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2007年6月30日 (土)

上野公園ー秋色櫻

上野公園ー秋色櫻

記憶で書きますが、秋色はしゅうしき、お茶屋の娘さんの名前だったとおもう。

井戸端の櫻あやふし酒の酔ひ 秋色

これも記憶ですから、ちがうかもしれません。こんな句碑が櫻の木の横にありました。清水観音堂の境内にあります。しだれ櫻みたいでした。お堂のなかには、入って左上のところに古い扁額が掲げてありまして、十四人ほどの句がかかれています。その先頭が秋色さんの句でした。少女時代の句らしいのですよね。客人に足元、気をつけてくださいとよびかける句がとても書も句も優れていると評判になってほんとうの俳人になったとか。(すみません。正確なことが知りたい方はお調べ下さいまし。)

上野公園ー秋色櫻
上野公園ー秋色櫻
11時半から上野公園口の上野文化会館で連句 れぎおん前田師の捌 1時間待ち時間あり 公園を一人散策す 詳細に説明したけれども 疲れ果て眠し

上野公園ー命名者

上野公園ー命名者
上野公園ー命名者
上野公園ー命名者

正岡子規記念野球場。上野公園口の文化会館のすぐ裏手にありました。

上野公園ー狛犬あれこれ

上野公園ー狛犬あれこれ
上野公園ー狛犬あれこれ
上野公園ー狛犬あれこれ

きつねの狛犬はお稲荷さんのです。熊笹が自生していたのが目を引きました。上の愛嬌のある狛犬の台座には宝暦の年号が刻まれています。

霞ヶ関のカタコウ

霞ヶ関のカタコウ
霞ヶ関のカタコウ
霞ヶ関のカタコウ
かっこいいかも。

青年館から千駄ヶ谷の駅へ歩いていると、競技場を隔てた道でカタコウを発見。カタコウは片側交互通行と言う交通の一形態の略称です。作業中のくるまをはさんで、誘導員が二人あちらとこちらで交互に車をさばくのがそれです。この仕事は冬よりも夏がしんどいそうです。暑いと逃げ場がないからって。

2007年6月29日 (金)

青年館近くの夜景

青年館近くの夜景
青年館近くの夜景
千駄ヶ谷の日本青年館。じぶんちみたいな懐かしさです 小さな大浴場で二回も泳ぎました 一人じめざんす 生きてて良かったなあ

夫と子をふつつり忘れ懐手
中村汀女

岐阜大垣

岐阜大垣
岐阜大垣
岐阜大垣
静かな里でしたが あちこちに最先鋭の企業がありました 一時間に一本出る岐阜羽島駅前からのバスに乗ったら 運転手さんがたいそう親切にガイドして下さいました 乗客が一人でしたので
大きな河が3つありました 久留米に似てました 長男の寮の前庭に私のみたいな車があるのを見て いつの日か12時間かけて車で八女岐阜間往復しよう!とばかなことを思った母であった

羽犬塚駅

羽犬塚駅
羽犬塚駅
羽犬塚駅
駅舎が改装されていますね

はたらくくるま

はたらくくるま
はたらくくるま
はたらくくるま

2007年6月28日 (木)

父の田まわり

父は(私もだけど)五時起きします。田植え後の日課として、まず、田まわりをします。

今朝はなかなか帰ってきませんでした。用水路の堰に藻が大量に絡んでいて水が流れなくなっていたそうです。それで、おなじ村のお百姓仲間に声かけして、二人で藻を三十分もかけて揚げたそうです。四人いるのですが、一人は会社に行って留守、一人はまだ寝ていた。(この人は私もじっさいみたことあるけど、みんなで溝さらいをやってるときも、一人だけ川のなかに入らないで横着する。しかりとばしてもそう。しかたない。頭のなかを村八分ってことばがマジでかすめるのはこんなときです。笑)

この藻は、田植え前の米作りお百姓専用「溝さらひ」のとき、たくさん掻いたけれども大儀でまともに揚げなかったのが、結局は雨のちからで流されてきたものだったそうです。川の横っちょに揚げていたらしい。二度手間になりました。

どんなしごとも、自然と立ち向かうときには、本気が要求されます。

と、ここまで書いて、ひとごとみたいだなあと反省しました。ほんとは父はとっくに隠居していて、私がしなきゃいけないことだから。

2007年6月27日 (水)

なつのはな

なつのはな

小川越しに写しました。ちっとも鮮明じゃなくてどれが花ってかんじです。まんなかへんにかすかにみえる薄紫のが額紫陽花なんであります。はっぱの勢いのすごさに完全に埋もれています。
なつのはな

これ、ノウゼンカズラ(凌霄花)です。オレンジ系の花しか見たことなくて、あっさむさんのマリオットの盲点ブログhttp://assam226.tea-nifty.com/mariotte/でみたのはピンクだったので、おんなじ花かなあと思ってしまいましたが、検索すると、ありゃりゃ普通にピンクがでます。

地域性ってのがあるのかもしれないです。うちのも、よそのも、今日久留米で見たものも、ここらへん筑後地方ではほとんどオレンジ系統のノウゼンカズラなんです。あなたのおすまいのところでは何色ですか。

2007年6月26日 (火)

なつのき

なつのき

これ、ちっともいい写真じゃないのですが、勤め先へあと百メートルの交差点で信号停車したとき、つい写しました。ほんとは樹には沢山のつぼみがついています。なんの樹でしょう。満開になれば又撮ります。ヒント、高速道によく植えられていて、花は赤みの強いピンク色、埃と喧騒に強い花です。下のしげみの白っぽい花にみえる一点は、ごみです。笑

なつのき

上の樹木はたしかになつの木ですが、これは季語的には冬の木でありまして、その理由は冬に山茶花という名の美しいつばきに似たおはなが咲くからです。でも、夏には夏の樹のおかお。はっぱがとても美しい。以前花がさかりのときに写したこの木木の写真がどこかにあります。お暇な方はおさがしください。幹の線が素描のように美しいのです。まるで、なんというかSKD(松竹歌劇団)のラインダンサーズの脚線みたいに。(高校の修学旅行で、なぜかあれを見せられた記憶があります。でしょ?)

