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2007年2月28日 (水)

冬樹蛉「やわらか戦車」留書

連句誌『れぎおん』冬号が、およそ二ヶ月遅れて無事に到着しました。右手首を骨折された前田編集長は、リハビリ中の痛む手首で、こつこつと一冊分約100ページ入力なさったのかとおもうと、胸がじいんとします。

冬樹蛉さんからいだだいたとめがき、傑作なので、記念にここにも引用したいとおもいます。エスエフに携わる人の視点は、さすがにスケールが違います。蛉さん、おいそがしい書き入れ時の年末に依頼して、ごめんなさい。そして、ありがとうございました。そのプロ意識には、大いに教えられました。

 留書

                     冬樹蛉

 およそ風流というものに縁のない人間であって、俳諧の教養なんぞはまるでな
い。せいぜい学校で習ったものに毛が生えた程度、蛙が飛び込んで、時雨れて
いって終わりである。
 そんな場ちがいな輩がなぜこんな大それたところに出てきたかというと、ひょ
んなことからネットで知り合った姫野恭子さんに、SFの宣伝でもなんでもいい
から書いてくれと言われたからだ。それではと、お言葉に甘えてSFの宣伝をさ
せていただくことにする。おっと、申し遅れましたが、小生、折に触れてSF書
評やら解説やらを書いているケチなライターでござんす。
 そんなやつが俳句を前にすると、半ば条件反射的に考え込んでしまうのであ
る。たとえば、巨大ガス惑星の大気中に浮かんで進化した知的生物は俳句を詠む
のか? だとしたら、どのような季語を持っているのか? “メタン”と聞くと、
「ああ、春だなあ」としみじみ感じ入ったりするのか? はたまた、肉体を捨て
ソフトウェアとなって仮想世界で進化を続け、日夜、高次元数学の定理を証明す
ることに美を見い出すようになった種属が、いまこの瞬間にも“5iと、nの7
乗根の積を、5πで割る”といった形式を編み出して、その風流に嘆息したりする
のだろうか?
 あったら愉快だと私は思っている。季節というのは、“周期”のある事象すべて
に見い出せるはずだ。二万年に一度やってくる彗星を見て、「▲@×$φも、もう
終わりか……」といった季節感を味わう知的生命体がいたっていい。いやいや、そ
れどころか、ビッグバンとビッグクランチの間を“一周期”として、宇宙の生滅流
転に季節感を覚え一句ひねっている存在がどこかにいたら、それはそれは痛快で
はないか――「今度の宇宙のプランク定数は、じつに趣のある値ですな……」

上記は、パソコン通信でいただいた原稿をそのままコピーして引用したもの、妙な箇所で妙なスペースができましたが、それは機械の相性によるものと思われます。不可抗力です。

つぎに、連句誌『れぎおん』 冬号より引用したものをかかげます。こちらも不可抗力がはたらいています。のちほど書きます。

   留 書

               冬樹 蛉

 およそ風流というものに縁のない人間であって、俳諧の教養なんぞはまるでない。せいぜい学校で習ったものに毛が生えた程度、蛙が飛び込んで、時雨れていって終わりである。
 そんな場違いな輩が、なぜこんなところに出てきたかというと、ひょんなことからネットで知り合った姫野恭子さんに、SFの宣伝でもなんでもいいから書いてくれと言われたからだ。それではと、お言葉に甘えてSFの宣伝をさせていただくことにする。
 おっと、申し遅れましたが、小生、折に触れてSF書評やら解説やらを書いているケチなライターでござんす。
 そんなやつが俳句を前にすると、半ば条件反射的に考え込んでしまうのである。たとえば、巨大ガス惑星の大気中に浮かんで進化した知的生物は俳句を詠むのか?
 だとしたら、どのような季語を持っているのか?
 ”メタン”と聞くと、「ああ春だなあ」としみじみ感じ入ったりするのか?はたまた、肉体を捨てソフトウェアとなって仮想世界で進化を続け、日夜、高次元数学の定理を証明することに美を見出すようになった種族が、いまこの瞬間にも”5iと、nの7乗根の積を、5πで割る”といった形式を編み出して、その風流に嘆息したりするのだろうか?
 あったら愉快だと私は思っている。季節というのは、”周期”のある事象すべてに見出せるはずだ。二万年に一度やってくる彗星を見て「▲(a)×$φも、もう終わりか・・・」といった季節感を覚え一句ひねっている存在がどこかにいたら、それはそれは痛快ではないかー
  「今度のプランク定数は、じつに趣のある値ですな・・・」
 

