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2007年6月25日 (月)

虹の足

机まわりを片づけていたら、むすこのプリント類が大量に崩れ落ちてきた。捨てようと確認していると、二枚のプリントに目を奪われる。

図書便り。高橋甲四郎著『バルビゾンの道』が紹介されているではないか。いわく、著者の高橋先生はこの学校でも数学の先生として赴任されてました。この本は先生の日ごろの考えと息遣いが伝わるすぐれた本です。みんなのお父さんやお母さんにもたくさん甲四郎先生に習った人たちがおられることでしょう・・。と、そんなふうに紹介されていた。たちまち甲四郎先生のおかおと、毎朝お散歩されている道とがいっぺんにこころに浮かんできた。

 バルビゾンの道まみどりに朝焼けて  

矢部川沿いの道、バルビゾンの道。その道をてくてく歩いていかれる先生のお姿。みどりという先生のおくさまのお名前。山本健吉の母上と同じ名。翠と緑はどう違うのかな。きっとかささぎの風切羽の色みたいに微妙に違うのだろう。そんなことをいろいろと思わせるバルビゾンの道。

図書便りには、もう一冊、社会科学の大家の翻訳書もとりあげてあります。

『評伝 ウイットフォーゲル』 

G.L.ウルマン著・亀井兎夢・監訳(協訳・堤 静雄)

この協訳の堤先生は学校の数学の先生だそうです。その先生が翻訳のきっかけをこう語られています。

 世界で最も早く発展したのは、黄河文明・インダス文明・メソポタミア文明・エジプト文明だと、子供の頃に習いました。しかし、それらの地域はいずれも今は文明の先進地域ではありません。私は、そのことが不思議でなりませんでした。
 高校や大学の歴史の授業でも、その理由を習いませんでした。ところが歴史を勉強していて、世界史の比較研究をしているウイットフォーゲルという学者が、その理由を明らかにしていることを知りました。
 しかし、学界では彼の研究は認められず、伝記があるのに、それを日本語に翻訳する人もいないのでした。
 そこで、仲間とともに4人で伝記を翻訳することにしました。翻訳は予想をはるかに越える難しさで、困難を極めましたが、4年半もかかってやっと出版できました。この本が「図書新聞」で高く評価されたときは、翻訳の疲れも飛ぶ思いでした。長年の疑問を解決してくれた学者の伝記を翻訳できたとは何という運命でしょう。(堤 静雄)

私の目を引いた、もう一枚のプリントは、国語のテスト問題である。教師の手作り風の。その手書きプリントに使われていたのは、吉野弘の詩「虹の足」であった。すばらしい詩です。漫画「蟲師」にもよく使われる虹を思わせ、森本太郎の詞「青い鳥」も思わせ。これも引用するはずが、時間がありません。弁当をつめないといけない。あした、続きを引用します。

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コメント

私が昨年秋、甲四郎先生にメールしたのは、送られてきた鳥栖高校同窓会誌に「バルビゾンの道」が紹介されていて、著者の名前を見た事がきっかけです。
即、先生のお名前で検索し、HPとメールアドレスを見つけました。
その同じ時期に、himenoさんが、「海軍橋」で検索して、私のHPにコメント下さったわけです。

検索システムってすごいねぇ。

 息子さんの「図書だより」の、二番目の『評伝 ウイットフォーゲル』の名前と、翻訳者の「堤静雄」先生の名前に目を奪われました。
 なぜなら、堤先生が大学の先生たちと、「ウイットフォーゲル」の本を翻訳されているころ、私は同じように大学の先生(飯沼二郎、宮島博史)たちと「朝鮮半島の農法と農民」を出版していたのですから。
 そして、堤先生が拙宅にやってきて、「貴方が出版された『朝鮮半島の農法と農民』と、私が翻訳した『評伝 ウイットフォーゲル』とを交換しませんか」
という申し出でがありましたので、交換したことがあります。
 どちらも同じ厚さの本でした。
 そういうわけで、堤先生は時々拙宅に遊びに来て、私の父の記録を見ておられました。その記録のなかに、今から70年ぐらい前、ウイットフォーゲル氏と、私の父とが中国で会って、いろいろと研究上の会話をしている記録があるのを発見されて、堤先生は思わずうめきました。
「ああ、寒くなった。背筋が冷たくなってきた」
 なぜこういう言葉を吐き出されたのか、今もって分かりません・(人は、何か大きな事件に出会ったり、怪物を目撃したときに、こんな言葉が出るのでしょうか?)
 

