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2007年2月25日 (日)

お引越し

むすめの引越しの手伝いに博多まで行ってきました。八時に家をでて、着いたのはなんと十時ちかくでした。

軽トラ、平成元年の購入のだし、古いので、高速を走るのが怖かったのですよね。だから、父の助言どおり、五号線こと、鳥栖筑紫野有料道路、別名「かささぎロード」 を通っていきました。そしたら、無駄な走りがおおくて。平行移動を二回もしなきゃいけなかったわけです。天神へ向かうには五号線は有効ですが、博多までだと、高速のほうが断然無駄がない。でも、それをあえてやったのは、昔をしのびたかったから。なつかしかった。

はじめて娘の彼に会いました。紹介もそこそこにいっしょに荷物運びをはじめ、三人でビルの十二階からエレベーターで何度もこまごまとした荷物を降ろしては、軽トラに積む作業をしました。博多駅前の繁華街のわりには静かな住宅地で、JR沿線です。私は高い位置から俯瞰する景色が珍しくて(いなかものすから)、仕事しながら、なんども携帯を出して、カシャカシャやるものだから、おかあさん、なにこそこそメールとかしよん。って娘にいぶかられました。メールじゃないない。写真だよ、ブログにとりつけるのよ。

むすめが付き合っている男の子は、宮崎の青年で、ずいぶん年がわかいのですが、会ってみたら、とても静かで無口で、なかなかいいかんじでした。ゆったりと構えている。これは、いいかも。そうおもいました。背は四センチくらい娘より低いけど、そこがまたいいんですよね。ま、私はなんのかんの言っても、むすめの味方です。

この引越しは、二人が別れるからではなく、いい関係でいたいために五十メートルの距離を置く、っていうのでした。ばかみたい。ほんとに五十メートルしか離れてないんですから。同じ道をてくてく歩いていけば、新しい住居にとうちゃくするってわけ。

荷物といっしょにふたりを荷台に積んで、がたがたと軽トラで走ったら、きゃっきゃっと笑って、まるで小学校時代の廃品回収係みたいでしたねえ。やれやれ。おかあさんは二往復もして、きつかったんだぞ!いちゃいちゃすんじゃねえ。

で、さいごに、淀橋カメラの四階で、インドカリー(ほんもののインド人の作るやつ。辛さがゼロでも充分にからかった)のセットを食べて、おわかれしました。いつか八女にもおいでよ。そういって。

彼は22歳、パソコン技師です。大事な縁です。会えば、みえるものがあり、安堵しました。がんばれ!

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コメント

う~ん、母だねえ、女傑もただの。

今年の正月にね、末っ子が学生時代からの彼をつれてきたったい。広島の3歳年上。サークルで一緒やったか、ゼミが一緒やったかの縁で。はっきり言ってもの足らんやったと。わたしも決して面食いではないが、それにしてももう少しハンサムな男がおろうもん、みたいな。なんかぼうっとしとるし。お前、ホントにゼネコンで働きよるとやって感じ。
でも、二晩うちに泊めて、いろいろ話したら、なんか癒されるもんがあったね。がつがつしとらん。なまっとるし。なんとなく、男勝りの一面を隠し持つ末っ子には合うのかも知れんって思った。男は顔じゃなか。心根ばい。

せいこ。そりゃひどいよ。かわいそうよ。なにがぼおっとしとるよ、ほんとに。ものたりないくらいでちょうどいいのよ。それ、書こうとおもってた。あのあべちゃんのとこでさ。足りないと思うくらいで充足感。って、だれかの付け句にあったけど。けばいとか、軽いとかじゃなくて、まじめで誠実で娘を思ってくれてたら、それで充分です。

私も四国で3回引越しをして、夫は忙しいので、そのたび実家の親が軽トラックで手伝いに来てくれたなあ。いつも2日位で片付いてた。それが九州に引っ越してきたとき、一ヶ月たっても片付かない。何でだろうと思った時、はっと気がついたの。父が黙々と段ボール箱を折りたたみ、ごみを軽トラックに積んで持って帰ってくれていたことを。母が食器を棚になおしてくれていたことを。空の段ボール箱が積み重なった部屋の中に、一人ぽつんと座りながら、いかに今まで親の庇護のもとに生きていたのか痛感して、涙がぽろぽろこぼれていました。軽トラックと聞くと思い出します。親ってやっぱり有難い。強固はんの話を読んで,あらためて思った。

まりこさん。たからさんのことだけど。新婚のころは四国にいたの。愛媛に。じゃご主人は研修医だったの。まだお父様もお元気だったんだね。一度どんなお父上だったのか、見てみたいと思うよ。写真だけでもいいから。たからさんの背が高いことを思うと、相当な大男だったんだろうか。軍人だったの。明治うまれなの。イメージはあるんだ。ときどきはなしをきいてたから。
ひとりむすめがかわいくてたまらなかったんだろうねえ。遠くに嫁がせてしまって。それも封建制をきわめたような土地柄の八女にね。
けっきょく、親から受けたものをそのまま子に返しているよね。無意識にね。

主人は1年間研修医。その後は1,2年ごとに大学病院で勤めたり、関連病院に派遣されたり。博士号を取得した後帰郷とあいなりました。(結婚するとき、九州には帰らん言っとったのに。九州男児はその時その時で、言うこと変えていいんだとさ。ほんまか?)父は大正9年生まれ。陸軍将校で軍人だったみたい。満州、沖縄で一回ずつ、戦死通知が家に届くような爆撃にもあったらしい。戦後は中学で数学と科学を教えて、最後は地元小学の校長を務め、まじめを絵に描いたような人だった。でもお酒が入ると一変。酒豪で、武勇伝は数知れず。よく母からおこられてたなあ。酔うとといつも戦争の話。父に文才があったら、貴重な話が残ったろうに。74歳で逝ってしまった。

酔うといつも戦争の話。でしたか。
大正生れ、72で亡くなった戸畑の父も大正おわりの生れでした。甲四郎先生も同年くらいかな。古風ということは芯がシャキッと通っていること。れぎおんの前田先生やいま勤めている会社の女ボス、も、うまれは昭和うまれの人たちなんですが、どこかにそういう毅然とした気骨を残してあり、それは親から濃く受け継いだ気質なんだろうなあと思います。まるで冬の真水のような。いっしょにいてきもちがいい。

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