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2007年3月23日 (金)

お休みのご案内

前田夕暮の歌の引用の途中ですが。(他にも引用の途中で休憩している項目がいくつかありますよね。)月末までに仕上げなければならない仕事がいくつかあり、十日ほどお休みいたします。批評でお金をもらっているプロでもなんでもありませんが、アマチュアにはアマ道というものが厳然とある。身銭をきり、時間をけずり、義理を欠きして、決して売りとばさない精神です。・・と、いちおうカッコつけてみたものの、自転車操業でありまするなあ!

ところで、中公文庫の「日本の詩歌」って絶版なの。・・そうか。かなしいよのなかですね。

この7の表紙の写真が、すごいです。蓮田の写真なのですが。かきたてられる。いきたくなる。いいえ、そうではない。はなから接近をこばまれている。この世の景色ではない。写したひとにあってみたくなる。いいえ、そうではない。写したひとに会った記憶がよみがえってくる。

※ 気になったので、ちょっと検索してみました。そうしたら、すごい人でした。資料を添付します。私が持っているのは詩集が一冊と歌集が一冊のみですが、この浜谷浩という人の写真には、なにかがある。http://www.wako.ac.jp/souken/touzai99/tz9906.htm

おや。このサイト、ひょっとして、和光大学のかな。和光大学といえば、私のブログ名とも関連する漫画家岩明均のお父上の勤務なさる大学ですね。城山三郎さんが昨日なくなったことを報じる新聞を見て、その遺影が、あまりにも『七夕の国』の長老とそっくりだったことに打たれました。城山さんは広田弘毅の「落日燃ゆ」を書かれた人でしたね。

じつは、岩明均さんに尋ねたいことがありまして、あの漫画のなかの七夕、といっても今の七夕ではなくて夏至に七晩つづく火祭りは実際にどこかでほんとうにあっていたのでしょうか。それ、だれか教えてくれないでしょうか。私は気になる。(ムーミン谷の夏祭り、って本に、北欧の夏至の火祭りが出てきますが)

2007年3月22日 (木)

収穫  1

『収穫』 より 

         前田 夕暮

魂よいづくへ行くや見のこしし
     うら若き日の夢に別れて

荒みゆく心をしずにおししづめ
          「吾」をみまもり涙ぐまれぬ

あはれみが二人をつなぐ悲しさを
     いかなる時に君は知りしや

別れ来て晩夏(おそなつ)の野に草を藉(し)き
         少女(をとめ)のごとくひとりかなしむ

われ等また馴るるに早き世の常の
            さびしき恋に終らむとする

襟垢のつきし袷(あはせ)と古帽子
            宿をいで行くさびしき男

秋の朝卓の上なる食器(うつは)らに
            うすら冷たき悲しみぞ這ふ

わすれ行きし女の貝の襟止の
             しろう光れる初秋の朝

すてなむと思ひきはめし男の眼
             しづかにすむを君いかにみる

白き額(ぬか)にのこし来にけるわが熱き
             唇おもひ夜の街ゆく

垢づける蒲団の上におほひなる
             虫の如くもまろびねにけり

秋の昼名しらぬ花をみてありぬ
              唇うすき子の恋ひしさに

君ねむるあはれ女の魂の
      なげいだされしうつくしさかな

いはれなく君を捨てなむ別れなむ
      旅役者にもまじりていなむ

マチすりて淋しき心なぐさめぬ
              慰めかねし秋のたそがれ

いづくにか捨てむとすれど甲斐ぞなき
       誇らひに似し我が悲しみを 

         (中公文庫「日本の詩歌 7」より引用)

           

  

2007年3月21日 (水)

お宮掃除

お宮掃除

となりぐみ一班でのお宮掃除。とてもきれいです。月に二回は組長さんがなさっているし、先日は溝浚いもあって、そのときにも除草をされたみたいですね。今日は「お弘法さん」と言って、春のお彼岸参りに信者のかたがめぐってみえるので、お接待があるのでした。夕方、といっても四時半ころでしたか、あがりの村の一つ前の係りでした。って、意味わかるでしょうかしらん。昼食にあたる村と、あがりの村では食事をふるまいますが、今日はそうじゃなく、お茶だけの接待でした。年々参拝者が減り、今日は十人でした。昔は徒歩だったのに、いまは車でみえます。

お宮掃除

上記の鳥居の年号、昭和十二年。いたい年です。鳥居にある天満宮の石の扁額は、当時の首相だった広田弘毅の文字です。鳥居と本殿のあいだにある左右一対の狛犬は、弘化二年の年号が入ってまして、左が姫野一族、右が古園井一族の寄進によるものでした。

お宮掃除

すうっとまっすぐに立つ樹は、銀杏の雄株です。

お宮掃除

お宮掃除

早咲きの桜が満開でした。まるで桃の花みたい。名はたしか「陽光」でした。

お宮掃除

お宮掃除

赤ん坊のころから知っている樹。樟です。

2007年3月19日 (月)

