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2007年8月31日 (金)

あばら骨

あばらはなぜあばらなんだろう。

肋とかきますが。

まばらだから・・かな。

整然と12対の骨。

12か。歌仙の初折ウラは12句、名残の折おもてがまた12。

ところで。「一言で言えば、つまらない顔ぶれ。」

こんどの内閣人事。

(これ、言ったの、わたくしじゃなく、阿部重夫って編集者どす。)

http://facta.co.jp/blog/

(この人のお顔、俳優の奥田瑛二とサザエさんの父磯野波平を足してサンでわったような。)

2007年8月29日 (水)

浄徳寺の塀

浄徳寺の塀
浄徳寺の塀
浄徳寺の塀

23日夜から突如プロバイダに通じなくなって、一週間近くインターネットは不通でした。その理由は・・話せば長いから、ひとことでいいますと、私があほだからです。笑

契約してたプロバイダは七月にはなくなってしまうって四月か五月に聞いていたのに、忘れてしまって、八月になっても大丈夫だし、まだいいのかなって思ってたら、やっぱり大丈夫じゃなかった。で、とんでもなくご無理を申しまして(早い話が、だだをこねた)、なんとか十月まで取り次いでもらえることになりました。メガクロスさまありがとうございました。次の契約先をはやくみつけなきゃ・・とはおもっておるのです。

浄徳寺のしだれ桜

浄徳寺のしだれ桜
浄徳寺のしだれ桜

朝、ばたばたと送信したら、前の写真とおなじのをくっつけてました。とほほ。

このしだれ桜はたぶん、そうとうふるいです。

浄徳寺のチシャの木

浄徳寺のチシャの木
浄徳寺のチシャの木

浄徳寺は江戸時代よりもかなり前の永正十三年丙子(1516)、上妻郡六田村に建立された浄土真宗の寺です。本願寺九代の祖、実如上人(1458~1525、子沢山の蓮如上人の何番目かの子)より阿弥陀如来の尊像一幅を下され、その軸はいまも本堂にかけられています。・・・このくだりは、寛文十年の住持によるお上への調書への返答の記録から少しだけ引用いたしました。先週、横光利一の旅愁の一節を引用しましたが、ほんとに、今はむかしっていうのは実感ありますね。お寺にくると、特にそうおもいます。

時間がとまっているみたいです。

「お講まかない」というのが年に一度か二度ありまして、当番だったのです。とても広い境内と講堂。でも、暑かった~。開け放っても、蚊が入るし。

赤ちゃんをつれてきてたお母さんの写真もアップしましたが、肖像権に配慮してぼかしてあります。笑。ほんとはぶれたんだけど。あかちゃん、卓のそばに写っていたはずなのに。まるまるとしたおとなしいかわいい子。

ちしゃの木はまるで、柿の木みたいなんです。でも大きいし、ちょっと雰囲気が違うので、お坊様にたずねたら、教えてくださいました。鐘楼のそばにあります。

追記) チシャの木で検索しますと、すぐ近くの神社が出てきました。ここです。http://www.asahi-net.or.jp/~mr5t-tr/tisha.htm

目下の疑問: サイトによっては、ちしゃの木とはえごの木のことってありますが、そうなんですか?

2007年8月28日 (火)

はたらく車

はたらく車
はたらく車
大型トラックと軽トラ幌付き

トラック、首のところがガクッて折れて、それも前倒しに。どのトラックもそうみたい。そこにエンジンがある。

屋根の上の中坊

屋根の上の中坊

和風おやつ

和風おやつ

このアルミ缶入りどくだみ茶はとてもおいしい。どくだみも野草も国産です。どこの会社のかは教えない。
和風おやつ

http://chouseido.com/ 京都の「長生堂」という和菓子屋さんのどす。調べたら、玉木鉄二?なんか名前ちがう?若い俳優さんの名前覚えてない。えーっとたまきこうじじゃなくて、フィンガーファイブでもなくて、ボールドの宣伝に出てる役者さんだ。が、これをおすすめしている記事があった。
和風おやつ

仕事中に「松風」 をいただいた。懐かしい。イメージでは、博多の鶏卵そうめんかこれかというくらいの味なんだ。でも、なんか忘れていたものを思い出させる。ぽそぽそとたべた。ぽそぽそ。これどすえ。
どくだみ茶をキーンと冷やして ぐがっとのみながら たべようよね 松風とかわらび餅とか

2007年8月22日 (水)

水前寺のり

盆休み、長かった。今週からまた暑い事務所で事務を執っている。扇風機もないクーラーもないという最新式のロハスな(笑)生活様式を堅持している殊勝な会社だ。玄関の戸を開け放ち、ベランダの戸を開け放つと、風がよたよたと吹き抜けていく。うう。うれしい。すずしい。ちょっとの風でもありがたい。

吸物はまづ出来されし水前寺  

これ、誰の句だったっけ。
覚えてる人いませんか。芭蕉、それとも去来。
何のまきだったかも忘れたけど、でかされし、という妙な言い方とともに、食べたこともない水前寺海苔の味がもわもわと広がるような気がする句です。

