目にしただけで反射的にとんでもない大量の買物をして悔いる・・ある種の御婦人の心理と少し通い合う部分があるかもしれない。これらをケチな私有の性格などと言ってしまえば身も蓋もないが、頬袋が張り裂けるまで食糧を詰め込むことを止めない、飢えた猿ほどには切なく崇高でない分だけ、都会での大方の買物には、どこか色付きの水滴の染みとして残らざるを得ない。
そんな思いを抱きながら、みやげ話にでもと思い、今人気大上昇のラーメン屋に入って、「豚の頬肉のトロ入り」と「葱飯」を注文すると1人前1500円の支払いとなる。
確かに美味しいラーメンの部類には入るが、これは高値も”売り”として取り込むことのできる都会ならではの、挑戦的な商いといえよう。ただ食後はどこか心苦しい。
私がよく通う大分の温泉浴場(露天・サウナ・泡風呂つき)の入浴料が終日300円で、この施設が通年募集している場内清掃パートタイムの時給が610円と大書してある。
娘は児童学を専攻するために東京へ出たが、近々焼肉屋でアルバイトを始めるそうだ。池袋の「山頭火」で父と一緒に食べたラーメン代の捻出に、低賃金では二時間半分の賃労働が必要なのだということが、自らの汗を通して見えてくることだろう。
だが父はたかがラーメンから『パンなんか買うんじゃない、銃を買うんだ!』と子供等に訴える、彼のサパタへの思いを熱くしてしまう。 

掲載誌: 『連句誌れぎおん』38号、2002年7月発行 

参照) サパタ:http://ww1.m78.com/topix-2/zapata.html
                   :http://clinamen.ff.tku.ac.jp/EZLN/zapata.html

2007年10月21日 (日)

不可思先生とましろ先生

きのうの夕方、八女市町村会館に母と公演を聴きにいった。「合唱団蓮の会20周年記念、親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け、讃歌と講演の夕べ」というもの。(たしかこんな長い題でした。)

お寺の世話役なので入場券を買ったのですが、行ってよかった。合唱はとてもきれいな、こころ洗われる、質の高いものでした。プログラムにかかれた案内文を読んで、初めて星野村のお坊さま・樋口不可思師の前歴を知りました。武蔵野音大声楽科を出ておられたんだと。そうだったのかー。お寺で樋口不可思先生の法話をきくことがあると、ご詠歌をいっしょに歌うのですが、ずうっと思ってたんですよね。あまりにもお上手なので、趣味はオペラなのかなあと。声の出し方が、オペラ歌手とおんなじなんです。はらの底のそのまた奥から出ている。はらに風穴があいていて、天の原につながっていて、そこから声が送られてくるような美声。いろいろと仏教関連のお歌がだされたあと、さいごの曲は、「千の風になって」。つくづく惜しかったのは、不可思師は指揮であったことです。師の独唱で聞きたかった。よほど、アンコールでそれを言いたかったんですが、小心者なのでいえなかった。きっと、みなさんも同じきもちだったんじゃないかな。

講演は、愛媛のお寺の住職であり、また、京都府の私立中学高校連合会副会長である「ましろ・よしまろ、真城義麿」先生54歳の講演でした。題はありふれていて「つながりを生きよう」。題がこれで、出て見えたときすごくシャンとなさってたので、えらい人の話を拝聴する態勢に入ってたのですが、ぜんぜんまったく面白い人でございました。こんなかんじ。

「ひるまで京都で仏教系私立中学の校長会議をやっていたんです。全国で40いくつありますが。それが、お昼から羽犬塚まで電車にのってきて、いまここに立てるのですから、すごい便利な世の中に私たちは生かされていますよね。あるひとが、(←ここで名前をだされたけど忘却)現代を評して無痛社会といいました。快適さだけを善とする社会です。いたいもの、くるしいものに価値を見出さない。そこから逃避する。それは一見すばらしい社会ですが、いろんな問題をかかえています。たとえば、ひきこもり。これの解決法を見事にいいあらわした現代の学生の川柳があります。ひきこもりたくてもできない部屋がない。」

「わたしは愛媛と広島とのさかいにある小さな寺の住職もしていますが、そこは超高齢社会です。日本で二番目の。なんとか村を活性化しようと考えた結果、おとしよりに、自分のいまできることを箇条書きにしてもらいました。わたしは、早起きができます。声がでます。ものが書けます。とか、車の運転ができます。とか、できることをみな書いてもらった。そうして、たとえば、横丁の若奥さんが早起きしなければならないとき、まったく面識のないお年寄りAさんにモーニングコールを依頼する。また、段々畠に行って畠仕事をしたいが歩けない人には、運転のできる人をまわす。そうしていつのまにか面識ができ社会が生き生きと活性化する。これをやって私はつくづく思い知りました。過疎というのは、こころが作るものだったということにです。人が村を出て行く、人口がすくなくなることはちっともこわいことではない。でもそれで活気をうしなうこころがこわいのです。過疎問題とはこれなんです。」

「お産もそうです。あれまでプライベートにしてしまったでしょう。昔は、昭和三十五年ころまでは、お産といえば、隣近所、みんなそわそわして、待ち受けたものです。あたらしいいのちがみんなにまたれてうまれてきました。」

ここまで読んで興味をもたれたかたは、どうぞましろ先生のご著書をお買い求め下さい。一冊800円。二冊だとなんと1600円だそうです。

では、このへんで。かしこ。

参照:真城義麿http://ww4.tiki.ne.jp/~enkoji/masiro.html

ごみの分別

夫は金曜夕方からゴルフ旅行にでかけた。どこへ行ったのか聞きもしなかった。私たち夫婦はひややっこみたいな関係である。金属製のひえではなく、掬いようがあるひえ。(笑)これが適温なんだとおもう。

もう十年たつが、博多をひきあげ八女市の私の実家に父母同居するかたちで暮らしはじめたころ、父が粗大ゴミにだしたことがあった。夫が人様からもらったゴルフバッグに入ったセット一式を。農作業小屋においてたそれを、邪魔になるからといって断ることなくさっさと粗大ゴミにだすなんて、いくらなんでもねえ。はあ~?というか、わが親ながら、よくやってくれるじゃないの。とあいた口がふさがらなかった。

