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2007年7月12日 (木)

宮部鱒太と北原志満子

宮部鱒太と北原志満子を読む

  ー 入れるより抜くこと難し ー

人に気を遣うのがいやだ。意地でもおべんちゃらなど言うまい、こと文芸に関しては。たとえ相手がどんな大家であろうとも・・・。
「宮部鱒太自選句集」と北原志満子「つくし野抄」を読み、感じたことを話したい。たまたまお二人とも大正六年生れとあり、学生時代から俳句に親しまれているという共通項を有しておられる。優に私の生きてきた時間を超える句歴の持主であれば、若輩者がどんな乱暴を言ったとて、ふふんと聞き流してもらえるに違いない。

       ◇

宮部鱒太を師と仰ぐ俳人から、聴いた。
「これまでに出会った誰より立派な先生です」と。人格高潔にして志高く、ふところの深い先生らしい。しかし、そんなことはどうでもよい。人格が怪しい人でも、作品は別格だからだ。どこまでも根性の卑しい私はそんな独り言を言いつつ頁を繰る。と、野田遊三氏の句集賛がはらりと落ちた。それをつい、読んでしまったのが運のつきである。高位の人の句は、高い視野に立つ読者を得て、初めて本懐を遂げるものらしい。私などの俗人の入り込む隙はないのだろうか。・・・・それでも、読む。

 雪の火山にまむかい男ばかりの墓  鱒太

集中最も鮮烈だった。前書が欲しい一句である。景が歴史の霧の中からくきやかに立ち上がる。明治維新の頃の賊軍と呼ばれた者たちの墓だろうか。雪の火山が絶妙だ。地位も名誉も求めず、自らの信ずるもののために命を捨てた男たちの墓。その地に立ち、足下からつき上げてくるような力を感じている宮部鱒太。「どうして、武士の身体と心を格好いいと思ってしまうのだろう」。私はミーハーらしく、この語(若者向けに書かれた日本古来の武道家とバガボンドの漫画家との対談本の帯です。なんてはだかのことばだろうと単純に感動した。「武」宝島刊)をつぶやくことにする。

 じゅうたんを走るお通夜のにぎりめし 鱒太

すごい!軽快なフットワークから繰り出される、生き生きとした無常句。私も絨毯(冬)で一句詠んだ事があるが、こんな面白い句は初めて見た。立派である。座五の熊本らしい質実剛健ぶりが光る。都会だと下手すれば「握り寿司」だったりする。

 朱夏の湯に古きふぐりを沈むるよ  鱒太

古きふぐりには古き摩羅が付いているのだろう。朱夏の湯との鮮やかな対比、哀感と無常感をたたえた男にしかよめない句。

 戦友は別のさくらをみていたり  鱒太

随筆「戦場の句会」を読み、やはり戦場を体験した人には適わないと思った。これは、山下淳の「流域雑記」にも感じたことであるが、胎のすわった自在な精神がもつ品格なのだ。

 戛 戛 戛 赭い正月さんの来らす 鱒太

一巻に方言の句が数句、そのうちの一つ。熊本弁の「来(こ)らす」は筑後弁の「来らっしゃる」同様、尊敬語である。正月さんは赤だとは、陰陽五行の思想、一陽来復のおまじないだ。かつ、の文字、あかの文字。教養がまるきり私たちとはちがう。漢文を知っている世代の語彙の豊富さ。

 百歳の祝いの餅はおそろしか  鱒太 

数え百で没した私の祖母が晩年口癖のように言ってた。「手取らんで往かやんばってん。」

 花大根帰るところがあるような   鱒太 

     

ところで今年の春は熊本の有名な一心行の桜を見にゆくはずだった。それが行けず、京都と奈良の桜を見る羽目になる。石橋秀野生誕の地(天理市)と晩年の地(下京)を尋ねたからだ。一度も訪ねた事もない土地の事を想像で書いていた引け目が、発作的な旅へと駆り立てたのである。お金がなくて、東本願寺横の寺の宿坊に泊る。一泊四千円弱。京のどまんなかなのに、夜はタヌキが出るような所だ。浴槽の栓が壊れていて、湯が漏れてゆくため、常時湯を継ぎ足していた。自然循環式のその風呂に寝釈迦の格好で横たわりつつ、人の一生もこんなものかなと哲学的なことを考えた。柳川のウナギ屋の秘伝のタレみたいに、減った分を常時継ぎ足し継ぎ足しして。