高良山にもこの海苔が採れていた川があったそうです。その海苔は今はもう絶滅してしまいましたが、ふもとの御井(みい)に住んでいる叔父が5時起きして汲みにゆくきれいな水の井戸はまだあり、先日、ペットボトルに6本もその水をもらい、あまりにもおいしかったので、急に思い出してしまった次第。安東次男の『連句の読み方』 という本を買って読んだのにも、この句のでてくるくだりがあります。(も一度読もうと探したけど、日曜、夫が私のぐちゃぐちゃに積み上げ保存している本の山を切り崩し、きれいにさっぱりと片付けるという暴挙に出たため、どこへ行ったか不明になった。)

今日、会社で72歳で人生体験が豊富な、そして知識も豊富なえぬさんにこの海苔について聞いたところ、ご存じだった。甘木の上の小石原を流れる川にも採れる所があったって。えぬさんは芭蕉庵のある伊賀上野にも行ったことがあるとおっしゃった。

高良山には三合目あたりに小さな松尾桃青霊神社があり、芭蕉の霊を祀ってある。数年前に一人で探しにいき、やっと見つけたことがあった。水前寺海苔のこと、芭蕉は向井去来から話を聞いて知ってたのか、それとも実物をみやげに貰ったのか、わからないが、江戸時代、遠く江戸の文化人にまで評判を取っていた海苔。吸物にいれて食べたらしいが、どんな味がするんだろう。一度、食べてみたい。

いま、調べてみると、水前寺海苔の生育条件として上流に火山灰が必要らしい。昨日読んだ、タイかヴェトナムの料理法に石を焼いて味付けとして煮込みのなかに入れる、というのが紹介されていた。その石は一回しか使わないって。一度つかった石は「死ぬ」から、土に埋めるのだという。とてもデリケートな川海苔の生育条件も、これとどこか連句的につながっている気がした。

わたしは、ほんとは、連句的に、沖縄の岸本マチ子先生の詩「祈り」 について、なにか書きたいのだ。でも、まだ、書けない。書けそうもない。こないだ、女流俳句全集に黛まどかがないといって憤慨したけど、ほんとはそれより、岸本マチ子先生が載っていなかったことを憤慨すべきだったのだ。

わたしは、岸本先生が声をかけてくださらなければ、俳句をやってはいなかったから。

水前寺海苔:http://www.kisendou.com/?OVRAW=%E6%B0%B4%E5%89%8D%E5%AF%BA%E6%B5%B7%E8%8B%94&OVKEY=%E6%B0%B4%E5%89%8D%E5%AF%BA%20%E6%B5%B7%E8%8B%94&OVMTC=standard&OVADID=1427825541&OVKWID=19687139041

山、空、田。

山、空、田。

2007年8月19日 (日)

いりひ

いりひ

数日前の「虫」と「編集者の目」参照の新聞記事。1991年2月9日付の日経新聞。折り目がついてますが、大切にしています。
いりひ

夕日、ようやくすこしきれいに撮れました。光がおそまつくんにでてくるいやみさんの歯みたいに、斜めに劇的に差していた。

ある歌から

七年の姑の看取りがわが生の
       盛んなりしと思うときあり 

         八女市   大坪 雪枝

この述懐の歌がこころからはなれません。いつぞや市の老人会報誌で読んだものです。いろんな想いがこめられた歌だとおもいます。

れぎおん夏号歌仙留書に、連句初学のころいっしょに連句を何巻も巻いてくださった神戸の連句人・内田美子氏(元プロデューサー)のご母堂が、娘さん(美子氏)による長い介護生活を終えられ昇天なさったことを知りました。とりわけおさびしいことでしょう。

愛する母上をなくした連句の友に、山口の山本伽具耶さん(菓子職人)がいます。内田氏のご母堂とは対称的に突然亡くなられたそうで、ゆっくり悲しむ間もなかったとか。いま徐々にほんものの悲しみが湧いてきて、その死を受け入れつつあるようですが・・・。7月末に堺屋でまいた連句作品にはその想いがおのずから表白されているのにあとできづきました。ことばになる想いと、ことばにはならない思い。伽具耶さんのそういうときに連句の座がもてましたことを、反語的ですが、ありがたいとおもいました。あちらがわの伽具耶さんのおかあさま、ありがとうございました。一度もおあいしたことはありませんが、去年の十一月、山口の国文祭へ参加したとき、沢都さんといっしょに伽具耶さん宅に泊めてもらい、そのときに遺影を拝ませてもらいました。教育者らしい毅然としたりりしい雰囲気の母上でした。(こういう場合、さいごにご冥福をお祈りします、とかならず書きますが、祈られているのはむしろこちらだという気がいつもします。)

                 合掌

2007年8月18日 (土)