虹の足  2

  虹の足

           吉野 弘

雨があがって
雲間から
乾麺みたいに真直な
陽射しがたくさん地上に刺さり
行手に榛名山が見えたころ
山路を登るバスの中で見たのだ、虹の足を。
眼下にひろがる田圃の上に
虹がそっと足をおろしたのを!
野面にすらりと足を置いて
虹のアーチが軽やかに
すっくと空に立ったのを!
その虹の足の底に
小さな村といくつかの家が
すっぽり抱かれて染められていたのだ。
それなのに
家から飛び出して虹の足にさわろうとする人影は見えない。
ー おーい、君の家が虹の中にあるぞォ
乗客たちは頬を火照らせ
野面に立った虹の足に見とれた。
多分、あれはバスの中の僕らには見えて
村の人々には見えないのだ。
そんなこともあるのだろう
他人には見えて
自分には見えない幸福の中で
格別驚きもせず
幸福に生きていることがー。

2007年6月25日 (月)

虹の足

机まわりを片づけていたら、むすこのプリント類が大量に崩れ落ちてきた。捨てようと確認していると、二枚のプリントに目を奪われる。

図書便り。高橋甲四郎著『バルビゾンの道』が紹介されているではないか。いわく、著者の高橋先生はこの学校でも数学の先生として赴任されてました。この本は先生の日ごろの考えと息遣いが伝わるすぐれた本です。みんなのお父さんやお母さんにもたくさん甲四郎先生に習った人たちがおられることでしょう・・。と、そんなふうに紹介されていた。たちまち甲四郎先生のおかおと、毎朝お散歩されている道とがいっぺんにこころに浮かんできた。

 バルビゾンの道まみどりに朝焼けて  

矢部川沿いの道、バルビゾンの道。その道をてくてく歩いていかれる先生のお姿。みどりという先生のおくさまのお名前。山本健吉の母上と同じ名。翠と緑はどう違うのかな。きっとかささぎの風切羽の色みたいに微妙に違うのだろう。そんなことをいろいろと思わせるバルビゾンの道。

図書便りには、もう一冊、社会科学の大家の翻訳書もとりあげてあります。

『評伝 ウイットフォーゲル』 

G.L.ウルマン著・亀井兎夢・監訳(協訳・堤 静雄)

この協訳の堤先生は学校の数学の先生だそうです。その先生が翻訳のきっかけをこう語られています。

 世界で最も早く発展したのは、黄河文明・インダス文明・メソポタミア文明・エジプト文明だと、子供の頃に習いました。しかし、それらの地域はいずれも今は文明の先進地域ではありません。私は、そのことが不思議でなりませんでした。
 高校や大学の歴史の授業でも、その理由を習いませんでした。ところが歴史を勉強していて、世界史の比較研究をしているウイットフォーゲルという学者が、その理由を明らかにしていることを知りました。
 しかし、学界では彼の研究は認められず、伝記があるのに、それを日本語に翻訳する人もいないのでした。
 そこで、仲間とともに4人で伝記を翻訳することにしました。翻訳は予想をはるかに越える難しさで、困難を極めましたが、4年半もかかってやっと出版できました。この本が「図書新聞」で高く評価されたときは、翻訳の疲れも飛ぶ思いでした。長年の疑問を解決してくれた学者の伝記を翻訳できたとは何という運命でしょう。(堤 静雄)

私の目を引いた、もう一枚のプリントは、国語のテスト問題である。教師の手作り風の。その手書きプリントに使われていたのは、吉野弘の詩「虹の足」であった。すばらしい詩です。漫画「蟲師」にもよく使われる虹を思わせ、森本太郎の詞「青い鳥」も思わせ。これも引用するはずが、時間がありません。弁当をつめないといけない。あした、続きを引用します。

2007年6月24日 (日)

スサノヲ

    藤白

              鈴木 漠

伊呂波四十七文字の美しい整列
七字目ごとに区切れば露わになる理外の理
謎の言葉「咎なくて死す」とは苛烈
アナグラムに込められた悲傷と祈り

罪科はないまま死を賜う意図
皇子もまた紺碧の海を臨む坂の途中で
断たれざるを得なかった縁の糸
扼するために伸びてくる理不尽な腕

藤白み坂 ー 誰にもあり得る運命の坂
隘路を登り詰めれば またはその前(さき)
下り終えれば異なる風景が見えたか偶(たま)さか

啓示のように中有から垂れる花房の先
臨終の皇子のすずやかな眸にも聊(いささ)か
映っていたであろうあの藤紫

※ソネット交差韻を踏む詩です。
引用元:「連句誌・おたくさ」2007年6月10日発行

有間皇子(ありまのみこ)

孝徳天皇の皇子。斉明四年(658)11月11日、蘇我赤兄に諮られて、謀反の罪を問われ、紀伊の温泉からの還りに、海部郡藤代の坂で絞首された。(640~658)

 自ら傷んで松が枝を結ぶ歌

磐代の浜松が枝を引き結び
ま幸くあらばまた還り見む

家にあれば笥(け)に盛る飯(いひ)を草まくら
旅にしあれば椎の葉に盛る
    有間皇子「万葉集」巻二141・142

藤白や道の神への手向け草  恭子

連句的につけて

荒壁に苆として縄と青蛇と    恭子

先日、十日ほどかかって家の壁を左官が塗りなおした。その一部始終をみて、日本の壁のすごさを知る。
塗りなおしをするためには、いちど、荒壁まで戻す。はげかかった壁をすべて落とし、また下塗りから始める。きれいに均すためにである。その上から二度塗りをするんだが、荒壁というものを垣間見て、竹垣に巻かれた縄を見る。それを見たとき、たちまちまなうらに浮かんだのは、大分の杵築で見た古い武家屋敷の崩れかけた土塀である。あちこち縄が見えていた。そしてその上を青蛇がゆったりとよぎっていったことまでが浮かんできたのである。そこまで完璧なイメージをじっさいに私が見たのか、想像で補ったのかはもはや混沌としている。しかし、ほんとうかどうか、そんなことは些事でしかない。

八女郡黒木町にスサノウ(すさのうとは、どういう意味のことだまであるか。まるで、苆の王のような響きが込められてはいないか。すさとは壁に塗りこめる芯となるものであり、壁とは、血に垂直に立つものである。地に垂直に立つものである。歴史という時のひろごりのつっかえ棒となるものである。)神社があり、そこの大藤は南北朝時代からの歴史をもつ。京都のようなみやこの優美さとはまったく無縁の地で咲く藤紫。その下に佇つと、なぜか万葉集の歌が思われ、非業の死を遂げたものたちのかなしい聲を聞く想いがするのである。

http://www.ajkj.jp/ajkj/fukuoka/kurogi/kanko/oofuji/oofuji.html 
(黒木の大藤)

追記)素盞鳴【すさのう】神社は、もと素鵞社(そがのやしろ)という名で、蘇我氏を祀っていたのだそうです。もっともこれは出雲大社の裏の社のことですが。

2007年6月22日 (金)

あすは闘牛フェスタへ行こう!