後で知った夫はあきれてはいたが、何もいわず、事なきを得た。

このことをよく晴れたこんな日にはおもいだす。そして、なんだか知らんが、とても豊かな気持になって、ひとり、ニタリと笑いがこみあげてくるのだ。父と夫、このふたりのおとこのはらのうちを想像したら、たのしいではないか。きっと、はらわたが煮えくり返るみたいだったんじゃないかな。当時父は六十八歳、夫は四十二歳。ずいぶんと若かったなあとおもう。

2007年10月20日 (土)

句集『清夏』

最近、或る人に見せていただいた句集の、ぱっと開いたページに次の一句があった。

   薪村・一休寺

髭植ゑし一休坐像冷まじや  吉津清子

たきぎむら。いっきゅうじ。
そうだ、これは最近引用したもののなかに出て来た寺じゃないだろうか。(9月11付かささぎの旗「虫 3」)

もっと読まねばならない気がし、その縁あるかたに頼んで、句集をかりた。吉津清子句集『清夏』 (卯辰山文庫、平成十八年九月二十五日発行)。

はつ夏や人なつかしく水田べり

葛桶の昼のうすらひ女ごゑ

神鏡はなにも映さず花あかり

観音は暗きに在すぼたんかな

のどかさの金魚田見つつ郡山

黄ばみゆく稲田村ぢゆうが睡し

柿の木にこがらしの月千早村

冬木聳えて震災地夜に入る

夕凍みの穂草のあまた海へ向き

吉野葛提げて余寒の辻にあり

茎立やいまのこといま忘れゐる

父と歩くや涼しさの杉の月

芝水平に朝涼の皇居前

放念の月あげてゐる櫟山

鳥雲に出を待つ人形つかひかな

法要の僧の見てゐる海開き

水に浮く白桃予後の杳として

富嶽いま雲の中なり蕎麦の花

うすらひの灘や夜風に杜氏唄

鉄骨の上に人ゐる南風

抽んでて柞の梢山廬の忌

・・・・

なかばまで読みすすみ、なにかがふかく触れてくることにきづく。はっとする。山廬の忌。飯田蛇笏の命日は十月三日だった。石橋秀野も山廬へ寄せた句を句集に残している。

山廬先生の還暦を祝ぎまつる五句、雲母支社より乞はれて

鳶の笛囃せ菁々たる柳
雪雫甲斐の大鵬翔たすなる
六十年山廬の雪消聞かれしと
春燈をつぎて在して古き裔
かげろふの甲斐はなつかし発句の大人

(石橋秀野句文集『櫻濃く』より)

なぜこの吉津清子という俳人の句がぐいぐいと静かな炎をあげてじぶんにせまるのか、やっとわかった。

そういえば、今年二月、飯田蛇笏の息であり、俳壇を代表する俳人でもあった飯田龍太が亡くなった。わたしが唯一もっている俳人のCDが、このひとの『俳句のこころ』(朝日カルチャーセンター1990年4月収録、アートデイズ発行)である。その帯にあたる部分にかかれた紹介文をひく。

「子規逝くや十七日の月明に」。弟子の高濱虚子が師の死に際して詠んだ何気なくも思い深い句。芭蕉は愛する寿貞の死後、「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」と詠んだ。優れた俳句は、日常の誰もが持っている感情を詠んだものが多い。俳句は、自分の心の奥底にあって気づかなかったことを正確に言いとめることが大切だ・・・。(飯田龍太)

(うわっとおもう。本質を見ていた人だ。こんなにさらりと、虚子は子規の弟子だといっている。)

吉津清子の句には、どことなく秀野とおなじ古典的な匂いがするが、もっとずっと「お能的」である。表面だってはほとんど派手な動きがない。ゆっくりじっくり面の下で、発酵させるかのように言葉をえらんで吟味し、ひそとさしだす。はげしくつよい感情や精気は濾過されてきれいなかげだけがそこにすがたをあらわす。一句一句に、静かな綺羅というべき花を秘めているのは、そのゆえだろう。

負ひきれぬ杉の冥さを蟇  清子
冬の蔵音もたぬもの嵩をなし
風花や堤の裾の忘れ魚籠
とどまれば人老ゆるらむ桃畑
風花や見えて遥けき比良比叡

補遺)

囀りや畳にひらく日本地図   清子

(この句のなんとイメージ鮮明なこと。「ひらく」の使い方、西東三鬼の、「広島や卵食ふとき口ひらく」を思い出させる。天国と地獄ほどもちがう句柄ながら)。

校倉の大閂やイカル鳴く   清子

(これにもハッとしました。イカルについて書いた文を引用したばかりでした。かささぎの旗9・29付:「虫 5」。右のカテゴリー「連句誌れぎおん」をひらきますとでてきます。)

2007年10月19日 (金)

井戸と水道

現場づいている。

面白い現場ばかりだ。もともと現場向きなのかもしれない。日焼をおそれないなら、この仕事は楽しい。

市の委託水道工事現場に立ちあった。古い水道管が破損して道路上に漏水していた。二メートル近い地下にある水道管を新しいものと交換する作業を管工事専門業者が行ったので、その業者の委託で片側交通の警備をしたわけ。地面のなかがどうなっているのか、ちゃんとこの目で見ることができた。

管工事人が仕事しながら言ってた。地域によっては水道管を適当に掘って埋めてある。昔はそうだった。だからそれが今あちこちで漏水を起こして大変だ。

この工事には市の水道ガス部の職員がちゃんと見張り員として立ち会う。工事の過程ごとに写真をとり、作業の工程をミニ黒板に書いていく。(以前写真で紹介したアレ)。絶対気を抜けないようになっている。公共工事はすばらしい。いや、いやみじゃなくいろんないみで。