※ れぎおんの前田編集長は、原稿を打ち込まれたあとで、必ず著者校正をなさいます。今回は編集長の怪我と引越しとご主人の介護のためすごいストレスがあったということを存じ上げていましたので、最低限のなおしだけをしようと決めていました。打たれたものを見て、すぐ、おや、最後ちかくの二行が飛んでいるなと気づきました。しかし、何度も読み返すうち、これでもいけるか。冬樹蛉さんがたとえ怒るとしても。という思いがわいた。私は前田編集長に意識的なものが働いていたのか、たずねませんでした。これは不可抗力でした。

冬樹蛉さまには、深く、おわびいたします。

2007年2月27日 (火)

佐藤みさ子の句

  通過する

         佐藤みさ子

祭壇の写真わたしと違います

目的地までぶらぶらの命かな

捨てられた建造物を目印に

呑みこんだくうきが肉になっていく

雨降りの午後はひとりで生きること

女たちは金正日を産んでいる

言葉だけ立ちふさがってくれたのは

戦死者になって何年経ちますか

行かなかった場所をはっきり記憶する

送り主の名札で花が見えません

前世もあって後生お大事に

入場無料実体の無いあなたがた

○○をどこに置いたらよいのでしょう

さよならをするさよならのずっと前

亡くなったものがあふれている通路

おもしろくないと言う人面白し

「ただいま」の赤と黄色と茶その他

出来たよと言うと静まり返るかな

次は終点ですと他人が声を出す

万物をゆすり子供が通過する

          -MANOマーノ12号よりー

すごい。おもしろい。テーマがはっきりしていて、今回は無常。いちばん惹かれたのは、

○○をどこに置いたらよいのでしょう

       

まるまるは、お骨だとおもった。それは一連の流れの中でそんなふうに私には読めたから。○○は、もちろん、人によってちがうのだろう。心理テストみたいでおもしろい。なぜお骨だと感じたか。それはきっと、しんせきの家のお姑さまのおこつが玄関や本だなや下駄箱のなか(これはいかにもうそっぽいが)にかざってあったからなのです。こういうのはかざるとはいわないですね。クリスチャンにとって、お骨はあまり目じゃないのです。仏壇がないから、その収納に困惑してたってわけ。

万物をゆすり子供が通過する

      

         これも迫力の無常句。無常句ってなに。連句をまいたとき、函館のすぎうら先生におたずねしたんですが、死にまつわる句、というようなとらえかたでいいようでした。つくりが川柳というより、俳句にちかい。それは句またがりであるからと、ゆすり、という切字(作者は無意識にここで一呼吸置いているので切字とみなしました)と、子供のあいだにはゆたりとした間があること。間には魔がいて、はみだしたがること。こういう知性的な時空をもつ句を、きっと高校生の寺山修司は待望していたんじゃないかな。わたし、これをよんで、ついこどもがうたってた替え歌を連想した。「ぼうや よいこだ かねだしな かねがないなら○○だしな」(さあ、きみなら○○のなかに何をいれる?)※日本むかしばなしのふしでうたうこと。

こどもの句をさいごにおくことで成功しました。

亡くなったものがあふれている通路

(それはどこであるのか。かささぎの橋、天の川、かもしれず。)

