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2007年4月 1日 (日)

樹句集 鍬塚聰子と木村賢慈の句

鍬塚聰子の句から十句

緘黙の鋸草や雨は止む

無施錠の秋天であり鯨幕

金柑を煮詰め前世を悔ゆるかな

夾竹桃なんだかんだと泣いている

素戔鳴尊に逢いし芒原

あともどりできれば八月だきしめる

檪の実観音様は猫背です

紫陽花下さい乳房あげます

人の子のぽろり生まれて花卯木

定年やひとりで閉まる冷蔵庫

木村賢慈の句より十五句

松の種蒔く函館の魚箱に

法要の畳に香気みどりの日

山車指揮者がぶれがぶれの川渡り

地表から鞭の先まで花蘇枋

新機種の田植え見ており爺と婆

太陽と言う名の幟日本晴

劇場の桟敷も浮けり梅雨出水

人柱伝説池の牛蛙

段毎に堰の音する青田かな

鰯雲馬関に模造砲五門

蠅生る松の実生の魚箱に

蔓ものの支柱を抜いて夏終る

杉山の左ねじれや野分後

雪山の追憶足の死爪つむ

炭田の水を纏いて鮭の稚魚

   ― 『樹句集』(平成19年2月刊行)より ー

昨夜徹夜で「樹句集」を読み紹介文を書く作業をした。面白い作業ではあった。これは自分の癖だろうけど、句を読んでいて、「これはどういう意味なんですか」と作者にたずねたい欲求に駆られる句が何句かあった。感覚的な句ではなく、民俗の行事を詠んだものに。

地方の俳句誌が存在価値を持つためには避けて通れない問題だろう。いつも「九州俳句」や「樹」という現代俳句系俳句誌の末端にいて思うことは、現代俳句が詩を追うあまり切り捨てた俳句らしい凡庸さ(日記風の些事を書くことは「報告句」であるとしてばっさり切り捨てた)を、連れ戻すことを今しておかなければ、後世の俳人たちに顔向けできないのではなかろうかということだ。心象風景ではなく、きっちりとコトをかき、モノをよむ。それをおろそかにしてはいけないよ、それが俳句なんだよ。と言った高浜虚子はもうはるかな老いぼれびとなんだろうか。―

上掲句は今回光を放っていたものの一部である。

参考:

鋸草:http://foxtail.main.jp/zukan/sheet/na-sheet/nokogirisou.htm

花蘇枋:http://www.hpmix.com/home/kumisaijiki/saijiki/A3_15.htm
     http://www.soka.ac.jp/news/info/nature/v08.html

川渡り:http://www.joho.tagawa.fukuoka.jp/furusato/maturi.htm

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