編集者の目

先日引用した五年前のれぎおんの文章に、横光利一の古神道とのかかわりを書いていました。『旅愁』で利一の神道へのうんちくを読んだとき、あっとおもいました。というのは、1991年2月9日土曜の日本経済新聞の付録記事で、まさにおなじことをよみ、しかも、記事自体を大事にしまっていたからです。

それは、ケルトの古い聖書写本の表紙にある複雑な渦の紋様が、数学ではフラクタル幾何学とよばれるものであり、マンデルブロ集合という数式でも表せ、なおかつ、蛇の目のような「五十鈴」 (吉野の山奥にある天河神社のご神体でありお守り) にそっくりである。・・という事実を、記者のひとが抑制の効いた筆で書かれていたからです。

きれいな渦の模様はカラーで大きく引き伸ばされてました。いまも色あせてはいません。さいきん、文章を書いた人の名を知りました。阿部重夫という人でいま現在はある情報誌の編集者です。すごい感性の人だとおもいます。

ところで、ふしぎなのは、この記事を入手した経緯です。当時、博多の五十川にすんでいました。新聞が郵便局の外に落ちていたのです。笑

運命的なものを感じました。

2007年8月17日 (金)

近所

近所

飛形山の先端が少し見えます。
近所

空き地だったのですが、森みたいになってます。
近所

国道三号線。まっすぐ行けば山鹿方面。八女市平塚辺り。

39円俳句

あつくてあつくて死にそう。
そのうえ今日は『九州俳句』 誌が届き、例の辛口の九州俳句賞応募作品選評が、グサッとうすい胸に刺さって痛くてたまらない。
選評子ってさ、じぶんたちの句もそんなにたいしてかわりばえしないくせに、なんであんなにえらそうに、人の句をくさすっちゃろ。一度どの句もいっぺんうんとほめてみぃよ。そしたら応募者はへらなくなるから。応募者より選ぶ先生の数のほうが多いなんて世界はどこかがおかしい。
応募者全員には、先生方に句を出させて先生がたの句を選句する権利を与える・・なんていう特典を与えたら、一気に応募者が増えるかもしれない。批評の言葉で、つまり、句のヨミで一位を決めるという競争もあっていい。むしろ、いまの俳句界がやせ細って不作なのは、ヨミの狭量さにこそ原因があるからだと思える。連句をやる俳人も見当たらないし。・・ぶつくさぶつくさ。(ただの負け犬の遠吠えです。みのがしてやっておくんなせえ)

気を取り直して、近くのマルキョウに買い物に行った。腰がまがり、杖とおなじ高さの母をつれて。
すると、みそラーメンが一つ39円!!(お一人様5袋まで)
では!と迷わず10袋かごに入れる。母がいてくれてよかった。

次男がみそラーメンに太もやしをいっぱいいれたのが好きです。これだけは自分でつくれるんですよね。今日はラッキーだったなあ。

うーむ。
ラーメンが安かったくらいでちゃらになるイタサでよいのだろうか。(よいのだーともぞう、こころの声)

2007年8月15日 (水)

essay  虫

    その1 

          姫野恭子

「帰ろうごたる・・・」
ベッドの伯母がもぞもぞと口を動かし、こう言った。帰るち言うたっちゃ、ここはおばしゃん家(げ)じゃんね。どこに帰ると。昔の古い家がよかったんね。・・そう問いかけると、伯母は宙を見つめ、なおも口のなかからむしを吐き出そうともがく。けれど、すでに伯母の虫の蔵は空っぽで、88年の生涯で使い切り、言葉は一つも口から出てはこなかった。
      ◇
二千年の周期で動くものが、一つあった。
それは深海底流である。深い深い海の底を流れる水は、二千年もの時をかけて、ようやく地球を一回りする。想像もつかぬほど深い海底をゆったりと移動する水。その色、その温度、その塩度。そこには夥しい虫達がいる。きっとこの地上に生きた全ての生命の記憶=アカシックレコードを秘めて、だれにも邪魔されることなく虫達は深眠りしていよう。もうじき、その眠りを「蟲師」 が覚ます。イエス・キリスト時代の水に眠る虫達、起きよ。
           ◇
  
月光の象番にならぬかといふ  飯島晴子
  
月あふぐ気象官ゐる海の底       恭子
  われは知る涅槃の底の静けさを
      されども波の文をも好む  木下杢太郎

そこそこ。そこにいるわ。あなたが、いま、おもったところ。なにもおそれなくていいのよ。わたしたちは、ずっとはるかなむかしから、そこにいるから。
      ◇
なんということだ。日本に米国があった。
それも大分県に。USA・・・ と書いて宇佐。
戦闘の神・八幡さまを祀る日本最古の神宮がある地がUSAとは、神様も人が悪い。石橋秀野の俳句の師の一人でもあった横光利一をもっとよく知りたくて小説を読む。まず『旅愁』 から入る。晩年の自伝的要素の濃い長編である。読むうち、「ああこん人はうちとおなじこつば考えとらっしゃる」 と、非常に驚き、その偶然の一致にひれ伏したいような厳粛な気持になる。利一つぁん! と、気安く声をかけたいような。
昭和十年代後半の戦時下の日本で、アインシュタインの相対性原理にも等しい日本の古い淫祀にまつられている幾何学的な御本体の意味や、大昔の言霊学で音波に函数まで出していた事実を挙げて、古神道も西洋の科学に何ら遜色はないと言い切る先覚者・横光利一。当時の批評では、西洋文明に抗い古神道に逃避したと叩かれた彼の言質の、なんと真実を言い当てていたことだろう。
       ◇