連句的参照:http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0259.html

↑のなかの最後におかれた無常についての文章が、私が佐藤みさ子のこの作品についてうけとった印象と核心において通じます。

                  

2007年2月26日 (月)

分相応

分相応

このこじゃれた高層ワンルームマンションから、

分相応

五、六十メートル離れた、どことなく下町風のきばらない雑居ビル(ではあるが、ここもまたオートロック方式だった。引越し荷物を運ぶとき、いちいちせからしかのなんの。カードキーやらエレベーターやらが機械的動作しかしてくれないから) へと移りました。

2007年2月25日 (日)

お引越し

むすめの引越しの手伝いに博多まで行ってきました。八時に家をでて、着いたのはなんと十時ちかくでした。

軽トラ、平成元年の購入のだし、古いので、高速を走るのが怖かったのですよね。だから、父の助言どおり、五号線こと、鳥栖筑紫野有料道路、別名「かささぎロード」 を通っていきました。そしたら、無駄な走りがおおくて。平行移動を二回もしなきゃいけなかったわけです。天神へ向かうには五号線は有効ですが、博多までだと、高速のほうが断然無駄がない。でも、それをあえてやったのは、昔をしのびたかったから。なつかしかった。

はじめて娘の彼に会いました。紹介もそこそこにいっしょに荷物運びをはじめ、三人でビルの十二階からエレベーターで何度もこまごまとした荷物を降ろしては、軽トラに積む作業をしました。博多駅前の繁華街のわりには静かな住宅地で、JR沿線です。私は高い位置から俯瞰する景色が珍しくて(いなかものすから)、仕事しながら、なんども携帯を出して、カシャカシャやるものだから、おかあさん、なにこそこそメールとかしよん。って娘にいぶかられました。メールじゃないない。写真だよ、ブログにとりつけるのよ。

むすめが付き合っている男の子は、宮崎の青年で、ずいぶん年がわかいのですが、会ってみたら、とても静かで無口で、なかなかいいかんじでした。ゆったりと構えている。これは、いいかも。そうおもいました。背は四センチくらい娘より低いけど、そこがまたいいんですよね。ま、私はなんのかんの言っても、むすめの味方です。

この引越しは、二人が別れるからではなく、いい関係でいたいために五十メートルの距離を置く、っていうのでした。ばかみたい。ほんとに五十メートルしか離れてないんですから。同じ道をてくてく歩いていけば、新しい住居にとうちゃくするってわけ。

荷物といっしょにふたりを荷台に積んで、がたがたと軽トラで走ったら、きゃっきゃっと笑って、まるで小学校時代の廃品回収係みたいでしたねえ。やれやれ。おかあさんは二往復もして、きつかったんだぞ!いちゃいちゃすんじゃねえ。

で、さいごに、淀橋カメラの四階で、インドカリー(ほんもののインド人の作るやつ。辛さがゼロでも充分にからかった)のセットを食べて、おわかれしました。いつか八女にもおいでよ。そういって。

彼は22歳、パソコン技師です。大事な縁です。会えば、みえるものがあり、安堵しました。がんばれ!

久留米

久留米

前を走るくるまがあまりにも素敵で、圧倒されたので、うつさせてもらいました。何を積んでいるのかな。発電機かな。耳納建設という名も実にいいですね。箒が絶妙。

久留米

おなじみ西鉄久留米駅界隈。正面のビルは、米城ビルです。べいじょうびるとよむんだよ。岩田屋が入ってます。ここは、むかし勤めていたところが警備してましたので、なつかしい。

久留米

筑後川にかかる何という橋かな。かなり西よりの橋の上から写す。宮の陣の現場へ隊員を迎えにいく途中の信号停車で。結婚式場のおおきなのができていて、そのすぐ近くを警備してました。迎えに行くと、まだ終わっていなくて、しばらく待たされた。よく見ると、すぐ近くの大きな新しいビルは、夫の会社の久留米支社だった。なんだ。こんなとこにあるんじゃん。ここに移動させてよ。と、ちらっと心をかすめたけど、いや、やっぱり、もうすこし佐賀におらんね。そのほうが夫は生きていくのが楽しいだろう。ともおもうのであった。

