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2007年7月15日 (日)

祖母の命日に

一昨日は祖母の十三回忌でした。お坊様にお経をあげていただいて、そのあとは、矢部川城というところでみんなで食事をいただきました。

梅雨さなか、矢部川べりのそこは、とうとうとした黒い水明かりのなか、ゆらいでいるようにみえました。すぐ近くには、高橋甲四郎先生の御宅が見えます。先生はお元気だろうか。ふと心を去来するものがあり、先生のお父上の高橋昇博士の御命日も、たしか七月十日だったなあとおもいました。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_01af.html

わがやのハルエばあちゃん(明治29年生れ)は高橋昇博士とおなじ上妻尋常小学校に通っていたのです。先日、高橋先生のところに記念アルバムを持っていったとき、おなじ見開き頁にそれぞれの名前があり、写真もあるのを発見し、たいそう驚きました。明治三十年代のことですから、百年も昔の話です。もっとも、集合写真のなかのどれが昇博士でハルエばあちゃんかは、さっぱりわかりませんが。

そういえば、先月「虹の足」の題の記事に先生が下さったコメントが忘れがたく、それを無断ではございますが、ここに引用したいとおもいます。縁の微妙さというか、シンクロニシティの絶妙さにうなるほかありません。

息子さんの「図書だより」の、二番目の『評伝 ウイットフォーゲル』の名前と、翻訳者の「堤静雄」先生の名前に目を奪われました。
 なぜなら、堤先生が大学の先生たちと、「ウイットフォーゲル」の本を翻訳されているころ、私は同じように大学の先生(飯沼二郎、宮島博史)たちと「朝鮮半島の農法と農民」を出版していたのですから。
 そして、堤先生が拙宅にやってきて、「貴方が出版された『朝鮮半島の農法と農民』と、私が翻訳した『評伝 ウイットフォーゲル』とを交換しませんか」
という申し出でがありましたので、交換したことがあります。
 どちらも同じ厚さの本でした。
 そういうわけで、堤先生は時々拙宅に遊びに来て、私の父の記録を見ておられました。その記録のなかに、今から70年ぐらい前、ウイットフォーゲル氏と、私の父とが中国で会って、いろいろと研究上の会話をしている記録があるのを発見されて、堤先生は思わずうめきました。
「ああ、寒くなった。背筋が冷たくなってきた」
                    (高橋甲四郎)

※ 注記:私の次男の通う学校に堤先生は数学の先生としてまだいらっしゃるようです。(もっとも、むすこは知らないといいます。高校の先生かもしれませんね)。

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