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2007年7月31日 (火)

まこと忌

きょうは、連句仲間だった貞永まことが亡くなって五年目の忌日です。

きのう、大分の奥様からお便りをいただきました。ようやく遺句集をまとめる手はずがついたという内容で、連句関係のことを尋ねるものでした。

すこしおどろき、そして、ああそういうことだったんだとおもいました。

 返信は「応」とあるのみ不如帰  恭子

九段での連句会でできたホトトギス句です。発句を選句するとき、前田圭衛子先生がこの句を、こんなふうに読み解いてくださいました。

「ほととぎすはご存知のように、古来冥界の鳥といわれます。あの世とこの世を行き来する鳥だと。そうであれば、これは、あの世にいるひとに作者がなにかを問い掛け、あの世から、いいよという返事をもらった・・というふうに読めますね」

ふしぎなことに、そう口にだしていわれると、確かにそういう意味で作ったと思えてくるのでした。なんとなく浮かんだ句です。でも、貞永まことさんのことを夏になると痛いように思う自分がいます。連句を毎日のようにいっしょに巻いていたのは、はたして何年間だったのでしょう。ものすごく濃い意識のシンクロがあったんだなあと思う。前田圭衛子師と貞永まこと、そして、亜の会の仲間たちのあいだには・・・。家族のような兄貴のようなおやじのような、そんな貞永さんでした。竹内まりやの歌に「みんなひとり」って歌があります。その歌詞のなかに、「恋人とも違う大切なともだち」ってあるのですけど、まさしくそんな人でした。とてもとてもなつかしくてかなしい。ことばにならないぶぶんでいっぱいおもってる。そして前田師がすごいのは、こんなきもちもあんなおもいも貞永まことの死さえも全て、まるまると見とおしておられたことです。時間を超越した地点に前田圭衛子というひとは立っている。そうおもいます。

2007年7月30日 (月)

八女堺屋 2

八女堺屋 2

せかゐの斎院にて

夢中落花といふことを

「春風の花を散らすと見る夢は
   覚めても胸の騒ぐなりけり  西行」

山本健吉は西行が好きだった。しかしついに西行を書くことが果たせぬまま世を去った。西行をよみとくことと妻秀野の句をよみなおすこととのはざまに、この歌と「せかゐの斎院」 がある。・・・と、いまそうおもった。で、日本文学専攻者のみなさまがた。せかゐの斎院ってなに。わたしはそれすらしりません。

八女堺屋 2

京町通り。突き当たりに鳥居がみえるでしょうか。あそこで八女福島燈篭人形浄瑠璃が奉納されます。
八女堺屋 2

堺屋前のなまこ壁。これはずいぶん最近のものです。

八女堺屋

八女堺屋
八女堺屋
八女堺屋

黒柿の一本ものの床柱 

連句ーこの全的なもの

きのうは、朝一番で投票を済ますと、連句会を座でやりました。昔の仲間と今の仲間でです。いえ、このいいかたはおかしい。みんな大切な連句の仲間達です。名づけて、第二次亜の会。

とてもみたされた有難い一日でした。とても暑くて。
堺屋(八女市の文化財)を借りてするのは、何年ぶりでしょう。昔、ここでよく連句をまきました。懐かしいおじいちゃんちみたいな家です。

堺屋を借りる手続きをしてくれたのは、天野おとめです。彼女はこういう裏方の仕事を実によくしてくれます。お昼ごはんをどこで食べるか考えて手配してもくれました。(のちほどご紹介します。)

堺屋にお茶とか用紙とか短冊をもってついたのは九時半前でした。まだ会場はあいていません。駐車場でまっていると、山口は徳山の山本伽具耶が車を運転して駆けつけてくれました。彼女の家から八女市まで時速120キロで高速を走りつづけて三時間もかかります。そのがんばりをおもって、まずじいん・・・。しかもたくさんシフォンケーキとおかしパンを焼いてきてくれました。山口国文祭のときも三百人分のケーキをひとりでやいたのは山本伽具耶です。

管理のおじさんが見え、会場を開けてくださいました。卓を出し、扇風機を出し。(はい。ここはむかしのおうちなんです。いまのおうちではない。だからいいんですよね)

山下整子が次にレディみたいな格好で到着しました。げ。どうもチガウ。そんなおんなっぽいかっこう。古墳発掘隊長時代の首にタオル、腰に手姿がどうも抜けきらない。のですがな。でもしばらくするとやはり、首にタオルしてましたが・・暑くって。笑

沢都もひさしぶり、去年11月の山口連句会以来だ。以前より顔色がよくなって元気になってた。夏休みの学童保育は毎日がへとへとになるたたかいみたいだって。それを楽しむ余裕、できたのかな。今の小学校現場はすごいことになってるみたいだからね。(天野おとめと都さんとの短い会話からそれを垣間見ることができたのであった。)

揃ったところで発句を出す。ほととぎす。東京で前田圭衛子先生が課されたことをやりました。もう初夏ではありませんが、どうしてもホトトギスでやりたかったんだ。

そうしてるうち、三潴のボンが来る。ボンは高校時代からの愛称で、俳号にも呆 夢とつけています。(ぼんとよみます。)えーとですね。沢都、天野おとめ、山本伽具耶は俳句誌「樹」同人だったんだけど、いっしょにやめたわけ。そのあと入れ違いのようにして入ってきたのが、整子であり、呆 夢であり。みんな私が誘ったのですが、俳句はどうでも、こうして同じ座を囲めるのはなんて素晴らしいんだろう。みんなでじきにうちとけて、真剣に一つの世界を共有できることのよろこび。しかもどちらかというとみな人見知りタイプなのにね。あ。おとめさんはちがうな。天野おとめ。傑物だと思う。天まこと(天真実とかきます、ほんとはね)の母にして、八女市でいちばんたいへんな仕事、児童相談室長であります。きょうは第三を出して帰ってくれました。菊屋の和菓子を差し入れにして。おとめさん、ありがとう!!

発句、でました。ブログで知った九州俳句同人の中山宙虫 さんのほととぎす句もまぜて、みんなで選をしました。すると、ぶっちぎりでしたね。中山宙虫 句。これを発句に、源心形式28句(おもて四句、うら10句。ナオ10句、ナウ4句)をまきました。宙虫 さんありがとう。次は来てください。

 ほととぎす羽根なきものの開拓碑  宙虫 

お昼からなんと小梅わこがきてくれました。24歳になったわこ。ほっそりとしておとなしく、でもどことなくしっかりとした大人の女性にかわっていました。16歳の彼女がよんだいちじくの句、いまもわすれず大事にしています。

さいごに、ばどさん。来て欲しかったんだよね。ちょっとでも。川柳のばどさんと、俳句の宙虫 さんと、 和歌の3がら3さん。この三人を、いつか必ず俳諧という全的な座につれてくることを期して、一文を〆たいと思います。

2007年7月28日 (土)

ガーン

ガーン
ドレッシング別売りて

2007年7月27日 (金)

はたらく車

はたらく車

筑後川大堰近く、河向こうは佐賀。
はたらく車

これ、現場で写しました。まひるのあっついクレーン車。

はたらく車

かくも大きな車に可憐なえのき茸がどんだけ積めるのだろう。

大岡信さん

折々の歌、もうなくなってしまったんだそうです。

毎朝、折々の歌で出合うことばたちを、その運のめぐりをとてもだいじなものとしていたころがありました。三十代から四十代にかけての忙しく孤独な主婦時代です。信さんの送り出されるうたやことばたちは、まっすぐにこころにひびいてきて、いろんなことを教えてくれました。

朝日新聞を今、勤め先でたまに読むことができます。さきごろ、大岡信と谷川俊太郎と小島ゆかり三者の折々の歌にちなむ対談(7月17日付朝刊)を収録した紙面をぐうぜん見つけ、新聞の所有者にたのんで、もらってきました。家でゆっくりよみました。

大岡信さんは29年間も毎日毎日『折々の歌』を綴ってこられたんですね。いまは解放されたという想いが強いとおっしゃってました。ご本人じゃないとわからない重みのある述懐であります。

私は信さんの誤読のおかげで俳句の面白みを知り、この世界へ入ってきたものです。ひねくれものにとって、それはすばらしく魅力的でした。

また書いてほしいとおもいます。折々の歌。あのみじかさが。

 

 鮟鱇の骨まで凍ててぶち切らる  加藤楸邨

 木に花咲き君わが妻とならむ日の
  四月なかなか遠くもあるかな   前田夕暮

(大岡信選の六編のうたのうちのさいごの二つ。)

ブログ内連関記事:http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/post_e5d5.html#comments

2007年7月26日 (木)

冷たいお茶

冷たいお茶

100均のグラスに入ってるのは八女茶の冷茶です。一年に二回くらいは飲みます、冷たいの。でもほんとはどんなに暑いときも、お茶は熱いのが好きです。まずいお茶はがまんできない。会社にも好きな深蒸し煎茶を持っていき淹れます。これは八女に生まれたものの宿命だとおもう。(おおげさかな)

連句でお世話になったかたに東京でいただいたお茶があります。狭山茶とかかれていました。埼玉茶。八十八夜摘み新茶の高価なものです。どんな味かなとわくわくでいれてみました。色は黄色、味は渋みのあるすっきりとしたものでした。夏用にはいいかなと感じました。