2007年2月23日 (金)

まけてください。

せっせと請求書を書いていると、じゃんじゃか警備依頼の電話が鳴る。緊急ですが、あす、朝からどこそこに二名、お願いしたいのですが。立ってるだけでいいんです。ーおそれいります。もういま、全部うまっていて、いっぱいいっぱいの状態なんで、どちらさまもお断りしているんですよ。申し訳ございませんが、また次回、おねがいいたします。

2月は去る、とはほんとだ。こないだ1月ぶんの請求書を出したばっかりなのに、もうすぐ2月の〆がくる。請求書を書き始めないと、間に合わない。給与明細書も一人ひとり多彩な残業時間で埋まるから、はやくから始めている。三人がかりで見直しをしなければ、まちがう。まちがえたら、文句がでる。多く間違うのはかまわないが、少しでも付け忘れがあると。

今月ただ一度の夜間警備を請け負ったさる大企業。すみませんが、早めに〆て、ただちに請求書を送ってください。ーとの電話。そこで、すぐ送付する。送付に際し、今年からちょっと値上げした改定料金で計算する。ただ一日のことなのに、けっこうなねだんにしあがる。

案の定、先方からまた連絡がある。なんとか負けてもらえませんでしょうか。このはしたの千八百円を。-ちょっとお待ちください。私の一存ではお返事できかねます。・・と言って、寮の買出しに行っていたボスに相談すると、だめよ、そのまま、一円も負けられないって言って、と即答。はい、じゃそうしてみます。

すみませんが、ガソリンの値上げやら人件費等で、きびしいんです。もうしわけありませんが、値引きはできかねるとのことです。-じゃ、八百円だけでも。-すみません。このままお願いします。-・・・わかりました。-すみません。ありがとうございます、またよろしくお願いします。

電話での短いやり取り中、きのう、夜間に車の接触事故に遭った隊員のお顔が浮かんでは消えた。立っとくだけでいい、とはあんまりじゃないか。車が行きかう暗い夜道のそのなかに、ただ、ヒトが立つということ。安いくらいだ。

2007年2月22日 (木)

きれいはきたない きたないはきれい。

勤め先で、書類に社長のプライベートを記入しなければならない必要が生じました。「社長。ご家族は?」「ふたり。」「はっ。ふたりですね。」「ちょっとまって。四人。いや、ちがう五人か。」

ここで、どっと笑う従業員三人。

たんぽぽのわたとおなじくらい軽いふぃりぴんむすめの貞操と、社長の浮気心。絶妙なバランスの、いいしょうぶ。あっけらかんと日々みせてもらうと、即物的で、だんだんと驚かなくなる。それどころか、美談のようにおもえてくる。NPOの人助けのような。

シェイクスピアじゃないけど、「きれいはきたない きたないはきれい」 にも一脈通じ、奥が深い。あそびで、こどもまでつくるか。また、つくったとして(できたとして)、とことんめんどうをみるか。それをおもえば、まさに甲斐性をかけた、おとこ一生一代の夢の大事業かもしれぬ。

夫が言ってた。
わかいころ、きれいなころ。
お金ができたら、愛人をもちたいなあって。
わかるわかるよそのきもち。
いまならね。

2007年2月21日 (水)

二十五歳

きのうは娘の誕生日でした。二十五歳になりました。ということは、結婚してからもう、二十六年経ったのです。ということは、イーヴン・デイがことしはきますね。結婚したのは二十六でしたから。わたしもおっとも。三月です。日付はいつだったっけ。完全に忘却!

