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2007年4月20日 (金)

久留米藩校『明善堂』

日曜、来春の高校受験の話を聞きに一人で久留米の塾に出かけた。
私立中学の入試と違って公立高校入試には校区が厳然とあり、そのために筑後地方の子たちはほんとうに勉強をしないということであった。というのは筑後地区でトップの公立校は明善だが、これが福岡市内だと筑紫が丘とか福岡高校とか三校くらいが同じハイレベルの偏差値で競り合っているため、生徒達の向学心が高い。競争は張り合いを生み、その結果教師がなにも言わずとも、生徒達は自主的に非常によく勉強する。しかし、筑後には明善しかない。せめてあと一校、明善と同じくらいの偏差値を持つ公立校があれば、福岡市内の高校と同じレベルの優秀な人材を生み出せるのに、残念だ。・・というような趣旨であった。大分県のように、受験校区を廃止すればいいのであろうか。はげしくお金のかかる教育の質の問題(!)とともに、考えなければならない。

引用を続けます。ちょうど久留米藩校明善堂が出てきます。

学問どころ上妻と久留米藩校『明善堂』

現在の福岡県立明善高等学校の前身は久留米藩校『明善堂』ですが、藩校の創設は天明二年(1783年・7代藩主有馬頼徸ヨリユキ)のことです。
この藩校『明善堂』の変遷(八十八年間)を略述しながら、藩学の興隆に献身したわが上妻学派の先賢儒家の躍動の姿を紹介します。

 学問所時代

天明三年(1783)二月六日

七代藩主頼徸の英断によって城外両替町に創設されました。これが藩校のはじめです。

ところが、このときの『学問所』開設の担当者が八女教学の宗儒高山畏斎(たかやま・いさい、上妻郡津江村)で、これはまさに教学八女の誇りです。

2 講談所時代

天明五年二月十一日(開講天明五年九月二十九日)、八代藩主頼貴の熱願によって両替町(井筒屋恵助の空き屋敷)に、『講席』が再興設立されています。

この時も、講席開設に特に功労のあった藩儒広津藍渓(ひろつ・らんけい、上妻郡福島村)が活躍貢献しています。

3 修道館時代

天明七年五月六日、
『講席』を場内町奉行所跡に移転して、『修道館』と改名しています。

ここでも当時の職員組織の中に、講師広津藍渓・会談員後藤鳳澤(ごとう・ほうたく、上妻郡新荘村)の名が列記されています。

寛政七年(1795)正月七日夜、『修道館』類焼、閉館。

4 明善堂時代

藩主頼貴は藩財政窮乏をおして追手門内戸田勘解由邸宅跡に再建着工(寛政八年二月十一日)、寛政八年十一月十二日に落成しています。

そして、寛政八年十一月二十八日に、新たに藩校を『明善堂』と命名しています。

このおりも、開講当時の教員(教授者格)の中に後藤鳳澤の名前が見られ、また文政五年(1822)には講官本荘星川(ほんじょう・せいせん、上妻郡山内村)さらに文政十一年からは星川の明善堂教授全盛時代が出現します。

5 学館時代

蔓延元年(1860)四月五日、

十一代藩主頼咸(よりしげ)の改革策によって、『学館』が設立されています。

この学館時代にも、多数の教学八女の先儒たちが大活躍しています。すなわち、

本荘適所(上妻郡山内村)安政六年1859
高橋嘉遯(上妻郡福島町)慶応元年1865
牛島栗斎(上妻郡津江村)慶応元年
樋口和堂(上妻郡酒井田村)明治二年1869
中野一峰(上妻郡国武村)明治三年学館寮長

等の先輩が貢献をしています。

※ 明善小学

明治五年(1872)十一月二日開校

高山彦九郎は、「継志堂」(高山畏斎遺塾)来遊のみぎり、『筑後の文武は上妻にあり』と賛嘆したと伝えられています。まさに藩校『明善堂』の草創期、充実期、発展期のいずれにおいても「学問どころ上妻」の面目躍如たるものがあります。このことは教学八女の源泉であり、ふるさと八女の教育史における意義は金字塔的存在であると確信します。(つづく)

([八女市上妻小学校沿革誌]1985年刊行より引用)

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コメント

知識の宝庫のような頭を持つhimenoさんが八女の生まれであることも、高橋先生のお父さんが頭脳明晰・人柄ともに優秀で偉大な功績を残されたのも、五木寛之・黒木瞳(この人はそんなに美人だと思わないけど、永年売れっ子ナンバーワンで居るのは、根性が並大抵のものではないのであろうと思っています)を生んだのも土壌だったんですね。

何年か前に帰郷した時、久留米の篠山城址のとこを歩いていたら、明治維新に活躍した人の中で、特に教育や医学に熱心な人がここ久留米にいたと言う石碑がありました。
それでここに医学部が発展してるんだと納得しました。

私達のころ、明善校には毎年優秀な人から何人かが鳥栖の中学から入学していましたから「明善」って聞くとあこがれます。
2,3、年前まで、私のいとこが数学教師として明善校にお世話になっていました。

さくらさん。おはようございます。
世事を知らず、学校の序列も息子を塾に入れて初めて知りました。冒頭に書いた塾の先生のはなしも、普通に聞けば、地域に一校しかないから競争をし、勉強をうんとするんじゃないかと思うのですが、そうみえて実は井の中の蛙を作るだけだということを先生はいってるわけで、常に大きな視点からものごとは見にゃいかんってことでしょうね。
大分が学区の廃止を決めたって初めて聞いて、なるほど・・とおもった。いまやそれは数値でいやおうなく出ますから。数値にあらわれるものだけが全てじゃないにしろ、ある面でのはかりであるのはまちがいない。せっかく優秀な頭脳があちらにもこちらにもあるのに、公教育はそれを埋もれさせていないだろうか。ということが問われているとおもいます。

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