「今はむかし、といふ言葉があるでせう。僕らは何げなくいつも使つてゐるが、どうも恐ろしい言葉ですよ。これがね。」 と突然彼は云つて菊から顔を放し、また濠の中を見降した。ー『旅愁』 より
        ◇
利一は父の里・宇佐に帰郷して取材し、旅愁を書き上げた。
利一と宇佐の関連本で、別所真紀子氏を発見する。氏の本名は、実は満州国誕生を祝した満紀子だったそうだが、中学二年の時に、それを恥じて、ちょうど読んでおられた旅愁の副ヒロインの真紀子にちなみ、ご自分で改名なさったというエピソードを打ち明けておられる。
         ◇
時空間を自由に統べる虫が、笑った。

  連句誌『れぎおん』
(西宮市甲子園・前田圭衛子編集発行)
 2002・春・37号より引用

参照)

深海底流・http://www.nies.go.jp/kanko/news/20/20-4/20-4-04.html

映像作家・龍村仁と『月光』:http://www.gaiasymphony.com/e-28.html   

氷山ルリの大航海:https://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4062092344.html

2007年8月13日 (月)

流れ星

昨日は高校の同窓会だった。
夕方の六時に始まり、きっちり九時に終わる。
みな、ふけてた。ことにおとこ。(笑。ひとことでおわり)
あ。ひとり若いのがいた。13才下の嫁さんもらって、もうすぐ子ができるって。彼はその昔、久留米から天神までの電車通勤仲間だった。あのころよりずっと若くなってた。おめでとう。今が旬なんだね。

久し振りに会ったなつかしき友数人と喫茶店で二次会しようとコレクター(店の名前)に行ったら、閉まっていた。次に、しにせの志摩に行ったら、ちょうど閉まるところ。それならとファミレスに行く。すると、先に帰った友二人がすでにいて、おなじコースで此処にたどり着いたのがわかる。

なーんだ。主婦がおもうことは同じね。

そこで5人(独身一人しゅふ四人)、いろんな話、他愛ない思い出話をして、また車をとめていた場所にもどる。でも別れがたくて、駐車場でも三十分ほど話した。いちばん最後にしたのは、来年の全校同窓会に呼ぶ講師、五木寛之だといいのにね、ということ。講演謝礼、120万円が相場らしいけど、高くても、彼なら券が売れるだろうね・・と。

そんな話をしてると駐車場のライトがさっと落ちた、帰れといわんばかりに。
空をみあげると、すぅーっと斜めに流れ星。

あー流れ星!

どこどこ。(たえちゃんさっちゃんは見ていない。バーカ)

ちゃんと空みてなきゃ・と言ってるそばから又流れる。

ほら!

えーどこ?

間がわるいんだから。
そう、これは運だし、シンクロの問題。

あのころ好きだった人をすこし思う。来てなかったから。三年間片思いだった人。最後に会ったのは十五年ほど前のクラス会。何を話したのかを覚えている。いま、あの歌が好きっちゃん。って彼は言った。なに。と聞くと、歌ってくれた。サンプラザ中野の『大きな玉ねぎの下で』。

どうしてあんなにひかれたんだろう。背は低いし男前でもない。ただ最近わかったことがあって、彼の母とうちの母は同窓生だった。八女郡の山奥の小学校の。(でもこれ、関係ないよね。)
縁ってふしぎだ。

もうひとつ。三年生のとき興味で一回デートした人は来ていて、うんと離れたところから視線があった。お元気そうでなによりです。

同窓会。十年に一回っていい。世話人さま、お世話さまでした。

さいごにこの歌を。サビしか歌えませんが。 
『流れ星』 HOME MADE 家族 。http://jp.youtube.com/watch?v=pjig3beCAFs

2007年8月12日 (日)

立秋の頃

立秋の頃
立秋の頃
立秋の頃

苺をやめた父母がいちじくを植えたのは3年前だったと記憶します。

2007年8月11日 (土)

わが無明

わが無明

       姫野 恭子

迎へ団子こねてる昼の暑さかな

盆まぢか東国原芋を買ふ

萩青し財布の中のコンドーム

くそばばあおにばばそして青田かな

わが無明イチヂク畠で泣いてけり

参照) 無明とは・・http://homepage2.nifty.com/y-ookubo/sub19.html
   『ミケランジェロの無明』 鈴木助次郎 ちょ

