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2007年7月14日 (土)

俗のほそみち(7)

  俗のほそみち(7)

                  姫野恭子

「あちゃー。冬と夏では畝の立て方も違うち。知らんじゃったばい」と、『農耕と園藝』誌を読んでいた母がつぶやく。作物は日畝(ひうね)に育つ。その当然すぎることをハウス園芸ひとすじに三十年の母が忘れていた。ずっと苺を作ってきたが、腰もまがり、重労働に耐えられなくなり、足をあらった。現在は近くのスーパーの産直コーナー用野菜作りに父と二人で精を出している。楽しそうだ。

  野良じまい一言妻にありがとう 
           北九州   疋田 芳一

      

連句協会より会費の督促状が届く。今年は浪人生と受験生を抱えて、塾の送迎に追われている。ゆとり教育とは「こどもの教育は各家庭がお金も時間も使ってやるべし」ということであったのだと身にしみてわかった。昔はエンゲル係数、いまやエデュケーション係数が目の飛び出るほど高い。農民では食べて行けないので、いよいよパートに就くしかないだろう。学校は人間関係を学びに行く場、塾は勉強を習う場。学校の先生はお父さんお母さんの延長線上に存在し、塾の先生は教師として君臨する。子のなかで育つ、戦後日本の政治みたいなダブルスタンダード。なにかの過渡期だろうということだけはわかる。

  しあわせに見える石ころ蹴りにけり
             荒尾  萩  瑞枝

          

  聲あげて山河を朱くしてしまう
                    鹿児島  野間口 千佳

正字と現代仮名同居の句だが「聲」が全体の印象と響き合って、読み手は因果という時の法則を超える。そして朱色の残像、あるいは残響が山と河を往復し、作者と読者を往復する。季語はないのに、「もみいづる」とはまさにこういう作業をさすのだろうと思わせるちからがある。

  こゑあげてしまへばとめどなくて雪 
                福岡   伊藤 通明

馥郁としたエロスが、この句とも通じる。

          ◇

  妣からの歳時記使う千代女の忌 
                 北九州 松本 隆吉

妣(はは)という字の古典性。山本健吉におそわったことばである。亡母のことは「亡き母の」でこと足りる現代人にとって、まぶしい輝きを放つ言葉である。加賀の千代女は各務支考門下の十八世紀の俳人で、その忌日は九月八日。

        ◇

 落鮎の日に日に水のおそろしき  千代女

 朧夜の底を行くなり雁の聲     諸九

二句目の下腹にずんと来る有井諸九の句は凄いとしか言い様がない。千代女と同時代人で、九州から大坂へ不倫の恋の逃避行をした女性として有名である。
次の一句は、このふたつの古典に対峙させても怯まぬつよさをもつ。

 昼顔やはらわた熱き日は黙る
                          福岡    松尾久美子

   

『九州俳句』(中村重義編集発行)137号

   平成17年2月15日発行より引用

参照:http://homepage2.nifty.com/onibi/antho.html

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