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2007年3月12日 (月)

鳥栖の現場で

鳥栖の現場で

今朝、事務所に着くやいなや、現場に立っているボスから電話があり、日報を書いたら至急現場へ来て交代してとのこと。地図は机の中にあるから、と。

見れば現場は鳥栖市内某所、探し求めていけば、こんなのどかな田園地帯でした。

これは麦畑の畦に咲いていた「仏の座」(さくらさんの今日のブログhttp://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/d/20070312にきれいなアップ写真があります!私のはケイタイなので、ぼけてます。)。

鳥栖の現場で

34号線とか道路を数字で言ってもらっても、鳥栖のことはさっぱりでっしゃ。三号線と五号線は覚えたけどね。地図とケイタイと勘をたよりになんとか着いた。そこは新築工事現場で、クレーン車や資材車が入るための交通誘導をするんでした。が、しかし、警備は二人、ベテランの男性隊員が大型車が入ってくる小道の角につき、やっぱり今回も私はといえば、超ヒマな、人も車もネコも通らぬ団地の駐車場の裏に立つのでした。ひまでひまで泣きたいほどひま。もうしわけありませんが、撮影をさせてもらいました。雲はいいなあ。

鳥栖の現場で

この道がたぶん、34号線でしょう。

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コメント

私がイヌフグリとホトケノザをUPしたら、同じ花をhimenoさんが鳥栖で撮ったとは、何と奇遇!!
しかも、イヌフグリは珍しくも何ともないどこにでも昔からある雑草なのに、永年の写歴で初めてちゃんと撮ったのですよ。

鳥栖の空の青さは全然違うわ!
34号線沿いは、昔と一番変わっている辺りなので、もう私は全然わかりませんが、himenoさんに、鳥栖の空気を運んできてもらったように嬉しいです。
3号線沿いにある小学校が、私の卒業した小学校です。

本鳥栖って地名もあったなあ。この仕事について、何がうれしいかといえば、地図を読むちからがついたことです。ゼンリンの地図、毎年かわるやつを社では契約していて取ってます。あれって市ごとに更改される月が違うらしいですよ。十二月に集金にきた地図屋さんと無駄話をしたとき、教えてもらいました。
この雲の写真、いいでしょう。この雲、写して、しばらくして、見上げたらもうなかった。写るために来てくれたいい奴です。

本鳥栖(ほんどすと言う)は、私が甲四郎先生から、数学を習った鳥栖高校のあるところです。

雲や夕焼けは刻々と変わり、次に顔を上げた時はもうない、そういうのにしかはらはらドキドキする事がなくなりました。

さっき、堀場製作所と言う会社の社長さんがテレビで言っていました。
どんな仕事でも楽しさを見つけてオンリーワンになりなさい、単純仕事ほど楽しみが見つけられると言っておりました。

ほとけの座、もう咲いているのですね。あの小さな花をそっとつまんで笛に・・・子どもたちと花笛を吹きます。でも、子どもは直ぐになるのに 、おとなはなかなか音が出ません。そっとそっと・・・とても優しい音です。

さくらさん。ももさん。こんばんは。
今日はまた現場でした。全員が現場。文句いえない。全員が出るというのは、年に数回、今の時期のみなので、たのしむことにしました。それに三時間以上はないし。あとで早く終わった人が替りにきてくれるので、ありがたし。立ってると、発見があるのです。これまで見えてなかったものが見えてくる。
さくらさん甲四郎先生の本鳥栖の鳥栖高校の標識が出ているのをちゃんと写真にとったんですが、流れてて失敗作でした。走りながら写してはいけないですね。危ない。
甲四郎先生が返事をくださいましたので、コピー引用してみます。先生、お許しください。

私が、鳥栖市に在住した頃と違って、いまの

町並みも、鳥栖高校も完全に建て変わって、見知らぬ町や、

学校になっています。

 2~3年前に、所要があって鳥栖市に行き、鳥栖高校を

探しましたがなかなか見つけられませんでした。

 しかし、最後には何とか見つけましたが、勤務して

いた頃の校舎とはくらべものにならないほど立派な学校

になっていました。

 鳥栖市内もそうです。立派な道路が縦横に出来ていますし、

汽車の煤煙が箪笥の引き出しにまで入ってきて、家内が

悔やんでいましたが、JRも、今は立派に電化されています。

 何しろ、私が勤務していた頃は、半世紀も前のこと

ですからね。

以上、引用おわり。

汽車だったころの記憶ですね。なつかしいです。わたしまで。
甲四郎先生とあさっておあいします。

ももさん。鍬塚さん。今日、やっと必死で書いたですわ、たちきの十句の原稿、四人分。昨夜も遅くまでやりましたが終わらなかったので、こんなにおそくなりました。なぜか今月はみんな出来ていなかったんですよね。記念号というのに、みな超多忙で、または何か事があって、できなかった。しかたなく、過去の作品からそろえてだしました。主宰に申し訳ないですし。


なんかここは書きやすくて、私信のような事になりますが、甲四郎先生は、鳥栖高校の前は、基里中学でも数学を教えておられて、私はそこでも習ったのですが、その時代に結婚されて、学校のそばの小さな部屋を間借りしたんだそうです。
古い、きたない部屋だったそうですが、その頃は、みんな粗末な部屋で、間借りなんてことしてたんですよね。
その数年前に、高校を見に行かれた時、新婚時代に住んでた部屋もそっと見に行かれたそうなんですよ。
秋に東京で、先生と3人で会った同級生のY子さんは、その新婚の先生のお宅に遊びに行って、奥さんがものすごく綺麗だった事だけを覚えているんですよ。
なんか小説みたいな話でしょ。

今夜もおにぎり。

さくらさん。そうなんです。私が最初に甲四郎せんせいんちに行ったとき、窓辺に案内してくださって、そこから庭をみせてくださいましたが、ついでに飾ってあった奥様の写真もみせてくださった。ご存じでしょうか。去年みどりの日になくなられたそうです。これは忘れません、なぜなら奥様はみどりってお名前で、しかもとてもきれいなひとでしたよ。
甲四郎先生は、ちっともかなしくないっておっしゃってましたが、戸畑の母も義父が亡くなって一年、いや二年ほどはちっとも悲しくないっていってた。それが最近はなけてなけてしようがないって。私は思いますが、あんまり悲しかったら、なみだがでないんですよね。

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