闘牛フェスタってのが、八女であります。

正確には、あそこは八女じゃなくて筑後かな。境界。(八女インタからまっすぐ南へ三分。アスタラビスタ近くです。)

http://homepage2.nifty.com/sagyousyo/

↑このなかに、この闘牛フェスタの意義とか徳之島での闘牛の歴史とか詳しく説明されております。出場選手の牛たちも紹介されてて、そのなかでも、

まだら狼赤とんぼ号
福岡県星野村出身 870kg カケ・速攻・マキ割り
4歳8ヶ月
牛主
という牛と、ソフトバンクホークス号という羊のあたまの牛が私の目をひきました。・・でもよわそう。(名前にとんぼやらソフトやらが入ってるからかも)

徳之島から牛を二十頭ちかく連れてきて、やるんだって。駐車場も四千台オッケイとか言ってたなあ。もちろん、テレビカメラが入る。

なんでこの梅雨時のしめっぽいときに牛なのさ。ってみんな思うよね。ことに筑後地方では田植えの真っ最中なんです。そういうときって興行的にどうなんでありましょうかしら。雨が降っても降らなくても、決行らしいですよ。

勤め先がイベント警備も請け負ってまして、あすとあさって、15人ずつ送ります。いわゆる雑踏警備です。無線をもって要所要所に立ち、巡回したり、保安と安全のために(っておんなじか。笑)働きます。駐車場の誘導もやります。いくつもの警備会社で合同警備します。きょうは、その気合入れ式がありました。見ててきもちいいものです。よっしゃあ、いくぞー!!って気になりますもん。討ち入り間際の新撰組とか赤穂浪士とかの隊員のきもち。え。ぜんぜんちがう。

おひまなかたは、いえ、お暇じゃなくても、みなさま、ぜひ行かれてくださいませ。徳之島関連の出店がたくさんあるそうです。私も行こうかな。隊長と隊員たち(紅一点がおられますです)の働き振りと、ゴツイ牛(すごく大きい)を見に。

関連:http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4724/

2007年6月21日 (木)

田んぼで湖畔ー田植えの朝

田んぼで湖畔ー田植えの朝
田んぼで湖畔ー田植えの朝
田んぼで湖畔ー田植えの朝

上段の写真はきのうの朝のわがやの農の庭(南)です。例年通りの種蒔きをことしもやりまして、60箱の苗が順調に育ちました。まんなかの写真は今朝五時すぎの、下の写真は昨夕のです。もっと雨が降ると水が満々と張られて、まるで湖畔の風情なんでありますが、ことしの「田んぼでコハン」はいまいちのできです。

きのうのお昼休みに母から電話があり、あしたは田植えだから休んでと命令が下りました。まるで首根っこをおさえられたような。で、今日は休みを取ったのですが、五時おきで苗配りをし、お茶のためのお菓子やジュースを用意してしまえば、あまりすることもなくて、一時間遅れで勤め先へ行きました。

ことし私は田んぼには入りませんでした。それはそれで、なにかやり残したようなさみしさがあります。

田いちまいいちまいちがふ水掛り  (父の言葉)

父の日記によれば、去年の田植えはきのうしている。一昨年は26日、渇水傾向だったからって。ことしもいまのところやや水不足気味ですよね。

2007年6月20日 (水)

お弁当

お弁当

お昼、お弁当箱をひらくとわりと色がきれいでしたので、一枚撮りました。ごはんの上にちりめんじゃことかつおぶしの醤油がけとキンピラゴボウをおいて、まんなかに小梅。

おかずは、みりんと薄口醤油のたまごやき、自家製ピーマン炒め、セロリ、巨峰ふたつぶ、自家製みにとまと、ウインナ、あとは鶏肉の甘酢揚げ、リンゴスライス入り。どれもおいしかったです。

先月そういえば、むすめが博多からひょっこり帰ったんです。そのときのカッコは、よれよれジーンズ、中古のよれよれアロハシャツ、それに毛糸の帽子!!なしてあんたはいつもそうみょーなカッコばしとるん!!って尋ねたら、きれいな女の子っぽいカッコをすると、おとこどもがよってくるからだと。言ってくれますねえ。笑

それはともかく、むすめはちゅうくらいおおきな病院の調理師をしておりますが、そこでお年寄りむけにおかゆを作っておるとき、左腕におかゆが飛んできて、火傷を負っていました。病院だし、手当はしてもらえたみたいですが、日焼をしたら、大きなあとがのこりそうでした。本人は、顔じゃないから・・と気にもしてないのが親に似て鈍感というか。

むすめは、わがままだけども、とてもやさしいし、よく働きます。帰ってきたら、料理をやってくれる。さすがに味付けも材料の切り方もプロです。

2007年6月19日 (火)

豆腐殻の煮〆

卯月野や豆腐殻(きらず)の煮〆ばかり食べ  恭子

先日戸畑の太田一明氏から電話がかかってきて、これを取ったけど、課題の「島」の文字がどこにも入ってない。といわれました。

俳句誌樹(たちき)の課題句で、太田氏はその選者です。

島を入れて読むのが課題でした。〆切りに書きながら作ったのでどんなのを出したのか忘れてました。それにしても、課題の文字まで忘れていたとは。

豆腐殻は俗に言うおからですが、こちらでは「きらず」とも言います。ばあちゃんたちは人が集まるとき、法事や寄り合いのときや共同作業のお茶のときなどに箸置きとして作ってました。大根(干し大根でも生でも)や人参やらを混ぜ込んだ彩りのきれいな甘酸っぱい味の卯の花です。

句を作るとき、たいがい何も心にないので、ことばを探す作業をしたんですが、手許にちょうど高橋睦郎の本『十二の遠景』(古書店で求めたものです)があって、ぱらぱらしてたら豆腐殻と書いて「きらず」のルビがふられたのが目にとまりました。うおお。なつかしいなあ!!

それですぐ句がうかびました。でも肝心の島のことはわすれてた。笑

なぜ、きらずと呼ぶのでしょうか。卯の花という別名はわかりますが。どなたかご存知であれば教えてください。(句は、苦肉の策で卯月の島、とあたまを変えてもらいました。太田先生ありがとうございました。)

おから料理:http://www.h5.dion.ne.jp/~miegoma/ryouri/okara/okara01.html

2007年6月18日 (月)

年金のことで

仕事中、先週おもしろい電話がありました。

三年前の一月、そちらに勤めていた。給与明細が一枚ある。それによれば、厚生年金も健保も雇用保険もみな引かれている。じぶんの記憶では、その前年の暮れ、11月、12月と三ヶ月ほどおたくに勤めたようにおもう。そちらにも記録が残っていると思うから、確かめてはもらえまいか。

というような内容です。きちんと名前を名乗られましたので、あとでボスに尋ねますと、そんなひとは記憶にない。それにうちは社会保険は一切、引いていない。なにかどこかの間違いだろう。と言われます。

そこで、次にかかってきたときに、その旨伝えますと、おかしいな。そちらでもらった明細書だと思うが。といわれる。

こちらの明細書はいまだに手書きの昔なつかしカーボンコピーのです。社印も二重に押してます。その社印がありますか?と問うと、おや、そんなものはない。といわれる。

じゃあ、ほかの会社のですね。いま、年金のことで問題になってますが、社会保険庁に行けば、すぐに点検してくれると思いますよ。こちらに聞くよりも。・・と言って、おしまいにしました。

いま、どこの会社でも、こんな問い合わせの電話がかかっているのでしょうね。(社会保険完備ということが、いかにすごいサービスなのか、を、つくづくかんがえるこのごろであります。)

