無料ブログはココログ

« 久留米風景 | トップページ | 京都 絵になる風景 »

2007年6月 3日 (日)

句集二冊

句集二冊

松本杏花第二句集『余情残心』 (定価十八元)

平成十九年日本と中国二国で刊行。

上海訳文出版社刊

松本杏花:1943年2月26日埼玉県生れ

俳句誌「獅子吼」連句誌「れぎおん」同人、さくら草連句会所属、漢詩結社「葛飾吟社」所属。現代俳句協会会員、国際俳句交流会会員。

華道桂古流教授、茶道表千家教授。

(昨夏かささぎの旗が上京の折、不案内ないなかっぺのわたくしをあちこちご親切に案内してくださったおかたです。)

本句集は松本杏花氏の俳句作品を一句ずつ現代中国語で翻訳し、作品世界について同じく中国語でていねいに解説してあります。解説は叶宗敏という名の中国人です。

ところで、松本杏花さんとは前田圭衛子先生の座で何度もごいっしょに連句をまいたことがありまして、あるとき、

追憶や闇の蛍の息遣ひ  松本杏花

という濃厚な恋句を発句に出された記憶が鮮明です。それを句集にそのまま入れられればよいのに・・と前回の第一句集『拈花微笑』(花は華ではないのです)のとき感じたのを忘れてはいません。なぜなら、上五はおなじ追憶や、でも、あとにつづく句がちがってました。それが今回も同じく、追憶や、まではいっしょで、あまりこころにひびかない下の部分がぶら下げタンジェントみたいにくっついてた。まったく杏花さんは、なぜあの名句をそのまんま出さないのでしょう。(ひょっとして、てれている?)

句集二冊

(冥)句集〔非ず〕の寿与(ほがひ)

 森山光章  著

2007年5月25日「不虚社」刊

森山光章:1952年、福岡県小郡市生れ。実兄に作家の帚木 蓬生氏。

俳句空間新人賞、河東碧梧桐賞を受賞。

句集〔非ず〕の寿与(ほがひ)について。

森山光章はことのはの巨大樹である。そのスタイルは一貫して不変である。私は高柳銃身、いや重信をまったく存じ上げないにもかかわらず、このひとや、いぜん引用した大分の俳人・横山康夫の作品を通して、なにかその濃いエキスのようなものを身に帯びるようなかんじがするのである。俳人横山康夫は別に置く。森山光章は、俳句書きというより、うたびとというかんじがする。あるいは詩人だというかんじがする。でもそれよりか根の深い、重い宿命を背負った罪人だというイメージがあるのはなぜであろう。読んだときに感受する、なまの罪の意識があまりにもいたましくて、そう思わずにいられないのだ。

でもね。ぶっちゃけ、作品を読んでも、よくわからんのである。その漢字使い、感じ使いが、このひと独特のモリヤマミツアキわーるどを形成していて、読者は「ほお。なんだかわからないが、しかし、ある種の雰囲気あるよね」と毎度感服するのみ。今回のはとくに、無駄がなくあそんでいるなあとおもった。読者のよみへの参加をあけている。余白がある。作品の引用はやめとこう。よみたきゃじぶんでよみな。なんだかさ、どの句集、歌集、詩集をとっても、このひとのはこのひとのなんだよ。すぐわかるし、どれもおんなじ。失礼ながら、ほめてんのかけなしてんのか、わかんないよね。(多分、両方です。)

それより、せんだっての東京都知事選でことに感じたことなんですが、政治は文学だっていうの、モリヤマミツアキもこの句集のあとがきに書いていた。それよんで、おお、こころのともよ!ってかんじました。笑

« 久留米風景 | トップページ | 京都 絵になる風景 »

コメント

おお、森山さんもご健在でいらっしゃいましたか。もうすっかり音信不通になっていたもので。あの方の場合、というか、ある程度どの創作者にも共通するとは思うけど、書くものと本人とが全然別、というところがあるようで。お会いしてほっとした記憶があります。でも、あなたの場合、ほとんどそのまんまだけどね。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 句集二冊:

« 久留米風景 | トップページ | 京都 絵になる風景 »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31