メールでおめでとうをいいました。こんなかんじ。

誕生日を祝す。
25歳 無事にりっぱに育ってくれて有難う(にこにこまーく)

しばらくして、娘から返信がとどきました。こんなかんじ。

五体満足に産んでくれてありがとう(ぴんくのはーとまーく)。

おかげさまで四半世紀。すごくないですか。あかんぼうだった日のことが、ついきのうのことのようです。ひなまつり。親戚や、戸畑のおとうさんおかあさんもおよびして、楽しい宴会を家でしました。テープがのこっていて、司会は大村のおじ、まだ佐世保のおじも元気で、光のおじさんもげんきで。戸畑の義父は、歌を、という声に、一人だけ毛並みのちがう歌をうたわれました。妻をめとらば才長けて、のうたです。夫とおなじく酒が体質的に飲めない義父でした。私は、夫とは犬猿の仲でありますが、このおとうさんとおかあさんに出会えたおかげで、しあわせなことだったと深く感謝しています。やさしく、こころのひろい、まじめで誠実な義父と、あくまでこどもにあまい、やさしい義母。うちの両親も夫婦仲がいいですが、かの夫婦も仲がすごくよかった。当時90くらいだった祖母も、ちゃんと歌をうたってくれた。たくさんの祝福を受けて育ったむすめ、おかげさまで、もう二十五になりましたよ。あのときそこにいて、笑いさざめいていたひとたちが、いまはもういなくて、かげだけがこころにのこる。でも、胸があつくなる。それはあったかくて決して色あせない。たからものだとおもうから。

2007年2月20日 (火)

からかさばし

からかさばし

からかさばしは、漢字では「傘橋」と書きます。久留米市大善寺町の玉垂宮(たまたるぐう)鳥居の前を流れる川にかかる短い橋です。きのう、現場に伝票をいただきにいったとき、信号停止で一枚撮りました。筑後の者ながら、ここの有名な火祭り(日本三大火祭りの一つだってさ)を、いちどもみたことがありません。写真はあわてていたので、見事に失敗しました。なあんもうつっとらんやん。ごめんごめん。豊かなる曲線をみせる電線と、鳥居の上半身と、「傘橋」とかろうじて読める信号と。こんだけ写ってるなら、上等。http://www.ajkj.jp/ajkj/fukuoka/kurume/kanko/oniyo/oniyo.html

からかさばし

去年の「白雨」と同じく、わが家の北窓から西方面を撮ってみました。わかりにくいですが、白梅は豊後梅です。夏には大きい実がなります。南に紅梅がありますが、紅梅よりも一ヶ月遅れて咲きます。北だからなのか、そういう種類なのかは知りません。私は白梅のほうが好きです。

青々脊振

おとといの高野花さんの俳句に出てきましたが、乙骨亨二(菊枝氏の若くして亡くなられた兄上)氏について書かれた追悼文が残っていました。引用してもいいでしょうか。

亡くなるとき、ひとは予感があるのか、おせわになったひとたちにおわかれの挨拶にくるもののようです。昨年菊歌仙をまいている最中、何の因果かちょうど私の弟の命日になくなった板前のいとこ(まだ四十なかばでした)、こんどはそのおよめさんがいとことおなじしにかたで逝った、後を追って。いまにしておもえば、たしかにそういうあいさつがちゃんとありました。鳥栖での通夜と葬儀。斎場に「青々脊振」という書の扁額が掲げられていて、それをみていたら、死者がうらやましくなりました。

   亨二さんの思い出

              鈴木 はる

 年月はさだかではないのですが、多分昭和十八、九年の頃かと思われます。そろそろ汗ばむ初夏の頃だったと思いますが、夕飯も終わり、その頃はテレビもなく、一家で何とはなしに雑談をして居た時に、突然玄関の戸を叩く音に一同びっくり、出て見ると、「亨二です。乙骨の亨二です。しばらくでした。」 とのご挨拶に、始めキョトンとしていた父も驚きと喜びで、とにかく上って頂きました。