2007年6月16日 (土)

宇宙少年ソラン

数日前の「九州俳句賞」に、おなじ九州俳句同人の熊本の中山宙虫さんがコメントをくださいました。

宙虫と書き「そらん」と読むのです。たちまち心に歌が流れました。

丘を越えて、ららら星の彼方

あちゃー。これは「鉄腕アトム」です。谷川俊太郎の詞。

ソランは、冒頭だけしか覚えてないけど、こんな歌でした。

そらんそらんそらん

はるかな彼方から

そらんそらんそらん

虹をこえてやってきた

・・・どうもちがうような気がします。

遊星少年パピイとアトムとソランは似ていたと思うのです、歌が。

それで三つ巴になって出てきます。困ったことだ。って単なる老化ですが。

ところで、宇宙少年ソランを回想してましたら、ちゃんと資料があり、それをみてたら、竹宮恵子の「地球へ」に出てくる宇宙リスが、こんなとこにいるじゃあーりませんか。http://members.at.infoseek.co.jp/sonosheet/soran.htm

こんな絵だったの。シェーショックー!!記憶ではもっとカッコよかった。でも歌詞は合ってる。安井かずみだってさ。ほえータイガースの作詞をいっぱい書いてたあのひと。

これがすきだった。

振り返るには まだ早すぎる

あおい風のものがたり

一人のときに 書いた日記は

いつの日か ないて読み返す

限りない夢見て 

夢としらない青春

(これ、なんだすやろか。歌詞と曲は出てくるすらすらと。でも題がわからん。私っておセンチだったのか、こげなんがすいとったとですね。)

もうお亡くなりになりましたが、安井かずみの詞はわたしたちの青春そのものであった、とおもうのであります。

さいごにソランさん。コメントとトラックバックありがとうございました。私もそちらにコメント、トラックバックをしようとしたのですけど、うまくいきませんでした。すみません。(どうもIDナンバーがどうのと出てきたら、即、さじをなげる癖があります。)

これにこりずにまたおいで下さい。笑

中山宙虫さん、おじさん日記:http://musinandanikki.at.webry.info/200706/article_4.html

※ 安井かずみさんのことを調べてたら、石橋秀野や眞鍋呉夫先生とおなじ文化学院を出ておられたことに気づきました。

2007年6月15日 (金)

久留米を走る

市内荘島の現場に報告書を届けにいったのですが、小雨が降ってました。

仕事量が少ない日にぽつぽつ多い日がまじりはじめました。暇な日は、教育係の教官が隊員さんを集めて、交通誘導技能資格試験の講義をなさいます。その様子を仕事しながら見てました。おかげでこんどの試験では久し振りの合格者が出ました。みんな泣いて喜びました。笑

世間的には苦労されている人が多いのですが、気持のまっすぐな人ばかりで、感じがいいです。どのひともそれぞれ個性的で素直で大好きです。こころのきれいなひとばかりです。本当にここへ来てよかったなあ幸せだなあと思います。ただ、事務としては、前借という名の給与がたびたび出まして、帳簿付けがこまごまとたいへんです。

梅雨入り

おとといの夕方からようやく雨がぼそぼそと落ちだして、ともかく、無事に入梅したようです。

雲が薄くて、心配しました。

先週の日曜、年二回の村総出の溝浚いとは別の、米作り農家だけの田植え前の溝浚いに出てきた父が、この調子だと水が少なくて、田が植えられんと言ってましたから、気にかけてました。まずは、めでたい。

お宮の前を流れる小川べりの「苗代グミ」の木に今年もぐみは実をつけたことでしょう。数年前父の代理で溝浚いに出、川に入ったとき、それを見つけました。そのとき、こどものころの野生的なじぶんとじかにつながった気が、たしかにしたのです。

2007年6月14日 (木)

片思い

その曲は、「片思い」というのです。

おっとがギターの弾き語りでうたっていました。かなしい、さみしい、せつない歌です。

だれの歌かとしらべたら、浜田省吾というひとでした。

このところ、会社の往き戻りにバンプオブチキンをきいてました。娘がおいていった古いアルバムです。いくらなんでも食傷し、竹内まりやのデニムってアルバムを買ってきました。久留米ゆめタウンにある「no music, no life 」のタワーレコードで。

アルバムですと、何曲か好きな歌ができますし、連句的です。まりやさんの歌がいいなあと思い始めたのは、この十年です。同時代性というかな。おなじこと考えてるんだっていう身近さがあります。人生はあなたが思うほど悪くない。これを聞いたとき、「女の一生」のなかのせりふだなってすぐ気づいた。モーパッサンの。少女時代の夏休みに読んで、このだんなはなんてひどい男だって思ったけど、さいごに主人公が、人生は人が思うほど、よくもわるくもない。と悟るところで、そんなものかな・・とおもったのを覚えています。デニムのなかでは、シンクロニシティって恋の歌はスティングに同じ題の歌があった。

五十路すぎて、恋の歌が作れ、歌えるっていうのが、すばらしいです。ありのままを肯定することが、人生の応援歌になっています。

歌。ジャパニーズ・ポップスが、だいすきです。歌詞はとてもだいじですね。

2007年6月13日 (水)

日本自費出版文化賞

高橋甲四郎先生の著書「父の遺稿」(海鳥社刊)が、第十回日本自費出版文化賞の「個人誌部門賞」を受賞しました。7月21日、京都の弥生会館で授賞式があるのに出席なさるそうです。

すごいのは、受賞であると同時に、先生の積極的な生き方です。この耳慣れない賞も、先生が一人で探してこられて、応募なさったものです。すごいなあとおもいました。めちゃくちゃかっこいいです。

先生、おめでとうございます!

京都にお住いのかたは、どうぞのぞかれてください。

7月21日土曜、午前11時受付、弥生会館

14時から記念公演:色川大吉選考委員長
コメント:鎌田 慧選考委員
対談:色川大吉&中山千夏日本自費出版ネットワーク代表理事

まず、応募しなければ受賞もないんだなあと教えられました。

んで、さっそく、私も竹内まりやのCDアルバム「DENIM」についてた、ちいさな懸賞におうぼしました。
あたるといいなあ。(先生の士気と比べて、なんとちいさなわがしき。

2007年6月12日 (火)

丘の上の山羊

丘の上の山羊

きのう、広川工業団地がある小山を通過して帰宅していると、丘の上の大きな樹の下に羊がつながれていました。わき見運転はやめて、車をおりて一枚撮らせていただきました。目があってどきどきです。やさしい目。こんなやさしいいきものの目には久し振りで遭いました。

山羊の歌。中原中也。山羊にひかれて・・カルメン・マキ。寺山修司。

丘の上の山羊。ビートルズ。・・ちがったかな。

http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/01/post_24d9.html

2007年6月11日 (月)