2007年7月25日 (水)

初めて聞くCD

アストロリコの新譜『 SALUD, TANGO y AMOR 』 が京都市左京区下鴨のソルーナ音楽事務所から届きました。まだ聞いてません。今日、通勤のときに初めて聞きます。この、最初に聞く。というときの印象はとてもとてもだいじです。だって「最初」って一回こっきりですから。はじめてには替えがないなあとおもって。これ、一期一会なんですよね。笑

西日本新聞の聞き書きシリーズ随想で、どなただったか完全に忘れてしまったのですが(ごめんなさい)、とても有名な音楽プロデューサーの人がおっしゃってました。デモテープは一回しか聞かない。だから、真剣勝負なんだ、と。こころも五感も全てを研ぎ澄まし、最高の状態でデモテープを一回だけ聞くと。

このことば、なるほどと思いました。なにしろ耳に「命運」がかかっている。というより、このことばのもつ雰囲気は、そんな俗なみみっちい次元をはるかに超えている気がします。

※ 付録です。ビタミン愛。

「神の目」 七月八日かささぎの旗http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/fwfwfwfw2_ea66.htmlにありますが、鍬塚聰子ブログの掲示板にもアップして戴きました。
「神の手」(必見!)もアップされています。どうぞご覧になって下さいまし。http://satokono.littlestar.jp/frame-bbs.htm (ここの掲示板です)
偶然というのはすごいなあ。

七月二十六日追記;

昨日今日で『SALUD, TANGO y AMOR 』全曲聴きました。その感想を少し書きます。

まず、出だしの『碧空』 という曲がうわあっというほど切ない。いきなりせつないのです。19曲入っているなかでいちばんかもしれない。私はタンゴ星人ではなく素人だし勝手なことをいいますが、ものをことばでおもうものとして、いちばんキタのは、『荒城の月』 でありました。それは、とても驚きでありました。三パートから成っているように聞えましたが、聞いていると、自然と歌詞が浮かび、自分が撮った写真「松に挟まった満月」 と、「千代の松ヶ枝分けいでし」 がぴたっと重なり、そうだったのか!!ととても驚いてしまいました。

この歌詞を作った土井晩翠という詩人は、なにを待っていたのでしょう。「荒城の月」は、謎にみちています。東京音楽学校がまた、ここで出てくるのですよね。これ、調べてしまったんだ。笑。ドイツが生んだ唯一のロックバンド、スコーピオンズが歌ってたらしいし。このところ、ヒトラーが気になっていて、それともどこかでつながってくるのです。今日いただいた森山光章の詩とも関ってきそうです。

夢去りぬ」「夜のプラットホーム」、これらは服部良一作曲とあります。そうだったんだ。いい曲だなあ。編曲、門奈紀生。「オルガ」、「夜のバイオリン」これらもとても叙情的でこころをゆらします。麻場利華編曲の「ヴィオレッタに捧げし歌」 は明るく優しい調子の楽曲で、これが二曲目にあることに納得です。

2007年7月24日 (火)

現場、暑し。

まひるに現場に出ました。

朝七時半、ボスから電話があり、みんな出はらって自分もこれから現場に立つから、事務所に来たら、掃除をして伝票整理と二十日締めの請求書書きをしたら、お昼からちょっとだけ替わってくれない。とのこと。

ままままさかこんなに早くから現場仕事が入るとは思ってもいなかった。とりあえず、制服用のベルトとスニーカー、必需品です。それと日焼け止め。

代わったのは真昼の一時です。モデルハウス展示場に建築途中の物件があり、クレーン車の横に立たなきゃいけない仕事でした。でも、またまたぜんぜんひまで、というのは、暑いから、大工仕事をするひとたちが一時半まで休憩されていたからです。笑。もちろんクレーンも動きません。

しんしんと肺碧きまで海のたび

あまりのしーんとした暑さにこんな句が浮かびました。字がおおきくてびっくりしますが篠原鳳作です。はい。ぜんぜん関係ないです。じっとしていても汗がぽとぽとこぼれます。日焼け止めを乗り超えて溢れ出る汗って、ろ過されたきれいな汗だなあ。と感心して足元におちるのをみてましたが、「日陰にいていいよ」 と、やさしい○○工務店のおじさんは言ってくれました。そういえば、以前、鳥栖の現場で死ぬほどたいくつな警備をしたときも、おなじ工務店で、とてもやさしかった。(あのときは冬で、肉まんにお茶というおやつまで出して下さった。しごとは何もせずきょろきょろ散歩してまわったのにもかかわらずもうしわけないことでした。一流の工務店はさすがであります。)

夏の現場と冬の現場、さて、どっちがましかなあと比較しているうち、うちの会社の隊員さんが交代に来てくださいました。たったの三十分あっと言う間のたちんぼうでしたが、現場のつらさを知るには充分でした。冬がいいと思いましたね。逃げ場がないんです暑さは。

会社の事務所は冷房を入れていません。それもむべなるかな。現場仕事をしている隊員さんたちに申し訳ないですものね。窓をドアを開け放ち、風を入れれば、さほど暑くはありません。(風のある日は、ですけどね。)おかげでやせました。これが自然なバイオリズムだとおもいます。

2007年7月23日 (月)

黛まどか  その2

ちょっと気になってきました。
だんだん気になってきました。

『女流俳句集成』全一巻ってぶあつい本が出ています。当世二大俳人による編集で、阿部みどり女(しらない)から松本恭子(しらない)という人までけっこうな数おさめてあります。

でも。
なぜか黛まどかがないんだ。どうしてなの。

彼女は芸能人かもしれませんが、俳人です。人気もあって一流だと思う。

そらで覚えている黛まどかの句が二つあります。

 毛糸編む子を宿すとはどんなこと  まどか

 帰りにはなくなつてゐる豆筵     まどか

           「花ごろも」所収

糸の句、なんて素直な句でしょう。
子を宿すとはどんなこと。
それはたましいが「透明になる」ってことなんだそうです。
繭みたいにです。

2007年7月22日 (日)

現代俳句と女たち 8

 ― 現代俳句と女たち ―

 張形としての俳句  その八

           姫野 恭子

個人的な事を書く。昨年末に再就職した。
顧みれば私は専業主婦として四半世紀もの日を送ってきた。結婚後十年余の間に三人の子を授かり、家庭を守ることに必死であった。思えば偶然とは恐ろしいもので、三人目を授かったころに出合った俳句の力で、何とか今日まで生きのびて来られた気がする。
この四半世紀の変貌ぶりは、季語の「冷まじ」以上に凄まじく、魂を危うく持っていかれそうであった。気がつけばおもての繁栄ぶりとは裏腹に、内部はスカスカで何もない。見事なくらい何もないのである。

張形とは内部が空洞の陽物を指すが、女性俳句は”台所俳句”から解き放たれたのち、自ら”張形としての俳句”への道を歩んでいるように思えてならない。それがいい事か悪い事か、私は知らない。ただ虚子は一人静かに首を振るのであろう。

今回は、その台所俳句というものを学ぶ。
中村汀女の句をひもとくことにしたい。

 幼き日江津湖の塘にて盆踊りしぬ 五句
盆踊りやむとき塘は藻の匂ふ 汀女 

汀女の俳号は熊本の江津湖畔で育った清(すず)しい俳人にふさわしい。本名の破魔(はま)にしろ、浜に通ずるゆえ、中村汀女は水の匂いが濃い。この句の塘(とも)の字に注目してほしい。辞書にはない字である。堤のことをそう呼んだ。イメージ的に堤といえば池のようなものを、塘といえば艫(とも=船尾)を繋ぐ土手が浮かぶ。戦前の教育にあって今の私たちには喪れた豊饒な語彙を、例えようもなく惜しいと思う。

 今は熊本市だけれど、江津湖はやはり私にはもとの
 江津村がふさわしい。湖畔の人たちは、東遥かに
 阿蘇の山々を仰ぎつつ、田植、麦刈にいそしみ、その
 間に藻刈舟を浮かべ、夏に入る日は川祭の御神酒を
 湖に捧げる。私も朝夕湖を見て育った。走る魚の影も、
 水底の石の色も皆そらんじている。
 父母尚在ます江津湖畔に私の句想はいつも馳せてゆく

        (『汀女句集』 序)

   女一人を守りて春の舟行けり  汀女 

汀女は豊かな家で育ち、幸福な主婦としての一生を全うした女性俳人である。ホトトギスの高浜虚子からは星野立子と共に目をかけられ、いかにも良妻賢母型の雰囲気をまとう華やかな人であったようだ。時代的に石橋秀野より一回り上の世代に属する。この女流俳人のあけぼの期の女たちは、みな、社会的に裕福で(乳母に育てられた人が多い)、しかしながら世間的には苦労の多い生涯を送った人が多いのだが、汀女は、順境を順境として渡り切った類まれなる俳人であった。この事は決してたやすいことではなかったはずだ。