 仕事の関係で九州住いをしていた父(昆虫学者の江崎悌三氏:註)は近くに親戚もなく、この遠来の訪問者にはよほど嬉しかったとみえ、まるで堰を切った様に懐かしい昔話に花が咲き、亨二さんは時々ポケットからハンケチを出しては汗を拭き拭き、父は終始ニコニコしていました。父は余りお客様とペラペラおしゃべりするのは苦手の方でしたが、この夜のようにいきいきとよくしゃべったのは珍しく大変印象的でした。

 亨二さんは「これから上海まで行くのでその途中にお寄りした」 とおっしゃっていた様ですが、その記憶は定かではありません。お帰りの時に母が差し出したサイン帳に「東京から飄然と現れました。」 とお書きになられました。

 その後亨二さんが戦死なさったと伺い、その時の父の悲しみ方は大変なものでした。乙骨家の大事な人を失った、と。

 今にして思えば、虫の知らせでお別れに見えたのかも知れません。

2007年2月19日 (月)

目をなくす。

おととい、目をなくしてしまった。コンタクトレンズ、とうとう両目とも、ない。

四ヶ月ほど前、左目のが欠けてしまい、右目だけでがんばっていた。それが、朝、装着してしばらくたち、あれ!ない。

入れたのはたしか。洗面所の流しや床や、台所の床、はいつくばって雑巾がけをした。でも、どこにもない。

わたしはとてもあきらめがはやい。こういうのは、家にあるバミューダ海域と名づけ、あきらめがかんじんだとすぐおもう。去年もなくしたし、その前の年もなくしたなあ。ふつうは片目だけなんですが、最近は三年に一度くらいの割で両目そろってなくなる。もったいない。コンタクトレンズってあんなにちさいのに、なんて高いんだ。保険、きかないし。

でも、めがねは視野が狭くなるしめんどうだし、かけたことが一度もない。ということで、またコンタクトをつくりにゆく。ふんわりとしたグラマーなかんごふさんがいつもお世話をしてくださる。それがここちよくて、ついあまえる。

どれがいいですか。三種類あります。これまでお使いの、酸素透過性の高い一週間連続装用できるの(ええっそうだったの。しらなかったよ)と、新しく出た紫外線カットのと、あとはデラックスのうるおい成分つきのと。

はい。やすいのがいいです。笑

おねだんは、セット価格でさほど変わらないですよ。ただ保障期間が紫外線のは一年間。半年ながくなってます。

じゃ紫外線カットのにします。

というかんじで、三千円高い方にのせられてしまいました。

目や歯がこれから老化してゆくけど、からだの一部だしだいじです。

歯、二十年むかし、博多にいるとき、那珂幼稚園のちかくの、とっても元気のいいおんなの歯医者さん(お名前、わすれてしまうなんて)から装着してもらった、右上の奥歯ふたつぶんの連結型クラウン、いまでもなんともないです。思い返せば石膏で型をとるとき、じゃなかったガムみたいな粘土みたいなんで型をとるとき、あきれるほど何回もやり直しをされました。ここがだいじなふんばりどころだからって。保険では二回しか請求できないけど、でも大事なのは、この工程だって言って。十回ほどもです!あまりのことに口がさけそうになりましたもんね。まじで。笑

どんな職業にもプロというか熟練のわざがひかる人がいます。気迫からしてちがっています。そういう人にであえたらほんとうにしあわせだし、技によって、いつまでもこころに灯をともしてもらえるような気がします。

山本健吉墓誌

山本健吉墓誌

八女市無量壽院 石橋氏之墓 2006年11月5日撮影

還浄 2

引用を続けます。山本健吉著 『きしたん事始』 昭和31年藝術社刊。

おそらく日本はシャビエルの東洋伝道において、そのキリスト教の真髄と信ずる思想を、まじりけなしに宣べ伝えることのできた唯一の場所だったのだ。「日本人は、御受難の玄義を聴くことを非常に喜ぶ。或る人々は、それを聞く毎に、涙を流していることがある」 と、彼はコチンからヨーロッパの会友に宛てた長文の手紙に書いているのである。

