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2007年2月27日 (火)

佐藤みさ子の句

  通過する

         佐藤みさ子

祭壇の写真わたしと違います

目的地までぶらぶらの命かな

捨てられた建造物を目印に

呑みこんだくうきが肉になっていく

雨降りの午後はひとりで生きること

女たちは金正日を産んでいる

言葉だけ立ちふさがってくれたのは

戦死者になって何年経ちますか

行かなかった場所をはっきり記憶する

送り主の名札で花が見えません

前世もあって後生お大事に

入場無料実体の無いあなたがた

○○をどこに置いたらよいのでしょう

さよならをするさよならのずっと前

亡くなったものがあふれている通路

おもしろくないと言う人面白し

「ただいま」の赤と黄色と茶その他

出来たよと言うと静まり返るかな

次は終点ですと他人が声を出す

万物をゆすり子供が通過する

          -MANOマーノ12号よりー

すごい。おもしろい。テーマがはっきりしていて、今回は無常。いちばん惹かれたのは、

○○をどこに置いたらよいのでしょう

       

まるまるは、お骨だとおもった。それは一連の流れの中でそんなふうに私には読めたから。○○は、もちろん、人によってちがうのだろう。心理テストみたいでおもしろい。なぜお骨だと感じたか。それはきっと、しんせきの家のお姑さまのおこつが玄関や本だなや下駄箱のなか(これはいかにもうそっぽいが)にかざってあったからなのです。こういうのはかざるとはいわないですね。クリスチャンにとって、お骨はあまり目じゃないのです。仏壇がないから、その収納に困惑してたってわけ。

万物をゆすり子供が通過する

      

         これも迫力の無常句。無常句ってなに。連句をまいたとき、函館のすぎうら先生におたずねしたんですが、死にまつわる句、というようなとらえかたでいいようでした。つくりが川柳というより、俳句にちかい。それは句またがりであるからと、ゆすり、という切字(作者は無意識にここで一呼吸置いているので切字とみなしました)と、子供のあいだにはゆたりとした間があること。間には魔がいて、はみだしたがること。こういう知性的な時空をもつ句を、きっと高校生の寺山修司は待望していたんじゃないかな。わたし、これをよんで、ついこどもがうたってた替え歌を連想した。「ぼうや よいこだ かねだしな かねがないなら○○だしな」(さあ、きみなら○○のなかに何をいれる?)※日本むかしばなしのふしでうたうこと。

こどもの句をさいごにおくことで成功しました。

亡くなったものがあふれている通路

(それはどこであるのか。かささぎの橋、天の川、かもしれず。)

連句的参照:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0259.html

↑のなかの最後におかれた無常についての文章が、私が佐藤みさ子のこの作品についてうけとった印象と核心において通じます。

                  

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