 なでしこや人をたのまぬ世すごしに  汀女
 初富士にかくすべき身もなかりけり
 外にも出よふるるばかりに春の月
 秋雨の瓦斯が飛びつく燐寸かな

 (これは、星野石雀、浅沼璞の両氏が偶然「ガスの生活史」の中で揃って挙げられた名句である。)
 
霜柱愛でゐることは踏めること
 夫と子をふつつり忘れ懐手

中村汀女は懐手の似合うハンサムな婦人だった。 

超結社俳句誌「九州俳句」146号より引用
  平成19年5月15日発行
   (北九州市八幡西区・中村重義編集発行)

※「ガスの生活史」・・・「連句誌れぎおん」(神戸市、前田圭衛子編集発行俳諧誌)でのアンケート特集記事。おおざっぱに日本の歴史をくくると、火をつかう生活は、ガスを得ることで近代を獲得した。その端境期を生きた証人である私たちは、記憶のなかから抜け落ちたがる貴重な前近代をしっかりと刻んでおかねばならない・・という意図のもと、れぎおんに集う俳諧人にアンケートを実施。それを前田編集長はていねいにまとめ、きっちりと誌面に記録された。だれも評価しないが、時の神様がおられ、俯瞰する目をもっておられるなら、これはすごい仕事であったとおもうだろう(笑)。ガス、厠、と二度もアンケート特集をさせていただいたことは、れぎおんとのつきあいにおいて、とても得がたい収穫だったと感謝しています。(ガスもトイレも昔の記憶は決して色褪せないものですね。)
 

大砲ラーメン本店

大砲ラーメン本店

いつも週末になるとうちの母とおば二人をあちこちの温泉に連れて行ってくれるいとこが耳を手術したので、お見舞いにいき、その帰りに五穀神社前の大砲ラーメン本店に寄る。いつも客が店の前で十人は待っている。その列に並んだ。そのとき写したもの。これ、なんでしょうね。
大砲ラーメン本店

並ラーメン450円をたべました。「昔ラーメン」もあるけど、昔ラーメンはあぶらっこいようです。小麦粉は純国産です。九州産と北海道産三種のブレンド。麺のかたさ、スープの奥深い味、こくがあって、なおかつあっさりしている。これはほんとに難しい味だとおもう。とってもおいしかった。ほんとに。ここにくるのはこれで三度目ですが、一番おいしかった。ごくふつうのラーメンが一番おいしい。叔母たちはそろって七十代ですが、うちの母をのぞいて皆、スープも飲んでましたもの。
大砲ラーメン本店

ものすごく客の回転率がいい。食べてすぐ次の客が入るかんじ。若い人が多いです。

久留米医大病棟から

久留米医大病棟から

古い病棟を壊しているところです。
久留米医大病棟から

方角が判りませんが緑が多いので篠山城址辺りかな。
久留米医大病棟から

かすんでいますが、筑後川と宝満川が出合うところです。

2007年7月21日 (土)

宮本百合子の背中

宮本顕治氏がなくなった。
ひょっこり妻の宮本百合子のことをおもいだした。
先週、「カギ裂きの直しかた」で検索したら、まっさきに出たのが宮本百合子の小説だったので、そのときからすこし気になっていたのだが。
藪秀野と山本健吉が学生結婚をしてまだ新婚のころ、夫妻は当時のインテリに流行の思想だった赤い思想マルキシズムにかぶれ、非合法の地下活動をして特高につかまり、ひと月ちかくも拘置所にいれられていたことがあった。そのとき宮本百合子も入れられていて、健吉に面会にきた秀野が百合子に頼まれてその太った背中を拭いてあげたというのだ。(じぶんでは手が届きかねたからだとかかれていた)。なんだか、つらい話なのにとてもおかしい。こういう感覚は、いまのお上品になってしまった日本人には通じない、直截な鈍感力で、とてもナイーブだとおもう。

BLUES

八女ー久留米間を何度も往復する。月曜ー金曜の通勤のほかに子の塾の送迎もやるときがある。そのとき、子は自分の聞きたい音を聞く。小学五年から六年にかけての一年間はずっとオレンジレンジばかり聞かされた。ラップが好きで、いまはSOUL'd OUT というグループを聴いている。で、当然私も聞いている。うるさいとしか思えない曲が流れるなか、うわ-!!と一曲新鮮な印象を残すのがあって、あとでこっそり確かめると「BLUES」http://jp.youtube.com/watch?v=UbaLSMR33Yg という曲だった。繰り返されるサビの歌詞部分とお経の部分(笑)と完全なせりふ部分のバランスがすばらしい。ひかえめなピアノの音、小刻みに入る空隙の音。ほんときれいな曲で、青い青いイメージ、海のそこにいるみたい。(しかし・・・うちの子は相当ませておるなあ)。

オルケスタ・アスロトリコが新譜を出したと麻場利華さんのブログhttp://chaorica.blog92.fc2.com/ で知りました。

みなさまもタンゴを聞いてみませんか。生の感情があふれ、開放されますから、意外なカタルシスを味わえます。副題「珠玉のタンゴ名曲集」、原題は・・・ちょっとそらでおぼえきれません。日本語で「健康、タンゴ、そして愛」です。すごい題でしょ。利華さんの解説では、タンゴの有名な曲名のもじりらしく、リーダーの門奈紀生氏が題をつけられたそうです。私はタンゴにまったく白紙の状態でありましたが、だんだん身体にしみてきたのを感じます。

オルケスタ アストロリコ15周年記念盤
SALUD, TANGO y AMOR〈健康、タンゴ、そして 愛〉
SOL-007 3,000円(税込)

『収録曲』
01 碧空
02 ヴィオレッタに捧げし歌
03 夜のバイオリン
04 夢去りぬ
05 荒城の月
06 夜のプラットホーム
07 イタリーの庭
08 ブルー・タンゴ
09 台風
10 花火
11 霊感
12 オルガ
13 郷愁
14 ラ・マレーバ
15 ラ・クンパルシータ
16 マラ・フンタ
17 エル・ネグロ・カンバンバ

ボーナストラック
18 ジェラシー
19 リベルタンゴ

お申し込み・お問い合せは、アストロリコのオフィス「ソルーナ」へよろしくお願い申し上げます。
メールアドレス:info@astrorico.com

法事のとき、アマチュアギタリストのおじと久し振りに話しましたら、この二年、腱鞘炎でギターをひけないそうです。家で連休に小さな音楽会をしていたのですが、そういえば二年やってません。気にもとめないでいました。父の弟は七十二歳くらいです。長崎の海上自衛隊で働き、定年後のいまは福岡にいます。都会はコンサートをたくさん見に行けるからいいよと楽しげです。こないだはチェロの生演奏を一番前でみることができて、そりゃあ迫力だったよ、汗びっしょりで。あんなふうに弾くんだと大変感動した・・と熱心に話してくれました。恭子ちゃん。兄とおんなじだよ。あんたのおとうさんは楽器はひかないけど、流れてるのはおなじ。歌が好きで上手やろ。っていってくれました。

おじさんの指が治ったら、また、うちで演奏会しましょう。

2007年7月20日 (金)

俗のほそみち  2

  俗のほそみち  2

        姫野 恭子

        熊本  松本 照子

 いわれなき胸の氷を滾らせる
 冬晴れのひとりが恐し影を見る
 早春や野に佇つ母の手は硬し
 癌焼いて椿の山は花ざかり
 はらからを棄てうすばかげろうの町にいる

この五句を読み、咄嗟に思い出したのは石橋秀野の晩年の句と、本誌の故野田田美子の花三椏の絶唱であった。あわてて手持ちの九州俳句誌の97号から129号までを出してきて、この俳人がどんな作品を書かれる人なのか調べる。すると次の句にであう。

 水底へつづく径あり秋桜
 水の里花の無情を流している
 河骨の片濁りして咲く日暮れ
 うす霜や山は歯ぎしりして曇る
 馬の目の寒き深さに近づけり

どの句も幽冥境を異にするぎりぎりのところにたって書かれている。ことに今回の五句はどの句も一点の弛みもない或る境地に到達している。

 冬晴れのひとりが恐し影を見る  照子

冬晴れや、ではなく、「の」で繋いだことで逆に句が切れを獲得してしまう不思議。うすぼんやり読んでいる頭に、冬晴れの精たちがぴょこぴょこ跳ねて、そのうちのひとりが「あら。ないわ。あたし影がない」と途方に暮れている図が浮かぶのだ。もちろん、そんな景ではなく、一人でひなたぼっこしているときの影のゆらぎにふと感ずるこわさなのだろうが。

 母と子に影冷えて来し風車  石橋 秀野
         
昭和21年 於・松江  五月

この句も似たこわさをもつ。何の影が冷えてきたのだろう。母と子の影がぐらつき、現し世は掻き消えて、そこにあるのは巨大な風車だけというようなイメージを払拭することができない。母と子にの「に」、冷えて来しの「きし」、この三つの「 i 音」が漠然とした緊張をしいる。

 早春や野に佇つ母の手は硬し  照子

ものの芽みながまだ固きなか、年老いて手の指が適わなくなった母が佇む。これは早春のと繋がず、字面に切字を投げ入れて、対照的な生の輝き ―芽ぐみの活力と、枯渇の衰退の美、とを慈しんでいる。一字たりとも揺るがない完璧な俳句である。
かように叙景句みたいにひそやかでありつつ奥深い人情を孕んだ句こそ、山本健吉のいう「純粋俳句」なのだろう。

 陽炎や日本の土に殯(かりもがり) 正岡子規

悼蘇山人の前書をもつ句で、昭和17年刊の「聖戦俳句選」で高浜虚子が採り上げている一句である。蘇山人は支那公使館書記官の息子で俳句仲間だったが、若くして病没したので、日本に埋葬したとある。事実なのだろうが、私には蘇山人の名から子規が創作した話に思えてならない。これもまた純粋俳句である。

 「九州俳句」131号より引用
   平成15年8月15日

※ 先日来気にかけていた正岡子規のかりもがりの一句がこれです。わらびなどどこにもありませんでした。かげろうのほうが、ずっといいです。

  

2007年7月19日 (木)

実踏

久留米祭りの準備委員会の人が、事務所にヘルメットを借りにみえました。きれいに洗ってしまっていたヘルメットから十二個ほどお貸ししました。なんに使うのですかと聞いたところ、「警察も来て、ジットウするんで、ちゃんとヘルメットもつけていないといけないんです」とのお答えでした。

じっとう?