おっと、誕生日おめでとう。

きょうはおっとの53才の誕生日です。おめでとう。

これまで何にもあげてなかった。給料を搾取するだけで。笑

それで、キャサリン・ハムネットというロンドンのデザイナーのタイピンとカフスのセットを贈りました。私にはすごく高かった。

http://www.katharinehamnett.jp/catalogue/mens/tiep.html

↑これです。とてもきれいです。

単身赴任中に仕立券付きシャツ生地をもらっていたようですが、それさえ仕立てにゆく暇がなかったらしく、見れば、期限を二年過ぎてます。もったいないので、井筒屋の人に尋ねてみたら、期限をすぎても、生きているって。ただ生地の交換ができないだけですって。福岡三越の券。わざわざ行くのは億劫な年だし、博多にいる娘にあげよう。

おっとは、朝七時には家を出、毎日帰宅が遅いです。単身赴任のときと違うのはお昼に家に帰って朝つめたお弁当を食べて又出て行くことです。営業の仕事はとても大変と知ってましたが、自分が働くようになって、身にしむようになりました。感謝のきもち、足りなかったよね。ありがとう。これからもがんばってください。お互いの老いをいたわりながら、たがいの親の老いをいっしょけんめいみていこうよね。さいごに、妻をちょっとあそばせてください。(もうじゅうぶん遊んでいるやん!という声)

法事の案内状

七月の祖母の命日に、この家で五十年近く前に亡くなった祖父と三十年ほど前に逝った私の弟の三人ぶんの法事をいっしょに営むことになり、親類縁者に案内状をお出しした。

原文は父が書いた。
ワードで打ち込みプリンターで葉書に印刷すれば、ものの二十分とかからない。でも、父の無骨な文字を見ていたら、手書きにしなければいけないと思えてきた。二十人ぶん(博多に住む長女と岐阜に住む長男にも出すから)書いて、投函した。

茂平じっちゃんの五十回忌と、ハルヱばあちゃんの十三回忌、義章の三十三回忌が、待っています。もうすぐ、なつかしいみんなにあえます。

2007年6月10日 (日)

九州俳句賞

第三十九回九州俳句賞作品集が送られてきました。何度目の応募でしょう。選者20人による選考結果が記名の点数表で返されるので、ショックがおおきい反面公平です。おととし零点をいただいた私は、きょねんは心がめげてしまって応募しませんでした。(子どもを点数では叱るまいと固くこころに誓いました。)

ことしも出さないつもりだったのですが、応募がとても少ないと協力を頼まれ、しぶしぶ歴史ある賞に応募しました。が、たった14人の応募者でした!!記憶にある最低応募者数より10人も少ない。

また落選です。でも、うれしかった。かつておなじ同人誌で句を出し合った大分の吉賀三徳さんが受賞されていたから。

三徳さん。おめでとう。

むかし原しょう子さん宅であった新年句会。名古屋の町で酔いつぶれた故貞永まこと氏を抱えるようにして大分行きの高速バスで帰っていかれた三徳さんをなつかしく思い出しています。若かったなあ。あの日、私も熊本行き高速バスで帰りました。大雪で渋滞し、丸一日乗っていました。乾パンを運転手さんが配られ毛布もわたされて、まるで遭難者。あんなに長時間バスに乗ったことは、後にも先にもありません。思い返せば、あの日名古屋で初めて句会を経験しました。10年前です。

かつての仲間であり兄貴分だった貞永さんのかわりに、祝辞として、全作品を引用します。結果が載った九州俳句誌はまだできていないから、初公開です。だれの許しも得ていませんが、貞永さんがいいよって言ってます。弟分の受賞をとても喜ばれているような気がします。

  落葉踏む

           吉賀 三徳

腑に落ちぬ暖冬の樹にふれてみる

岬に佇てば芯から冷えてくる祖国

落ち葉踏む父を越えたといえようか

片耳は寒念仏を聞いている

手袋をぬぐとき人間くさくなる

焚火の輪抜けてまわりが見えてくる

蛇穴を出るわたくしも変わらねば

父の忌にははが立ち寄る種物屋

おぼろの夜妻のメールを見てしまう

梅雨に来る手紙は狂気おびており

船酔いの男が先に夕焼ける

水底にいま育ちおり祭笛

夕蝉のまだ鳴きやまぬ原爆忌

手の内をあかせばみんな秋が好き

バイクごと刈田に落ちて悟空に会う

麦笛の一揆われらの声やわし

生きているものの向こうに干大根

どこからが冬のはじめか海鳴りか

海鼠食うもう後もどりできぬ年

松手入なんとこの世の去りがたき

※ 三徳さんの句の特徴として、余韻をたたえた叙情があります。句歴が長い。生活に即した詩情深い世界を描いています。驚いたのが妻のメール句。夫が妻のメールを見ている図は、その逆とちがって哀感がある。そんな自分を遠いところから見下している作者がいる。妙なものです。こういうことがあると、夫婦は一心同体ではなく、九鬼周造が韻の構造で述べたように、異体字みたいな関係なんだなあと気づかされます。でも三徳さんは自分で句にしてしまう。これは思ったよりすごいことではないでしょうか。やってくれます。さりげなく現代的な機微を描いて見事です。ほかには、干し大根の句。悟空の句。松手入れの句。三徳さんも着実に年を重ねてこられたんだと感慨深い。あのころはまだ独身でいらした。いま、五十歳くらいか。これからの人です。心からおめでとう。

私の作も残しておきます。

  来るべきもの 

            姫野 恭子

影ふみあそびの影にふまるるそぞろ寒

淋しさも仕事の一つ鳥巣立つ

ゐの年の夜空の星が鳴り始む

紺屋町遠いむかしの雪降れり

むらさきの魚棲む昇仙峡の瀞

君が代を国歌としたり太郎乙 (旧幕臣 乙骨太郎乙)

身の喞ち焚きつけにして北の旅

町に「22才の別れ」流れ波郷の忌

滴りや懐ふかき深大寺

垂直に攀ぢ下りる蟻波郷句碑

薬袋に仕舞ふ真冬の星一顆

宇宙風即興の風花の種子

横たはる身のいづくより麦埃

ありがたし師の渾身の焚き落し

スキップの鵲のあと行くスキップで

穀雨の虚空蔵の黒暗暗たる暮色

底冷の川を挟みて妹背山

狛犬に君がマフラー巻き置かれ

足萎えの魚匿ふ蚊帳吊草

来るべきもの疾く来れ雪は魔性

今日、大分は別府のつるみ荘で授賞式を兼ねた九州俳句大会が開催されていて、「張方としての俳句」を連載させていただいている者としては、参加すべき義理があるのですが、行けませんでした。かわりに文章を書かせていただきました。記念講演は無着成恭氏です。

連句的参照) 映画「22才の別れ」
http://www.22saino-wakare.com/cast.html

2007年6月 9日 (土)

