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2007年9月30日 (日)

竹ひじり

竹伐るやひとつ猥歌のくりかえし   布施伊夜子

  (「第五回九州俳句賞」受賞作より)

竹伐るは秋の季語、歳時記には次のような解説がある。

木六、竹八といつて、竹の性のよいのは陰暦八月即ち陽暦九月頃で、その頃から一月にかけて竹を伐るのである。伐り出してある青竹の束を見るのも一寸いいが、又篠竹山の古竹は悉く伐られて新しい皮を著た新竹ばかりになつた山も気持のよいものである。箱根の足柄山辺の小竹は大量輸出するので竹伐が盛んである。
  (高浜虚子の歳時記、昭和9年旧仮名旧漢字)

仲秋のころは、いわゆる竹の春で、竹の性がいちばんよくなる時とされ、このころ竹を伐ることが多い。
   露浴びて竹伐る人や藪の中 虚子
   一日や竹伐る響竹山に    たかし
   (山本健吉の季寄せ、昭和48年)

竹は農具としても使われる。家ではいちごの球出しに使っていた。三十センチほどに切りそろえた竹を苺株の根を傷つけぬように立てて、結球に覆いかぶさる葉っぱよけとした。のちには専用の樹脂製の商品を買ったが、二十年ほどは山にのぼって竹を伐り、軽トラで運んで庭で細工したものを使っていた。豆畑の支柱にもなるし、七夕の短冊をむすんだりもした。

そういえば、竹の物干しが田舎のわが家からも消えたのは、いつごろだったろう。竿竹売りの声がたまに聞える。

  竹伐るやひとつ猥歌のくりかえし 布施伊夜子

竹伐りの翁が竹を伐っている。翁はひじりだが猥歌をよくうたう。景気づけのために歌う。こわれたレコードみたいにおなじところを何度も。作業に没頭しているので気づいてない。ある程度伐ったら背中にしょって地べたを引きずりながら運ぶ。そのときも、
うたっている。

ひとつでたほいのよさほいのほーい
ひとりむすめとするときにゃ
養子覚悟でせにゃならぬー

※ かささぎの独り言:
猥歌、歌詞が少し違います。http://www.ni.bekkoame.ne.jp/uenonorio/fwaika.htm

2007年9月29日 (土)

虫  5

essay  虫  その5

 「あまおう」と名告る苺やクリスマス  恭子

ここ数年苺生産高の王位の座を栃木県に奪われていた福岡県だが、ついに新品種の大粒苺「あまおう」をブランド開発し、この冬(※2002年当時)市場に並んだ。この愛称は一年前に公募で決まったもので、最初に耳にしたときは、「・・ダサいな」 と思った。しかし実際に実物を手に取り食べてみると、なるほどと納得する。大きくて艶があり、中まで紅いし、とよのかよりも甘い。福岡県農業総合試験場で七年もかけて開発されただけのことはある。我が家も来期から甘王苗を植えるが、作ってみなければ欠点はみえない。ちゃんと最後まであの姿の苺がなり続けるのだろうか。これは一種の賭けみたいなものだ。農業は天気や政治や風評などに大きく左右される。そして常に本気が試される。「土」(※「虫」の前に連載していた随想)で以前紹介したことがあるサラリーマンから苺農民に転職した若い夫婦は、今期防虫に失敗し、四つのハウス全ての苺をウドンコ病菌にやられた。原因は何だったのか。菌は眼に見えないけれども、経験の浅い人のわずかな隙をついて忍び込み,繁殖したのだろう。

  菫程な小さき人に生れたし  漱石
  アブラムシ程な小さき人に生れたし 

夏目漱石の俳句でこれが一番好きだ。その虫版。ごきぶりではなく、あの微小な、害虫だがいろんな虫の餌にもなる虫である。真っ先に食べられてしまうという事は、食物連鎖の中での悪人正機説みたいで、いじらしい。

      ◇

「九州俳句」誌の百四十名ほどの俳人の作品に表れている虫を分析してみた。すると意外にもたくさんの虫がいた。多い順に記すと、

蝉33(うち、空蝉12、かなかな2、法師蝉2)、蝶(揚羽)4、蟻6(羽蟻3)、蜻蛉8(赤とんぼ4、秋茜1、糸蜻蛉1、薄羽かげろう1、蜻蛉1)、虫6、螢5、蝸牛3、斑猫2、蜘蛛2、芋虫2、なめくじ2、鉦叩、火取虫、みの虫、根切虫、クワガタ、かぶと虫、ハエ、ミズスマシ、蟋蟀、馬追、ちちろ、虻、ごきぶり。

  斑猫や其処から先は明治の父  清美
  炎昼にいもむし落ちて丸まらず  能定

現代俳句のなかで詠まれる虫は、空蝉と螢と蝶だけだと思い込んでいた。確かに空蝉は圧倒的に多い。しかし思っていたほど貧困でもなかった。戦前の俳句に比べれば、種の多様性は損なわれつつあるけれど、まだまだ俳人の目は多様な生き物を活写しようと懸命なのがわかる。よかった。なんだか幸福なきぶんになってきた。俳句がほかの文芸ともっとも異なるところが、この写生眼だとおもうからだ。見て、触れて、そして感応してうまれるものは、文字に書きとめられることで永遠を生きる。こころやさしい文芸である。

     ◇

この二年単身赴任中の夫を佐賀県に訪ねるときは、かの地のすばらしい図書館から鳥や虫のビデオを借りてくる。同定眼を養いたいから。今年一月末、アトリの一種であるイカルの大群がわが家の裏の柿の木に飛来する。数えたらちょうど50羽いた。五分ほど休んで虫や硬い木の芽を食べ、また飛び去っていく。斑鳩へ帰ったのだろうか。