じっとうというのはね。
漢字で書くと、実行の実に踏むという字。警察用語です。

と言われます。業界用語は難しいです。

(これ、なんのことかわかりますか。イベント警備の打ち合わせです。実際に現場でやってみることを「実踏」というそうです。)

今月から仕事が忙しくなってきました。それにつれてみな、真剣になりました。もはや以前ののんびりだらりんとした隊員さんたちじゃありません。きりりとひきしまってきました。資格試験の合格をめざして、本気が出てきたのを感じます。やればできるやん!!ってかんじです。いつか書いた、長崎出身のおじぞうさんは、すごいです。いつも模擬試験は百点。無口で年に一度か二度しかしゃべらないのですが、とてもあたまがいい。ただ、実技がまだへたです。笑

梅雨も終わったし(きのうは蝉が鳴いてた)、さあ、熱いあつい夏がはじまるぞ。私もがんばる。なんか、だんだん二級の交通誘導員の免許ほしくなってきた。電車見張りの免許とか指導員の免許とかいろいろあって、警備の世界はおもしろい。弱小警備会社がうようよで、なかにとても傑作な人たちがいる。ああ、いつかくわしく書きたいなあ!!

今日会った62歳の別の警備会社の女性ボス。柔よく剛を制すのお手本みたいなひとでした。おとこどもをやわらかくあごでこきつかって、じぶんでも人手が足りないときは夜間の警備にも立ち、ほぼすべての資格を持っておられ。パソコンもワープロもできる。この仕事が大好きって生き生きとしておられます。とてもかわいくてきれいな62歳、見た目、50くらいにしかみえません。マイボスの目のまえで、彼女からくどかれた。保険のあるウチにきませんか、と。(おそろしいひとだなとおもいました。)

2007年7月18日 (水)

現代俳句と女たち  4

― 現代俳句と女たち ―

   張形としての俳句   その4

            姫野 恭子

 雪こんこ手足ひろげて落ちるなり 
                中村 マサコ

根性ある浪速の川柳人・倉本朝世が賛を書いた(「どこまでがマサコ、どこからがマサコ」)中村マサコの百句が収められたアンソロジー『俳句百景4』(東京四季出版)を読む。作風も年齢層も多様な俳人が縁あって四十人、一堂に会したものである。東雲を洩れる燭光のいろのひかりの帯が、黒い大地に巻かれている表紙写真がとても印象深い。そして収録されている四千句(!)もの作品も、選びぬかれた句ばかりである。

略歴によると中村マサコは昭和七年福岡県生れ。五十七年、「天籟通信」入会。現在は「國」「豈」「九州俳句」に所属。筑後は久留米の俳人で、私も過日八女市の堺屋で半歌仙をご一緒に巻いたことがある。おっとりゆったり、美しいひとであった。作品も俳諧味よりは詩的情緒のにじむ繊細なものが多い。

冒頭に引用した一句は、百句中一番の句である。深く心にしみるリリカルな句だ。

故・折笠美秋の

 雨だれは目を瞠いて落つるなり  美秋

を連想させるものの、句の味わいはずっと南国的で開放的な屈託のなさがある。

 あざみ剪る玄界灘に膝をつき   マサコ
 風の骨ときどきささりあちこちささり
 産道につづくは青き麦畑
 キャベツの結球はじまる頭廢(しい)たるよ
 かたつむり折檻の音ふるさとは
 青いより他なし青い虫つぶす
 チャイナマーブル転げし畳を荒野とす
 桜前線さて私のいずこより

好みの八句を挙げてみた。どれも感覚的な句柄で抒情的な一本の詩として立つ。それは俳句の場合、きらびやかな衣裳、意匠をまとっている体であるかのようにも思えるが、にもかかわらず、「きゃべつの結球」の瞬間など、これまで誰も詠まなかった事を「頭廢たる」と捉えてみせたのは、やはり俳人の目以外の何物でもない。中村マサコは俳人である。

 かたつむり折檻の音ふるさとは  マサコ

      

 曼珠沙華また折檻の隣りかな  杉田久女

立風書房『杉田久女全句集』 第二巻より「秋雨日記」大正七年一月の「ホトトギス」に載ったもの。マサコの蝸牛に対するに、久女は曼珠沙華という強く毒々しい季語を取り合わせている。日記であり写生句であるとはいえ、久女の句はどこまでも強く、迷いがない。近代女流俳人で九州でのパイオニアは久女である。石橋秀野も久女に傾倒していた。(が、生前まみえたのは久女の弟子分の橋本多佳子であった。当時十歳ほど年長でまだ五十前の多佳子を「別れ蚊帳老うつくしきあしたかな」 と秀野は詠み、言い訳のように「老のうつくしき」という随想も書いている)。
杉田久女を想うとき、私は「張形としての俳句」 の鋳型にぴたりと填まる火のような魂を感ずる。さまざまの詩型のうち、俳句こそが最も大きな張形を要する。それを直感し、もっとも遠くまで意識を飛ばし、きっちり自分の気で充たしたその乾坤一擲のわざは、比類ない。

 谺して山ほととぎすほしいまヽ   久女

「九州俳句」(北九州市、中村重義編集発行)
    
143号 平成18年8月15日刊行より引用

※文中の折笠美秋の一句であるが、まったくの記憶からの抽出であることを断っておきたい。最初九州俳句に引用したときの記憶では、「雨だれは目を見ひらいて落ちるなり」だった。しかし、どうも漢字が違うような気がしてきて、みひらくを瞠目の瞠の字にかえてみたら、お、これだ。と思えてきた。こんないいかげんなことではだめなんだろうが、いつか出あうほんとの正解をたのしみにしていたいのだ。ちなみにこの句に最初にであったのは、谷口慎也先生の「連衆」(福岡県大牟田市)誌であったとおもいます。

※ 杉田久女ですが、『女流俳句集成』(宇多喜代子・黒田杏子編、立風書房全一巻)のなかにある作品を読んでいたら、ちゃんと看護婦をののしる句が採られていた。なんか、知己に会ったようで、うれしかった。こんな句ですが。

 芋の如肥えて血うすき汝かな  久女
  (看護婦をのヽしる句)

句を選んだひとは、正木ゆう子さんです。
   

2007年7月17日 (火)

現代俳句と女たち   3

 ― 現代俳句と女たち ―

   張形としての俳句 (3)

              姫野 恭子

 麨や兵隊後家と母呼ばれ   和泉 光栄

八月二十七日の第五十二回原爆忌俳句大会へ初めて参加した。十年近く九州俳句誌に在籍していながら、各種の大会へは一度も出たことがなかった。参加してみて、はじめて見えた。ことばの向こう側に生身の人がいることが・・・。私には当日聴いた語り部の人の生々しい体験より何より、会場に充ちていた独特の雰囲気や、階上の図書館で会った静かなたたずまいの被爆者のことが、強く印象にきざまれた。

この連載を書き始めていたからだと思う。入賞作品集の中から掲句が飛び出してきた。旧字の麦に少で「はったい」と読む、麦こがし。何となつかしい夏の季語であろう。まるでむせ返るような香ばしい匂い。口に入れるもの全てを自家製造していた昭和四十年代までの輝かしい原初の味が、ふいに私の身に蘇る。

「これ、とってもいい句ですねえ」

と、隣の席にいた女性に声をかけると、そのかたが作者の和泉さんであった。和泉さんは「私の母のことです」 とおっしゃった。美しい姿の女性だった。こういう偶然があるのだ。食物や生活に何ら混ざり物がなかったころ、後家差別もまたストレートなものだったろう。

     ◇

  私は一切の新しきものの味方である。
  否、新しきものそれ自身でありたい。
  何故なら、新しきものの中には常に必ず
  生命の核が宿ってゐるから。

     平塚らいてう 『円窓より』、大正二年

引用はしたが、私は平塚らいてうが苦手である。この精いっぱい肩に力の入った文章の「新しきもの」のところに「古きもの」をたとえ代入したとしても、全然差し支えないとさえ思う。同じく有名な「元始、女性は太陽であった」にしろ、元始女性は月であったと変えたとて何の不都合もない。そんな時代に今、私たちは生かされている。論はじゅうぶんだ。時代が進もうが退こうが、女性の生き方がどうかわろうが、肝腎要のものはなにひとつかわらない。