その市の水道部のおじさんがつぶやいた。今は荒木に人がとられていてね。

ああそういえば、荒木の井戸水にダイオキシンが出て、今、市はそれらの民家に給水をしているとニュースでいってたっけ。

「それら被害を受けた家で、どれだけの家が新たに市の水道をひきましたか」と興味があってつい聞いてみた。

「たった一軒だけ。」

えっ。たった一軒。

うーん。

「これまで長いあいだ飲んできたのに、いまさら・・ってきもちもあるんだろうなあ。井戸水に比べたら確かに水道水はカルキくさいし」

そんな・・。でも、すごくよくわかる。

井戸の水。うちの飲料水も井戸水だ。市水とわが家では呼んでいる水道水は洗濯や風呂用で、飲み水としては使っていない。一度くらいは分析してもらう必要があるだろうと思うが、調べたことはない。きっと昔と比べ物にならないくらい汚染されているかもしれない。そうじゃないかもしれない。農薬は昔よりずっと安全になっているとはいえ、農薬はつかうわけで。虫を無視できないのだから。それを汚染とよぶのなら、汚染のなかでしか生きられないだろう。虫もわたしたちも。すべて。

2007年10月18日 (木)

かささぎと鶏

かささぎと鶏

鵲の巣の取り払はるるを見てをりぬ
かささぎと鶏

鶏の子にも思春期あるのかな

トランシッド

トランシッド

どかたのおじさんのたからばこ。
トランシッド

ガテン系ファッション。和てぬぐいがイカしてます。

トランシッド

トランシッドは、高さを見るのに使われてました。

2007年10月17日 (水)

竜神上げの空

うちの母(昭和五年うまれ)から、ひょっこりこんな話が聞けた。以前、家のすぐ裏に井戸があり(これは覚えてます)、水道がひかれ(私の小学低学年のころ)、それを埋めるときに、がんざんだいし(元三大師。マグマ大使じゃない) というここらへんでは有名なおはらい行者に「竜神あげ」 のご祈祷をお願いしたんだそうです。井戸に棲む龍神さまに、ちゃんとお礼とお払いの祈祷をして、天に帰したのです。初耳でした。

近所の井戸掘りさんが、熊本までも出かけて掘ったときの話を聞いたことがある。掘ったあとは、必ず酒を井戸にふるまい、おはらいをする。熊本ではその酒が焼酎だったって。「焼酎は酒とちがうよね。だけんつい、文句をいいたくなったばってん、あっちの人には焼酎がサケなんじゃろうね・・」と井戸掘りさんは言ったのだった。おかしかった。きっと熊本の竜神さんは焼酎やけしていなさるだろう。

今月の仕事場は超多忙で、事務を執ってる暇がない。駆り出される。きのうも一時間たった。それが私の立たされるところは近場です。面白いことにきづいた。筋ごとに違う業者が入って下水道を掘っている。ちいさなマチの一本ごとの道に別々のギョウシャがはいってせっせと下水管を埋め込む作業をしているのだ。これ、「下請け」というのです。

 筋ごとにちがう下請け鰯雲  恭子
 下請けの歯のなき人夫鱗雲
 一人片交ときをりよぎる鳶の笛

きのう、はじめて現場で笛をふいた。ひとり片交(かたこう)という誘導の型がある。それをやった。さほど交通量の多いところじゃなかったからできた。やれば、できた。

なぜこんなにいそがしくなったのかがわかった。ギョウシャにきいた。いっせいに下水管埋設工事が入ったからだそうです。なーるほど。久留米、吉井、柳川から、そっち方面の交通誘導依頼の電話がありますがかなりの依頼を断っている状態。もったいない。

母となぜ、竜神さんのはなしになったのかといえば。民間信仰で、なにか困ったことがあったとき、ひとさまがあそこにいって相談したら。というので、そこへいったんだそうです。(むかし、わがむすめが登校拒否になったころ。)勧めてくれたひとのところは、家にまつっていたおじぞうさまが悋気してそれがさわって色々問題がおきてたそうです。でも、わが家の場合は、まったくなにもそんな問題はない。学校に行かない娘さんは大丈夫、なにも憑いてないし心配ないと折り紙をつけられ、お金も払わないで帰ってきたことがあった。あれはふしぎだったばい。という。福岡まで行ったんだそうな。。。この話、母からはじめて聞いた。そういう目にみえない世界のことを、みることができる人が世の中にはちゃんといる。それが楽しいし、とてもそんな霊能者は尊敬する。こんなふうにいっちゃいけないのかな。こういうことはね。

空をみる。まんなかに肌理のこまかな上等のウロコ雲ができていた。下のほう、ひくいところには、まだソフトクリーム雲もある。ちょうど、龍神さまがまんなかを通って昇天したみたいに思える空だった。

 下水管埋めこむ龍神あげの空  恭子

※ 元三大師を検索したら、なんと東京の深大寺につながりましたよ。なんでかな。http://www.01.246.ne.jp/~yo-fuse/shuukyou/jindaiji/jindaiji.html

秋映

秋映

2007年10月16日 (火)

カンナと女郎蜘蛛

例年、秋が中くらいまで深まってくると、畠の隅でがんばっているカンナと、木々のあいだで大気をふみしめているジョロウグモが目につく。これ、どちらも夏の季語に属するのであるが、わたしは秋のほうがぴたっとくるように感じる。カンナはことばのひびきもその原色もどうみても夏だけど、ね。ジョロウグモは秋ですよ。かささぎとおなじく、葉っぱが落ち始めた木々に巣をかけて、その姿が目立つのは、夏ではなくて今です。

2007年10月14日 (日)

連句会2回目

ああつかれたー。

でも、よかった!たった三人でどうなるかと思ったけど、おひるには都さんもきてくれたし、なんとか巻き上がった。歌仙36句では勿論なく、源心28句でもない。胡蝶24句にして正解だった。胡蝶形式はうんと行間を空けないと読むに耐えないからとっても難しいのよーとおっしゃる前田師の声がどこからか聞えたけど、それはこのさい聞こえないきこえない。

発句案

 思草白壁のかや枯れ果てぬ (らん)
 黄カンナの真後ろにある秋思かな (整子)
 渋柿の照り美しき朝かな  (恭子)
 買はれ来てビル街に棲む思草  (整子)
 朽ち果てし南蛮煙管と屋根瓦 (整子)
 真白な鵲のおなかの下へ干す (恭子)
  酔芙蓉闇穴道をひた走る  (恭子)
 橙(オレンヂ)の日傘佇たせて秋旱 (整子)