華の文字

一昨日、仕事先でちょっとした出来事があり、ボスが不在でしたので、昨日はどうしてもしごとを休めませんでした。松延一族の本家筋にあたる東京在住の松延公平様がこちらへ法事に参拝されるために見えると伺っていたのですが、お会いできませんでした。携帯の連絡先を聞いておくべきでしたし自分の連絡先も教え損なってることに気づきました。毎日ばたばたと生きていることだなあと反省しきりです。お便りでは、八日は無量壽院の先祖の墓へ詣で、また立花町の大内家へも行かれるとありました。まだいらっしゃると思うのです、八女に。お会いしたいのですが、連絡のしかたがわかりません。ほんとに残念です。

以前コメントを下さった北九州の松延紀久子様へは何度メールを打っても戻ってきます。どうしてなのか、わかりません。アドレスに間違いはないと思うのですが、ヤフーにつながらなかった事件以後、どうも自信がありません。公平様、お役に立てず、ほんとうにもうしわけありません。どうかよい旅をなさいますよう、お祈りしております。新茶の季節の八女はみどり一色です。

さて、おとといの夜、ごった返す壁塗り中の部屋で書いた青木春岱の件ですが、春岱の号の東華に乙骨太郎乙を連想したと書きましたが、それを今朝起き掛けに思い出しました。太郎乙の号は華陽でした。

太郎乙は通称。名を盈(えい、またはみつる)といい、華陽と号するのは沼津在住時代に花山の南に居住していたからという。(拙稿2006・1・13「乙骨太郎乙の精神世界1」より引用)。

青木春岱の号と太郎乙の号のなかの華の文字が共通しております。それを考えていました。

華甲ということばがあります。還暦のことです。華という字の中には、十が六つあることから、六十で、干支が一巡する還暦を表すそうです。

華陽と東華。文字は違いますけど、陰陽五行的意味合いがほとんどおなじです。だからどうしたのと聞かれたら困るのですが、ただ、そういったことを今朝方とりとめもなく考えておりました。

ついでに連想的におもったのは、なぜ東京はお盆がよそよりひと月早いんだろうということです。以前暦を調べたとき、明治の改暦は突然かわったのですが、それについて東京などの大都市ではあまり文句がでなかったとあった。その気質とどこかでつながるんでしょうか。

だらだらと書いてもうしわけないのですが、石橋秀野の句文集『櫻濃く』中の随筆に「花まつり」と題する文章があり、それにも東京ではひと月はやく新暦の花まつりをするとあります。読めばどうも戦前からのことのようです。それをおもうにつけ、東京って土地の進取の気性はすごいと感じる。こちらはまだ旧暦で行事はやってますものね。旧ねこみの主宰だった俳諧学者東明雅先生(故人)に花祭りと連句の花の座と季の区分(晩春扱いか夏か)についてお尋ねしたのを懐かしく思い出しています。先生は思いがけずも真剣に熱心にお答えしてくださいました。あの文章はネットでも読めるのがありがたいです。http://www.ifnet.or.jp/~nekomino/meiga43.htm

2007年6月 8日 (金)

血が出てます

きのう家近くのスーパーのさかなやさんで、こぶりのアマダイ一尾98円というのを五つ買うか四尾にするか迷った末、四つ買った。自分でふくろづめする式の買い方。レジでバイトの娘さんが言った。

「これ、なんてなまえのさかなですか。」(あまだいというと、価格の一覧表をみて、打ち込み)

「血が出てますが、いいんですか。」

思わず笑いがこぼれて、いいんですいいんです。

2007年6月 7日 (木)

奥医師青木しゅんたい

奥医師青木しゅんたい

『幕府医師団と奥医師「青木春岱」』、青木 昇・著、崙(ろん)書房出版を四月二十三日おもいがけずも著者の青木昇氏よりいただきました。なぜこのかささぎに・・と思いをめぐらしますと、乙骨太郎乙がらみで以前検索をかけたとき、このかたのサイトに行き着いたことがあったのです。そのお名前はたしかに記憶しておりました。

本は小さい文庫本サイズです。ひらけば、まず、

・・越えて安政五年に至って、七月三日に松平薩摩守斉彬家来戸塚静海、松平肥前守斉正家来伊東玄朴、松平三河守慶倫家来遠田澄庵、松平駿河守勝道家来青木春岱に奥医師を命じ、二百俵三人扶持を給した。これが幕府が蘭方医を任用した権輿(けんよ)で、(渋江)抽斎の没した八月二十八日に先立つこと、わずかに五十四日である。・・・・

         森鴎外『渋江抽斎』その六十二

引用文が冒頭に置かれていて、確かに著者の祖先の青木春岱が実在したことをまず証拠付けます。

著者の昇氏は1954年生まれ。かささぎと同じ年なので、ともだち感覚で読んでしまいます。初めから著者は自分の興味=祖先と思われる春岱とは誰かをとことん調べる=の赴くまま、その舵取りは迷いがありません。壁に突き当たっては人から助言がもたらされて道を見出し、また壁にぶつかっては切り拓く式のやりかたで進んでゆきます。申し遅れましたが、これはブログを通じてもたらされた情報の恩恵をそのまままとめたもののようですね。

そのなかで私が去年見たことのあるくだりが出現します。ここのところです。

p74 (その15)画期的資料の出現

・・・(ここに乙骨太郎乙・耐軒資料が付される。沼津市明治史料館所蔵のものです。私がこのブログ「かささぎの旗」のはじまりのほう、一昨年の十月でしたっけ、で訪れた懐かしいところです。おげんきですか。木口学芸員さん。←ふしぎな苗字だったので、わすれない)。

そして、だんだんと青木春岱のパズルが埋まっていくのですが、完成した青木春岱なる奥医師のラフスケッチは、こうです。

青木春岱 あおき しゅんたい 医師・幕臣

享和元年(1801)7月25日生。安政5年(1858)9月9日没。58歳。諱(いみな)、行祥。字(あざな)、東華。号、春岱。別号、汎愛。

父・甚太郎は武蔵国足立郡花又村郷士と伝えられるが、出生地は未詳。幼時、父に死別し、薩摩藩医・喜多村良宅に養育され医を学ぶ。文政年間、京都に遊学。江戸日本橋檜物町に開業、のち火災により本銀町さらに小川町に転じた。松平近直・川路聖謨・阿部正弘などの貴顕に出入している。
安政5年7月3日、第13代将軍家定の急病に際し、今治藩医より幕府奥医方に登用される。同年9月9日没、今戸安昌寺に葬る。諡号、青葉院殿□□東華居士。墓は明治以降改葬され転出先は不明。養子・昌敬(二代目・春岱)、実子・春海があった。春海は明治維新に際し朝臣奉願、その後の消息は不明である。(□=判読不能)

この資料は永井菊枝氏や坂口筑母氏などから得られたものらしいです。私も今書き写していて、諡号にある、東華の文字に、太郎乙の号の一つに似たようなのがあったなあと入力したこの指が記憶しているのをおもいだしました。なんだっけな。ちょっと待っててください。いずれ思い出します。