       ◇

 もしかしてみんな淋しいラムネ振る 山元志津香
 香水一滴けふ母でなし妻でなし    〃
 柊の闇をひろげて匂いくる       穴井 君子
 年毎に雪重ねゆく胸の奥        〃

山元志津香は岩手県生れ。連句俳諧誌「八千草」主宰で、実力のある書き手である。長い句歴がありながら処女句集『ピアノの塵』を出されたのは去年のことだ。肩肘はらぬ句柄は人柄そのもの、ありきたりな言葉で心にしみる句を幾つも書かれている。ラムネの句は、一見無邪気な詠みぶりながら、内包するものは底のない孤独だ。だが、だからこそ暗闇で目をみひらき、周りの人影に気づき勇気づけられ、みずからを奮い立たせているかのようだ。

穴井君子は天籟通信主宰だった故穴井太師の妻で、穴井太師より一回りほども年長だったことを、没後に師が編まれた穴井君子遺句集『絵本』で知る。太師に出会ったころの君子は戦争未亡人だった。激動の青春時代を生きた人のそのうちなる張形は、澄明でつつましやかである。

  「九州俳句」141号

        平成18年2月15日発行   

※ 参照 はったい粉: http://www9.plala.or.jp/vintage/hattaiko.html 

              柊:ヒイラギの花。文字通り冬に咲き、
        かそけき芳香をたてる。木のそばを
        通りすぎ、おもわずなんのにおいかと
        あたりをふりかえってしまうような。
                 http://www.hana300.com/hiirag.html

2007年7月16日 (月)

針仕事

子が制服ズボンに大きなカギ裂きをこさえてきました。自転車通学中、なにかにひっかけたんでしょう。針と糸と余り布でなおしてみることにしました。

職場ではひんぱんに針仕事をします。ユニフォームの破れを繕ったり、ワッペンつけかえ(胸と上腕)など。針に糸を通してぽちぽちと一目ずつ縫っていると、自然とこころがなごみます。ふしぎです。

※「カギ裂きの直しかた」検索で出あったブログです。

http://www17.ocn.ne.jp/~ps2005/sub038.html

このなかの五月だったかな。手作りのギャザースカート見てたら、中学生のころの夏休み、近くのホリシタさんって若いおばさんとこに行っては、子守をしてあげながら、洋裁を教えてもらったことを一気におもいだしました。夏休み、大好きでした。

もうひとつ、出会ったです。でも、カギ裂き、どこにあるの?http://www.geocities.jp/echigo_gifu/nikki.htm
かぎざきのなおしかた。
かささぎのなおしかた もしりたい。笑

2007年7月15日 (日)

祖母の命日に

一昨日は祖母の十三回忌でした。お坊様にお経をあげていただいて、そのあとは、矢部川城というところでみんなで食事をいただきました。

梅雨さなか、矢部川べりのそこは、とうとうとした黒い水明かりのなか、ゆらいでいるようにみえました。すぐ近くには、高橋甲四郎先生の御宅が見えます。先生はお元気だろうか。ふと心を去来するものがあり、先生のお父上の高橋昇博士の御命日も、たしか七月十日だったなあとおもいました。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_01af.html

わがやのハルエばあちゃん(明治29年生れ)は高橋昇博士とおなじ上妻尋常小学校に通っていたのです。先日、高橋先生のところに記念アルバムを持っていったとき、おなじ見開き頁にそれぞれの名前があり、写真もあるのを発見し、たいそう驚きました。明治三十年代のことですから、百年も昔の話です。もっとも、集合写真のなかのどれが昇博士でハルエばあちゃんかは、さっぱりわかりませんが。

そういえば、先月「虹の足」の題の記事に先生が下さったコメントが忘れがたく、それを無断ではございますが、ここに引用したいとおもいます。縁の微妙さというか、シンクロニシティの絶妙さにうなるほかありません。

息子さんの「図書だより」の、二番目の『評伝 ウイットフォーゲル』の名前と、翻訳者の「堤静雄」先生の名前に目を奪われました。
 なぜなら、堤先生が大学の先生たちと、「ウイットフォーゲル」の本を翻訳されているころ、私は同じように大学の先生(飯沼二郎、宮島博史)たちと「朝鮮半島の農法と農民」を出版していたのですから。
 そして、堤先生が拙宅にやってきて、「貴方が出版された『朝鮮半島の農法と農民』と、私が翻訳した『評伝 ウイットフォーゲル』とを交換しませんか」
という申し出でがありましたので、交換したことがあります。
 どちらも同じ厚さの本でした。
 そういうわけで、堤先生は時々拙宅に遊びに来て、私の父の記録を見ておられました。その記録のなかに、今から70年ぐらい前、ウイットフォーゲル氏と、私の父とが中国で会って、いろいろと研究上の会話をしている記録があるのを発見されて、堤先生は思わずうめきました。
「ああ、寒くなった。背筋が冷たくなってきた」
                    (高橋甲四郎)

※ 注記:私の次男の通う学校に堤先生は数学の先生としてまだいらっしゃるようです。(もっとも、むすこは知らないといいます。高校の先生かもしれませんね)。

張形としての俳句  2

 ー現代俳句と女たちー

     張形としての俳句  その2

                  姫野 恭子

 大花火何といつてもこの世佳し 桂 信子
                    (俳書カレンダー八月)

昨年末九十歳で亡くなられた偉大な俳人が最後に辿り着いたのは、大肯定の述懐句だった。大正三年大阪に生れ、結婚後二年で夫と死別。それからは自分で生計をたて、一人で生きてこられた。山本健吉の書いた簡潔な紹介文によると、昭和十三年に日野草城に師事して俳句の道に入る、とある。健吉の妻の石橋秀野の唯一の句文集『櫻濃く』 の作品も、同年に始まるので、その点でも注目した。

 ひとづまにゑんどうやはらかく煮えぬ  信子
 クリスマス妻のかなしみいつしか持ち
 山を視る山に陽あたり夫あらず
 ともしびのひとつは我が家雁わたる
 誰がために生くる月日ぞ鉦叩(かねたたき)
 ゆるやかに着て人と逢ふ螢の夜 
 ふところに乳房ある憂さ梅雨ながき
 中天に雁生きものの聲を出す
 子がなくて白きもの干す鵙の下
 臥(ね)るときのてのひら白く春逝けり

初期のころの作品であるが、静かな諦念が基底にあって、一句一句がそれぞれのドラマ性によって立っている。物悲しい放心の裡にも、俳句のかんどころをきっちりと掴み、心を捉えて離さない大衆性がある。殊に、有名な螢の夜の句とか、乳房ある憂さの句は、当時にあって最先端のエロス性にみち、俳壇ばかりではなく世間の注目をあつめたことだろう。しかし、ここで採り上げたいのは次の二句である。

 中天に雁生きものの聲を出す
 臥るときのてのひら白く春逝けり

この二句に、おんなとしての「身体性」を早々と断念せねばならなかったひとの悲鳴をまぼろしのように聞くのである。

      ◇

柳田國男や折口信夫の用いる民俗学用語の「美弓具良(みてぐら)」。それを子宮と捉え、古代人の「もどき」の文化の中で「扇」を論じた吉野裕子ー。吉野裕子に二十数年前に出会って以来、それまで欠けていた、陰暦に生きていた時代の人々の、言葉には出さぬ無意識界という下着が、少しずつ身に備わってくるのを感ずる。
美弓具良にしろ張形にしろ、弓が使われていることに注目したい。みてぐらは子宮のメタファーである。古代の人々の連想の中に、矢的(やまと)としての性交があり、生命を司る北斗の弧があったのではないだろうか。

      ◇

去年読んだ本で、思わず泣いてしまった本がある。三砂ちづる著『オニババ化する女たち』(光文社新書)である。そのなかにブラジルでの「授かった命は愛するという発想」 がある。望まない妊娠をした十代の娘を、一族郎党で励まし、一族中で新しい生命を待ち受ける社会の包容力が、ブラジルにはあるというのだ。偏見かもしれないが、身もこころも冷えびえとした日本の金持ちの結婚せぬ女たちに、ぜひこの本を読んで欲しいと思う。
とまれ、桂信子こそは、張形としての俳句の功徳で大往生を遂げられた。

 もの言はぬまま温みくる良夜かな   信子
 蝉の穴冥(よみ)へつづくはどの穴か  〃

 『九州俳句』140号より引用
        平成17年11月15日発行

2007年7月14日 (土)

山笠に、こんな台風の夜に

夫。

長法被を着て、雪駄を履いて、祭装束一式を風呂敷に包み、夜八時、まだ台風のかぜも収まらぬ中を、一路博多へ。

いかないのかとおもっていた。だって今朝は六時起きでもうすでに、中州川端の蕎麦屋さんに蕎麦を買いにいき、それをお得意さまに届けてまわる仕事をすませていたから。

そうだった。
あすは追い山だった。・・・徹夜だろうな。単身赴任中もずっと山笠には参加しているとは聞いてたけど、長く別居していたから、忘れていました。

俗のほそみち(7)