きゃら弁

きゃら弁

とは申しませぬ。愛媛産サンフルーツ、ばあば産青梗菜がはいりましたよん。みごと芸なし

2007年3月17日 (土)

泉のほとり

突然ですが。

今朝から気になっていた歌の歌詞を検索しましたら、わかりました。むかしむかし福島高校時代によくクラス対抗の合唱コンクールというのがあってまして、それの課題曲で、あまりにも何回も歌わされたものだから、印象につよく残ってはなれないんです。

これです!

http://www.geocities.jp/kobatoru1jp/Z35.htm

よく歌詞を読んで、わかったのは、これは兵隊さんのむすめたちとの掛け合いの歌でもあり、ぼさぼさの髪や鬚をあたってあげる理髪屋の兵士の歌でもありました。ロシアの軍歌だったそうで、それはいま、調べてわかりました。民謡のようにのどらかな歌です。

アストロリコの麻場利華さんの大叔父さんがたしか、理髪屋の兵隊さんだったのです。それで重巡洋艦・鈴谷に乗っておられたそうです。

http://www.kt.rim.or.jp/~r_kiyose/review/rv0402.htm

2007年3月16日 (金)

刈干切唄と五右衛門風呂

今日は雨がふって寒い一日だった。雨が降ると警備士は暇である。室内にいつもは私しかいないのに、今日は三人も四人もいた。寮に寝泊りしている若い隊員がいて、彼の部屋ではガス代がとても高い。七人の隊員全員がそれぞれに水をかえて風呂をたてるからだって。なんとまあ、もったいない。ビンボウ人のくせにぜいたくよね!

え。差別用語ですって。ちがうちがう。ほんとのことであるからして、いいのだ。職場ではびんびん飛び交ってますよ差別用語。ここに書けないようなこともね。でもだれも怒らない。そんなやわな人は一人もいない。きもちいいよ。それにやさしいし。

一人ずつお湯を換えるのはぜいたくだって話をしているうち、つい昭和っ子の私や社長や営業のえむさんが「自分達のこどものころは」という話をしだす。村の共同風呂の話題で盛り上がるのであった。社長の村では、五右衛門風呂だったそうで、こどもが載ったくらいじゃ板が沈まず、父親が載ってきれいに板をしずめ、それから子供が順に入ってたという話をされた。みんなで並んでからだをこすりっこした話とかも。いいなあ、こんな記憶。ふぃりぴんでは今も水道じゃなく井戸水をポンプで汲み上げているってことも、ついでに聞かせてもらった。こどものしごとだそうだ。水を汲むこと。昔の日本のこどももたくさん手伝いがあったものね。いまはなにもさせないけれど。

きのう、前田圭衛子先生捌きの歌仙があがったのだが、挙句は私がだした。その際、歌か音楽の句で軽くどうぞ、と助言があったから、いろいろと歌を考えあぐねるうち、ひょいと浮かんだ歌があった。

ここのーやまのーかりぼしゃあああすんだえー
あすはたんぼでいねかろかよー

というよな歌詞と、哀調あるメロディーも浮かんで、そうだこれは刈干切唄だったなあと思う。ところで、刈干し切り唄って、大根の切干でも作るんだろうか。父に尋ねてみた。すると、「いんや、ありゃあ馬の食べる草を刈って干すったい。夏はいいばってん、冬は草がないけん、そのためにたいがい草ば刈って干して、ほめかせておくったい。」とのお答え。そうだったのか。きりぼしだいこんじゃないんだな。

ということで、歌詞をくわしく検索してみましたら、こういうサイトがありました。宮崎の民謡でしたね。歌詞にあちこち意味のわからない部分があります。http://www5b.biglobe.ne.jp/~pst/nihon-minyou/sound/karibo_k.htm

追記)

挙句案として出した句:

 卒業生へ出発の歌(たびだちのうた)

 うららかに鳴る千の古壺(ふるつぼ)

 つちふるたびに鳴るよピアソラ

 出まかせ歌のうららのどけし

 センチが丘にハルジオン摘む

 小田のかはづの歌ののどけし

 炭坑節をうたふ警備士(っておい季語がないじゃん。)

へたな鉄砲も数うちゃあたる式ですな。で、どれが治定されたかというと・・蛙の歌でした。

budさん

ばどさんのばどってなんじゃろと思ってた。倉本朝世ブログで初めてみたとき、聞いたことがあります。そしたら、ジャズピアニストのバドバーエルから取った名前だって返事をもらった記憶があります。(まだピアニストについては調べてないです。)

調べると英語で花びらのことみたいです。これ、意外な発見でしたねえ。petal と全くおんなじなのかどうか、知らないんですが。まあ、戦争のwar とbattle の違いも知らない人間ですからね。笑