  伸び縮みして田渡りの群れ花鶏(あとり) 六弥太
    虫地獄・鳥地獄とや冬紅葉         やす子

連句誌「れぎおん」2003年春、41号より引用

  * rokuyata   okabe: 岡部六弥太
  * yasuko   ikeda: 池田 やす子(連句人)

 

わからない。

きのうは現場仕事があり、隊員の格好で早朝出社した。が編成の組み換えで外にでなくてもよくなる。あーあざんねん。久し振りの現場仕事を楽しみにしていたのにな。

七月から電話の応対と伝票整理がとてもいそがしい。交通誘導警備現場が忙しいためだ。ということはですよ、建築現場が多忙という意味なのだよね。九州新幹線のほうに隊員を取られるから忙しくなっているのだろうとのはなしです。でも、どうもよくわからないな。

年に一度の割で取引先の倒産に遭い請求が回収不能に陥る。私が勤めだして十ヶ月になるが、その間にも一件倒産した。老舗とよばれる地方の大きな土建屋だったが。最近は情報会社に取引先を調べてもらってから仕事を引き受ける。それがね、これまで五十近い会社を調べてもらったが、そのどれもABCランクのC評価以下ばかりで、まだそれ以上をみたことがないんです。

警備会社という世間の最下段にいると、世の中の動きが敏感に伝わる。建築業界は政治とじかに連動しているんだということがよくわかる。地方の建築業界はさっぱりうるおってない。

http://www.kuniomi.gr.jp/chikudo/forum/kb.cgi?b=iwai&c=e&id=2904

2007年9月27日 (木)

うううれしい

うううれしい

はじめてあたった。
苦節五十二年。(と十一ヶ月)。
人間、くじけちゃだめだ。いつかいいこともある。

あれはいつだったっけ。十年ほど前、納豆の丸美屋さんの懸賞で宝くじにあたったのが最初でさいごです。(というと、えーっすごいやん!って思うやろ。それがなんてこたない。たからくじ十枚をゲットしただけで、肝腎のくじにははずれたんだよー

2007年9月26日 (水)

岸本マチ子の詩「祈り」

     祈り

           岸本マチ子

昔 人は意志の集中点として

なにもない索漠とした平地に石を置いた

清らかに 清潔に なんのひっかかりもない一個の石

それはみえない存在へ呼びかける

たった一つの愛の回路だったに違いない

清冽な意志の流れの中で

石は日常や 感動や こころを支え様々な文化を生んできた

昔 わたし達の国がすっかり灰になってしまった

時も

石はそこにあった

神が身近である事の恍惚と歓喜

人々は全身全霊をもって神に呼びかける

極限まで登りつめた緊張の祈りの姿が

やがて拝み手となり 掌を手前に向け親指の方向にクルリと廻しこねる動作ができあがる

こうして人は踊ることを覚えたのであろうか

香をくゆらすとか 線香をたくとかでない

神への強い一体感がバネのように哀しく撓い

あの独特の踊りの官能美を底光りさせている

なんという不思議な律動感であろう

心身を解き放ち己れのすべてを投げ出す時

人の姿態はかぎりなく美しい

 

えけ あけず舞 

えけ はべる舞

えけ 男生れても恋知らぬものや

    玉の杯の底も見らぬ

 

心の底からわきあがる歓喜にふるいたち

生命そのものが満ちかがやくとき

祈りの拝み手はとりわけかながなあと

男の背中をさする恋のはべるに変貌する

このような生をいきるとき

踊りはなまめく躍動となり狂喜となり命となる

だが 凝視する眼の背中の

はりつめたあの沈黙は一体なんだろう

ふとこらえ切れず空気を切って流れる炎色

瞬間赤い足袋は乱れ

人は鬼にも蛇にもなる心の闇をのぞく

石はなにもいわない

              

          玉城朝薫作 組踊「執心鐘入」によせて

            あけず舞(蜻蛉舞)

            はべる舞(蝶舞)

 参照) 岡本太郎著 『忘れられた日本ー沖縄文化論』
              1961年、中央公論社刊

      

わたしはこの異様にテンションのたかい詩に、岡本太郎の書いた思想のことばが多々あるからといって、盗作であるとは思わない。あちらがわの石をこちらへと動かし、かたちを整えただけだとの指摘があったとしても、断固として盗みではない。いや、盗みであっても単なるまぬけなぬすみであってはならぬし、そう呼ぶのはまちがいだ。これは岸本マチ子の詩のなかで最高のもの、わたしはとても感動した。ことに最後の連の「だが」で始まる章。あれはなにをいおうとしているのだろうか。はっきりとわからないからこころをつかむ。石はなにもいわない。

2007年9月25日 (火)

満月までもうちょっと

満月
満月
満月
久留米市六ツ門。

きょう、会社でかなしいことがあった。隊員・営業募集の広告をみて応募してきた人が、研修二日目の今日、社会保険がないと聞いてやめてゆかれた。少々お給料が安くったって保険があると思って応募したのに、と恨めしい顔をなさった。気の毒でなんと慰めてよいかわからない。教官とふたり、はやく気づかれてよかったと言い合う。経営者ではないから、待遇面に口をはさめない。しかし、いろんな人が実にたくさん、素通りしていかれる職場にいて、なんともいえない無常をかんじる。いいわるいではない。そんなちゃちな正義感を振り回すほどガキではないし格差社会がどうだと一席ぶつ気概もない。ただこれが現実だとおもうだけ。