選句

思草となんばんぎせるは同じものだが、言い方がちがうと印象がちがう。また、ひらがなで書くか漢字でかくかでも受けるものは異なる。堺屋の北の縁側には芒のプランターがいくつも並べてあり、その芒のあしもとには思草、南蛮煙管が枯れかかっていた。萱(かや)・芒と思草(おもいぐさ)これは和歌で詠まれる縁語だ。が、そういう素材は詠むのが意外に難しい。東妙寺らんは俳句を始めてまだ一ヶ月。でも、ちゃんと見た素材を句に仕立てている。白壁のかや、が省略がきいている。白壁に寄る萱、そしてその萱に寄る思草。この句をよむと、寄る辺のない寂しさみたいなものが伝わる。おもいをよせるべき萱はもう枯れてしまった・・とそんなふうに読める。ふかよみかな。

発句にどれがいいか。釈教句の、あんけつどうをひた走る酔芙蓉の句をまずは置いてみた。しかし三句目が月なのに闇穴道はまずいと、ビル街の思草を次に選句する。

 買はれ来てビル街に棲む思草 
   風ひんやりと銅(あかがね)の匙

これではあまりに恋の匂いが濃い。
そこで、ちっともおもしろくはないが、発句としては無難な渋柿でいってみた。四句目くらいまですいすいとついてゆく。が、ハタときづく。柿は晩秋の季語だ。まだ晩秋じゃない。ということで、黄カンナの秋思の句に決まる。笑。あほらしいが、発句を決めるまで小一時間かけた。この、ああでもない、こうでもないという逡巡の時間はとても大事で、そうしているうちに、なんというか、チューニングが出来てくる。助走がつき息も合ってくる。で、カンナの句に私のつけたケチは、「真後ろにある」というフレーズだ。この表現は、現代俳句によくみかける。それが気になるが、実景としてカンナのふんばりの哀切さには共感がもてるので、これをいただいた。

※ 堺屋で卓をだして三人、昼ごはんの時間も惜しみ、セブンイレブンのうどんを買って食べつつ巻いた。途中、何人かの観光の方々が入ってみえたので、一応、お声をかけてみたのです。連句をしています、夏の月の一句いただけませんか、と。そしたら、笑って、いえいえとんでもないと首を振られました。うーん。ここで、平成13年春彼岸のぼんぼり祭り連句大会のときのように、のりのいい人がいて、付き合ってくだされば、まるで笠置連句みたいなものになっただろうにね。

前原市ののんだくれ博徒budさんへ、参加者が少ないから来てほしいとお誘いの電話をしました。するとごほごほと咳の声。風邪をひいてとても動けないと。ざんねんです。熊本の宙虫さんもお忙しいらしく今回もだめでした。まあ、気長にやります。つぎは来年の1月に予定を組みます。日取り未定の日曜日。いろんな意味で勉強になるので、本格的に俳諧をやりたいかたは、ぜひご参加をおねがいします。連句は地球を救う。笑

あたえよ、されば与えられん。
それが連句の世界だから。

2007年10月13日 (土)

かささぎ

かささぎ

なぜかダックスフント。

かささぎ

真っ白な鵲(かち)のおなかの下へ干す 

掘って埋めて

掘って埋めて
掘って埋めて
掘って埋めて

2007年10月12日 (金)

HERO

映画「HERO」は警備員さんーそれだけが職業柄、印象に残った。あとはかたどおり。きむたくのかっこよさも韓国スターのかっこよさもわかったわかった、ってかんじね。あと、韓国ロケ、そのまちなみをひえーって思った。ずいぶんごちゃごちゃしていて、活気がありますね。なかなかいいなあ。行きたいな。

(これ、次男の塾の奮起式のとき、親の待ち時間が三時間半あり、ひまつぶしにシネマコンプレックスで一人みました。合川町の映画館で。)

その日、塾がおしえてくれたんですが、家計に占める教育費の割合の世界一は「韓国」(教育費のエンゲル係数の高い国)でした。大学進学率トップも韓国。二位フィンランド。(この国、教育レベル世界一って知ってた?私は鍬塚聰子ブログで知った。)三位アメリカとスウェーデンが並ぶ。日本は、長寿国第一位、そして石油消費国の三位として名があがるのみ。

2007年10月10日 (水)

人孔

人孔
人孔

あさ一番で現場につく、すると真正面に酔芙蓉の木がいっぽん。背がたかく、おおきな花をつけている。何本もの枝が低い位置からのびていて、花のつぼみと、ひらいたばかりの純白の花と、一日たったピンクのしおれ花が、まるで女の一生の展示でもやってるかのように、風にゆれている。すごい。わたしは、これをみて、純白っていう色は、一瞬なのかもしれないとおもった。はっとするほどの衝撃をあたえる白。関係ないが、芥川龍之介の「白」って絵本をおもいだした。じしちょくぜんのころの。いぬのしろだけども。
人孔

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post.html

上記の十月二日の現場(おなじ建設会社のほぼ同じ現場)で、人孔という言葉をはじめてみました。なんだなんだ。これは入孔の誤記じゃないだろか。と最初はおもいました。ところが、また、きょう、おなじ字が工事のネームプレート(かならず、書かねばならないし、写真に収めなければいけないものらしいです)のなかにありました。それで監督さんにきいてみると、「専門用語。マンホールをジンコウというんです」とのこと。

まん=man=人。
hole=あな。孔。

ってことやろか?