検索したとき、こんな可憐な繁簍の写真をみつけましたよ。貼り付けます。http://search.goo.ne.jp/blogreader.jsp?url=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fhisamtrois_e%2Fe%2Fdb5e06f1dbf57263706c3a3c637f6926&MT=Bud+Small&snum=1&DC=10

2007年3月15日 (木)

警備士のいる風景

警備士のいる風景

きのうの朝、通勤途上にて写す。ちょうどストップがかけられたので。

こういう警備は片側通行でありますよね。二人警備士があっちとこっちに立っていて、交互に車を通すのです。二人の息があってないと困ります。この誘導法のコツは・・・こんど聞いておきます。笑。すいません。場所は八女郡広川町かな。それともまだ八女市に入るとこかしら。

2007年3月13日 (火)

鳥類センター裏

鳥類センター裏

今日も十時半から一時ころまで現場仕事でした。鳥類センターはどこかと言うとですね。えーと、あそこらへんです。競技場があって遊園地があって、青少年科学館だったっけ、ほらプラネタリウムがみれるところ。そこらへんにありまする。町の名は櫛原だったかも。

少し坂になった三叉路にたって、坂下の川のうえに架かる橋が壊されてなくなっているので、通行止めだということを進入してくる人や車に教えるしごとでした。が、しかし。またまた暇でした。だあれも来てくれないの。たいくつ。下を見ていたら、こういう金目のものが目にはいりました。笑(まんなかの十字は、久留米の米の文字です。)とってったらいけません。

鳥類センター裏

これはちいさな止水栓。そのまたちいさい隙間にちいさな草がびっちり生えておった。ぐっときた。手前の行儀のいいつま先はわがはいのバスシュー。息子のを借りた。

鳥類センター裏

鳥類センターでは今日、幼稚園のよいこたちが遠足にきていました。それが坂の上からみえましたが、写真にはうつりませんでした。かすかに遠方に観覧車がみえます。川の上の橋梁工事、今月いっぱいはかかりそうでした。

おべんと。

おひるは朝、じぶんでささっと詰めたお弁当を持っていって食べます。(おべんと箱は百均の緑色の二段重ねのちいさいん)たいてい事務室で独りでたべますね。中二のむすこは、食堂でみんなと食べたいといって、絶対持って行こうとしません。かなしいというか、さみしいというか、もったいないというか。

こんなこといったらなんですが、わが社の隊員さんたちってみーんな見事におからで、別の言い方をすれば、超びんぼうで、きもちいいくらいなにも所有しておられず、その日暮らしもいいとこなんですよね。で、ときに○○さんにお昼の弁当を作ってあげてと依頼されたりもします。そんなときには、ただちに部室じゃなかった寮の部屋に行き、きったねえ雑然とした殺風景な男所帯に乗り込み、だーれもいない部屋でもくもくと握り飯をにぎります。ごはんだけはたくさんありますからね。四、五個。それだけのときもあるよ。そんなときは、まるで少年野球時代のお弁当みたいだなあとなつかしくなります。あのころは、おにぎりだけでしたものね。みんながそうだった。でも、それがとてもおいしかったのですよね。おにぎりは、うめぼしだ!それと昆布もいいかな。かつおぶしにおしょうゆもね。まあそれはともかく、作ってあげれば、とっても喜ばれます。こっちまで、うれしくなってしまうほどです。みんな、さびしいんだなあっておもうよ。

先日の「おでんくん」のトラックバックで知ったおべんとサイトをご紹介いたします。

http://ramirami.seesaa.net/article/35392851.html

どれもこれも、とってもキュートですわ。すごい才能ですね。こんなよめさんがほしかったよ。笑

そういえば。わがブログの師たるマリオットの盲点のあっさむさん(独身)は、お若いのに、ご自分でお弁当を詰められるそうです。それを聞いたとき、ひええっとおどろきました。毎日、なにをつめているのでしょうね。

2007年3月12日 (月)

鳥栖の現場で

鳥栖の現場で

今朝、事務所に着くやいなや、現場に立っているボスから電話があり、日報を書いたら至急現場へ来て交代してとのこと。地図は机の中にあるから、と。

見れば現場は鳥栖市内某所、探し求めていけば、こんなのどかな田園地帯でした。

これは麦畑の畦に咲いていた「仏の座」(さくらさんの今日のブログhttp://blog.goo.ne.jp/ssj19430903/d/20070312にきれいなアップ写真があります!私のはケイタイなので、ぼけてます。)。

鳥栖の現場で

34号線とか道路を数字で言ってもらっても、鳥栖のことはさっぱりでっしゃ。三号線と五号線は覚えたけどね。地図とケイタイと勘をたよりになんとか着いた。そこは新築工事現場で、クレーン車や資材車が入るための交通誘導をするんでした。が、しかし、警備は二人、ベテランの男性隊員が大型車が入ってくる小道の角につき、やっぱり今回も私はといえば、超ヒマな、人も車もネコも通らぬ団地の駐車場の裏に立つのでした。ひまでひまで泣きたいほどひま。もうしわけありませんが、撮影をさせてもらいました。雲はいいなあ。