  俗のほそみち(7)

                  姫野恭子

「あちゃー。冬と夏では畝の立て方も違うち。知らんじゃったばい」と、『農耕と園藝』誌を読んでいた母がつぶやく。作物は日畝(ひうね)に育つ。その当然すぎることをハウス園芸ひとすじに三十年の母が忘れていた。ずっと苺を作ってきたが、腰もまがり、重労働に耐えられなくなり、足をあらった。現在は近くのスーパーの産直コーナー用野菜作りに父と二人で精を出している。楽しそうだ。

  野良じまい一言妻にありがとう 
           北九州   疋田 芳一

      

連句協会より会費の督促状が届く。今年は浪人生と受験生を抱えて、塾の送迎に追われている。ゆとり教育とは「こどもの教育は各家庭がお金も時間も使ってやるべし」ということであったのだと身にしみてわかった。昔はエンゲル係数、いまやエデュケーション係数が目の飛び出るほど高い。農民では食べて行けないので、いよいよパートに就くしかないだろう。学校は人間関係を学びに行く場、塾は勉強を習う場。学校の先生はお父さんお母さんの延長線上に存在し、塾の先生は教師として君臨する。子のなかで育つ、戦後日本の政治みたいなダブルスタンダード。なにかの過渡期だろうということだけはわかる。

  しあわせに見える石ころ蹴りにけり
             荒尾  萩  瑞枝

          

  聲あげて山河を朱くしてしまう
                    鹿児島  野間口 千佳

正字と現代仮名同居の句だが「聲」が全体の印象と響き合って、読み手は因果という時の法則を超える。そして朱色の残像、あるいは残響が山と河を往復し、作者と読者を往復する。季語はないのに、「もみいづる」とはまさにこういう作業をさすのだろうと思わせるちからがある。

  こゑあげてしまへばとめどなくて雪 
                福岡   伊藤 通明

馥郁としたエロスが、この句とも通じる。

          ◇

  妣からの歳時記使う千代女の忌 
                 北九州 松本 隆吉

妣(はは)という字の古典性。山本健吉におそわったことばである。亡母のことは「亡き母の」でこと足りる現代人にとって、まぶしい輝きを放つ言葉である。加賀の千代女は各務支考門下の十八世紀の俳人で、その忌日は九月八日。

        ◇

 落鮎の日に日に水のおそろしき  千代女

 朧夜の底を行くなり雁の聲     諸九

二句目の下腹にずんと来る有井諸九の句は凄いとしか言い様がない。千代女と同時代人で、九州から大坂へ不倫の恋の逃避行をした女性として有名である。
次の一句は、このふたつの古典に対峙させても怯まぬつよさをもつ。

 昼顔やはらわた熱き日は黙る
                          福岡    松尾久美子

   

『九州俳句』(中村重義編集発行)137号

   平成17年2月15日発行より引用

参照:http://homepage2.nifty.com/onibi/antho.html

2007年7月12日 (木)

出陣式

出陣式
出陣式
出陣式

えーっとですね。草木も眠る午後三時半、ねむくて仕事の給与計算をなんどもまちがえ、消しゴムで消しては計算機でやり直しをやっているときに、ジョームさんが突如、「いざ行かん。出陣式へ!」とおっしゃいました。この号令のもと、事務室にいた専務以下三名のもの(私ふくむ)は、ただちに鉛筆を放り出し、ささっと片づけて、外へ出ました。○○党の○○さんの出陣式が百年公園で四時からある予定でした。うちの会社はこの政治家を応援しています。

政治家の娘だった専務も、「政治家にとっては出陣式にたくさんの人が来てくれることが何よりの応援になるから、みんなで行ってあげましょう」と目を輝かせておっしゃいます。まるで、自分が当事者のようにです。笑

そこで、初めて出陣式というやつに参加しました。もう珍しくって、写真をとりまくりました。一番下は、郷土のえらい政治家、古賀誠議員の応援演説であります。出馬する議員さんはあいにく隠れて見えませんが、美しい奥様が少しみえます。最後尾の手前から二人目には鳩山邦夫さんとか有名議員の姿もみえました。夏の日がさんらんと差す剥き出しの場所で、じっとすわっていることは苦痛だろうに、汗を拭きふきじっと我慢の政治家たち。タフですねえ。

「反対することならだれにでもできます。今、この困難な状況にいかに立ち向かうか。それが問われているのです。」と与党の政治家は力強く訴えていました。

そりゃそうだよな。ほんとにかつてない危機だものね。と思いながら、手前の木陰になっている場に陣取っていた農協関連のきれいなブルーの幟旗をもって掲げている男達(青年部って書いてあったのにな)をつい何枚も写してしまいました。旗と、かれらの足元をです。(大靴の画像はアップしません。)

※ 最上部の写真、駐車場の上にみえる低い山こそが、筑後一の宮の高良山です。

宮部鱒太と北原志満子

宮部鱒太と北原志満子を読む

  ー 入れるより抜くこと難し ー

人に気を遣うのがいやだ。意地でもおべんちゃらなど言うまい、こと文芸に関しては。たとえ相手がどんな大家であろうとも・・・。
「宮部鱒太自選句集」と北原志満子「つくし野抄」を読み、感じたことを話したい。たまたまお二人とも大正六年生れとあり、学生時代から俳句に親しまれているという共通項を有しておられる。優に私の生きてきた時間を超える句歴の持主であれば、若輩者がどんな乱暴を言ったとて、ふふんと聞き流してもらえるに違いない。

       ◇

宮部鱒太を師と仰ぐ俳人から、聴いた。
「これまでに出会った誰より立派な先生です」と。人格高潔にして志高く、ふところの深い先生らしい。しかし、そんなことはどうでもよい。人格が怪しい人でも、作品は別格だからだ。どこまでも根性の卑しい私はそんな独り言を言いつつ頁を繰る。と、野田遊三氏の句集賛がはらりと落ちた。それをつい、読んでしまったのが運のつきである。高位の人の句は、高い視野に立つ読者を得て、初めて本懐を遂げるものらしい。私などの俗人の入り込む隙はないのだろうか。・・・・それでも、読む。

 雪の火山にまむかい男ばかりの墓  鱒太

集中最も鮮烈だった。前書が欲しい一句である。景が歴史の霧の中からくきやかに立ち上がる。明治維新の頃の賊軍と呼ばれた者たちの墓だろうか。雪の火山が絶妙だ。地位も名誉も求めず、自らの信ずるもののために命を捨てた男たちの墓。その地に立ち、足下からつき上げてくるような力を感じている宮部鱒太。「どうして、武士の身体と心を格好いいと思ってしまうのだろう」。私はミーハーらしく、この語(若者向けに書かれた日本古来の武道家とバガボンドの漫画家との対談本の帯です。なんてはだかのことばだろうと単純に感動した。「武」宝島刊)をつぶやくことにする。

 じゅうたんを走るお通夜のにぎりめし 鱒太

すごい!軽快なフットワークから繰り出される、生き生きとした無常句。私も絨毯(冬)で一句詠んだ事があるが、こんな面白い句は初めて見た。立派である。座五の熊本らしい質実剛健ぶりが光る。都会だと下手すれば「握り寿司」だったりする。

 朱夏の湯に古きふぐりを沈むるよ  鱒太

古きふぐりには古き摩羅が付いているのだろう。朱夏の湯との鮮やかな対比、哀感と無常感をたたえた男にしかよめない句。

 戦友は別のさくらをみていたり  鱒太

随筆「戦場の句会」を読み、やはり戦場を体験した人には適わないと思った。これは、山下淳の「流域雑記」にも感じたことであるが、胎のすわった自在な精神がもつ品格なのだ。

 戛 戛 戛 赭い正月さんの来らす 鱒太

一巻に方言の句が数句、そのうちの一つ。熊本弁の「来(こ)らす」は筑後弁の「来らっしゃる」同様、尊敬語である。正月さんは赤だとは、陰陽五行の思想、一陽来復のおまじないだ。かつ、の文字、あかの文字。教養がまるきり私たちとはちがう。漢文を知っている世代の語彙の豊富さ。

 百歳の祝いの餅はおそろしか  鱒太 

数え百で没した私の祖母が晩年口癖のように言ってた。「手取らんで往かやんばってん。」

 花大根帰るところがあるような   鱒太 

     

ところで今年の春は熊本の有名な一心行の桜を見にゆくはずだった。それが行けず、京都と奈良の桜を見る羽目になる。石橋秀野生誕の地(天理市)と晩年の地(下京)を尋ねたからだ。一度も訪ねた事もない土地の事を想像で書いていた引け目が、発作的な旅へと駆り立てたのである。お金がなくて、東本願寺横の寺の宿坊に泊る。一泊四千円弱。京のどまんなかなのに、夜はタヌキが出るような所だ。浴槽の栓が壊れていて、湯が漏れてゆくため、常時湯を継ぎ足していた。自然循環式のその風呂に寝釈迦の格好で横たわりつつ、人の一生もこんなものかなと哲学的なことを考えた。柳川のウナギ屋の秘伝のタレみたいに、減った分を常時継ぎ足し継ぎ足しして。