宮部鱒太翁の作品集を読んだのちに、北原志満子「つくし野抄」を読んだのだが、余りにも手法が違っている。それなのに、読後感には共通の意思の真澄みみたいなものを感じ、俳句は手法ではないなあと思ったことだ。

  ひとり来て万朶の花に顔さらす 志満子 

万朶の花の視線を老い一身に蒐め、何も恥じることなき一生(ひとよ)の顔を上げる。「顔さらす」とサラリと書かれたが、まるで真剣の相手に木刀で応じているような気の「抜け」を感じる。入れるより抜くことかたし何事も。この余裕、宮部鱒太とおなじ精神世界である。

 僧の暮らしに水木幼く花つけて 志満子

佐賀の町を歩くと、独特の気風を感ずる。駅の近くの通りを晩春に通るとぎょっとする。紅白の餅のような花水木が交互に灯っているのだ。慣れるまで、そのセンスを疑った。まるで花笠音頭みたいな町だ、と。次に夜出歩く。するとまだ早いのにシャッターが下りている。欲のない街だ。葉隠れの里のあるところだし、物よりも精神力重視の町なのだと実感する。

 田に曳かれし馬たちの道栗の花 志満子

畦道の倍の広さの農道は、個人所有ではなく、公道であった。そこを馬たちが田へ曳かれていった。公道であるから、ふつうの畦のように豆や菜種は植えられなかった。栗が一本。

 苗代ぐみの三粒を花のごと手折る  志満子

「苗代ぐみ」が分らぬ。夏ぐみのことと思う。志満子氏の過去に百姓をなさったことがおありか聞いてみたい。戦中派ならおありであろう。私は最近初めて「溝さらひ」をした。百姓の父母の不在でやるほかなかった。長靴のまま水の流れる水路に入り、草刈をしたり、底のゴミを上げるのだ。米つくり農家だけに課された毎年田植え前の行事である。膝上まで濡れつつ水草や土手の草を刈っていると、グミの実に気づいた。棘のある低木だ。懐かしくって、花のように手折り、お尻のポケットに挿して持ち帰り、子どもにも食べさせた。・・これが「苗代ぐみ」か。

総じて淡くて軽い日常詠ばかりで、かつて穴井太先生を唸らせた一句、

 米一俵ほどの満月老婆の旅  志満子

と並ぶような力ある句は見当たらぬ。しかし、老いるとはかくのごときものかもしれない。

 背振峯の秋むらさきに町果てる 志満子

※ 参照「俳句往還」 206頁、 穴井太著1995年。

「九州俳句」135号、平成16年八月十五日発行より引用。

追記)

ひとり来て万朶の花に顔さらす

この句のよみですが、いまは上記のよみとは全くちがう感慨で読んでいる自分に気づきました。読み返せば、この文章はなんと偉そうで横着で傲慢で高飛車なのだろう。。読むに耐えません。それが一番あらわれているのが、この句への読みでした。はづかしいです。北原志満子先生、お許しください。そうです。この句は、まさに、こういうときこういう想いから出る一句なのではないかと思います。

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コメント

ここにありました。
さがしました。
宮部鱒太先生は今年の一月三日に亡くなったそうです。

戛 戛 戛 赭い正月さんの来らす 鱒太


宮部鱒太先生のご逝去、心より哀悼の意を表します。

どうして、武士の身体と心を格好いいと思ってしまうのだろう......

これ。ある本のキャッチこぴぃだったんだけど、わすれがたい。
潔いということですよね。
三島。なぜあんな死に方をしたんだろう。
きっと真逆の青春をおくったからではなかろうか。
というのを、すぎやまのおんじいブログをよんできて、ばくぜんとかんじた。
父親にかばってもらって、兵役をまぬかれている。そんなことができたんだね。口にはださなくとも、ずっときっとおおきなわだかまり、れっとうかんがのこっていたにちがいない。それをおもえば、眞鍋呉夫のことも、ことに兵役時代のことなどを、もっとくわしく知りたいものです。文人と軍人のあひだの齟齬。

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