鳥栖の現場で

この道がたぶん、34号線でしょう。

川さらひ

レイキとは熊手のことよ川浚ふ  恭子

土曜、春恒例の村中総出の川浚えがありました。いつもほぼ、わが家は父が出てくれます。「レーキに引っ掛かるものを引き揚げるったい」とは父の弁。草刈もするようですが。

ん。れーき?れいき。レーキ、レイキ。農具です。雁爪(がんづめ)のこともあり、私は知ってるようで知りませんでした。しらべました。みっつ、あげます。http://www8.ocn.ne.jp/~kuwata/newpage4.html

http://www.ohtsuya.com/blueberries.html

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/071601/sintyaku/17hana1-1.html

ブルーベリーをレーキで収穫するとは知りませんでした。引いてみるものですね。
川さらえ、都さんも出たのかな。たからさんも出てたって父が言ってました。忙しいのに、よくいやな顔もせず、参加なさいます。二人とも、えらいです。私は、親の陰にいて、なんにもしないで、まったくお気楽なものです。(もっとも仕事でしたが。)

ところで、今びっくりするような不思議な出来事がありました。ほんとうにほんとうにぎょっとした。熊手資料を貼り付けようとしたら、その瞬間ぱっとブログが出て、それはなんと冬樹蛉さんの匕首について書かれたページだったんです。

こんなことってあるんでしょうか。また逆鱗にふれてしまったようです。あわわでした。相当ごきげんななめです。もはや金輪際許してはもらえないのでしょう。匕首には熊手じゃ立ち向かえないもの。でも、いちおう、素手でたたかってみます。

2007年3月11日 (日)

みかへり如来

     永観堂

顧如来の辺やもりあをがへる卵産む  安住 敦

     遺句集「柿の木坂雑唱以後」(1990、平凡社刊)所収

永観堂近影:http://www.eikando.or.jp/kinei.htm

モリアオガエルの産卵シーンが見れる映像つきサイト:http://contents.kids.yahoo.co.jp/zukan/amphibias/card/0520.html

南(みんなみ)へ       
神發ち       
見返り坂      
にほふ               横山 康夫 

                   (峯雲物語) 

かへるミカエル見返りの坂   恭子

                   (やはらか戦車)

    

いらん!

と言われてしまった。

月曜日に岐阜へ旅立った息子はさほどお金をもってなかったので、新生活を始めるのに物入りではあり、さぞ心細かろうと、少し通帳に入金する方法で送金したところ返ってきたメール。この一週間なんど連絡を取ろうとしても、電話にもメールにも返信をよこさなかったあいつが、はじめて岐阜からよこした便りがこれである。ムカつく!

親に頼らず、じぶんでなんでもやってみようと思っているようだ。偉い。見直した。

この一週間、勤め先がなかなか決まらず、ずいぶん心配をした。私だけでなく、母も父も心配してくれるから、三乗で心配のエネルギーが放射される。目には見えない心配ビームを一身に受け、きっと重かったろう。そう案じていたら、敵もさるもの、経験豊かな父親から私や祖父母の過剰な心配を断ち切る方法を学んでいたらしく、いっさいノーコメントである。なかなかのものだ。こうでなきゃ、里心がつくというものだ。

なんだか安心した。職場も最初は愛知と岐阜の境のパソコン部品の生産工場と言ってたのが、そこは見学の結果、どうも息子には向いてないと思ったらしく蹴り、別のところを見学にゆき、自動車部品を生産する工場に落ち着いたみたい。よかったね。

というわけで、今週はまだなにも仕事を始めていないようです。でも、母にかかってきた一本の電話の声が、いやにしっかりとしていたといいます。やはり、遠くにだしてよかった。

あとは人に感謝できる自立した人間になってくれることを祈るのみです。

そうそう。おもしろい偶然がふたつありました。ひとつは、むすこが発った日、私の勤務先にもなぜか二人の若者が入社してきて、その名が息子とおなじ音だったこと。年も同じ21歳だったし。もう一つは、会社の住所。なんと岐阜県の大垣市です。うわあって思った。

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2007年3月10日 (土)

これですじゃ。

きょうも仕事にいきます。いまからささっと弁当つめて行ってきまっす!メーンはまたおでんの残りですじゃ。これで三日目。わーん。

http://celeb.cocolog-nifty.com/interview/2007/03/post_4ad8.html

この人の書いたものを買って一冊読んだことがありますが、まったく同感です。連句をながくやっていると、そういう考えになります。ってか、その逆かもしれない。どっちが先なんだろな。