つづりをまちがえていました。

holly=聖なる。hall=ホール、会館。h は総てを包む。

また現場

また現場

この酔芙蓉の花の下に立ってました。八時半から三時まで。きょうは涼しかった、風があって。車も人も滅多に通らないので、退屈と戦う。写真をかなり撮った。携帯だからとれた。くまんばち?か、すずめばちがたかっています。
また現場

くの字に折れ曲がったあたりで下水のマンホール掘削中。車が入り込まないようにたっています。はっきりいって、人じゃなくても立て看板だけでいいんじゃないの。人件費の無駄。でも、工事報告書にちゃんと警備員まで記載しないといけないらしい。そのわりには、安すぎる警備員の日当。一度たってみたらどなたもわかるとおもいます。ただ立つということの、あてどなき苦痛!二宮金次郎になりたい。本を立ってよみたかった。ひまでひまで。
また現場

近くの家で飼われているにわとり。きのう、立ったところにも居たけど、それは白いレグホンだった。これはあきらかにちがいます。お昼ねをするかと、一時ごろにそっと見に行くと、首を胸の毛につっこんで寝ていた。ところが、じっと見られてると察し、きょきょきょと起きてあるきだした。

還暦をむかえた会社の社長が最近、動物をやたら会社にもちこむ。まず金魚。次に小鳥。ダックスフントのいぬ。さいごが、きわめつけ、にわのにわとり。なんでやー!!いくらなんでも、にわとりまでは世話せんけ。と専務が怒り、あわれ二羽のにわとりはどっかへ貰われていくか、ひとさまに食べられるかの運命。とそこへ、私が立った現場ににわとりを飼っている農家が二軒もあるので、どちらかへ養子にだそうということになった。きょうはばたばたしたからまだ話をしてもいない。でも明日あたり、農家をたずね、うかがってみよう。

(祭りのひよこつりでつったひよこを大きくなるまで育てたのは、社長の娘さん。中一。すごい才能だよね。)

大河を前に

大河を前に

電線にいるのはかささぎの群れ
大河を前に

筑後川の土手のちいさな水天宮
大河を前に

2007年10月 9日 (火)

耶馬渓のまんじゆしやげ

耶馬渓のまんじゆしやげ
耶馬渓のまんじゆしやげ

逆光になってしまいました。

きのう朝十時から、夏に俳句をはじめたばかりの東妙寺らん(俳号)をつれて、あちこちすってる愛車で大分の瀧春樹先生をお見舞いにでかけた。先生は右足、奥様の堀井芙佐子氏は左足がおわるい。おふたりは杖を左右対称につかれて、お迎えくださった。ひょっとしたら、入院なさってるかも・・と案じていたが、思ったよりお元気で、安心しました。神経ブロック注射をなさって、すわれるようになったそうです。「樹」誌には、尿瓶を枕もとにおいてどうのと書かれていたので、心配していた。安静にしていなければならないとのこと。買い物は近所のかたに電話で頼んでおられるらしい。はやくもとのからだに回復されますように。いつお会いしても、とても仲のよい「句夫婦」です。

写真はお昼ごはんに立ち寄った、耶馬溪の蕎麦をたべさせるお店です。彼岸花がまだ群れ咲いてまして、「わずか十日ほどを咲くために一年間土の中で息をためています。どうか踏まないでください」と立て札がありました。公園の向こうには、白い蕎麦の花が真っ盛りでした。写真を撮りたかったけど、時間がありませんでした。(そうそう。お店で隣にすわったのは、連句人の水谷純一郎さんでしたよ。三宅繁代さんもいらっして。うっわ、なつかしいーっておもったのですが、声をかけるのを躊躇してしまいました。三宅さんとは、四年前に来たときにも、耶馬溪附近の道で、ばったりであったのだ。あちらはごぞんじあるまいが。・・これ、つくづくすごい縁だとおもいます。

2007年10月 8日 (月)

農魂

さくらさんのカントリーエレベーターの写真への昨日のかきこみ、無断引用します。

私が九州にいるころはこうでした。
今は農業もずいぶん機械化されてると思います。

籾摺りが終わると籾が山のように残る、その籾は燃やして灰をつくり火鉢の灰に、またサツマイモやジャガイモを突っ込んで蓄える。米ぬかは草と混ぜて牛や馬のえさに、藁は馬小屋の布団代わりに敷き、糞や小便にまみれたらかき出して干し、再度田畑に撒き散らす・・・
男の人の朝の仕事はまず草刈に行く、義父は公務員だったのでこれが出勤前の仕事、都会のサラリーマンとぜんぜん違うと東京へ来てまず思った。

これらの仕事を一家で一年中やるんだから、年寄りだからと引きこもっている人なんか一人もいなかったです。孫のお守りは当然、出来ることは何でもやりますよね。農家は年に関係なく。
himenoさんのお父さんお母さんも当然のごとく。

一人で山歩きの出来る独居老人の所へ介護の人がきて、買い物や掃除をしてくれる・・・・の見てるとへーん!!日本はおっかしいー!と思います。(さくら)

同感です。

さいごの一節はたぶん、孤独を埋める手助けと、孤独死予防のために様子をみにゆくとことをやっているんだろうとおもいます。(これ、おなじように私も以前博多でヘルパーを数ヶ月やったとき、感じた疑問です。とっても裕福でお元気なご老人にも無償で、というかものすごい安価な値段で市は介護サービスを提供していました。三十代半ばだった私には、不公平な気がして許せなかったんですが、だんだんと今では腑におちるようになりました。)

さくらさんの書かれた文章を読み、自分と同じ農魂がながれていると感じます。朝は早くからたくさんある仕事を黙々とこなすのが当然の暮らし、そんな家族の一員として自分の仕事をこなしてきたものには、都会のサラリーマンのくらしは、ものすごくゆるいものに思えた。今なら信じられないのだけど、結婚当初の自分は、とても罪悪感にとらわれていた。こんな楽な暮らしをしていて、いいのだろうかと。都会に出ていても、常に仕事が山のようにある農家の自分のイエのことばかり、考えていた。夫のことよりなにより、まずイエにきもちが縛られた。なぜかといえば、そんなふうに育てられてきたから。農家の家に生まれたものは、根がとても太くて長い。切ろうと思っても、きれない。良くも悪くもこれは運命だとおもう。で、わたしもさくらさんとおなじように、ふつうのおうちがとてもうらやましかった!ほんっとに手伝えっていわれたくなかった。

2007年10月 7日 (日)

火入れ式

今日から塾は本格的な受験体制に突入。
その火入れ式(奮起式)が久留米のさる大学であった。午前中はこどもに平成17年度の公立高校の入試問題を解かせ、午後からは親に映像で、どのように受験に立ち向かうかの講義。小学校の五年の夏休みから六年生にかけての一年半と、中三の夏から今また通塾しているが、親も子も相当くたびれてきた。しんどい。暇もおかねもからだもね。それなのに、塾側は、高校生になったあかつきには、わが塾の高校部が自信をもって大学までの勉強をサポートします・・などとのたまうわけよ。もう、むかむかしてきてねえ。はたらけどはたらけど、すべてこどもの教育費にきえていくさだめ・・か。受験生のおやごさん。しょんなかですとたい。がんばりまっしょい。こどもががんばっているのをみると、親もがんばらんば、と思うとですもんねえ。

