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2007年6月 7日 (木)

奥医師青木しゅんたい

奥医師青木しゅんたい

『幕府医師団と奥医師「青木春岱」』、青木 昇・著、崙(ろん)書房出版を四月二十三日おもいがけずも著者の青木昇氏よりいただきました。なぜこのかささぎに・・と思いをめぐらしますと、乙骨太郎乙がらみで以前検索をかけたとき、このかたのサイトに行き着いたことがあったのです。そのお名前はたしかに記憶しておりました。

本は小さい文庫本サイズです。ひらけば、まず、

・・越えて安政五年に至って、七月三日に松平薩摩守斉彬家来戸塚静海、松平肥前守斉正家来伊東玄朴、松平三河守慶倫家来遠田澄庵、松平駿河守勝道家来青木春岱に奥医師を命じ、二百俵三人扶持を給した。これが幕府が蘭方医を任用した権輿(けんよ)で、(渋江)抽斎の没した八月二十八日に先立つこと、わずかに五十四日である。・・・・

         森鴎外『渋江抽斎』その六十二

引用文が冒頭に置かれていて、確かに著者の祖先の青木春岱が実在したことをまず証拠付けます。

著者の昇氏は1954年生まれ。かささぎと同じ年なので、ともだち感覚で読んでしまいます。初めから著者は自分の興味=祖先と思われる春岱とは誰かをとことん調べる=の赴くまま、その舵取りは迷いがありません。壁に突き当たっては人から助言がもたらされて道を見出し、また壁にぶつかっては切り拓く式のやりかたで進んでゆきます。申し遅れましたが、これはブログを通じてもたらされた情報の恩恵をそのまままとめたもののようですね。

そのなかで私が去年見たことのあるくだりが出現します。ここのところです。

p74 (その15)画期的資料の出現

・・・(ここに乙骨太郎乙・耐軒資料が付される。沼津市明治史料館所蔵のものです。私がこのブログ「かささぎの旗」のはじまりのほう、一昨年の十月でしたっけ、で訪れた懐かしいところです。おげんきですか。木口学芸員さん。←ふしぎな苗字だったので、わすれない)。

そして、だんだんと青木春岱のパズルが埋まっていくのですが、完成した青木春岱なる奥医師のラフスケッチは、こうです。

青木春岱 あおき しゅんたい 医師・幕臣

享和元年(1801)7月25日生。安政5年(1858)9月9日没。58歳。諱(いみな)、行祥。字(あざな)、東華。号、春岱。別号、汎愛。

父・甚太郎は武蔵国足立郡花又村郷士と伝えられるが、出生地は未詳。幼時、父に死別し、薩摩藩医・喜多村良宅に養育され医を学ぶ。文政年間、京都に遊学。江戸日本橋檜物町に開業、のち火災により本銀町さらに小川町に転じた。松平近直・川路聖謨・阿部正弘などの貴顕に出入している。
安政5年7月3日、第13代将軍家定の急病に際し、今治藩医より幕府奥医方に登用される。同年9月9日没、今戸安昌寺に葬る。諡号、青葉院殿□□東華居士。墓は明治以降改葬され転出先は不明。養子・昌敬(二代目・春岱)、実子・春海があった。春海は明治維新に際し朝臣奉願、その後の消息は不明である。(□=判読不能)

この資料は永井菊枝氏や坂口筑母氏などから得られたものらしいです。私も今書き写していて、諡号にある、東華の文字に、太郎乙の号の一つに似たようなのがあったなあと入力したこの指が記憶しているのをおもいだしました。なんだっけな。ちょっと待っててください。いずれ思い出します。

さて奥医師と聞き、私がいま連想するのは、よしながふみの漫画「大奥」その2冒頭に出てくるつめばら斬らせられる奥医師(だって将軍をはやりやまいで死なせてしまうから)です。笑。ほんとに大変な重圧だったろうとおもいます。

青木さん。ありがとうね。なんか、文章の書き方というか、構成のしかたが、私の書いた本とよく似ている気がして、ニタリとしました。

(感想にもなっていない、荒い読みで申し訳ないけど、こんなんでいいかな。)夕方、行方不明になってたこの本がひょっこり出てきたときはうれしかった。なにか意味があったのかな。神隠し。

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コメント

関係ないのかもしれませんが、知人が同じ青木といいます。久留米には多いです。青木繁をはじめ。同族でしょうかしらん。

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