四時で仕事を終え、帰りに合川町の明治屋で魚肉類を買い、五時前には帰宅する。と次男が疲れた顔で、おかあさん、今日は送ってくれない。という。

りんごをかじりながら、ふたたびクルメへ。写真は夕方六時ちょっとの六つ門、福銀の地下駐車場に車をとめて、向こう側へ渡ろうとするときれいな月にきづき、またよりもどって携帯カメラで撮影。あおい空からくろい空になるまでのきわどさ。道路をわたりきったら暗くなっていた。ふしぎよねえ。時間のそくど。銀行街のまえにはもう屋台がでていた。

2007年9月24日 (月)

お弘法さん参り

お弘法さん参り
お弘法さん参り
お弘法さん参り

きょうは、お弘法さん詣りさいごの日でした。春と秋と二回あります。寺田(うちのこあざ名)は最後から二番目でした。正確な時間がわからないので、三時から小一時間待ちました。十人の参拝人がありました。

写真、お弘法さんの像です。私はずっと「かわいくないおじぞうさん」と思い込んでました・・。(お弘法さんがかわいかったらいやですよね。)

とうろう人形

 ふるさとの人形浄瑠璃はづかしき

 松の実をかぢりつつ見し燈籠人形

 三味の音の高まりもうぢき早代はり

 石垣にしやがみてゑのころ草を抜く

 貫嵐の俳句へたつぴと思ふわれもへたつぴ

 ふるさとのまつりはづかし人にはいはじ

 あれなにも句になつてないおわわとお茶にごすなるがあはれ

 

松の実: 夜店でよく売られていた。きょう初めて検索をしてみた。写真入りのサイトを発見。さる企業のものでありますが、よくわかります。

http://www.vesta.dti.ne.jp/~sunnuts/matsunomi.html

中国の人たちは一つ一つ手で殻をはずしていたのですね。何も知らなかった我が身がはずかしいです。

2007年9月23日 (日)

お彼岸

お彼岸

 彼岸の歌  

この岸に背高きかぼす実をつけて生まれながらの僧ひとり通す

宙に浮かびて吾は聴きゐたり葉擦れの音も衣擦れの音も

戦にて指を失くせし父ゆゑにかぼすの青は今生のあを

小流れに藻の花ながれ咲き群るる流れの下の杳き風穴

お彼岸の寺五百年つづく寺吾を貫き死者の時ゆく

2007年9月21日 (金)

俗の細道 3

 俗の細道  3 (れぎおん版)

              姫野 恭子

ううーっ。のさんごつ暑か。立秋まであと少しの、一年でいっちゃん暑かこん時期に、クーラーもつけんで首に手のごい巻きつけてワープロ打ちばしよります。ばってん、百姓のわがチチハハは、炎天下の地を這い回るごつして苺苗の手入ればしよるとですけん、こげなこついうたらバチの当たっです。

なあんて、つい筑後弁丸出しで始めてしまった。れぎおん十四号の巻頭、別所真紀子氏の論文を読んで、久々に知的興奮を覚える。その終盤近くでドーンと出された、「荒海や佐渡に横たふ天の河」 の新解釈。十二号で川野蓼艸氏が指摘されるまで、「横たふ」が文法的に怪しいなんて考えたこともなかった私には、さらなるカウンターパンチをくらった感じである。

しかし冷静に作品に向き合っていると、自動詞だの他動詞だのいう文法論はどうでもよくなり、別所さんが述べられた如くに佐渡の夜空に星花火をあげるように横たえられた天の川が浮かぶだけである。ザッパーンという波の音すら無に帰すほどの静寂。

ここでふっと『連衆』誌二十六号に大牟田の森さかえ氏が書かれた一文「能と奥の細道について考える」 を思い出す。森氏は筑後平野の端っこの三池郡でながいことお謡をされている方である。彼はこう書いている。

「能楽の大成者が世阿弥だということは異論のないことであろうが、この世阿弥が七十歳をすぎて流されたのが、ここ佐渡島なのである。流罪の原因は何か、許されて都に帰ったのかどうかもさだかではないが、時の将軍足利義満の怒りに触れたことは間違いないようである。芭蕉がこのことを知っていたかどうかは分らないが(多分知っていたのではないか)、荒海やの句も、一世を風靡した世阿弥が七十二歳にもなって流された地であることを知って鑑賞すると、また違った味わいをもってくる」。

そうか。あの句は世阿弥へのひそかなる鎮魂歌だったのか。

       ◇

鎮魂歌という意味で、今一句紹介したい句が出て来た。一昨年八女市に帰郷してすぐ図書館から借りた本に、大野林火・編『春の俳句』 があった。そのなかで、どうしてか心深く捉えられた句が二つあり、一つが高野素十の次の句であった。

  ある寺の障子細めに花御堂  素十

林火の解説では、この寺は洛北の花背にある地蔵院だという。実をいうと、私は「花御堂」すら知らず、ただ中七の「障子ほそめに」という件りにまいったのである。すごかねえ。障子がすこし開いてて、そこに垣間見える世界。これぞ日本文化の粋じゃないのか。お寺の明と暗。ひとの世の明と闇。わけもわからぬまま惹かれて、はじめて参加した連衆句会に自分の句として出してみたけど、零点だったという思い出の句である。(素十さんすんまっせん。あきらかな盗作、しかも人を試すようなことをしたわけで。たちがわるいというかひとがわるいというか、ほんなこて許せんとです。)でもまあ、いいじゃないですか。だれも気づかなかったことだし。(そういう問題じゃ・・)