百韻 『ほととぎす』

   百韻 『ほととぎす』

         前田圭衛子 捌

初折

 旅の身へなんと豊かにほととぎす  村田 治男
    青き嵐に染まる山裾        前田圭衛子
  吟醸酒器えらびて注ぐならむ     本屋 良子
    墨痕しるき隷書体なり       船渡 文子
  百畳の間を清めんと襷がけ      高木 一惠
    ふらりと垂るヽ蓑虫の糸      堀内 洋子
  空の洞月光とめどなく吸へり      喜多さかえ
    砧の父にねぎらひを掛け      内田 美子
 黄落を剥がしてみればひよつとこ面  晴野みなと
    後ろ歩きのリアス海岸        鍬塚聰子
  パソコンにチエと名付けて愛でたまふ 姫野恭子
    玻璃のきらめき肌昏れるまで    貞永まこと
  逢ふときはキヤラメル色の木曜日   聰子
    逆断層へ象のトロツト         美子
  一を聞き一を知りをり水を汲む      岡田 麗
    ひびあかぎれは昔々か        薗 理恵
  砲台の跡射るごとき寒の月        内山尚美
    芭蕉忍者といふもをかしき      治男
  禰宜揺する賽銭箱のかろきこと     文子
    田楽茶屋の匂ひたヾよひ       洋子
  湯煙の坂上りくる花の街         良子
    右に曲れば蝶のプリズム       聰子

(中略)

ナウ 秋惜しむ電話口まで昭和なり   原 しょう子
    真面目な顔で受け答えする     麗
   ヴァチカンの広場朝とも日暮とも   理恵
    潮のかたちに眠る方舟       聰子
   大道芸帽子にかかる雪沫(あは)し しょう子
    垣繕ふも閑にあかせて       みなと
   二町歩の花いつせいに咀嚼音    恭子
    エクリチュールに架かるかげろふ  執筆 

    

平成九年五月二十九日起首、満尾〃三十日

    於・神戸市六甲山ビラ、伊丹市柿衞文庫

記憶はうすれます。いつのことだったかを忘れかけていました。連句はひとりではできません。このとし、れぎおん同人が神戸の六甲山ビラに集まって、百韻をまきました。二日かかりです。ほととぎすの声がほんとに聞える山中の宿で、俗世間のしがらみからぽっかりと切れて、連句三昧の二日間。楽しかったなあ。初めてお会いするかたとも、座が一巡するころにはすっかりうちとけて、和気藹々でした。これが九州勢初めての全国区の座での連句でした。(先日引用の、前田圭衛子師が博多へ指導にみえた年のことです)。

貞永まことの留め書きでは、この日は大分から船で来たとあります。船中こどもの泣き声がうるさくて眠れなかった、との愚痴も楽しげです。これからわずか五年後、貞永まことは亡くなるのですが、葬儀に参列したあと、ゆかりの人の車に乗せてもらって、前田師と貞永まことの随筆に出て来る別府界隈をめぐったとき、ほんとにすぐ家の近くにその船着場があるのでたいそうおどろきました。まさに自転車感覚でフェリーに乗ってらしたんだなと。

この座で、まことさんには恋句がまわってき、うんうんと三十分近くも呻吟して皆様をすっかり待たせました。錚々たるベテランの連句人が十四人ほどもいたでしょうか。そりゃだれだって緊張し、固まってしまいます。捌が句を選句しているとき、次はどこでどんな句を出してもいいように、いまなら予想して思案する余裕もありますが、初めてのころは、とてもそんなひまはありません。ただただ何か出さねば、と短冊を握ってうめくだけです。あのときのまことさんの姿、忘れられないなあ。かわいそうで気の毒で。

それがいつのまにか、だれよりもうまくなられて、どの句にも精彩が満ちあふれ、どれを採ろうか、捨てるような句はなにもない・・というまでになられた。いろんな賞もとられたし、テレビの俳句王国だったっけ、出演もなさいました。

前年の秋、母の代理で出かけた別府旅行で、ちょっとの空き時間に貞永さんに会ってれぎおんを手渡し、連句をしましょうと誘ったことが、大きな出会いだったなあと、いま思う。

わたしが初めてれぎおんを読んだとき、ことばにならない感動を覚えたのとおなじ想いを、きっと貞永まことも感じたんだろうとおもう。

1996年秋、俳人貞永まことは連句と運命の邂逅をし、余命を全うして、五年前に没しました。もうじきその遺句集が出ます。

(何となく連句的;http://www.iwatohiraki.com/sirius/hakusan.html

うわあ。この↑のサイト、霊的。最初、菊理姫という名でぎくり、つぎに六甲山頂という地名。で、最初のきっかけが昇仙峡の水晶って。すべてが、シンクロしている。これはなんだろうか。

2007年8月 9日 (木)

純夏

わが家のラップとヒップホップ好きな15のショウネンは、夏休みを謳歌中。受験生だが、のうのうとあそんでいる。勉強はたまにしている。花火大会、すでに三回も行った。船小屋の、久留米の、そして昨夜はどこだった。ささっと自転車で行ってしまうから、制止する間がない。行ってしまえば最後まで見て帰るので、十時過ぎはしょっちゅうです。