あ。それでおもいだした。

俳句をもう十五年もやっているけど、まわりのひとも自分も、句集を出すことはないんですよね。これ(句集出版)、確実にむかしより減っている気がします。それだけ余裕がなくなっているんじゃないでしょうか。つまり、景気はよくなっているんじゃなく、わるくなっているっていうのが、庶民の正直な実感です。為政者のみなさん。そこんとこ、夜露死苦。

2007年10月 6日 (土)

rice station

rice station
rice station
rice station
the
southwest country elevator

ライス・ステーション。(じぶんならこうだと名付けてみました。コメの駅です。)正式な名前は、カントリー(グレイン)エレベーター。金曜朝にここへ交通誘導の隊員さんを送りました。収穫のときだけの季節モノだし、記念に写して帰りました。自分が立つのであれば詳しく内部の人に聞けたとおもいますが。

カントリーエレベーターとは・・・地区のコメや麦を一手に集め、脱穀するところ。米は銘柄ごとにわけられ、エレベーターでサイロに運ばれることから、この名がある。

カントリーエレベーターの歴史を知らないのですが、利用するふつうの農家もんの意識として記録のために記しますと、うちがここへ米を預け脱穀してもらうようになって、まだ五年くらいです。

それまでは、自宅で収穫後の籾を「もみすり屋さん」に来てもらい、もみすりやさんといっしょになって籾摺りしてました。肌にくっついたらちかちかする籾殻のこなのけむりのなかをかいくぐりながら。目のまえでモミが玄米にかわり、剥き出しの籾が米袋に入った新米になりました。じぶんちのたんぼで獲れたこめを一年ずっと食べました。それが、カントリーエレベーターですと、みんなのこめといっしょになり、まざります。(むかし学校でならった、ソホーズ、コルホーズ・・なんてことばがひょいと心をよぎりました)。

じぶんちでとれた大事な米をここに預けて、しばらくして、通知があります。うけとりに行ってもいいとの通知があったら、一年間食べるぶんだけの米を、あるいは小出しに食べるぶんのみを、それは自由にきめることができますが、受け取りにゆく、または配達してもらいます。

参照:ソフオーズ・コルフォーズ

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/4888/wuz_klhz.html

「ソ連が崩壊したわけを教えてください」:http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1483480.html

2007年10月 5日 (金)

土  1

essay 土  1

            姫野 恭子

平成十年睦月半ば、八女市にこの冬初めてといえる雪が積もった。八女市の地理的な位置を簡単に説明すると、九州島のかたちをそのまま凝縮したような形の福岡県の南部にあり、南、東、北の三方を八女郡という大いなる山間部に囲まれてはいるものの、唯一山がなくてひらけた西南部の先には有明海がある(もっとも海の手前には柳川などの地あり)。

その昔、有明海はもっと内陸部まで侵食していたはずだ。というのは八女の地名には津の江とか川崎とか柳島、福島など海に関連したものが多くあるからだ。津は港だから。

 今昔
 の風
 津(わたしば)に
 人の
 声

     瀧 春樹の書より

八女市内には約350もの古墳があるらしいのだが、なかでも古代九州の王・磐井の生前墓がある丘陵の東端にある童男山古墳では、例年1月20日に「童男山ふすべ」という徐福の霊を鎮める行事がおこなわれている。江戸時代から細々と続いているとのことで、古墳の前で村人と児童が火をふすべて(焚いて)、おおむかし、たくさんの童男童女を引き連れて上陸した徐福の霊を祀る神事をとりおこなっている。

秦の始皇帝に不老長寿の妙薬を持ち帰るように命じられた徐福が、日本のどこかに漂着した伝説は全国各地に20近くあるらしいが、今尚お祭りしているところは珍しいのではなかろうか。始皇帝といえば紀元前3世紀だ。いくら昔の人でも、ありもしない薬をさがしてこいと国を追われた徐福は、左遷された要人だったのだろうか。こんな渡来人からきっとわれわれのご先祖さまは当時のハイテクや文化を習得したのにちがいない。

    ◇

昨年の師走に夫の父が他界した。義父は「大東亜戦争」中、軍人で教育者だった祖父の任地の台湾で青年期までを送っている。
さて、義弟が再婚した。夫のただ一人の弟である。事情があって、父親の死に目にも会えなかったかれが、フィリピン女性と再婚して子どもも出来たという。兄である夫は激怒したが、母である姑は最近その女性に会い、かつての日本人女性が備えていた美徳=質素、謙虚、従順=を見抜き、こころうたれ、「良かった。これであの子は立ち直れる」 とよろこぶ。彼女の田舎には電気もガスもなにもないらしい。こんな時代である。東南アジアに親戚ができたことを喜びたい。

    ◇

今朝の新聞は三塚蔵相辞任を報じている。恐慌前夜かもしれぬのに、危機感がない。飢えたことがないから、財政が破綻したらどうなるかの想像すらつかない。国民はなべて平安貴族化している状態だ。

以前オイルショックに揺れたとき、『日本の自殺』という本がでて、冷静に時代の分析をし反省をうながした。今度の不況でよむ本は『父性の復権』 らしい。

地について考え、血について考え。発掘隊員みたいだ。連句をやるときのきぶんみたいに。

すべての生き物は土からうまれた。すべての生き物は土でできている。今号より土を根底に据えた文章を書かせていただくにあたり、大虚子の句と拙句をひき、冒頭の挨拶としたい。

 ほこほこと落葉が土になりしかな*  高濱虚子

 冬の土もうすぐ父が発芽する     姫野恭子 

* 昭和22年作。正確にはほこほこは踊り字表記です。

連句誌れぎおん21号、1998年4月発行より引用。



2007年10月 4日 (木)