さて、ではなぜこれが鎮魂歌なのか。最近たまたま『俳句ざうるす』(野間幸恵編集発行)で川端茅舎の特集があり、そこで茅舎の次の一句に出くわしたのである。

  雪晴の障子細目に慈眼かな  茅舎

川端茅舎と高野素十との絆。「障子細目に」がまるで紐帯のようにこの二つの句を結び付けている。四十三歳という若さで逝去した茅舎を悼み、素十は仏性会の日を無意識裡にえらび、こう詠んだのでは・・と想う。
蝸牛俳句文庫『川端茅舎』を、わくわくの推理小説として推したい。

   『連句誌れぎおん』15号より 1996年9月
   西宮市甲子園、前田圭衛子編集発行

※ 文中の、佐渡に横たふの問題提起・・文法的には横たはるが正しく、横たふでは、横たへるという他動詞的意味あいをもつ。というのが妙に文法にお詳しい町医者・川野蓼艸氏のご意見でした。これに対し、佐渡をはさんだ日本海の天候に妙にお詳しい小説家・別所真紀子氏が述べられたのが、「そのあたりは悪天候が多いのに、天の川が見えたろうか。荒海の上は荒れた天気、とみるのが普通の感覚であろう。であれば、芭蕉は天の川を恣意的に横たえたのである。」と、「犯人は芭蕉だ!」説を唱えられた。おもしろい。なんだか芭蕉が身近におもえてくる。

2007年9月20日 (木)

ゑのころ草

ゑのころ草
ゑのころ草
ゑのころ草

2007年9月19日 (水)

俗の細道 1

「俗の細道」という題ではじめて随想を書かせていただいたのは、連句誌れぎおんの13号からでした。11年も前です。まだ札幌の窪田薫宗匠ご健在のころで、とても懐かしく、大岡信さんも「折々の歌」を断筆された今、ぜひ書き残しておきたいと思いました。お暇なかたはおつきあいください。私の原点です。

俗の細道  1(れぎおん版)

         姫野 恭子

平成八年一月十九日、札幌の窪田薫宗匠から今年初めての文韻が届いた。尻取り歌仙二巻と朝日新聞コピーが一枚。正月三日付けのもので、大きく「座の文学、連句は楽し」の見出し。朝日歌壇俳壇の選者の馬場あき子、川崎展宏、稲畑汀子、佐佐木幸綱、大岡信(折々の歌執筆者)の五氏で歌仙を巻かれたものであった。ボス・クボタの文字が、あちこち憤懣に耐えないというかんじで踊っている。ルールを知らないものはこれだからねえ・・まったく、・・・とぼやく姿が見えるようで、ひほひほ笑ってしまった。初心者の私に笑う資格なんてないのだけど。
私は過去十年ひどい投書病にかかっていた人間で、朝日新聞と西日本新聞にはとてもお世話になった。だから悪しざまにはいえないのだ。のだけれど、言っちゃおかなあ・・・。
ずばり、私を俳句へと導いてくださったのは、大岡信の読み間違いであったのである。六年ほど前、

 武士の足で米研ぐ霰かな  服部嵐雪

の読みにおいて、信さんは躓かれた。武士達がたぶん合戦のあいま、アラレが降るなか、足で米を研いでいるのだろう、と。
俳句のはの字も知らなかった私に、この誤読は大きな作用をもたらした。
ほんとはこの句はこうなんだ。
もののふの息せき切って駆けつける姿、白いあられを蹴散らすパラパラという音、薄暗いどんよりとした空!凄い。十七音で時空を超えられるとは!!

大岡氏は私を俳句に導くために、あのような恥をかかれたのだ。信さん、有難う。今度もきっと衆人の耳目をあつめるため、あえてさらし者という役目を引き受けられたのでしょう。

ボス・クボタの連句塾で面白い個性の人を見つけた。その人の名は、神田かこ。たぶんTVに出る神田うのと何の関係もない。(とおもう。)例えば、次の短句。

 徹夜で火コ焚く冷害の田んぼで  かこ

冷害の字は「けがし」 と読ませている。このおそろしく霊的な言葉は、津軽弁だそうだ。実を言うとこれを読んだとき、内心ひれ伏したい気分になった。そういえば昔、朝日新聞の投書欄で、東北人が今でも一年分の米を、冷害に遭っても困らぬよう備蓄しているというのを読んだっけ。そうか。今も苦労して稲作してらっしゃるのだなあ・・と感動したものだった。

去年、矢口高雄の漫画で読んだ『奥の細道』 に、芭蕉が旧態然とした中世回顧の句に別れを告げる、重要な転換点になった句として、

 涼しさをわが宿にしてねまるなり  芭蕉

が、その宿となった尾花沢の紅花商人、鈴木清風宅の太い天井の梁を背景に書かれていた。

「俳諧の益は俗語を正す也」との芭蕉の言葉は、なにも美しい詩的な雅語でなくとも、心の奥深いところから出た肉声であれば、それがそのまま俳諧だとの、逆説なのだろうか。

「ねまる」という尾花沢弁は、膝を楽にして寛ぐことらしい。蛇足ながら、私の住む八女・筑後地方では、「ねまる」とは、物が腐ることであり、はじめてこの句を読んだとき、ウーンなして涼しいとにねまるとね?と、訳がわからなかった。

方言っておもしろい。
俳諧の奥の近道があれば教えて欲しい。え?そんなんがありゃなにも苦労はせなんだって?そうでしょう、と芭蕉の相槌。

  『連句誌れぎおん』13号より引用、1996年4月
  西宮市甲子園、前田圭衛子編集発行

馬は立ったまま眠るの?