でも、なんだろ。ふしぎとまったく心配はしてない。これは四十近くで授かった子だからなのか、三人目だからなのか、なんなのかなあ。

思い当たるのは、以前娘のよみさしの宮部みゆきの小説に、ごく普通の男子高校生が、フツウに恋をして、普通に夜、いなくなるはなしが話のすじとは関係のないところで語られてるのをよみ、おおそうなんだ。これが今時の高校生か。と感じた、それ以後、門限にぴりぴりして、ヒステリックにしかりつけるのはよそうときめたことだけは鮮明に覚えている。

もうひとつは、夫だ。妻にはこの下等生物がという視線しかむけないくせに、次男にはめちゃくちゃ甘い。じぶんとほぼ同一化しているふしがある。私がちょっとでも息子を案じるようなことばをはくと、「だーいじょぶだよ!あれは。だーれがこうるさいオニババと輪をかけてやかましいくそばばが二人もいる家に長くいたかろうか。」 とのたまうのである。わわわ。ななな。ガーンと打たれて、なんて純粋な悪口だろうと感動するのである。

まったくもって、「いえてる!」とおもうから。笑

ということで、今週の第一位。
エイジアエンジニア『純夏』、これをショウネンといっしょに聞いてみよっか。(かなりいいけど、ちょっと長すぎない。どうよ。

2007年8月 8日 (水)

雲の色

雲の色

指輪

6月の旅行直前、郵便局で指輪をなくしてしまいました。

切手を貼ったり書き物をしているときに抜け落ちたものと思われます。ふだん装身具をつけないのに、そのときはなぜかしてました。家業の苺栽培を手伝っていたころ母がかってくれたもので、シンプルなデザインが気に入ってました。薬指がきつくて小指にしてたのがいけなかった。

無意識のうちに抜け落ちて、あれっと気づいたときには見当たりません。どこで・・・?
その小さな郵便局しか思いつかず、会社帰りに立ち寄り、指輪が落ちてませんでしたか。とても大事なものですから、もしでてきたら、とっておいてくださいませんか。・・と、頼んで帰りました。

しかし、出てきません。すっかりあきらめていました。
ところが二ヶ月近くたとうかという昨日、郵便物を出しにゆきますと、局員さんが一丸となって私を呼ばれます。なにかと思えば、「指輪が出てきました!!」 。
滅多に掃除しない場所を掃除していて、出てきたそうです。笑

うれしかった。振り返れば、夫からの結婚指輪は、新婚時代の育児生活で紛失してます。二人目までは布おむつでした。水洗トイレでウンチを流していたとき、ゆるかった指輪がするっと流れてしまったのです。うわあ、なんてなつかしき思い出!!

指輪、意外と重たい。まるで枷のように。
なくしたのに気づいたのも、いやに指が軽いなと想ったからです。
神隠しみたいな出来事でした。

2007年8月 7日 (火)

協賛ウチワ

協賛ウチワ

久留米祭りの協賛団扇。うらには出資した会社の社名がはいってます。

浅葱色の着物からのぞく手が十露盤をカメラのようににぎる。構図も色も線もすっきりと片付いていて、きれいです。うーん。だれかの有名な絵を連想しますねえ、この団扇。芹沢銈介!におい付けのように、けむりのように、その影響力を感じる。

恋句の難しさ

むかしのれぎおんを読み返している。はじめて36句巻いた作品が出てきた。(原しょう子さん、内山尚美さんとの三吟だった。11年前。)留め書きもかかせてもらっていた。それをよむと、いかに恋句に苦労したかわかるし、前田圭衛子師がこころ傾けて一直してくださった箇所も見える。

原句) 苦しいと投げて返しぬ蒔絵櫛

一直) 苦しいと投げて返しぬめぐり逢い

ながれのなかで、恋ってたぶんこんなイメージと出した句だが、やはり素人のなんとやら、蒔絵櫛はいかにも時代がかっていてくさい。そのとき前田先生のくださった助言、「投げるものが櫛だといかにもってかんじになるでしょ。具象じゃ重いんです。こういうときは抽象的なものにしてしまうと成功するからね」。

おお!!って感動したことは言うまでもない。
一直のあとの句のひろがり、深さ切なさ。
目をみはる想いだった。

2007年8月 6日 (月)

essay・鳥づくし(10) 

   鵲(かささぎ)  

          姫野 恭子

前田編集長が九州に連句の灯を点けんと初めて博多にいらしたとき、私は軽トラックを駆って鳥栖筑紫野有料道路を通り、当日の会場となった煉瓦館のある中洲まで出かけた。
鳥栖筑紫野有料道路は、佐賀平野一帯に多い鳥の名を採って、別名「かささぎロード」 とも言う。標準和名はカササギという雅びなものだが、こちらではカチガラス、略してカチと呼ぶ。烏よりは小さく主として黒と白の朝鮮半島に多いカラス科の鳥で、日本では佐賀や福岡などの西日本にしか生息していない。