2007年3月 9日 (金)

はみだし口

井筒屋デパートのplantationから届いた春もの服の案内を見ていたら、麻の服がほしくなってきた。ラミーローンという名の生地の、よれっとしてて実はしゃっきりしゃんとしたやつ。

おしゃれをする余裕が全くなかった。でも子供三人のうち二人まで独立してくれたからには、すこしはわが身をかまいたい。ぜったい、一つはほしい。よおし、がんばるぞ!ほしがりませう。生きるために。欲がないと力がわかないものね。

ところで、連句。付け句、考えてたら、

 はみだし口のままですさまじ

という秋の季語(冷まじ)をむりやりいれた秋の句をおもいついた。

はみだし口っていうのは、私の定義では、口紅がくちびるをはみ出ていることなんだけども、世間さまもこんなふうに言うのでしょうか。あまり鏡も見ないでささっと紅をさして外へ出て、帰宅後かがみをひょいとみたれば、アラってことはございませんでしょうか。女性のみなさま。いえ、別に女性に限らなくてもいいのですけれども。

2007年3月 8日 (木)

はたらく車 その3

はたらく車 その3

このくるま、あちこち剥げてぼろぼろです。でもナンバーが7777。なんだかすごくない。廃車したら罰があたりそうなのかも。

はたらく車 その3

車をとめているところから正面にみえるくるまのお医者さん。ちょうどこの日は郵便車が診てもらってました。

はたらく車 その3

これは六日の撮影です。帰ろうとしたときにちょうど目にとまりました。車の救急車、JAFのくるまが診てもらってたという、珍しいシーン。人も車もおつかれさまです。

花外楼のこと 3

  後記

         江崎 政忠

 花外楼の初代は加賀屋伊兵衛と称し、文政年間加賀国小松在徳光村より大阪に出(い)で、日本橋一丁目に住居し商業を営み、其業大いに栄えたりしが、天保の頃其長男伊助は化浜一丁目に移りて、割烹店を開業せり。是即ち加賀屋伊助にして、俗に加賀屋の名称を以て呼ばれ、幕末には大阪知名の料亭として、其名遠近に聞ゆるに至れり。明治維新後一般平民に姓氏を許さるゝや、其故国の村名に因み徳光を姓とし徳光伊助と称し、木戸孝允、伊藤博文、井上馨等貴顕大官の寵遇を得て、家業は愈々繁昌し、以て今日に及ぶ。而して其通称加賀井を花外楼と改めたるは、木戸孝允の命名に依るものにして、其事蹟は前文に記せるが如し。因みに花外楼の敷地の一部は、明治十四年市区改正のため大阪市に収用され、現在の家屋は其際改築したものなり。

参考文献の「木戸孝允日記抜粋」へつづく。

(注記)表記の漢字は原文では正字です。

 

2007年3月 7日 (水)

花外楼のこと 2 

   花外楼の由来

          江崎 政忠

 明治八年一月より二月に亘り大久保利通、木戸孝允、板垣退助を始めとし、薩長土の政治家大阪に会合して国事を談じ、天下の耳目を聳動せり。世に之を大阪会議と云ふ。是より先板垣退助は征韓論につき議合はず、西郷、後藤、副島、江藤諸参議と共に袂を列ねて野に下り、民選議院の建白を為し、木戸孝允また征蕃の議につき有司と所見を異にし、文部卿の職を辞して故山に帰臥せり。当時廟堂には上に三條、岩倉両卿ありと雖(いへども)、大久保利通内務卿として独り威権を擅(ほしいまま)にし、薩閥専制の声漸く喧しく、政局為に動揺を来さんとす。前大蔵大輔井上馨先収会社の事を管して大阪に在り、此情勢を見て憂慮措く能はず、木戸、板垣両人を起して再び台閣の重きに任じ、天下の輿望(よぼう)を繋がんとし、伊藤博文、五代友厚、鳥尾小彌太、小室信夫、古澤滋らと胥(あい)謀りて、百万周旋遂に大久保、木戸、板垣三者をして大阪に会せしむ。即ち大久保は明治七年十二月二十六日、木戸は翌八年一月六日、板垣は同月何れも大阪に来り、爾来(じらい)大久保、木戸は数回旗亭に会し、胸襟を開いて相語り、木戸亦(また)板垣と会して、其(その)進退を議し、二月上旬に及び漸く意志の疎通を見、同 十一日北濱加賀井に集合して、其綱領の協定を為すに至れり。即ち当日の列席者は大久保、板垣三者の外、井上馨、伊藤博文、鳥尾小彌太、富岡簡一等にして、大久保と板垣との会見は、征韓論分裂後このときを以て最初とす。而して大阪会議の結果木戸、板垣両人は参議に任ぜられ、国政上に大改革を来し、元老院、大審院の設置、地方官会議の開会となり、立憲政体の基礎竝(ならび)に確立せり。されば前記二月十一日の会合は、明治政治史上重大なる意義を有するものにして、之が会場たりし加賀井は好箇の史蹟たるを失はざる也。