宮部鱒太翁の作品集を読んだのちに、北原志満子「つくし野抄」を読んだのだが、余りにも手法が違っている。それなのに、読後感には共通の意思の真澄みみたいなものを感じ、俳句は手法ではないなあと思ったことだ。

  ひとり来て万朶の花に顔さらす 志満子 

万朶の花の視線を老い一身に蒐め、何も恥じることなき一生(ひとよ)の顔を上げる。「顔さらす」とサラリと書かれたが、まるで真剣の相手に木刀で応じているような気の「抜け」を感じる。入れるより抜くことかたし何事も。この余裕、宮部鱒太とおなじ精神世界である。

 僧の暮らしに水木幼く花つけて 志満子

佐賀の町を歩くと、独特の気風を感ずる。駅の近くの通りを晩春に通るとぎょっとする。紅白の餅のような花水木が交互に灯っているのだ。慣れるまで、そのセンスを疑った。まるで花笠音頭みたいな町だ、と。次に夜出歩く。するとまだ早いのにシャッターが下りている。欲のない街だ。葉隠れの里のあるところだし、物よりも精神力重視の町なのだと実感する。

 田に曳かれし馬たちの道栗の花 志満子

畦道の倍の広さの農道は、個人所有ではなく、公道であった。そこを馬たちが田へ曳かれていった。公道であるから、ふつうの畦のように豆や菜種は植えられなかった。栗が一本。

 苗代ぐみの三粒を花のごと手折る  志満子

「苗代ぐみ」が分らぬ。夏ぐみのことと思う。志満子氏の過去に百姓をなさったことがおありか聞いてみたい。戦中派ならおありであろう。私は最近初めて「溝さらひ」をした。百姓の父母の不在でやるほかなかった。長靴のまま水の流れる水路に入り、草刈をしたり、底のゴミを上げるのだ。米つくり農家だけに課された毎年田植え前の行事である。膝上まで濡れつつ水草や土手の草を刈っていると、グミの実に気づいた。棘のある低木だ。懐かしくって、花のように手折り、お尻のポケットに挿して持ち帰り、子どもにも食べさせた。・・これが「苗代ぐみ」か。

総じて淡くて軽い日常詠ばかりで、かつて穴井太先生を唸らせた一句、

 米一俵ほどの満月老婆の旅  志満子

と並ぶような力ある句は見当たらぬ。しかし、老いるとはかくのごときものかもしれない。

 背振峯の秋むらさきに町果てる 志満子

※ 参照「俳句往還」 206頁、 穴井太著1995年。

「九州俳句」135号、平成16年八月十五日発行より引用。

追記)

ひとり来て万朶の花に顔さらす

この句のよみですが、いまは上記のよみとは全くちがう感慨で読んでいる自分に気づきました。読み返せば、この文章はなんと偉そうで横着で傲慢で高飛車なのだろう。。読むに耐えません。それが一番あらわれているのが、この句への読みでした。はづかしいです。北原志満子先生、お許しください。そうです。この句は、まさに、こういうときこういう想いから出る一句なのではないかと思います。

2007年7月11日 (水)

麩まんじゅう

麩まんじゅう
麩まんじゅう

これ、ふまんじゅうっていう和菓子です。麩というのは小麦のタンパク成分なんですって。褐色のふにふにした皮の中に上品な味の小豆の漉し餡が入っていまして、それを笹の葉でくるんで蒸したものです。
先日東京の九段での連句の座で出していただいたのがこれでした。初めて食べたのです。前田先生が絶賛なさって、大好物だっておっしゃって。へえと思いました。ほかにも八女で「いげの葉もち」とか「がめの葉もち」とか「よど饅頭」とかいう呼び名の山帰来の葉でくるんだ蒸し饅頭もありました。懐かしくて、その葉をなんとよぶかという談義を、それらの和菓子を持ってみえた岐阜のららこさん(とってもきれいでセンスのいい、すてきな女性です)としました。岐阜の和菓子屋さんっておいしいの作られますね。素朴ながら、ほんものの味がしました。

さて、久留米でさがしてみたところ、ありました。
ゆめタウンのなかの如水庵に麩まんじゅうがありました。わわわ、ある!ってさっそく買ってきて食べてみました。おいしかったです。へろへろのふにふにです。似ているものを探せば、ういろうにやや食感が似ています。

笹の葉は蒸しても青いままなのですね。ふしぎです。サンキライの葉は蒸せば褐色になりますからね。

2007年7月10日 (火)

俗のほそみち(4)

超結社の俳句季刊誌「九州俳句」誌(北九州市八幡区・中村重義編集発行)に連載させていただいた文章から、幾編かをお盆にかけてご紹介したいとおもいます。

じつは、岡井隆の『赤光の生誕』に、蕨とその寓意が述べられているくだりがあって、それを読んでいたら、以前「俗のほそみち」に自分が引用した正岡子規の句、「早蕨や異国の土に殯(かりもがり)」(この句の記憶もあいまいになってきました。日本の土に、だったかもしれない。というのは、外交官の中国人の友を悼む句なんですよね、これは)についての読みを訂正しなければならないんじゃないかと気に掛りだし、確認しようと、その句の引用がある号を探していたら、とうとう見つからず、そのかわり、懐かしい内容の文章に出会え、これも縁だと思い直して引用する次第です。倉本朝世さんの句が出てきたり、長崎が出てきたりします。では。

  俗のほそみち(4) 

 空母ゆく億の水母をしたがえて  朝世

     「 NO  MARK」2号より

 やられた。やはり倉本朝世は一流の川柳書きである。しばらく休筆するといいながら、、競輪の予想紙記者の傍ら、ちゃんと句も書いていた。この句は川柳でありつつ現代俳句最先端ともクロスする。空母は巨大な体をもてあます軍事大国アメリカであり、そばに浮遊する数多のくらげは、一蓮托生の英国であり、日本であり韓国であり・・・というイメージが沸き起こる。しかし、それはむしろ二次的な解説でしかない。真の魅力は、空母と水母のシンクロにあるからだ。EVIL=悪がLIVE=生の逆文字であるかのように。そんな力を、この一見能天気な句は秘めている。

       ◇

栗提げて先生あたいを買いにくる 恭子
  電気ポットの夢ばかり見て   朝世

       ◇

 長崎原爆忌平和祈念俳句大会は私の生まれた昭和29年に始まったのか。丁度50回の年に初めて賞を戴いた。嬉しかった。しかし、

 原爆忌もつとも遠き黒鍵鳴る 恭子

もっとも遠き黒鍵とは何なのだろう。選句にけちをつけるのは横着なことだが、次の

 ヒトに生(あ)れ溢れし母乳原爆忌  
           福岡市 松尾久美子

なぜこんないい句に一点も入らぬのだ。選者には母親たちの号泣が聞えなかったのか。蛍になって帰る兵士だけが優遇されている。私は、死んだ赤ん坊を抱いたまま裸で仁王立ちし長い髪を逆立てた、この世のものとも思えぬ母親の姿を連想した。あるいは沖縄戦末期に、自決するより術なしと見た母たちがわが子に手をかけざるを得なかった悲劇を。

       ◇

 シベリアも戦もはるか星光る  
        佐世保  木原不二夫

       ◇

 ×月×日。朝。親類へあいさつに行く。長男がシベリアからかへつたのである。泊つてしまふ。秋蚕(蚕は正字)のそだつ音がしぐれのやうである。

 秋蚕はや繭に入るべき夜の星屑 

 繭の中もつめたき秋の夜あらむ

(詩誌「母音」8号、木下夕爾「日記抄」より)

      ◇

 戦争にがっしと襟首を摑まれてしまった。先日わが赴任夫に呼ばれ、熊本の菊池神社を訪ねる。資料館で見たいものがあるという。菊人形の菊池一族を横目で見つつ入館した。夫は何が見たかったのか、私は大変なものを見てしまう。秀野ノートを書いている時、心を寄せすぎたのかもしれぬ。出口で見たもの、それは松尾敬宇中佐の遺品であり、母刀自の歌であった。人間魚雷としてシドニー軍港で散華された、「軍神」の一人である。あれを見て、平気でいられる人があろうか。 

         (「九州俳句」133号より)

    平成16年2月15日発行

2007年7月 9日 (月)

灰桜

 灰桜てふ色ありぬ風の盆   秦 夕美

灰桜。うっすらと桃色ががった灰色なのだろうか。
すこし胸がいたくなるような、せつない美意識。
さきほどまでここに慥かにあったのに、いまはないものへのいたいほどの憧憬。
この句はなにもそんなことは言ってはいない。が、そんな想いをせつせつと感受する、かそけき気配の句である。

2007年7月 8日 (日)

子ツバメ

子ツバメ

西鉄久留米駅舎のものです。
子ツバメ

勤め先のビル一階の軒下のです。まだとても小さかった子つばめが巣から落ちて怪我して泣いていたのを、やさしい隊員さんが拾って、近くの鳥類センターへ届けたことがありました。