  地平線まで麦青し鵲とべり 下村非文

この句は朝日文庫の『野鳥を友に』(高野伸二著) で知ったものだが、作者の下村非文が誰であるかを知らない。知りたい。どこの人だろうか。ちなみに『近代俳句大観』 には熊本出身・上村占魚の評文でこの人の句が引かれていた。次の鶴の何と美しいことか。

  一点の穢(え)を嘴に鶴凍つる  非文

鵲は、カチカチと野太い声で鳴くからそう呼ぶとも、豊臣秀吉の朝鮮出兵のころに連れ帰った「勝ち烏」 であるからだとも諸説ある。負け軍だったのに勝ち烏と名づけるセンスには参る。六年生の長男は先日こんなことを言っていた。豊臣秀吉の朝鮮出兵はむごか戦争じゃったばってん、おかげで有田焼きが完成したっちゃんね、お母さん。

そうなのだ。初代酒井田柿右衛門は、秀吉御用焼物師・高原五郎七の四年間の逗留中に陶芸を学んだというが、酒井田家古文書には1598(慶長3年)慶長の役にて鍋島直茂、朝鮮陶工を多数連れて帰陣、と書かれている。(正確には高麗焼職人150名)。

なぜこんなに詳しく知っているかというと、今年五月、八女市の酒井田に現14代柿右衛門が里帰りして酒井田柿右衛門展が催されたからだ。初代の父祖は八女の人であった由。

  鵲の渡せる橋に置く霜の
    白きを見れば夜ぞ更けにける 家持

中世の頃に朝鮮から移入されたというのに、百人一首のこの歌には既に鵲の名が見えるではないか。とお思いだろう。そこで新明解古語辞典金田一春彦編をば繰ってみれば・・

一 いまのアオサギという。(源氏・浮船)

二 いまのカチガラス。七夕の夜に、この烏が翼を並べて天の川に橋を架けると伝えられた。(新古今・冬)などと出ている。

高野伸二の先ほどの本には、鵲はヨーロッパからアジア、北アメリカ大陸に広く分布する鳥だとあるが、西日本への移入がいつか、正確には誰も知らないとあった。

前に書いたように、農家の敵ではあるが、保護鳥として安泰である。俳句ではその独特の巣が目立つ季節、秋の季語とされている。

  鵲の巣の昏く優しき高さ想え  北原志満子

1997年10月発行
  「連句誌 れぎおん」19号所収

  

東国原ブランド里芋

東国原ブランド里芋
298円 煮ても煮てもごちごちして固かったのは特価品だからかな 季節のせいかな

2007年8月 5日 (日)

歌仙 『煩悩の指』

故・貞永まことの連句年譜を調べておりますと、前田圭衛子師がはじめて博多へ連句張行へみえたときの作品が出てきました。場所は中洲の煉瓦館(辰野金吾設計)。みなさん初めてなのにのりのりで、座が浮き上がるようなふしぎな高揚感がありました。丸い卓を囲み、短冊を何枚も競ってだしたことが、まるで昨日のことのようです。こうして振り返りますと、現代俳句界の錚々たるメンバーでございました、私以外は。引きます。

   歌仙 『煩悩の指』

            前田 圭衛子・捌

 火の国の草海原を霞むかな   貞永まこと
   馬の親子の踏みし蓬生    鍬塚 聰子
 月昇る煉瓦館に夏近し      晴野みなと
   楽屋裏でもコンダクターで   姫野 恭子 
 集まれば力の渦となる君ら    鮫島 康子
   メロンパンほど美味はなきなり   聰子
裏 汗の手の穴ずらしたり腕時計     まこと
   青色硝子にとり囲まれて      聰子
  いつまでも開けられずいる文の筥  恭子
   ある夜の羽衣ふわと匂えり     みなと
  愛告げて彼は浪速に帰ると言う    康子
   扉のかげで仔猫すり寄る      まこと
  煩悩の指捨てにゆく月天心      聰子
   遊動円木星降らしめよ        康子
  冷凍のまま摺りおろす古(ひね)生姜 恭子
   風になぶられ立つ一輪車       まこと
  花の雨誰かが連れてゆく少女   筑網敦子 
   胸の底までつづく陽炎        聰子
ナオ 
 うららかといえど魚には泪あり    みなと
   竹の尺にて子の尻をぶつ     恭子
 廃屋の庇の下に寝てみれば     まこと
   たったひとりの植民地にて    敦子
 魔がさして赤松つるんと艶めきぬ   恭子
   吐息あつめる荒き潮騒      みなと
 含羞は煙のごとく続くもの      聰子
   広辞苑には酒の文字あり    聰子
 都府楼路大黒天を励ましに    恭子
   旅から旅へ襤褸(らんる)つなぎぬ まこと
 畝に雪冴えて半分だけの月     恭子
   銀粉こぼし傾ぐ凍蝶       康子
ナウ口内炎すんでのところ懐手    聰子
   まずはまずはと留守をきめこみ  まこと
  ハルピンの東南東へ送信す    敦子
   しんしんしんと骨の小さき    聰子
  空いちまい使って花が満開です  康子
   禁煙区なり笑み給う山      みなと