秋岬ごろんと馬を三四五頭    広重 静澄

鍬塚聰子さんのブログから一句、失敬してきました。みょうに数字が気になり、さんしごとうがごつごつしてるなあと感じました。どんな景色が浮かぶかといえば、馬が疾走しているのではなく、ごろんところがっている。それが遠目には三頭に見え、やがて四頭にも五頭にも見える。だいたいそんなかんじなんでしょう。牛の群れは阿蘇などでよく見ますが、馬が群れているのをあまり見たことがありません。しかも、ごろんと転がっている格好は一度も見たことがない。

立ち眠る馬のたてがみ濡れる明け  福富健男

これです。徳永義子さん(俳句誌「樹」のベテラン俳人です)が『九州俳句』誌に宮崎のベテラン俳人福富健男さんの特別作品集『登攀記』の感想を書かれていまして、そのなかでことに目を引きました。徳永さんの文章をそのまま引用しますね。

「寒立馬を思った。馬は立ったまま眠るんだと今更気づく。たてがみが濡れている夜明け、朝日にきらめくことだろう。」

ちょうど、いまごろの季感の句だと思います。若いころ農耕馬をじっさい飼っていたわが父に尋ねましたら、馬はほんとに立ったまま眠ることが多いらしく、たまに馬がいねむりしてるのを叱りつけながら農耕していたそうです。

けさ、自転車のサドルが露にぬれていました。お昼ははげしく暑いのですが、あさすず、ゆうすずです。

もうじき、お彼岸です。

2007年9月18日 (火)

8月11日の稲

8月11日の稲

このジャンボタニシは害虫です。

2007年9月14日 (金)

稲の根

稲の根

無縁仏の墓がぽつんとあります。むかしばあちゃんに聞いたことがありました。とてもおどろおどろしいはなしだったような。でもどんなかわいそうなはなしでも、わすれてしまえるんですから、記憶ってべんりですよね。
稲の根
稲の根

たんぼ、まだ水がはいってるとは。数ヶ月前に撮った稲のあしもとの写真があります。さがして、機会があればアップします。それにはジャンボタニシがくっきり写ってました。

福岡三越

福岡三越

日曜、西鉄電車で福岡まで。何十年ぶりかで西鉄電車にのりました。特急で30分、往復1200円。特急も普通もおなじねだんというのがすごいですよね。
福岡三越

三越、そういえば初めてです。向いは大丸デパートで、下に西鉄バスが走ってました。
福岡三越

なにしに来たかというと、二年も期限を過ぎてた仕立て券つきシャツを仕立てに。娘はいらんというしもったいないので、夫の首周りと袖丈のみ伝えて、レギュラーで作ってもらうことにしました。それでも大丈夫だった。できたら送ってもらうようにして、送料のみ払いました。

9階の展覧会を見て帰りました。キスリングは一枚だけありましたよ。影がくっきりと付された人物画で、なめらかな肌の後ろ向きの裸婦でした。坂本繁二郎をおもわせるモネの「テームズ川のチャリング・クロス橋」と、ドガの「ピンクと緑」の衣裳のきびきびした筋肉の踊り子と、線の太いブラマンクがセザンヌとおなじ構図で書いた山の絵、それと、岸田劉生の麗子像そっくりなルノワールの「幼年期」1891年、が印象に刻まれました。ほかには、シャガールがたくさんありました。ヴァイオリンを抱いて宙に浮く構図の絵とかです。ユダヤ人だったのかシャガールは。たしかキスリングもそうだったなあ。ポーランド出身のユダヤ人だったと記憶する。でもパリにいたので、戦争が始まってからは仏兵として従軍した。

2007年9月12日 (水)

   石

        姫野恭子

石は毎朝ボスにこきつかはれる
愚かでまぬけで無能であることを
口汚くののしられ
石はそれでもだまつて
あらゆることを頭上で受ける

石は愚かで無知である
じぶんが子を孕んだことも
孕めばうまれいづることもしらぬ
子が生まれて初めて
石はじぶんのからだを知る

石はかたい
石はやはらかい
石は愚鈍で薄弱で馬鹿である

石は石で
石は石は
この石は

なんのいしだろう。

石橋秀野。
石橋貞吉。
石井柏亭。
石田波郷。
石川桂郎。
石塚友二。
筑紫の磐井。
アインシュタイン。

2007年9月11日 (火)

お茶にごす。

お茶にごす。
西森先生(敬称つきです)の漫画。文科系不良が茶道にはまる。
前回の「道士郎でござる」がおもしろかったのでついノッた。
作者のココロザシを感受。真の武士、もののふの精神をこどもたちに何気に伝えたいのね。その意気を買った。

むかし読んだ赤瀬川原平の『千利休ー無言の前衛』もおもしろかった。こういう格式とか権威ばった伝統ものをまったく違う手法で料理してくれたらおいしいだろう。

虫 3

  虫  その3 

   

  見晴るかす青田噴霧器両肩に

中国映画『山の郵便配達』を見ましたか。
辺鄙な山岳地帯を徒歩で郵便配達する親子の姿が、うつくしかった。中国の山は日本のと違って樹木が少ないようだが、それだけ植生が天然のまま存在している証なのであろうか。鳥の目になったカメラが、うねうねと続く青田を捉える。と、その一点に白い虫のようなものが動く。かなしいほどにちっちゃな噴霧器を背負った、娘。広い広い田んぼの虫に、それっぽっちで立ち向かえるのか。