さて奥医師と聞き、私がいま連想するのは、よしながふみの漫画「大奥」その2冒頭に出てくるつめばら斬らせられる奥医師(だって将軍をはやりやまいで死なせてしまうから)です。笑。ほんとに大変な重圧だったろうとおもいます。

青木さん。ありがとうね。なんか、文章の書き方というか、構成のしかたが、私の書いた本とよく似ている気がして、ニタリとしました。

(感想にもなっていない、荒い読みで申し訳ないけど、こんなんでいいかな。)夕方、行方不明になってたこの本がひょっこり出てきたときはうれしかった。なにか意味があったのかな。神隠し。

2007年6月 6日 (水)

されど、テレサ・テン

わたくしはテレサ・テンが大好きで、先日放映された「テレサ・テン物語」をちゃんとおしまいまで一人でみました。ドラマとしては安易なつくりだった(なんでみんな日本人だったの)し、主演女優さんも異なるタイプだったのですが、いくつか印象的な場面がありました。

年が一つしか違わない勤め先のマイボスとよくいろんなはなし(恋愛のはなしや書道の話や)をするんですが、彼女も私の影響でドラマをみたようで、おなじような感想をいってました。やっぱりテレサ・テンの歌声はやさしくてあまくていいよねえ。あんな歌い手さん、いま、どこにもいないね。ということにおちつきました。ボスは口にしなかったけど、同じ独り身の働く女として、共感するもの、惻隠の情みたいなものがあったようです。さみしさが胸にせまるように伝わってくる場面がありましたものね。

若くして亡くなるひとには、なにか抗いがたい魔力・・がありますよね。

それと関係ないのですが、なぜかしら、唐突に、雅子さまのおくるしみがおもわれてならないのでした。このおもいは、連句的に出てきたものゆえ、とめようがないのです。儒教的なものを下地にして育ったアジア人から見ると、テレサの歌の世界は、まさに儒教がよしとする精神世界を描いていて、おなじものをさがせば、それは一昔前のおひるのおくさま向けドラマの世界にもありました。捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ・・という世界。儒教的なものは無意識に強く訴えかけます。西洋的なものとは全く異質です。

木村佳乃は西洋的な、というよりアメリカ帰国子女じゃなかったのかなと思うのですが、その女優さんが自分とは正反対のテレサ役をすることの難しさ。でも、私はこの女優さんも大好きなので、だんだん似てくるほど熱演してるなあと内心おどろきました。

2007年6月 5日 (火)

がさいれとぬりかべ

昨日、勤め先はたいへんでした。

査察があったからです。何の事前予告もなく、けいさつの人がふたりもきて、帳簿や日勤簿を不正がないか、ちゃんと書類や届出は済んでいるか、二時間もかけて調べてゆかれました。

お弁当をひとり事務所で食べて本を読んでいると、玄関ベルが鳴り、入ってみえたのは刑事さんが二人でした。独特の空気をまとっておられますから、セールスや営業の人とは異質です。応接室に招きいれ、誰もいないことにあわてふためきました。社長と専務を携帯電話で呼びますと、社長は駆けつけましたが、直接の上司である専務とは連絡がとれません。私の仕事は、彼女に与えられたものをこなすのみでしたので、全体像がつかめておらず、質問があったとき資料を正確に出すことができないのです。はらはらしました。六月になったら査察が入るということは皆承知していたので、そのための用意を整えてはいたのですが、いきなり来るとは。

途中しまった!と思ったことが一つありましたが、なんとか無事査察をクリアー、刑事さんたちは帰っていかれました。

ホッ。

でも、帰って見えた専務は、肝腎なときに連絡がつかなかったことを社長に責められ、その上、私の不注意ミスに気づかなかったことまで責められて、げんこつされていました。ほんとにごめんね専務。

いつもより一時間もおそく帰宅しますと、なんと部屋の壁が壊されています。左官さんが古い壁を新しく塗り替えるらしいのです。でも、いきなりはないでしょう。

査察といい、壁を壊すことといい、事前に言ってくれたら、こころづもりができていたのに・・・。(壁塗りは、親が言うには、来月の法事に備えて、知人の左官さんに頼んでみたら、今からすぐ始めようとはなしがまとまったからだとのこと。

それにしても昨日、ダニに好かれる夫が一人で二階の部屋の掃除とバルサン焚きをしたのは、なんだったんでしょう(私は虫にも嫌われるタイプなので、噛まれないから平気なんですよね。これ、鈍感力っていうんじゃなかろうか)。せっかくきもちのいい部屋になったのに、今日はもうとんでもなくすごいことになってしまった。今週いっぱいはかかりそう。

※ 上記の用語で、一つ間違った使い方をしているかもしれないのは、「査察」です。これは会計用語か税務署用語かも。ほんとは、「立ち入り検査」がただしいようです。(気になって、今日、ボスに確認しました。ささいなことだけどもね)

2007年6月 4日 (月)

京都 絵になる風景

京都 絵になる風景

『京都 絵になる風景  銀幕の舞台をたずねる』

吉田 馨 著

ダイヤモンド・ビッグ社 2007年春刊 

地球の歩き方シリーズ008

吉田馨:

1964(昭和39年)兵庫生れ。昭和62年大手前女子大卒業後、尼崎市立地域研究史料館に勤務。平成7年に京都映画祭事務局員となり、現在は事務局プロデューサー。愛知大学および京都精華大学非常勤講師。著書に『銀幕の湖国』、構成編集に『映画の4日間PART1 中島貞夫ゼミナール』、『映画の4日間PART2 中島貞夫シナリオゼミナール』ほか。信濃毎日新聞で「映画の味かた」を連載中。大阪大学大学院後期課程に在学中。

(つい表紙見返りのプロフィールを全文引用してしまいました。なんとなくそのウンのころがりかたがおもしろくて。兵庫というところは勉強する地域だなあと前から思っていたのもあります。地域性としての「学問に熱心」という県民性。それと顔写真が載っていますが、カンヌで賞を取った女性監督と同じような気を感じるお顔です。精気にみちた、いきいきとしたきれいなおかお。)

タンゴバンドのアストロリコのヴァイオリニスト・麻場利華さんが送ってくださったご本です。題名にあるとおり、銀幕と映画が呼ばれていた時代の名画から『パッチギ!』のような現代映画まで舞台となった京都の名所を取り出して、映画と名どころをいっしょに紹介したおしゃれな本です。読みやすいのは、写真と文章との分量がちょうどいい比率になっているからです。以前、「写真でよむ ぼくの見た大日本帝国」を取り上げたときに、写真で読むと書いているのに、文章の文字が小さくてぎゅうぎゅう感があるのが惜しい、って批評したことがあるんですが、それと好対照です。内容も歴史的なことがらをおさえて、映画の知識と愛情がよく伝わるものになっています。行ってみたいなあと思わせるし、行ったことがある地であれば、へえーそうだったのか、とおもわせる。

写真がとてもきれいです。一目瞭然。たとえば冒頭の『暖春』小津安二郎監督映画のワンシーン、岩下志麻が着物姿で下駄履きのまま駆けるように弾む足取りで歩く写真と、その次のページにある現代のその地で同じように撮影した着物姿のかわいらしいむすめさんの写真が、この本のすべてを語っているようで、編集が素敵だなあと感心しました。

利華さんは映画『二人日和』に登場した地のところに付箋をしてくれてました。鴨川、梨木神社(なしのきじんじゃ)、室町通・三条通。

ほぼ毎日行ってる(いりびたっているというか)あっさむさんのブログに京都紹介本がよく出てきますし、私自身も紹介したい京都の本ってあるんですが、映画と京都を論じたこの本はかくべつ新鮮です。みんな、買ってね。

りかさんありがとう!!