唸るほかはありません。
さくらさん、甲四郎先生。
原点に立ち返るようなコメントを、それぞれにありがとうございました。
偶然なんて一つもないですね。ちいさな出会いの積み重ねの上にいまがある。忘れかけていましたが、海軍橋という言葉で検索するためには、一昨年の夏、ナガサキ原爆忌俳句大会に出席しなければならなかった。そこで出会った長崎の俳人たちと交友が持てたおかげで、このことばに出合え、利華さんやさくらさんにもめぐりあえました。そして、ちょうどのタイミングで高橋先生にもあえたのです。

私が先生に出会っていたのは、35,6年も前の福島高校時代ですが、一度も担任になられたわけではなく、また、数学を習った記憶もないのです。ところが、半年入っていた新聞部の顧問でいらした。
今朝、五時おきで引用したものは、中三のむすこが通う私立中学のもので、甲四郎先生はたしかにあの父上の大著の原稿を飯沼二郎先生と編集者とに見てもらわれた日日、その学校で数学を教えておられたと『父の遺稿』に記録しておられます。
わたしがこの文章にひきつけられたのは、そういうこともですが、この翻訳者の先生が正直に述べられたことばにひきつけられたからです。
この文章をよんで、この本とこの世界的な歴史学者の本が読みたいなあと思いました。ほんとに、なぜ、大国はほろび、おなじところには二度と大輪の花は咲かないのでしょうか。文明とはなんでありましょうか。いまこそ、それを真剣に考えなければいけないんじゃないかと思われてなりません。

高橋昇博士が生涯をかけて研究されたその意味合いと、ウイットフォーゲルという大家の研究とは、本質的に通底するものがあるんだとおもいます。まだ、ぜんぜんウイットさんのを読んでもいないのに、こんなことを言う自分がおそろしくもありますが。
朝鮮の農業は朝鮮古来の農法でやるのが最もいいんだと断言した高橋昇博士。ウイットフォーゲルさんがどういう結論を導き出されたかをまだ存じ上げないのですけれど、・・・
甲四郎先生。
お書きになったお父上とウイットフォーゲルさんとの中国での出会いと、それを研究するものがそれぞれ八女という地で不思議な出会いをした。これ、運命の出会いのエピソードとして、長く記憶することにします。ありがとうございました。

この出会いはhimeno力の強さからもきてると思います。
今回だって、息子さんの崩れ落ちそうなプリントから拾い上げて、読みふける母がいなければ、このつながりはわからなかった事。

「ああ、寒くなった。背筋が冷たくなってきた」

今私は、この言葉をそっくり味わっております。
別件ですが、「父への手紙」を遠く海外から読んだ人がいて、(その人はhimeno力に負けずとも劣らない女性)その人の力で、この夏本が1冊出版されます。
出版されたらそのエピソードは紹介しますが、そんなことがあるの?と言うくらいの事です。

さくらさん。すごいですね。本が出るの、楽しみです。一冊の本を出すのに働く縁のちからってすごいです。ひとのはからいをはるかにこえます。

きょうここへいらっしゃった方、ありがとうございました。わたしは、昨日、このこうしろう先生の書いておられたコメントの内容をふっと唐突に思い出して、そういう、鳥肌が立つような偶然が、この世にはいくつかあるんだよなあ。とおもったことです。
もう一度よみたかったところを、ここよとばかりにブックマークしてもらった気分です。ありがとうございました。
こうしろう先生はお元気かな。
こないだ、八女のエーコープの駐車場でチラッとみかけた。お一人で、家事をなさってお食事も作っておられるんだとおもうと、わたしもがんばろうと思います。どんなことでも、耐えられるとおもう。うん。

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