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2007年3月11日 (日)

いらん!

と言われてしまった。

月曜日に岐阜へ旅立った息子はさほどお金をもってなかったので、新生活を始めるのに物入りではあり、さぞ心細かろうと、少し通帳に入金する方法で送金したところ返ってきたメール。この一週間なんど連絡を取ろうとしても、電話にもメールにも返信をよこさなかったあいつが、はじめて岐阜からよこした便りがこれである。ムカつく!

親に頼らず、じぶんでなんでもやってみようと思っているようだ。偉い。見直した。

この一週間、勤め先がなかなか決まらず、ずいぶん心配をした。私だけでなく、母も父も心配してくれるから、三乗で心配のエネルギーが放射される。目には見えない心配ビームを一身に受け、きっと重かったろう。そう案じていたら、敵もさるもの、経験豊かな父親から私や祖父母の過剰な心配を断ち切る方法を学んでいたらしく、いっさいノーコメントである。なかなかのものだ。こうでなきゃ、里心がつくというものだ。

なんだか安心した。職場も最初は愛知と岐阜の境のパソコン部品の生産工場と言ってたのが、そこは見学の結果、どうも息子には向いてないと思ったらしく蹴り、別のところを見学にゆき、自動車部品を生産する工場に落ち着いたみたい。よかったね。

というわけで、今週はまだなにも仕事を始めていないようです。でも、母にかかってきた一本の電話の声が、いやにしっかりとしていたといいます。やはり、遠くにだしてよかった。

あとは人に感謝できる自立した人間になってくれることを祈るのみです。

そうそう。おもしろい偶然がふたつありました。ひとつは、むすこが発った日、私の勤務先にもなぜか二人の若者が入社してきて、その名が息子とおなじ音だったこと。年も同じ21歳だったし。もう一つは、会社の住所。なんと岐阜県の大垣市です。うわあって思った。

芭蕉の友人に谷木因という大垣の人がいて、おぼろげながらこんな句を記憶してます。(この引用は記憶のなかからのひっぱりであり、正確ではないかもしれないことをお断りしておきます。ごめんなさいね、木因さん。確かめるすべがないので。)

さし鯖やふたつ重なる板の上  木因

伊丹の柿衛文庫に初めて行った平成九年初夏、展示されていた芭蕉周辺の俳人たちの短冊のなかにこれがあり、ほかにもたくさん素晴らしい句があったのに、こんなへんてこなしょうもない暗い句をふしぎと記憶に焼き付けて帰ったという思い出があります。それは、さし鯖というのがいわゆる心中死体(相対死)の比喩で使われていることばだと、帰宅後調べて知ったからでもありますが、自分でも理由はわからぬながら、妙に気になったんですね。

そのときは理由など皆目わからなくても、ずっと後になってから、そうかあれはここに繋がっていたのか、と腑に落ちることがたくさんあります。だから、どんなことも、長い目で見なければなりません。ほんとうになに一つ、私たちの尺度のよいわるいではきめられないものですねえ。

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コメント

「東京タワー」の中の、お母さんの最後のせりふで「まーくんに仕送りする時が一番嬉しかった」というのがあります。

たとえなけなしのお金でも、息子に送るのなら喜びに変わる、母親の気持ちを一番表しているせりふでした。

「いらん」と言われて、心の片隅では、ちょっと寂しいでしょ?

「東京タワー」って黒木瞳の恋愛映画じゃないのですね。みてないです。でも、そうですか。昔の五木さんの青春の門みたいなんだろうかな。え。じぇんじぇんちがう?

長男はまじめな不器用な誠実な男です。はたちになったとき、風俗にいっておいでよと一応言ってみた。母親がいうべきことばじゃないですけども。そしたら何といったと思いますか。いやだ。そういうのはいやだって。あすから、仕事が始まります。


へえ、強固はん、息子とそんなハナシができるったい。うらやましかね。わたしは娘たちには、望まない妊娠をしたら自分の人生が変わるってはなしはしたな、そう言えば。息子はしっかりクチが重たいから、なかなか心を割った話にならんね。でも、就職して家をでるときに、やっぱりそんなことを話したっけ。男としての責任があるとよみたいな。あとは野放しやなあ。

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