 当時伊藤博文を始め長州出身者は概ね加賀井に投宿し、木戸の如きも其日記に、據(よ)るに大阪滞在中前後六度加賀井に遊び、其中二晩宿泊せり。現在外楼に珍蔵せる「花外楼 明治八年春二月松菊」と書せる扁額は、当時木戸が加賀井を同音の雅名に改め揮灑(きさい)せるものにして、其風流を偲ぶ唯一の記念と云ふべし。井上は其後に至るも永く花外楼を贔屓にし、大阪に来る毎に同楼に遊び後年鴻池家顧問として瓦屋町別邸に滞留せる際は、毎日の食饌は必ず其厨人をして調理せしめ、先代女将悦、現女将孝等を招きて給仕せしむるを常とせり。余往年井上侯の知遇を得、候の左右に侍して、大阪会議当時の状況を聞くこと一再にあらず、今次花外楼女将の需めに応じ、不文を顧みず、其概要を記すと云爾。

  昭和庚辰十月

             江崎 政忠 識(しるす)

後記につづく。

 

2007年3月 6日 (火)

花外楼のこと

古書検索でたまたま江崎政忠の本を見つけた。違うかもしれないが、ひょっとしたら、時代からいって乙骨太郎乙の長女まき(牧子とも)の夫となった人ではなかろうか。そう思い、取り寄せてみた。そしたら・・・なんだこれは。本というには余りにも薄い。たったの十ページぽっち。それで二千円とは法外な。まあ古いのは認めるけれども。なんだかもったいないので、全文丸写しして、史料としたい。なお、写真がついていて、最初に伊藤博文の「花魁」の扁額の写真(何でオイランなんだと言う気がしないでもないが、「無冠の男」で蒼海伯が言ったことばを思い出せば、なるほどそうかーと納得)、つぎに同じ「無冠の男」で「いたちの最後っ屁」と形容された井上馨の手跡による「香涯楼」の扁額。さいごに当時の花外楼の写真。(かつての奈良の日吉旅館をびよーんと横に拡げたような按配の木造住宅である。)

ハルジオン

ひっこした娘がいらないからもっていってとくれた。本とCD。バンプオブチキンのアルバム「jupiter」があった。去年ひとりで「天体観測」のDVDをみたが、その主題歌が入ってることにきづいた。数年前に次男が誕生日プレゼントにくれた平原綾香のジュピターとは違うジュピター。ありがとう、うれしかった。

ユニットバスに入るのがいやだ。木の柱の四隅に蜘蛛の巣の結界をはりめぐらして、あたしゃまるくなって四角いおふろにはいりたい。あの前面開放型の浴槽に、いまいちなじめない。びんぼったらしいのかもしんない。

バンプの「ハルジオン」、って歌。春紫苑のことで、でもハルジオンと書くとなにかぜんぜん別の、天体のなかの一個の星団みたいに思えるよ。
↓こんなの発見、ハルジオン。http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Harujion.html

http://jp.youtube.com/watch?v=a8TB7LUgTPc

きのう、長男が発った。みおくらなかった。じいちゃんが羽犬塚駅まで送ってくれた。よる、ご飯をたべるとき、じいちゃんがいった。

「三年間は辛抱せんといかんばいちいうた。石の上にも三年、っていうじゃろうがて。」

2007年3月 5日 (月)

歌仙 青野の巻

宗祇水奉納連句歌仙

    青野の巻

          水野 隆 

水溢れあふれ青野の人語かな   鈴木 漠
  光ほの透く雲のゆきかひ     水野 隆
梁高き旧家のあるじ頑なに     福井 直子
  土蔵の闇に息すものの怪    斎藤 佳城
皓々の月下に銀の斧を研ぐ     古田 了
  サックス聴ゆ肌寒の砂嘴(さし) 川野蓼艸

かまつかの顫動郷に届くころ     田中 雅子
  鶸いろドレス翻す女(ひと)     鵜飼佐知子
今日の朝ジュレの口溶け蘇り     谷崎 信治
  かくれて治すラメのマニキュア   清水 遥見
橋過ぎてべんがら格子君待たな    古田 憲治
  御園の雪を踏みて顔見世      渡辺 茂子
凍鶴の数日光に包まれぬ            蓼艸
  イーハトーブに汽笛響くか      松波 幹治
謎を呼ぶダヴィンチ・コード何を問ふ  渡辺 多美子
  濁世(ぢょくせ)を撃てと石礫降る      了
盞に花びら浮かせいざ戦         坂井 昭
  イラクは遠き逃水の方             蓼艸

