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2007年9月 6日 (木)

卯の花のこと

http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpbuv603/shibai/unohananokoto.htm

本にまとめねばと思ってる原稿があって、出版社に入れたままにしてある。あれは一昨年の冬でした。編集長、まだ、取ってありますよね?

暦で気になってることがある。

卯月について。
でも、あまりあいだがあいてしまったので、なにを気にかけていたかさえあやふやになってきた。笑

苗代ぐみに気づかせていただいたのは北原志満子の句でだったが、上記のブログには卯の花に水口花という別名があることに気づかせてもらった。つまり、田植えの取水口に実りを祈念してうえられることが多かったという。

これをよみ、「じゃやっぱり、あれがそうでは」 と思う木が一つこころにうかぶ。その写真をとらねば。でももう咲いてはいないだろうな。

*どうもわからないこと:しきりに思われること。

卯月という名前の由来です。大概の本には、卯の花月から来たことばだと書かれております。しかし、私はそうじゃないとおもう。その逆だと。卯の花という花の名前こそが卯月に咲くからそういう名前がついたんであって、卯月というのは、もともと旧暦四月を指すことばでなく、旧暦二月を指すことばだった。旧暦二月というのは太陽暦だとさくら花咲く四月ころとなります。
では、なぜ卯月は旧暦二月だったか。それはずっと古い時代、今とおなじようにこよみが切り替わった時代があって、子の月は旧暦1月ではなく、ほんとうに冬至をふくむ十一月であったとすれば、子、丑、寅、卯と数えていって二月ということになるわけです。

そう思い始めたのは、吉野裕子の本でそのようなことが書かれていたこともありますが、数年前に岩波書店から出た江戸時代の歳時記の先駆け、「俳諧歳時記栞草」 の卯月のところに、こう書かれていたのを「おや。なんだかへんだぞ」と思って読んでからです。

はいかいさいじきしおりぐさにかかれた説明文。

夏之部

卯花月(うのはなづき) 卯月 [釈名] 波流花(うのはな、とルビ)さかりにひらくる故に、うのはな月と云。」又略して、卯月とも云。

ね。へんでしょう。どう変かといいますと、波流花は、ふつうに万葉かなみたいなよみでは、「はるはな」としかよめない。ということは、春花が盛りと開くから、卯の、花月というんだよ。って書かれているのです。つまり、卯月というのは、もともと波流、春の花咲く月だった。と考えるのが普通じゃないでしょうか。冬至はいまのこよみだと十二月後半にありますが、ずっと昔は十月末にきた。新酒の仕込みの始まる時期で、冬至には杜氏が山から下りてきます。この冬至のある月を1月としていた時代があり、卯月は四番目の月ですから、もともと、さくらなどの花がさかりの旧暦二月をさしていたのではないだろうかと思われます。それが何時の時代かにこよみの切り替えがあって、正月は二ヶ月あとにずれこみ、卯月は四番目の月、つまり四月にずれた。だからうつ(空)木の花はそのずれた時代の名付けなんではないか。と、こう考えた次第です。・・考えていると段々わからなくなって、混乱してきます。だれか、真実をごぞんじのかたがあれば、教えてください。

「有明の主水に酒屋つくらせて」

この芭蕉が巻いた有名な「冬の日」五歌仙最初の巻の第三は、有明の月を詠んだものでありますが、先日の冬至の日、地元の酒造(高橋酒造でした、繁升、しげますという酒をつくっています)をていねいに取材した新聞記事をちらっと読みました。それによると、ことしも(もう去年になるんだけど)杜氏が十五人ほど集まり仕込みが始まった、というもの。午前三時半には仕事を始める・・と書かれていた。有明の月がよく実感できる。むかしの句をよむと、こよみのことがしきりにおもわれ、大自然が時空を超えて、胸にせまってくる。実体をともなったすごいリアルなものとして。(後半記事は、平成二十年壱月三日記す。)

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コメント

繁桝、高橋商店の梅酒が美味しいです。
これ。立花町の梅を使っています。↓

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