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2007年8月 6日 (月)

essay・鳥づくし(10) 

   鵲(かささぎ)  

          姫野 恭子

前田編集長が九州に連句の灯を点けんと初めて博多にいらしたとき、私は軽トラックを駆って鳥栖筑紫野有料道路を通り、当日の会場となった煉瓦館のある中洲まで出かけた。
鳥栖筑紫野有料道路は、佐賀平野一帯に多い鳥の名を採って、別名「かささぎロード」 とも言う。標準和名はカササギという雅びなものだが、こちらではカチガラス、略してカチと呼ぶ。烏よりは小さく主として黒と白の朝鮮半島に多いカラス科の鳥で、日本では佐賀や福岡などの西日本にしか生息していない。

  地平線まで麦青し鵲とべり 下村非文

この句は朝日文庫の『野鳥を友に』(高野伸二著) で知ったものだが、作者の下村非文が誰であるかを知らない。知りたい。どこの人だろうか。ちなみに『近代俳句大観』 には熊本出身・上村占魚の評文でこの人の句が引かれていた。次の鶴の何と美しいことか。

  一点の穢(え)を嘴に鶴凍つる  非文

鵲は、カチカチと野太い声で鳴くからそう呼ぶとも、豊臣秀吉の朝鮮出兵のころに連れ帰った「勝ち烏」 であるからだとも諸説ある。負け軍だったのに勝ち烏と名づけるセンスには参る。六年生の長男は先日こんなことを言っていた。豊臣秀吉の朝鮮出兵はむごか戦争じゃったばってん、おかげで有田焼きが完成したっちゃんね、お母さん。

そうなのだ。初代酒井田柿右衛門は、秀吉御用焼物師・高原五郎七の四年間の逗留中に陶芸を学んだというが、酒井田家古文書には1598(慶長3年)慶長の役にて鍋島直茂、朝鮮陶工を多数連れて帰陣、と書かれている。(正確には高麗焼職人150名)。

なぜこんなに詳しく知っているかというと、今年五月、八女市の酒井田に現14代柿右衛門が里帰りして酒井田柿右衛門展が催されたからだ。初代の父祖は八女の人であった由。

  鵲の渡せる橋に置く霜の
    白きを見れば夜ぞ更けにける 家持

中世の頃に朝鮮から移入されたというのに、百人一首のこの歌には既に鵲の名が見えるではないか。とお思いだろう。そこで新明解古語辞典金田一春彦編をば繰ってみれば・・

一 いまのアオサギという。(源氏・浮船)

二 いまのカチガラス。七夕の夜に、この烏が翼を並べて天の川に橋を架けると伝えられた。(新古今・冬)などと出ている。

高野伸二の先ほどの本には、鵲はヨーロッパからアジア、北アメリカ大陸に広く分布する鳥だとあるが、西日本への移入がいつか、正確には誰も知らないとあった。

前に書いたように、農家の敵ではあるが、保護鳥として安泰である。俳句ではその独特の巣が目立つ季節、秋の季語とされている。

  鵲の巣の昏く優しき高さ想え  北原志満子

1997年10月発行
  「連句誌 れぎおん」19号所収

  

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