    ◇

  幾度も返し縫ひせり無人ヘリ 

農協に青田の虫駆除を依頼するようになって二年目である。無人ヘリから殺虫剤を散布するのだ。リモコン操作には免許が必要で、おもちゃを操るようにして職員が操作する。コメは八月半ばと九月上旬に一回ずつ、大豆はそれぞれの月に二回ずつ散布される。これでウンカやカメムシなどの駆除を個人的にはしなくてもよくなった。
一昨年までは、父と私でやっていた消毒。考えてみるとこの「消毒」という言い方は変だが、ほかに妥当なことばを知らない。収穫するためには絶対に避けて通れない虫駆除なのに、俳諧歳時記には虫殺し関連の季語は圧倒的に少ない。

1 虫篝 害虫駆除に畑の辻で篝を焚いて虫をおびき寄せ、焼き殺す。(晩夏)
2 虫送り 源平合戦で、稲の切株に躓いて討たれた實盛の怨霊が稲虫として祟るとて、村人が藁人形をこさえ、松明を燃やしてはやし立てながら、虫霊を送るという民俗行事。

たった二つしかない。なんとのどかで文学的な話だろう。

    ◇

これは茶化さず、真剣に考えるべきだ。なぜ虫殺しが季語になりえなかったのか。それは、昆虫は魂虫だからに他ならない。裸虫たる人間がこの世での生を終えると、小さな虫に姿を変えてあの世に旅立った。万葉集に蝶の歌が一つもないのは、なぜなのか。ー きっときっときっと。
ほんとうに妙な国だ。もっともたいせつな、そして聖なるものはうたわない。

古来、虫といえば、声を愛でる虫だった。南北朝を統一した将軍の足利義満に仕えて、貴族文化であった和歌や連歌や管弦などを教え込んだのは、かの二条良基である。義満の造った金閣寺は、第一層が公家様式の寝殿造り、二層目が武家風の書院造り、三層目は唐風だといわれる。この様式をおもうとき、歳時記の土台にあるものがおのずと透けてみえる気がする。

   ◇ 

  薪一休寺虫干七月七日(明治四十一年)

  虫干の吹毛九尺薪寺   松瀬青々

「薪(たきぎ)の一休寺」は京都府綴喜郡(つづきぐん)田辺町の妙勝寺と酬恩寺を併せた呼び名である。その昔一休禅師がこの寺の法会の説法のとき、九尺の吹毛(払子(ほっす)。ハグマの毛、または麻を束ねて柄をつけたもの)を振っていたと伝える。吹毛は本来インドでは蠅を追い払う道具だったが、日本で煩悩を追い払う道具に昇格した。将軍義満とのとんち比べに勝った伝説が残る一休が、人の頭を並べ、吹毛をさあっと泳がせる絵が浮かぶような、面白い句だ。

※ 最終連の青々句、寺の説明は『松瀬青々』(茨木和生著)参照。

  連句誌『れぎおん』 39号より引用
  2002年10月西宮市甲子園前田圭衛子編集発行

追伸)

先日れぎおんアンケートで、あなたの人生をかえた本はなんですか。という項目がありました。つい逃げてしまったことがくやまれます。そんなのは、ない。とはずしてしまった。しかし、あります。たくさんありますとも。大切であるほど、ほんとうのことはかけません。どこかで茶化すか蹴飛ばすか、してます。30代で出あったアガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』と『大東亜戦争を見直そう』(原書房刊)名越二荒之助・著、はまさにそんな本でありました。でも書けなかった。

いまウィキペディア検索しますと、名越氏は今年なくなられています。四月十一日、享年84歳。慎んで哀悼の意を捧げます。合掌。

お茶にごす

博多に一人暮らしのむすめに、裏千家の初心者お茶教室をすすめてみた。すこしはお行儀よくなるかなとの親心で。

そしたら、ウキー!!ボクシングかダンスなら習うよ!!とメールが来た。

ウキー!!

2007年9月 9日 (日)

虫  2

essay 虫 その2

             姫野 恭子

今年から生産組合長の番がまわってきた。
早速会合があり、父の代理で私が出席する。ことし、どんな作物を作るのか、それを事細かにお上に報告しなければならない。各地区の長は、一軒一軒農家をまわり、書類に必要事項を記入してもらって、農協に提出する。
たとえば、麦を作るのなら、何という銘柄の麦をどの位か。大豆、苺、茶・・そして、米。不作に備えて、とも補償という共済加入も義務づけられている。本当に農業こそは日本的情緒の原点だなあとしみじみ思う。

         ◇

会議が終わって帰ろうとすると、五つの地区の長が呼び止められた。長老が言う。
「あれは確か昭和四十二年ころじゃった。大渇水があって、田んぼの水が掛からんので、この五つの部落のもんが、昼夜を分かたず消防用水から四十日もの間、ポンプで水ば引いて頑張ったことがあった。公民館に寝泊りして。おかげさんで米がとれたが、その時の見舞金がそのままになっとる。みんなの金だし、部落ごとに配分することにしまっしょ」
各部落ごとにほぼ二万円。でも感動した。

         ◇

 二町歩の花一斉に咀嚼音  恭子

この句は、私が初めて参加した伊丹での百韻興行で、前田圭衛子捌によって一直の後決まった思い出深い匂いの花である。新幹線の時間が迫っていたので、花を数句案じて捌に託した。「二町歩の花一斉にはららいで」「花の下なんとかかんとか咀嚼音」 のような、平叙法の句だったと記憶する。それが、これほど俳諧的な花になるとは。句跨りだが、切れがある。咀嚼しているのは、花見人だか花だか混然としており、その幻想を支えるのが、二町歩という分を弁えたほどほどの空間だ。これは確かに私の名がついているが、本当の作者は捌であり、その背後に憑いている神かもしれぬ。