求人広告

最近、仕事がばんばん入ってくるが、残念ながら、隊員が足りなくてせっかくの警備依頼を断っている状態である。もっとも仕事量の少なかった五月がうそのように、師走なみの忙しさだ。社長も営業も専務も事務員の私も全員で実務に出払う非常事態に突入している。求人広告を何度も出したが、まるで人は集まらない。なんでだろう。

一つは、社会保険完備じゃないこと。低賃金でありながら、ハードな労働であること。単身者の寮は完備しているが、一つの3DKアパートに最高6人という集団生活であるため、わがままな暮らしに慣れた現代人にはかなりの負担になるらしいこと。さいごは、これが一番考えられるのだけど、ほかにもたくさん条件のいい職場が求人をしているため、うちのような弱小警備会社まで食指を動かさなくても済むんじゃないかな。

真剣に考えた。自由にわが社の求人コピーを出していいというのであれば、こんなのはどうだろう。

「愛する妻子にあいそをつかされ、ひとりっぽちになってしまったあなた。なんの生きがいもなく、たまるのは借金のみというしょぼいあなた。わが社へきたれ!どこよりも低賃金で、朝も夜も昼も連日休む間もなくこき使って差し上げます。禁欲的な寮生活は、あなたを規則正しい仙人生活へと導いてくれるでしょう。どこよりも安い生活費で、こつこつと毎日を確実に積み重ねていけば、火宅から抜け出すコツのようなものがみえてきます。そのとき、あなたのすさんだ精神は、むだな贅肉をすべてこそぎおとして復活し、健全な人生の指針ともいうべきものが、キラリと少女マンガの大きな少女の瞳に灯る星のように、きっと必ずみつかります。わが社には、そのための大切ななにかが、原石のままあります。さあ!みつけるのは、あなたです。わたしたちは全員一丸となってあなたの決心を応援します。身一つで、さあ、飛翔しましょう。かぎりない未来へ。」

うーん。笑うしかないか。
でも、ほんとうに、そういうかんじの会社なんだよね。これは胸をはれる。

2007年10月 3日 (水)

仕事中

仕事中

コンクリートを切るカッターです。細長い水が出ます。どうも水は切る前につける、お裁縫でいえばチャコみたいでした。
仕事中

この若い人もブロック切り中。きりおえるまで時間がかかります。つい写真をとり、はっとして、カラーコーンを道路に並べ守りました。身半分が道路(通りが多いので)にでてます。私も真剣に仕事中。
仕事中

小さなことながら、建物の駐車場ができるとき、車の入り込みぐちって道路の地続きでブロックも低くないといけませんよね。それをこさえている作業です。実にこまかな作業でした。おどろきました。こわしては均し、きれいに箒で掃いてはセメントをこね、つめこみ、高さを測り、調節し、ブロックを長さにあわせて入れ込む。足りない分は石を切り出す。・・ふたりでもくもくと無駄のない動きでした。いやあそれにしてもとても暑かったです!

河向こうの現場へ

河向こうの現場へ

クレーンの下に見える大きな荷物は米じゃなくて、セメントだそうです。まっさきに現場監督に尋ねてしまった。昼休み撮影。なお、現場のひとたちは、昨日もでしたが、みなさんお弁当派で、食べたら、思い思いの格好で思い思いの場所をみつけてお昼ねされるんです。いいなあ。ある人はお宮の床下で顔に布をのせ胸で手をくんで。まるで死体のように。笑
河向こうの現場へ

帰路写しました。行くときは依頼主の軽トラのあとを付いて行ったので、うわーきれいな景色だって思いながらも、写真なんて撮る余裕はありません。なみだがでるほどきれいな景色だった。
河向こうの現場へ

2007年10月 2日 (火)




現場だゎ

現場だゎ

写真の左上のほうにポコと見える人影みたいなものは、祠です。以前から河の傍の道を通るたび、その祠がきになってしかたなかった。今日確かめたら、「水天宮」の文字あり。とてもきれいに祀られていた。山は耳納連山。

現場だゎ

石段をのぼると筑後川が眼前にひろがる。
現場だゎ

朝七時半、四個の弁当を包んでいると、社長に呼び出される。隊員のコウさんを田主丸まで迎えにいき、そのあと柳川までちょっと送ってやって、と。頭の中のイメージでは柳川と田主丸は隣。が、じっさい運転してみると、ちゃうちゃう!大善寺と善導寺がちがうように、まったく逆方向。筑後地方の最南端である八女からまず北の久留米へ行き、次に東の田主丸へ、そして眠たげなコウさんを無理にのっけて、時に急ブレーキをかけ、うしろで寝ているおっさんを床におっことしながら、うんと遠い柳川に下ろす。そして又久留米へ。移動総距離100キロ、移動時間三時間。やっと着いた・・と思えば、現場へ出ているボスから、替わって、と懇願される。

ひさびさの現場は筑後川の傍でした。うろうろして写真をとる。車は二時間中、一台、米屋さんが来ただけ。だいぶ涼しくなったけど、ひなたはとても暑いです。は~おつかれさん。現場にたつと、みなさまの日ごろのご苦労がよくわかります。夕方、家に帰宅すると、また次男が、おかあさん今日は送って。うんいいよ。ということで今日の総移動距離150キロ。ねむい。

2007年10月 1日 (月)

開拓者たち

土曜日、高橋甲四郎先生宅へお借りしていた本三冊を返しに出かけた。

高橋昇博士と朝鮮の農業試験場で後輩だった落合秀男氏(落合家に入婿)が編集発行された、歌人前田夕暮の子、前田透著『落合直文 近代短歌の黎明』(明治書院)ほか三冊である。前日の夜、返さねばならない・・とあせり、よむべき本がたまっているのを措いてささっと目を通す。返す直前まで読んでいた。おいそれとは読めない、内容の濃い、すぐれた研究書である。歴史的な事実が簡潔にまた詳細に引かれていて、背景の人物の動向も浮かぶ。落合直文を一言でいえば、古い日本の詩歌をブルドーザーでぶっこわして整地してあたらしいものに作り変えた。その地ならしをやった人であるというのだ。岡井隆の書いた斎藤茂吉に出て来る歌塾(中島歌子主宰の旧幕府要人の子女向けの。君が代の歌を国歌にと進言した旧幕臣乙骨太郎乙の娘も樋口一葉も入ってた)と、落合直文の萩の舎はどうちがったのかとかも感覚的にわかった。読み飛ばすことが出来ない性分なので、また借りて読みたい。ちょうど、福島中尉という人が馬で単騎ロシア大陸横断という歴史的快挙を成し遂げたことについて、直文は感動し、それを二晩の徹夜と数日のおこもりで長大な五七調の詩にまとめた。・・というとこまでで返さねばならなかった。詩作に没頭する直文を助けたのが、与謝野鉄幹と森鴎外だったと書かれていた(と記憶する)。