名残の折

新草(にひくさ)を銜(くは)へて鳩も帰り来よ   漠
  窓は隈なく拭き上げる暁(あけ)       雅子
隠国(こもりく)の和歌の十首に城は成り    憲治
  古今伝授の邑(むら)いや栄え        多美子
言の葉を紡いでめぐる囲炉裏端        遥見
  家霊たちにも寝酒進上            蓼艸
独り居は気儘淋しさ相半ば           直子
  未だに見ぬは婚礼の夢          水野 五月
短夜を縮めて恋のメール打つ          遥見
  虚(うろ)を育てて大き綿菓子        蓼艸
長芋をわが臑(すね)の毛と撫でくらべ     治
  崩れ田毎の月円かなり            
多美子

慟哭を終生負うて渡り鳥           蓑洞 美幸
  数珠玉と齢(とし)母はか           尾山 祥子
サーカスの万国旗垂るかは          蓼艸
  双曲線を描くぶらんこ            漠 
大瑠璃に風さらさらと花過ぐる         隆
  クレー放てば海市揺れたり         蓼艸

   平成17年7月30日首尾
   宗祇水連句フェスタ
   於郡上八幡向山大乗寺

留書  
          鈴木 漠

 2005年夏、郡上八幡宗祇水連句フェスタに招かれて、水野隆氏捌きの座に連なり奥美濃連衆の歓待のもとに歌仙を満尾。打ち上げは日本一の名水宗祇水で冷やしたビールでの乾杯。歌仙は柾目の板に墨書され宗祇水の傍らに一年間掲げられた。後日たまたま観光で立ち寄った知人が写真を撮って贈って下さった機会に『OTAKUSA』 誌上に掲げ、記憶と記録にとどめる次第。

※ おたくさの会主催の鈴木漠 様、「OTAKUSA」 Ⅷ号 をかささぎにご恵贈くださいまして、まことにありがとうございます。発句の持つ格、詩性、丁々発止のベテラン連衆の力ある付け合い、ただただ見事で、うなります。ことに川野蓼艸氏の砂嘴の句、田中雅子氏の初裏かまつか句、そこからの鵜飼佐知子氏のひわいろドレスのひるがえり。絵かドラマを眺めているようで驚きを禁じえませんでした。また、漠先生の発句のみごとさは、『ぜぴゅろす抄』 収録の百韻歌仙でも強くこころに刻まれています。水野隆。この捌きのお名前は別所真紀子先生の解纜誌上でも目をひくものでありましたが、今回はことにすばらしいです。一巻を通して蓑洞美幸氏の無常句 「慟哭を終生負うて渡り鳥」 とそれを受けた尾山祥子氏の 「数珠玉と歳母はかぞふる」 が余情深くひびく巻でありました。 ーまずはお礼まで。 まだ冬にもどる日もございますが、つつがなくお過ごしくださいませ。 

参考: http://www.rd.mmtr.or.jp/~asashi/newpage1453.htm 

   : かまつか 植物と魚とあるが、ここでは植物。http://www11.plala.or.jp/hanasite/flower/0310/htmls/yamak.html    

  

2007年3月 4日 (日)

やわらか戦車 万物をゆすり

http://ray-fuyuki.air-nifty.com/blog/2006/08/post_ee59.html

なんのいいわけもいたしません。おっしゃるとおりでございます。蛉さんの気分を害したことをふかくお詫びいたします。と同時に、書きそびれていた大切なことを書かせてください。

万物をゆすり子供が通過する  佐藤みさ子

この川柳の勢い。こんな迫力のある無常の句をかつて読んだことがあろうか。俳句でこの句に対比させるものを持ち出そうとすれば、中村草田男の夏の句、

万緑の中や吾子の歯生え初むる  草田男

しか見出せない。川柳は季語がないゆえに、ことばのもつイメージ喚起力がすべてだ。佐藤みさ子のこの句は、「ゆすり」一語に俗のちからを集約し、それがゆえに俗を出立することを可能とした。もしこれが、「万物をゆらし」であったなら、こうも諧謔的なあじわいは獲得できなかったであろう。ヒトが子(ね)である時代。それは万物をゆすって激しくゆすってあっという間に通過していく。よまれ、うたわれているのは、時間であり、生体としての熱いエネルギーを放散させながらやがては蒸散していく身の無常感である。そして、それはなぜかあかるい。この句をよんでいる作者は、どこか別の星にでもいるかのように。

私は佐藤みさ子の川柳作品「通過する」一連を受け取って、冬樹蛉の留め書きを連想したのだ。だから順に引用した。引用するさい、れぎおんより引用と注記したが、それはどう書けばいいかわからなかったからで、じっさいは蛉さんのおっしゃるとおり、パソコン送信原稿のコピー引用です。自分の手で打ち込み入力すべきでしたが、時間がなくいたしかたありませんでした。もうしわけありませんでした。