         ◇

前田さんと最初に出会った日を思い出せないが、日本青年館から前田さんと岡田麗さんと駅まで三人タクシーに乗った時の事を思い出すたび、笑いがこみあげる。
「東京は思ったより緑が多いですね」・・・私
「あれはあなた、皇居ですがな」・・・前田師

         ◇

  またの名を裸虫とや桜咲く  瀧 春樹
                        (「句集 花嵐」 より)

私は自分の田舎臭さはすっかり忘れて、この瀧春樹氏をなんて田舎臭い石頭のくそおやじかと、ずっと思っていた。まっすぐ喧嘩もしたし、陰口も山のように言った。それが、秀野の連載が終わり、大分県下毛郡三光村の主宰の所に挨拶に伺ってのち、大きく想いが変化する。なぜなんだろう。女のどうでもいいような感情的評価なぞ知ったこっちゃない風の、肚の座ったおやじぶりを見せつけられたせいか、それとも山懐にある三光村の呪力のせいだろうか。

       ◇

  うどんうつ里のはづれの月の影  荷兮
     すも丶もつ子のみな裸むし  越人

                (七部集「ひさご」)

裸虫とは、五行思想の分類の一つで、毛のない虫、人間のことだ。生命すべてを、虫だとする古代中国の五行の哲理を知ったとき、わたしのアメリカはやぶれさった。

 連句誌 『れぎおん』 38号より引用
 2002年7月西宮市甲子園前田圭衛子発行

2007年9月 6日 (木)

『ペンを剣に代えて』

『ペンを剣に代えて』 大石政則日記

(三日前の夜、ネットで初めて注文した西日本新聞社の本です。きのう帰宅するともう着いていました。むすこを塾まで送らねばならず、もってでかけました。車中でとって送信したのでやや暗い。)さくらさんのブログをごらんください。

http://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/e/f4c28e076ab1cebbeba0d1d1f148e596

久留米図書館駐車場の夕空。

サンつがる


林檎かっ喰らってふと淋しさに突き当たる 田中 陽

卯の花のこと

http://www.tcct.zaq.ne.jp/bpbuv603/shibai/unohananokoto.htm

本にまとめねばと思ってる原稿があって、出版社に入れたままにしてある。あれは一昨年の冬でした。編集長、まだ、取ってありますよね?

暦で気になってることがある。

卯月について。
でも、あまりあいだがあいてしまったので、なにを気にかけていたかさえあやふやになってきた。笑

苗代ぐみに気づかせていただいたのは北原志満子の句でだったが、上記のブログには卯の花に水口花という別名があることに気づかせてもらった。つまり、田植えの取水口に実りを祈念してうえられることが多かったという。

これをよみ、「じゃやっぱり、あれがそうでは」 と思う木が一つこころにうかぶ。その写真をとらねば。でももう咲いてはいないだろうな。

*どうもわからないこと:しきりに思われること。

卯月という名前の由来です。大概の本には、卯の花月から来たことばだと書かれております。しかし、私はそうじゃないとおもう。その逆だと。卯の花という花の名前こそが卯月に咲くからそういう名前がついたんであって、卯月というのは、もともと旧暦四月を指すことばでなく、旧暦二月を指すことばだった。旧暦二月というのは太陽暦だとさくら花咲く四月ころとなります。
では、なぜ卯月は旧暦二月だったか。それはずっと古い時代、今とおなじようにこよみが切り替わった時代があって、子の月は旧暦1月ではなく、ほんとうに冬至をふくむ十一月であったとすれば、子、丑、寅、卯と数えていって二月ということになるわけです。

そう思い始めたのは、吉野裕子の本でそのようなことが書かれていたこともありますが、数年前に岩波書店から出た江戸時代の歳時記の先駆け、「俳諧歳時記栞草」 の卯月のところに、こう書かれていたのを「おや。なんだかへんだぞ」と思って読んでからです。

はいかいさいじきしおりぐさにかかれた説明文。

夏之部

卯花月(うのはなづき) 卯月 [釈名] 波流花(うのはな、とルビ)さかりにひらくる故に、うのはな月と云。」又略して、卯月とも云。

ね。へんでしょう。どう変かといいますと、波流花は、ふつうに万葉かなみたいなよみでは、「はるはな」としかよめない。ということは、春花が盛りと開くから、卯の、花月というんだよ。って書かれているのです。つまり、卯月というのは、もともと波流、春の花咲く月だった。と考えるのが普通じゃないでしょうか。冬至はいまのこよみだと十二月後半にありますが、ずっと昔は十月末にきた。新酒の仕込みの始まる時期で、冬至には杜氏が山から下りてきます。この冬至のある月を1月としていた時代があり、卯月は四番目の月ですから、もともと、さくらなどの花がさかりの旧暦二月をさしていたのではないだろうかと思われます。それが何時の時代かにこよみの切り替えがあって、正月は二ヶ月あとにずれこみ、卯月は四番目の月、つまり四月にずれた。だからうつ(空)木の花はそのずれた時代の名付けなんではないか。と、こう考えた次第です。・・考えていると段々わからなくなって、混乱してきます。だれか、真実をごぞんじのかたがあれば、教えてください。

