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2007年3月 8日 (木)

花外楼のこと 3

  後記

         江崎 政忠

 花外楼の初代は加賀屋伊兵衛と称し、文政年間加賀国小松在徳光村より大阪に出(い)で、日本橋一丁目に住居し商業を営み、其業大いに栄えたりしが、天保の頃其長男伊助は化浜一丁目に移りて、割烹店を開業せり。是即ち加賀屋伊助にして、俗に加賀屋の名称を以て呼ばれ、幕末には大阪知名の料亭として、其名遠近に聞ゆるに至れり。明治維新後一般平民に姓氏を許さるゝや、其故国の村名に因み徳光を姓とし徳光伊助と称し、木戸孝允、伊藤博文、井上馨等貴顕大官の寵遇を得て、家業は愈々繁昌し、以て今日に及ぶ。而して其通称加賀井を花外楼と改めたるは、木戸孝允の命名に依るものにして、其事蹟は前文に記せるが如し。因みに花外楼の敷地の一部は、明治十四年市区改正のため大阪市に収用され、現在の家屋は其際改築したものなり。

参考文献の「木戸孝允日記抜粋」へつづく。

(注記)表記の漢字は原文では正字です。

 

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