それにもかかわらず、シャビエルの宣べ伝えるものに対して、日本人の心を準備したものが、悪魔の宗教と彼が言っている佛教ーことに浄土系思想だったことは、思い及ばなかつたようである。同じ手紙は、彼が日本で獲得した信徒たちの、小うるさいような質問の要点を書いている。非常に興味のあることなので次に引用しよう。

  彼等は探索心の強い人々なので、「聖父(ちち)と聖子(こ)と聖霊の御名によりて」 とは何を意味するか、また十字架のしるしをするにしても、御父の御名を言うとき、どうして右手を前額に置くのか、御子の御名は胸、聖霊は右の肩から左の肩へ引くことになるのは何の故なのかを知りたくて、質問する。私達はこれをよく説明したら、彼等は非常な慰めを感じた。その後キリエ・エレイソン。クリステ・エレイソン。キリエ・エレイソンを唱えると、またその言葉の意味をきく。ロザリオの祈りは、一つの珠毎にイエズス・マリアの聖名を唱えながら繰つて行く。主禱文や、めでたし使途信経は、書いて覚えていく。」

 ここまでは、日本の信徒たちの好奇心と知識欲にあふれた無邪気な質問ぶりを彷彿とさせるので引用したが、問題はこの次である。

 「日本の信者には、一つの悲嘆がある。それは私たちが教えること、即ち地獄へ堕ちた人は、最早全然救われないことを、非常に悲しむのである。亡くなつた両親をはじめ、妻子や祖先への愛の故に、彼等の悲しんでいる様子は非常に哀れである。死んだ人のために、大勢の者が泣く。そして私に、或は施与、或は祈りを以て、死んだ人を助ける方法はないだろうかとたずねる。私は助ける方法はないと答えるばかりである。

  この悲嘆は、すこぶる大きい。けれども私は、彼等が自分の救霊をないがせにしないように、又彼等が祖先と共に、永劫の苦しみのところへは堕ちないようにと望んでいるから、彼等の悲嘆については、別に悲しく思わない。しかし、何故神は地獄の人を救うことができないか、とか、なぜいつまでも地獄にいなければならないのか、というような質問が出るので、私はそれに彼等の満足の行くまで答える。彼らは、自分の祖先が救われないことを知ると、泣くことをやめない。私がこんなに愛している友人達が、手の施しようのないことに就いて泣いているのを見て、私も悲しくなつて来る。」(アルーべ神父、井上郁二共訳)

日本人は神の創つた悪魔が永遠の刑罰と苦痛とを蒙つたことに対して、刑罰に峻厳な神は毫も慈悲深いとは言えないことを抗議する。また地獄という怖ろしい牢獄を創る神、もつとも怖ろしい苦痛に永遠に悩まねばならない人々に対して憐憫を感じないような神は善い神とは言えぬこと、もし神が善であるなら、神は十戒なぞというむずかしい律法を人に課さなかつたであろうということなどについて、弁じたてるのである。日本人は、人が地獄に投ぜられるという思想を、救済の希望なしには全く理解できなかつたのだ。

これらの日本人らしい質疑に対して、どういう解答を与えたか、シャビエルは書いていない。それはイエズス会の会友に宛てて認められたのだから、異教徒のこのような質疑に対するカトリツク的正解は自明のこととして書かず、続いて日本へ渡航すべき後進の会士たちに対して、あらかじめ心の準備をさせようとしたまでなのだ。だがこれらの質疑が、どういう根底において発せられているのかをシャビエルが洞察したならば、彼はあまりに軽く扱うべきではなかつた。