  平成九年四月九日首尾
  於・福岡市赤煉瓦文化館

メモ) 天籟通信の筑網敦子氏は途中からの参加、はじめてお会いしたのですが、とても美しいかたでした。みなとさん、康子さんともにベテラン、何を出されても洗練されていて、詩(さま)になってました。

連句誌『れぎおん』 1997・夏・18号所収

2007年8月 3日 (金)

台風のさなかに

今年二度目の昨夜の台風、強い風がふきました。

いつも遅くかえる夫も早く帰宅してきました。
中三の次男は昨日まで課外授業があってましたが、これもレンタルビデオ屋さんからいくつかDVDとCD借りて彼にしては早めに帰宅しました。数日前から私が頼んでいた「時をかける少女」(最近のアニメ版のやつです)  もわすれずに、ちゃんと借りてきてくれてた。いい子だ。それにしてもビデオ屋さん、70円、90円までダンピングしないと競争に勝てないなんてかわいそすぎる。いえ、熊本のいとこが長くこの商売をしてまして、その苦衷をおもうと一言いいたいわけで。

雨戸を閉めても鍵をかけていなかったせいで、風がすごい音をたてます。それに負けない最大の音量にして時かけ少女をみました。夫といっしょに。

こんなこと、二回目だなあ。

とおもいました。博多の月隈に住んでいた三十代後半から四十代初めのころ、一回だけ真夜中に夫と二人でビデオを見た。喧嘩しかしてないしせっくすれすどころか16年間手もにぎらないさいあく夫婦なので、こういうことがあることがふしぎだとおもう。(月隈でのそれは「小さな恋のメロディ」 だった。感動して、こんな映画、もう二度と作れないだろうね。って夫は言ったなあ。そういえばあんとき)

さいごのちかくで、感動屋の夫がないていた。けっとかささぎはおもった。その瞬間、かえるの声が唐突にどこからか聞えた。え。もう。

もう台風が行ってしまったんだ。まだ強いうなり声がしていたけど確実に力は弱まっていた。蛙っていじらしい。うれしいんだろう。

 颱風の暗き家鳴りに帰り来る  飯田 孤石

 (飯田孤石は阿蘇の飯田高原の人だった)。

帰って見えた家霊団のみなさまがた、わたくしどもはなんとか離婚もせず辛抱をし、まいにち、なんとかやっておりますです。どうかご安心なさって帰ってくださいまし。

参照)

『時をかける少女』http://www.kadokawa.co.jp/tokikake/

この映画でことにこころひかれるのは背景の風景画。雲とか家の草や木とかが綿密に愛情深く描かれていてすばらしい。

それともう一つ、宣伝をいたします。

『台風』 という曲、オルケスタ・アストロリコ が先月出した珠玉のタンゴ名曲集『SALUD, TANGO y AMOR  (ソルーナ音楽事務所取り扱い、京都下鴨) のなかに収録されております。これもまた、ほんとに台風のかんじがしてすばらしい曲です。みなさま、ぜひ一度きいてみてください。

2007年8月 2日 (木)

打ち水と

先日、堺屋で連句会をやっているとき、急にザーッと水の音がしました。見ると、管理人さんがホースを持って植木に水を撒いています。うわあ、打ち水・・すずしい。

黒とんぼがきます。堺屋にはおはぐろとんぼがにあいます。

名残のオモテ立て句。春。初折で捨てたサイレン句を使おうということになり、季語を斡旋する。田をかえす。かえすってどんな字。返す、返事の返。うーん。なんかいまいち。じゃ畠を打つは。畠を打つのほうがいいよね。

てなことで、季語が決まる。

 まっすぐに昼のサイレン畠を打つ  都

サイレンか。じゃあれ、使おう。さっき捨てたボンの句、原子の闇の。原子の闇はすごいことばだった。放射能汚染水を雑巾で拭いてバケツにいれてたの、思い出した。現場では身の危険も顧みず、原始的な作業をしてるよね・・。一年も稼動できないのなら、どうやって彼らは生活するんだろうかなあ。・・次のように治定する。あとでふりかえると、この部分がいちばん印象に残るつけあいになった。あの地震後の原発の映像は恐ろしいものでそれを呆 夢は「原子の闇」ってことばで表現した。彼女は連句は初めて、すごいヒットです。途中に来て、途中で帰ってしまった忙しい呆 夢に、ありがとう。

  同じ時代を生きて涅槃會   山下 整子 

 まっすぐに昼のサイレン畠を打つ 沢 都 

  原子の闇を雑巾で拭き     呆 夢

   (「原子の闇」、裏十句目からナオ1、2)

 

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