倉本朝世を激怒させ、冬樹蛉をも激怒させ。ー(でも、わかってください。きぶんを害そうとして、やったんじゃないってこと。)

2007年3月 3日 (土)

新婚旅行

利華さんのブログを覗いてたら、「新婚旅行」アストラ・ピアソラ作曲について書かれていた。アストロリコのライブ盤CD「ZUM」のラストに置かれたそれをきいたとき、曲の題名と物悲しい曲調のあいだにあるものを自然と考えるかたちになり、そうしてたら、じぶんたちの新婚旅行をおもいだした。春間近の北海道。

りかさんがブログを開設なさってありがたくおもうのは、タンゴや楽器について、すこしずつひらけて来るから。解説へのてがかりになります。

ピアソラについて検索してみました。利華さんのボス、門奈紀生(もんなとしお)がほれたピアソラってどんな人だったの。すると、それにたどりつく前に、こんなのが目にとまった。おもしろい。アストラ・ピアソラ チンコへのバラード:http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/3346/work6.html

これはすごい。いま、くるおしい愛をえがこうとしたら、おかまの世界にしかないのかもしれない。胸をうつよね。わかるよ。いや、わからないんだけど、わかる気がするよ。

三島由紀夫に愛された福島次郎の俳句と通じるものがある。

福島次郎:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E6%AC%A1%E9%83%8E

(なぜだ。また、現在使われておりません、だよ!まったく頭にくるなあ。)

みつけました。これなら、どうです。http://www5d.biglobe.ne.jp/~mypace/gay%20news%20watasinokouhukuronn%20hukusimajirou.html

※ かつて俳句連句誌『摩天楼』(星野石雀主宰・千葉県花見川市)に連載していた「影ふみあそび」にて引用させていただいた、もと読売新聞記者で文芸評論家・秋山敬氏の「福島次郎苦悩の六十句を公開」(俳句誌「樹」平成十二年師走掲載)から孫引きの十句をここに転載しておきたいとおもいます。胸に迫るものがあります。孫引きの原句は同人誌「草原」29号(八代市・福田瑞男主宰)のものと書かれていました。原句を確認するすべがなく、もし誤りなどございますれば、おゆるしくださいませ。ネット検索でヒットしませんでしたので、もったいないことと思い、これも縁と記録として採り上げておきたいのです。どんなかたちでも愛は尊くまことがあるものです。

「平成十年」 

        福島次郎

平成十年かくも待ちたる春はなし
わが妖本出る日弥生のひなた雨
春潮に裸形にされて泣かされて
亡きひとの音と知りおり春の闇
愛うける顔まざまざと春雷光
しんしんと現し世の色青蛙
青年でありし日もあり積乱雲
秘す悔いを夏雲となし人逝くや
愛と憎いずれで落ちる桐一葉
名月を今見てほしき遠電話
裏切つて生きねばならぬ霜柱
隙間風かの遠き日と同じ宿
    

(平成十年に三島との交情を綴った『剣と寒紅』 を上梓)。

参考:「剣と寒紅」http://www.iscb.net/mikio/200010/1025.htm

2007年3月 2日 (金)

初音

今朝、鶯が啼いてました。かわいらしい美しい声で。ほーほけきょ、じゃなく、抑揚をつけて。

それが、とてもうれしそうに聞え、こちらもうれしくなりました。梅の樹にきたのかな。

去年はウグイス、聞きませんでしたからさびしかったんで、妙にうれしいです。春、ですね。

長男が就職します。じぶんで決めました。岐阜羽島に行くようです。

えっ岐阜。あんな田舎に何しに。

パソコンの部品を作る仕事。派遣社員。

えっ。派遣社員じゃボーナスもないじゃん。

うん。でも辛抱してたら正社員にしてくれるから。

そうか。そういう条件的なことはどうでもいいことだったね。よかった。大事なのは知らない土地で一人で苦労すること。あんたのおとうさんは、就職してから一度も職をかえなかった。それをわすれないでね。おとうさんにできることはあんたにもできるよ。おとこになっておいでね。

真夜中に二人でしみじみとした話をして、ほんとに大人になったんだなあと、さみしくもうれしくも感じました。

2007年3月 1日 (木)

はたらく車 その2

はたらく車 その2

久留米市御井町の高良山のふもとの、さらに高速道路のふもと道の一旦停止で。ここを左にまがれば、高良大社の最初の鳥居から出て行くかんじになるのです。

はたらく車 その2

右むこうにみえる高層ビルは市役所です。今日ナガサキから青年が面接にきました。駅に着いたコールを受けて、迎えにいってる途中、信号停車で写す。定時制高校を出た青年でした。身ひとつでしたので、また一旦帰宅して、荷物をまとめて出直すそうでした。

はたらく車 その2

「三匹のネコ」で写した家のしだれ梅の老木に紅梅が咲いてました。これは実がならない梅です。私が子どものころ、すでに老木でした。

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