甲四郎先生は、お元気だった。
新聞の切り抜き記事をくださった。
千町無田の開拓者、久留米藩士・青木牛之助を先祖にもつ一族の会というものがあり、それを九重町千町無田の朝日神社で催した。という写真つきの記事だった。見出しは、「開拓に尽力・・子孫らと交流」(大分合同新聞、9月27日付)

高橋甲四郎先生もその一族のおひとりだった。百年をかけた開拓の歴史。その気力体力、情熱、義侠心。すごい。たしかにこれは血。

思い出した。
夏にほととぎすで中山宙虫さんが出してくれた句。このことだったのか。

ほととぎす羽根なきものの開拓碑 宙虫

パノラマ写真館http://panorama.photo-web.cc/rittai/stereo/kokonoe/suiden360p.html

青木牛之助http://www.pref.oita.jp/10400/viento/vol06/senjin.html

俗の細道  5

俗の細道  5

              姫野恭子

恭賀新年。筑後弁だと「よか春ぃなりました」。あったかい!
さて、早速だが、今年もまたなぜか、朝日新聞の大岡信さんに因縁をつけることから始める定めのようだ。個人的には信さんには何の恨みもないけれど、さだめならばしかたない。信さん、ごめんなさい。

奇しくも去年と同じ正月三日付けの「折々の歌」である。

 宝舟日本からも一人乗り  誹風柳多留

信さんはこの解説文に七福神の名前を列挙したあと、「うち、日本の神は何と大黒天だけ。それが川柳の意味。」だと書かれている。信さん、ほんなこつね?七福神のうち純国産はエビスさまじゃなかと。手許の辞書で調べても、大黒天はインドの武神だった。一方の恵比寿は蛭子、事代主命のことだ。おそらく、大黒天には大国主命という物々しい別名があるため、国産神だとする誤解を招きやすいのだろう。

このひとつき、なぜか太宰府観世音寺の宝蔵院にある大黒天立像が気になる。一度見たら忘れられぬ生きた神像である。制作年代は十一世紀末頃というのだが、まるきり現代人の表情をしているのだ。
眉間に皺を寄せ、怒っているような憂い顔。それでいて威厳に充ちた気を発している。がっかりするほどしょぼい袋を肩にかけ、右の手はぐっと握りこぶしにしている。博多にいたころ何度かこの像をみるために都府楼通いをした。井尻駅から一人、西鉄電車にのって。

ここで素朴な疑問が湧き出てくる。
私たちがイメージするあの福福しい大黒様はいったい何時のころから何のきっかけで生まれたのだろう。

 大きなふくろを肩にかけ

  (うんと中略) 

 だいこくさまはよいおかた

こんな歌を思い出す。むかし幼稚園の学芸会で、とろいと役をおろされた「因幡の白兎」 で覚えた歌。このはなしは古事記、少年少女世界の名作で読んだ。監修が川端康成の古い本。あちこちにきれいな挿絵があって、がまの穂のなかでうさぎを大黒様がヒーリングしていた。勝手な想像では、大黒天というのは日本の古代無意識のご本尊だ。それが古代九州にあった。支配したヤマトも、その霊力のたたりをおそれて、いつしか神として祀る。そんなことをおもっていたら、句ができた。

 ひをつめて大黒天のふくろかな   恭子

ひは霊で、陽で、悲だ。

        ◇

黒という字がとても気にかかる。昨秋訪れた大分県の宇佐八幡の本殿のずっと手前の参道に小さな祠があり、黒男神社という字が読めた。黒男神社とはなんだろう。知人の宮司様に尋ねると、しかるべき権威のかたに聞いて下さった。それは黒子の神で、本殿の三神を陰から守護されているとのことだった。かみさまにもクロコがあるとは、なんと日本神道は奥が深く楽しいのだろうか*。面白いとおもったことは、もう一つある。恵比寿は兵庫県西宮神社の祭神だとあったことだ。前田圭衛子編集長の地元ではないか。ちなみにわが夫42歳がここ十年欠かさず博多祇園山笠でかかせて戴いているのも恵比寿流の山車である。

連句誌「れぎおん」17号、1997年4月発行より。

参照:太宰府観世音寺宝蔵http://kotomachi.exblog.jp/i24/
    大黒天立像http://dazaifu.mma.co.jp/museum/b08.html
    (この大黒天像はエール大学にもレプリカがあるとのことです)

     * 神様にもクロコ・・ネット検索すると武内宿禰を祀ったものだった。
この文章をかいた十年前はパソコンがなく、ネット検索なんてことはできなかったのだ。ここしばらく紙上にかいたものをネットに移しかえる作業をしているが、隔世の感がある。

2008・1・2追記

正月に太宰府天満宮へ初詣をしたいと例年思うのですが、猛烈なtraffic jam を思うと、行く気がうせます。そこで上記ブログを訪問して、参拝して帰りました。これなら混雑しないし、まっすぐにいにしえに繋がっているのが目でみてわかります。お暇なかたは、ここの梵鐘の写真をご覧下さい。説明にある道真の歌に、とてもむずかしい漢字が一字あるでしょう。「纔」という字。

この字、八女市の文化財でもある「天文歌人」の和歌にも出てきます。今は亡き熊本出身の俳諧学者・東明雅先生から教えてもらってよめた字です。「わずかに」とよみます。であれば、むずかしそうな漢詩もなんとなく読み下せますよね。古い古い時代の鐘の音、どんな響きがするのでしょう。はらはらとなみだがこぼれるような音がするのでしょうか。

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