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2007年4月 4日 (水)

父と子とー高橋甲四郎、その2

(きのうのつづきです。)

 それは、長いうっとおしい梅雨の合間の雨上り、若葉が朝日に輝き、つかの間の青空が顔を出した7月10日早朝のことである。私は、昨夜おそく東京から帰ってきて、疲れて寝入っている父より一足早く起きて、近くの井戸端で顔を洗い、父が休んでいる離れ家に再び戻ってきた。私の気配に気付いたのか父は目をさまし、仰向けに寝たままの姿勢でつぶやくようにこう言ったのである。
「水を、水を持ってきてくれ」

 私は急いで井戸端に引き返し、手押しポンプで水を汲み上げ、コップになみなみと水を注いで父の枕もとに持ってゆき、
  「水、持ってきたよ」

 と言ってコップを差し出した。父は上半身をこちらに向けるように寝返り、右手を大きく伸ばして私のコップを取ろうとした。
 その時である。
  父の手がコップに届く前に、突然父の体全体が硬直したようになり、まっすぐに伸ばした右の手が、大きな息と一緒に2,3回上下したかと思うと、一言も発することなく、燃えていた火に水が掛けられて消えていくようにして息を引き取ったのである。あっという間もない出来事であった。私は一瞬呆然となったが、すぐさま事の重大さに気付き、走っていって叔母やその家族に父の異変を告げた。それから間もなく町の医者がやってきて診断した。死亡診断書には「狭心症による死亡」と記されていた。

 先妻に先立たれ、後妻を迎えてからは決してしあわせな日日の家庭生活を味わうことが出来ず、家庭的に不遇だった父は、このようにして55年間の生涯を終えたのである。

 私は大きな鉄槌で脳天を叩き潰されたようなショックを受けた。杖とも柱とも頼みにしていた父の死、そして久し振りに再会出来て間もない父との死別は、当時21歳の私にとって「試練」と呼ぶにはあまりにも残酷であった。幼い頃、早くから生母とも死別し、兄弟も姉妹も居ない私は、全くの天涯孤独となったのである。父の後妻となった私の義母とは早くから音信不通であった。
 
 この時から私の苦難の生活が始まったのである。
                                 (つづく)

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