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2007年9月 3日 (月)

機械寺

   機械寺

           横光 利一

竜安寺の石庭のように徹底すると、庭同様に絵も良いか悪いかだ。岡本太郎氏の絵の前で、この絵は悪いと思うと悪く見えてくる。しかし、この絵は良いと思うと、非常に優れた絵に見える。つまり頭で絵を見る方法を要求して来るという風なところがあって、普段から眼で絵を見つけている私らには、眼から自分の頭へその絵を運ぶのに、途中で崩したり壊したりしてしまう。そこでまたその壊れたものを自分で組み立て直してみるのだが、もうそのときには、最初の印象がどこへか飛び散り、勝手にこちらで組み変えて適宜の鑑賞をしたり、させられたりする。しかし、絵画にも不思議なものが出て来た時代だと、つくづくパリの岡本君の画室で思ったことがある。君淋しくはないかと訊ねると、「どうして。ちっとも淋しかない。」と太郎君は答えた。眼で見た物体の姿を頭に翻訳して描き、しかもそこに直感力という推理を失わしめずこれに垂直性を附与する技術には、岡本君も随分と悩んだらしい。外国人は君の絵を見て、実に肉感性がある、流石は東洋人だね、と感心する習慣のようだった。この外人たちの感心の仕方や感度は、私らには残念ながら分らない。私はまた別な眼で勝手に見て、そして、パリの街という竜安寺の石庭のような街中を二人で歩き廻ったことを思い出す。肉感性を武器として、科学というお寺をぶらついたわけである。経文のあげようもなかったその当時の苦しさも岡本君の絵の中には泛(にじ)んでいる。

初出: 『岡本太郎滞欧作品展図録』 1941(昭和十六)年11月 

※ 『岡本太郎の世界』 
  1999年11月20日小学館発行より引用

(原文は、旧漢字旧仮名表記であるとおもわれる。)

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コメント

この文章、短いのにきっちり書かれている。きまったね!ってかんじで。横光利一の苦悩が伝わる。
岡井隆の『「赤光」の生誕』 を読んでいたら、斎藤茂吉が欧州留学する話になり、戦前の知識人っていったいどんなこころで西洋を見ていたんだろうって思った。すぐ、横光利一へおもいがとび、なんとか丸って船に岡本太郎とも虚子とも写っていた写真を思い出し、茂吉と時代はどう重なるのかなとおもって。むかし、岡本太郎生前のころ感じていたより、ずっと太郎さんは文学者でした。書かれた文章をよんで、目をみはった。いちばん感じたのは、でも、白洲正子の書いた太郎さんの幼少のことで、両親とも多忙であったから、柱にしばりつけられ、泣いていた・・という話、胸に迫ります。

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