「有明の主水に酒屋つくらせて」

この芭蕉が巻いた有名な「冬の日」五歌仙最初の巻の第三は、有明の月を詠んだものでありますが、先日の冬至の日、地元の酒造(高橋酒造でした、繁升、しげますという酒をつくっています)をていねいに取材した新聞記事をちらっと読みました。それによると、ことしも(もう去年になるんだけど)杜氏が十五人ほど集まり仕込みが始まった、というもの。午前三時半には仕事を始める・・と書かれていた。有明の月がよく実感できる。むかしの句をよむと、こよみのことがしきりにおもわれ、大自然が時空を超えて、胸にせまってくる。実体をともなったすごいリアルなものとして。(後半記事は、平成二十年壱月三日記す。)

2007年9月 5日 (水)

水天宮 2

水天宮 2
水天宮 2
水天宮 2

軽トラで

昨夜九時半ころから次男を久留米まで軽トラで迎えに行った。
自転車で塾に行ってた。

帰宅まぎわに土砂降りの雨が降り出し止まなかった。自転車で八女ー久留米間は一時間近くかかる。重い荷物を前とうしろにもって(うしろのはスポーツバッグ)、カッコつけのため紐がけせず微妙に手で押さえて走る。ときにアイスを手にもつ、携帯も鳴る。おそろしい。あんたは千手かんのんか。

五時半すぎに出て行ったのに、塾からむすこさんがまだ来てない・・と電話がある。さてはと思ってたら、七時半を過ぎ今つきましたと連絡がある。やはり最初にジムに行きサンドバッグをぶんなぐってから塾に行ったんだな。これは血だ。ドアをこわされるよりはましだと思うことにしよう。

軽トラに自転車を積み、ご要望にこたえ、桐の家うどんやで夜食をたべて帰る。カレーうどん海老天のせを、豪快に、かつ麺の身のふりかたにも気をはらって食べていた。けっ。

(私のひと月のお給料は、次男の教育費に全部飛んでいくのであった。)

2007年9月 4日 (火)

水天宮

水天宮

下方の数人は写真撮影をしているのです。
水天宮

ここの狛犬、厳格だが可愛い+おとぼけ味もあるというリッチテイスト。水天宮2 に後ろ姿もあります。ヘアスタイルがスフィンクスです。
水天宮

境内のまんなかにある招霊(オガタマ)の樹。いやでも目につきます。2 に、アップ撮影があります。

チャリ、かえる。

数日前に盗られた次男の自転車がみつかった。親切な方が学校名が入っている放置自転車を学校に通報して下さったのだ。先生からもらってきた地図を見て息子と受けとりにいく。我家産いちじくと蹴洞饅頭を持って。たすかりました。あれで筑後や久留米までも往復しています。

博多にいたころにも、二度盗まれた。ママチャリと小学生だった長男のマウンテンバイク。どっちも偶然私が見つけ出した。気にかけていると必ず戻ってくる。

博多から八女へ引っ越してきたときにも、祖父母に買ってもらったばかりの五段切り替えつき自転車をカギをかけたまま盗まれ、放置されているのを、長男がべそをかきながら抱くようにひきずってきたことがあった。あのころいじめられていたようだ。そういうこととは知らず、近所の人に聞かされ心配したものだけど、ひとりぽっちでよく耐え、彼は彼なりの人生哲学を学んだと信じる。・・じつは、岐阜から帰ってきた。大学へ復学するという。自分が何のとりえもないことが、半年実社会へ出てよくわかったらしい。祖父母がだんだん弱ってきてるから、いちじくの出荷手伝いかれこれ、運転免許を持った長男がいてくれるとほんとにうんと助かります。ありがとう。

息子達よ。
じっくりゆっくり、自転車並みのスピードでいいから、信頼できる大人の男になって下さい。

2007年9月 3日 (月)

機械寺

   機械寺

           横光 利一

竜安寺の石庭のように徹底すると、庭同様に絵も良いか悪いかだ。岡本太郎氏の絵の前で、この絵は悪いと思うと悪く見えてくる。しかし、この絵は良いと思うと、非常に優れた絵に見える。つまり頭で絵を見る方法を要求して来るという風なところがあって、普段から眼で絵を見つけている私らには、眼から自分の頭へその絵を運ぶのに、途中で崩したり壊したりしてしまう。そこでまたその壊れたものを自分で組み立て直してみるのだが、もうそのときには、最初の印象がどこへか飛び散り、勝手にこちらで組み変えて適宜の鑑賞をしたり、させられたりする。しかし、絵画にも不思議なものが出て来た時代だと、つくづくパリの岡本君の画室で思ったことがある。君淋しくはないかと訊ねると、「どうして。ちっとも淋しかない。」と太郎君は答えた。眼で見た物体の姿を頭に翻訳して描き、しかもそこに直感力という推理を失わしめずこれに垂直性を附与する技術には、岡本君も随分と悩んだらしい。外国人は君の絵を見て、実に肉感性がある、流石は東洋人だね、と感心する習慣のようだった。この外人たちの感心の仕方や感度は、私らには残念ながら分らない。私はまた別な眼で勝手に見て、そして、パリの街という竜安寺の石庭のような街中を二人で歩き廻ったことを思い出す。肉感性を武器として、科学というお寺をぶらついたわけである。経文のあげようもなかったその当時の苦しさも岡本君の絵の中には泛(にじ)んでいる。

初出: 『岡本太郎滞欧作品展図録』 1941(昭和十六)年11月 

※ 『岡本太郎の世界』 
  1999年11月20日小学館発行より引用

(原文は、旧漢字旧仮名表記であるとおもわれる。)

2007年9月 1日 (土)

夾竹桃の垣

夾竹桃の垣

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