神の目

Fw:Fw:FW:Fw2:HAPPY
かぐや姫から昨夜遅く届いた幸福の手紙です みなさんにおすそ分けいたします だれだ!お父ちゃんの充血した目だろなんていうのは

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お友達から不思議なメールを頂いたので転送しますね☆彡↓

from NASA Hubbell Telescope. Make 7 wishes. ナサのハブル望遠鏡撮影 「7つの願いをこめて」「この写真はナサの天体望遠鏡で撮影されたもので、3000年に一度と言われている大変珍しい現象です。これは「神の目」と呼ばれています。この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわ れており、見るものがこれを信じる信じないは関係なく、7つの願いが聞き届けられると言われています。 とにかく試してみて、どのような変化があるか、見てみてください。」 この知らせを、「そのかたの願いが叶いますように」と思いを込めて、たくさんの方にシェアして下さい☆自分だけで独り占めはしないこと。今日から七日までが最も強いパワーだそうです

(^_^)kazuko(ここにネコの絵がありましたが転換不能)

2007年7月 7日 (土)

河べりのジムで

河べりのジムで
河べりのジムで
河べりのジムで

久留米の高良川は北へ流れていき、合川町で筑後川に合流します。地名ってそのまんまですね。八女だと星野川と矢部川が合流するのは柳島、祈祷院のあたりです。この祈祷院には文字通りお宮があって川祭があります。こどものころはひょうたんのかたちのお守りを夏にはどの子も首につけていました。ときにはひょうたんの中に入っているお札を飲ませられました。おぼれないように、と。

こどものころは野蛮なあそびをたくさんしました。かえるを餌にしたざりがに釣りや、蜘蛛の巣を棒の先にあつめて、それに蝉をくっつける式の蝉取りをよくやりました。夏になるのが待ち遠しくて、学校から帰ったらすぐかばん放り出して川へ泳ぎに行ってました。

いま、むすこがそうです。すでに五月ころから川で泳いでます。中三になって受験生ということでよりも去年いためた膝の軟骨のこともあったのか、サッカーをやめたのですが、急にボクシングがしたいと言い出しました。探してみたら久留米にありました。実戦用のジムらしいです。空手やロシア軍であみだされたなんとかいう武道やフィリピン軍や警察がとりいれているというなんとかいう武術(ごめん、すべてなまえを忘却)など、いろいろ教えてくださるみたいです。男の子はだれよりも強くなりたいんですよねえ。先週から自転車で塾のない日に通っています。いつでも行けて、月謝もそう高くありませんでした。写真の最上段は家族会員の親子ー父と息子です。聞けばむすめさんじゃなかった。笑

2007年7月 5日 (木)

うごかない

うごかない

農道を走っていたら、老犬が道のまんなかにうずくまって動かない。困ってしまって車をおりて、おまいさん。あっちへいっておくれ。と頼んだけれど、こいつは知らんふりをするのです。目も合わそうとしないのだ。

うごかないなら仕方ないと、おもたそうなお犬様を抱えようとしたまさにそのとき、ジャニーズ系のかっこいいおにいさんがどこからともなく現れて、この犬は噛み付きますから。あぶないんで。ぼくがひきつけてますから、どうぞ。

って言って、あれよあれよと言う間に、問題なく犬を手なづけてうごかすと、くるまを通してくれたのであった。(きっとあの犬は雌だ)

2007年7月 4日 (水)

目のやり場

東京で移動するとき、電車に乗った。ときに間違え、逆方向のにも乗った。前田圭衛子先生と上野から四谷まで、途中秋葉原かなんかで乗り換えながら、ともかく大久保風子さんのご親切な案内図どおりに乗ったとき、およよ。目の前方ななめ四十五度の角度のあたりに、うわあー抱き合っている!おとこのことおんなのこ。はずかしい。公衆の面前でかくも堂々と真昼間から。前田先生と、目のやり場に困りますね、といいながら、ちゃんと見るべきは見てたというかな。笑

そのとき、先生の前に立っていた初老のおじさんがぽつりと言った。まったくちかごろのわかいもんは。みせつけてやがるもんなあ・・。

先生は、ほーう。さすが東京だわね。大阪じゃまだ見ません。こんなはずかしい国になってしまって。兵隊さんに行って精神を鍛えてもらってた昔のほうがよかったですわ。・・と独り言をおっしゃっていた。

きのう辞任した防衛相のひとのよさそうなお顔が、いま、なぜかぽっと脈絡なく浮かびました。

2007年7月 3日 (火)

ほととぎす

 ほととぎす

俳諧みなと座    上野にて

出詠句

いにしへを恋ふや雨夜の時鳥 
電話鳴るからつぽの交番杜鵑かな
小板橋なほ揺れやまず時鳥
午前五時畠に立ちをり時鳥
あかときの一声高き子規
からくりとなりて時鳥来る上野
吊橋の揺れに身を置くほととぎす
ほととぎす黒雨切り裂く未明かな
有りや無しや上野の森の時鳥
ほととぎす射矢は一点見据えけり
時鳥深夜の回転扉押す
寂寞の都の雲やほととぎす
襖絵は青不動なりほととぎす

 有りや無しや上野の森の時鳥 佐藤榮一

上野の森にいるのかいないのか判然としない幻の鳥への挨拶句である。と同時に、れんじゅうへの挨拶句、問い掛けを発することで対話をしている句でもある。独白にみえてこころ開かれた一句。平常心で書かれつつ丈高い一句。

互選二句でしたが、選が割れた。さばきの前田先生の選で、これが発句にきまる。私の選句でも雨夜の句(伊藤眠)とこれでした。すなおだなと感じた。上野の森を散策したとき、清水観音堂の禰宜さんにほととぎすがいますかと尋ねた。カッコウなら確かに聞いたが、時鳥はまだ聞いていないという正直な答えをいただく。それはまさに有りや無しやという問い掛けを発したくなるお答えでした。参加者に俳人が多く(伝統系と現代系と錚々たるベテランの)、多彩なほととぎすの句が出ました。表記ひとつでもいっぱいあります。驚きました。さらに驚くのが、これほどの句を出させる季語でありながら、その声を聞いた人があまりいないという事実でした。私もCD鳥の声で聞いたけど、いまだよくわかりません。

ほととぎす

遅刻坂連句会   九段にて

防人の歌届けしや時鳥
窓も戸も開け放ちたりほととぎす
ほととぎす聞きしは夢か明けの空
保育所に吾子の姿よほととぎす
ほとほとと陰もの哀し時鳥
返信は「応」とあるのみ不如帰
靖國に眠る御霊やほととぎす
ほととぎす追ひ求めしは夢一つ

互選では防人句(塙於玉)が一位であった。しかし、板書された句をみておられた前田先生の一声で陰(ほと)句に決まる。
これは女のもつ哀しさをよんだ句ですよ。とおっしゃる。
前の晩、寝るまえに前田先生とお話ししたことが、ヒントになった句です。これを出せたのも、前田先生が捌であられたからで、ほかのさばきであれば、躊躇した。れんじゅうの皆様が、エリート中のエリートばかり(日比谷高校同窓生軍団)と伺って臨んだので、知に対抗するにはエロスしかない。と思った。とっていただけて、うれしかった。師にお褒めいただけるのが一番うれしい。

萬有陰力にかんぱい。

2007年7月 2日 (月)

連句みち  その1

東京へ行き、前田圭衛子先生のおともで二つの連句会を土日とはしごしてきました。ひさしぶりでした。先生と座で連句を巻くのも、おともをするのも。

先生はやはり、空前絶後の前田圭衛子であり、前人未到の前田圭衛子でありました。先生に出会っていなければ、私は今の私ではありえなかったとおもいます。人からどんなに思われても、私自身であることに耐えられる自分でいられるのは、この前田先生のおかげです。先生だけがこんな横着なわたしを認めて下さったし、大切に育ててくださいました。まことに有難いことでした。

連句作品の読み方も巻き方も、人との付き合い方もすべて、先生が教えてくださいました。もっとも、私は相変わらずおべんちゃらもおあいそもいえず、ひとのいやがることばかりいうヤな奴のままなんですが(これはですねえ・・分る人には分ると思うんです。あいてを測っているというかなあ。あいてのはらのおおきさを)、それすらも先生は面白がって許してくださいました。恭子さん、なんでもあなたの好きなことを好きなように書いていいんでっせ・・と言って。

そのことばにどんなに励まされてきたことだろう。俳句みちはいばらだらけのつらいみちでありますが、連句みちは、多義的で、なんでもありの楽しいみちでありました。

上手は下手の手本
下手は上手の手本

の世界が連句の世界でありました。
照らしあうのです。互いが互いを。そこでは、なんでも存在できます。私のようなきらわれっこもいじめっこもです。

2007年7月 1日 (日)

九段下

九段下
九段下
九段下
昨夜は前田先生と四谷駅前の宿に泊まり今朝9時半から九段生涯学習館で歌仙を巻きました 昨日の発句は二句とも没だったのに 今日は採ってもらえた 靖国神社に手を合わせました 2日間連句漬けでどこへも行けませんでしたが やはり前田圭衛子捌きはすごいと思いました 勘と愛があるんです
みなと座の若き座長の伊藤眠さんそして松本杏花さん、遅刻坂の大久保風子さん初め素晴らしき連衆の皆様、大変お世話になりました ご恩は決して忘れません

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