追伸:

きょうの夜(六月五日ですが)NHKテレビの特集はカンヌで賞を撮った監督のインタヴューでした。あの「殯の森」、日本での上映はそうたくさんはないといってました。分ります。だって、「二人日和」もそうですもん。レンタルも置いてないし、あたまにきます。

でも。よく考えると、質より量をとるのが今の世の中なんですよね。

2007年6月 3日 (日)

句集二冊

句集二冊

松本杏花第二句集『余情残心』 (定価十八元)

平成十九年日本と中国二国で刊行。

上海訳文出版社刊

松本杏花:1943年2月26日埼玉県生れ

俳句誌「獅子吼」連句誌「れぎおん」同人、さくら草連句会所属、漢詩結社「葛飾吟社」所属。現代俳句協会会員、国際俳句交流会会員。

華道桂古流教授、茶道表千家教授。

(昨夏かささぎの旗が上京の折、不案内ないなかっぺのわたくしをあちこちご親切に案内してくださったおかたです。)

本句集は松本杏花氏の俳句作品を一句ずつ現代中国語で翻訳し、作品世界について同じく中国語でていねいに解説してあります。解説は叶宗敏という名の中国人です。

ところで、松本杏花さんとは前田圭衛子先生の座で何度もごいっしょに連句をまいたことがありまして、あるとき、

追憶や闇の蛍の息遣ひ  松本杏花

という濃厚な恋句を発句に出された記憶が鮮明です。それを句集にそのまま入れられればよいのに・・と前回の第一句集『拈花微笑』(花は華ではないのです)のとき感じたのを忘れてはいません。なぜなら、上五はおなじ追憶や、でも、あとにつづく句がちがってました。それが今回も同じく、追憶や、まではいっしょで、あまりこころにひびかない下の部分がぶら下げタンジェントみたいにくっついてた。まったく杏花さんは、なぜあの名句をそのまんま出さないのでしょう。(ひょっとして、てれている?)

句集二冊

(冥)句集〔非ず〕の寿与(ほがひ)

 森山光章  著

2007年5月25日「不虚社」刊

森山光章:1952年、福岡県小郡市生れ。実兄に作家の帚木 蓬生氏。

俳句空間新人賞、河東碧梧桐賞を受賞。

句集〔非ず〕の寿与(ほがひ)について。

森山光章はことのはの巨大樹である。そのスタイルは一貫して不変である。私は高柳銃身、いや重信をまったく存じ上げないにもかかわらず、このひとや、いぜん引用した大分の俳人・横山康夫の作品を通して、なにかその濃いエキスのようなものを身に帯びるようなかんじがするのである。俳人横山康夫は別に置く。森山光章は、俳句書きというより、うたびとというかんじがする。あるいは詩人だというかんじがする。でもそれよりか根の深い、重い宿命を背負った罪人だというイメージがあるのはなぜであろう。読んだときに感受する、なまの罪の意識があまりにもいたましくて、そう思わずにいられないのだ。

でもね。ぶっちゃけ、作品を読んでも、よくわからんのである。その漢字使い、感じ使いが、このひと独特のモリヤマミツアキわーるどを形成していて、読者は「ほお。なんだかわからないが、しかし、ある種の雰囲気あるよね」と毎度感服するのみ。今回のはとくに、無駄がなくあそんでいるなあとおもった。読者のよみへの参加をあけている。余白がある。作品の引用はやめとこう。よみたきゃじぶんでよみな。なんだかさ、どの句集、歌集、詩集をとっても、このひとのはこのひとのなんだよ。すぐわかるし、どれもおんなじ。失礼ながら、ほめてんのかけなしてんのか、わかんないよね。(多分、両方です。)

それより、せんだっての東京都知事選でことに感じたことなんですが、政治は文学だっていうの、モリヤマミツアキもこの句集のあとがきに書いていた。それよんで、おお、こころのともよ!ってかんじました。笑

2007年6月 2日 (土)

久留米風景

久留米風景

今日は土曜日でしたが、仕事が忙しく出勤。月末〆の請求書書きと隊員のめちゃくちゃきたないヘルメットを洗ったりした。まだ手がにおいそう。ううう。

土曜は車がかなり減ります。久し振りに信愛女学院の前を通ったので写しました。マイボスの専務がここの出です。あと、英検はここで試験があるので、子どもを送っていったことがあります。

久留米風景

この道は勤め先とは逆の方角になるんですが、この大きな洋風の建物はなんだろといつも思っていたので、写真をとれば分かるかなと。籃胎漆器の会社とはちがうよね?近くには葬祭場もあります。

久留米風景

これはなんのポストでしょう。

(久留米図書館へ行く暇がなくて、三ヶ月も借りていた「春の俳句」二冊と「ちょうちょの本」。すべて一階のこどもの本コーナーで借りたのですが、総ルビつきでオールカラー、質が高い本だった。)ながい事ありがとうございました。

夕日が撮りたい

毎日のようにケータイ写真を撮りますが、きめが粗くて目で見える通りには写っていません。そりゃたしかに通信機のおまけだからしかたないんですが。

いちばん残念でふしぎなのが、夕日が写らないことです。夏の夕日、冬の夕日。落ちる位置がひどく違う、そのすがたをとりたいんです。私はあまり移動しないので、いつも定点観測になるのだけど、だからこそ、美しい夕日をみたときには、それをそのまま撮りたいなあとおもいます。

月の写真は、小さくてもちゃんと写っています。でも、夕日は何度試してもだめです。ひかりがよわいのでしょうか。

2007年6月 1日 (金)

麦秋

麦秋

いつも二階の北窓から見えるパンチ(文房具の)みたいな水門を近くで撮影。よりすぎて川におちそうになった。
麦秋

すぐ裏のはたけです。わらが等間隔できれいにころがってる。
麦秋

これは上二枚の前日、五月末に写したもので、ちょうど収穫作業がおわったところです。

おかげさまでネットに無事につながりました。

ご心配御迷惑をおかけし、もうしわけありませんでした。でもどうもまだ完全にはもどっておりませんようです。今朝五時に最初に送信した家の近くのお茶畑の写真が、行方不明です。あんこくのうちゅうくうかんをさまよっているかも。

 新茶一滴地球の記憶がのこるなら  恭子 

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