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2007年4月 9日 (月)

父と子とー高橋甲四郎、その7

(きのうのつづきです。)

 またある日、父と一緒に旅行した。ある駅の構内で急にトイレに行きたくなった。父に
「便所(当時トイレという言葉はなかった)はどこ?」
 と尋ねたが、父は
「眼と、耳と、口は何のために付いているか!」と一喝された。自分で探せ、ということである。私は駅の構内を歩いている人々に尋ねてまわり、「便所」と書いてある標識を探し出して、やっと用を足したのである。

 父は乗馬が好きでよく遠乗りすることがあった。
 その日は秋晴れの気候のよい日曜日であった。父と雇人と私は2匹の馬にまたがり、当時小学生だった私は、まだ青年のような若い雇人の前にちょこんとまたがって近くの山に行った。その帰りのことだった。町から4キロ程離れた所まできたとき、父は私の背後に乗馬している雇人に、
 「君だけちょっとおりてくれないか。」
と言って私一人を馬の鞍の上に残させた。そして父は何を思ったか、持っていた鞭(むち)でいきなり馬の尻を力一杯たたいたものだからたまらない。馬は驚いて跳び上り、私一人を鞍の上に乗せたまま一目散に駆け出したのである。私は恐ろしさのあまり、鞍の上にしがみついて生きた心地はしなかった。馬は4キロ離れた役所(農事試験場)の自分の馬小屋にはいり、
 「ヒヒーン」
といなないたのである。その時の恐ろしかったこと、しかしこのことで度胸がつき、それからは一人で乗馬することにそんなに抵抗感はなくなったのである。

 万事がこの調子であった。あとで考えてみると、将来私が一人で生きてゆくための指針を与えていたのであろうか。今でいう「自立」というものを植えつけようとしたのであろう。
 
 次に父の健康について少しばかり触れておきたい。
 父の40歳代の後半ではなかったかと思う。1度マラリアに冒されて発熱し、その治療薬としてキニーネを服用していたことがある。そのためか、今度は胃腸がやられてしまった。しかし父は、もともと頑丈な体軀(たいく)の持主であったので何とか持ちこたえていたが、次第に弱っていったのを気力で維持していたのであろう。とうとう50歳の頃胃潰瘍(いかいよう)となり、最後の手段として、
 「断食をやろう」

と決心し、何日間か断食道場にはいり、やせこけて出て来た。しかし本人はすこぶる機嫌がよく、快活であった。
 「これで身体が軽くなった。長年の宿便が出てしまって、身も心も洗われたように軽くなった。

と至極満足そうであった。
 その頃であったと思う。当時の朝鮮帽子(カッ)を被り、朝鮮の白い民族衣装(チョゴリとパジ)を着て、アポジ風よろしく、断食道場で伸ばしたあごの山羊髭を右手でふさふさと撫でながら、写真を撮らせたりなどして得意だったようである。

 当時中学生だった私が休暇で帰省すると、
 「どうだ、似合うか。」
とポーズをとったりしていたことを覚えている。断食は予後の養生が大切であるといわれているが、父は相変わらずの多忙のため、健康は完全には回復していなかったようである。
 この頃から戦争は末期症状を呈してきたため、北九州の学校に在学していた私は、以前のように玄界灘を往復して朝鮮に渡ることが困難となり、その
後の父の健康状態がどのように推移していったかは知る由もない。
 ただ、敗戦の翌年五月に、リュックサック1つを背負い(これが当時の引揚者のスタイルであった)、着のみ着のままで、両手に少しばかりの荷物を下げて、郷里の叔母の家に引き揚げてきたときは、びっくりするようにやつれて気落ちしていたと叔母たちは言っていた。

『高橋昇 朝鮮半島の農法と農民』の「あとがき」より。
    
飯沼二郎・高橋甲四郎・宮嶋博史編集
               1998
2月、未來社刊

 

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コメント

またしても戦後の写真のことですが、田んぼの中に母屋のあるような家の前で、リュックを背負って帰ってきた兵士の人を、野良着姿の女の人が迎えている写真を見ました。
様々な戦争中の写真を見た中で、なんとも言えない写真でした。
白い遺骨の箱を胸に抱いて帰って来る兵士の写真も胸を打ちます。
私の叔父(父の兄)も、シベリア抑留からも22年ころ帰ってきて、基山駅まで這うようにしてたどり着き、駅前の親戚の家の門の前でばったり倒れたそうです。
こういう光景が焼け野原の全国で繰り広げられていた、そこからたった20年後に東京オリンピックが開催された事に驚きます。

himenoさんのご苦労で、甲四郎先生の子供時代、朝鮮の様子読む事が出来てとてもよかったです。
有難うございました。

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