これらの質疑はあきらかに、浄土教徒ーことに真宗教徒のものである。佛教の諸派のなかで、もつともキリスト教に近い考え方の宗派であり、アミダという一神教的な人格神を持つた一派である。それは日本の浄土系思想のもつとも純粋化された窮極であり、往生はすでに「決定=けちじょう」であり、従つて念仏は救拯(きゅうじょう)への希求ではなく、救われてあることを意識する者の「佛恩報謝(ぶつとんほうしや)」 にすぎない。つまり、アミダの恩寵の絶対性の思想なのだ。シャビエルは日本の宗教の主な開祖がシャカとアミダであることを、分類的に知つていたが、浄土思想への日本の民衆の浸透の度合いについては、全く理解をもたなかつた。日本人にとつての躓きは、シナ人やインド人と違つて、十字架ではなく、審判であり、キリストの苦難ではなくてかえつてその光栄であつたのだ。

シャビエルが不思議とした日本人教徒の煩悶は、家族制度に馴致された彼等の生活感情を考えれば、少しも不自然ではなかつた。融通念仏の開祖良忍が、すでに、

  一人一切人、一切人一人、
  一行一切行、一切行一行。

と言つているのである。一人の功徳は一切人に通ずるとともに、一切人の功徳も一人に通ずる、すなわち相互に融通するものだというのである。これこそ、己れの祈りによつて、愛するものたちの霊魂を救おうと希求した彼らにとつて、福音であつた。また、親鸞によつて、善人なおもちて往生をとぐ、いわんや悪人をやという激しい言葉が、人間の在りようへの深い洞察のもとに吐かれている。これは罪人を救おうとて来つたというイエズスの福音に相応ずる。慈愛の宗教はすでにあつた。そこにシャビエルたちが、永劫遁れることのできない地獄の観念を吹き込もうとしたとき、それは日本人たちにとつて、特権の剥奪とさえ感じられたはずであつたはずだ。

だから、これら日本の信徒達との質疑応答によつて、シャビエルが対決していたものは、まさしく真宗的思想であつたと言つてもいい。 この両者が窮極まで対決の相を示さなかつたのは、たいへん惜しいことである。それは日本の思想史上の一大事件として、現れるべきものであつたし、そのような思想的格闘を経て、日本人のあいだから偉大な宗教思想家が現れることも、不思議ではなかつたと思えるのである。(山本健吉、昭和30年「文學界」に未発表のぶんの研究文。)

参考Ⅰ:遠藤周作「沈黙」を読んでhttp://theology.doshisha.ac.jp:8008/kkohara/reportdb.nsf/0/ead80d22bbff00c749256cda0047d546?OpenDocument

参考Ⅱ:フランシスコ・ザビエルについて
http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/history/

参考Ⅲ:コラムやまぐち
http://www10.ocn.ne.jp/~ejw/66yama.html

追記) 数年前にザビエルの冒険、というようなタイトルの本を八女図書館で借りて読みましたが、その本の作者を阪田寛夫とおもっていた。なぜだろう。阪田寛夫ならば、アストロリコの利華さんの話題のなかによく出る親しいらしい大浦みずきさんの亡きお父上ですよね。で、気になりよく調べますと、矢代静一の勘違いでした。なぜ間違えたのかもわかりました。矢代 静一 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E4%BB%A3%E9%9D%99%E4%B8%80
    阪田寛夫http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%94%B0%E5%AF%9B%E5%A4%AB

2007年2月18日 (日)

俳句誌『日矢』より

タンゴバンド、アストロリコのヴァイオリン奏者で京都三条ラジオカフェのジョッキーである麻場利華さんが、ブログを立ち上げられました。http://chaorica.blog92.fc2.com/

それを拝読していて、ひょっこり思い出しました。乙骨一族の交友誌『円交五号』 より引用しそびれている文章が四個ほど残っていまして、その一つ、高野花さんの文章をひいておかなきゃと思います。文中、永井友二郎義兄とあるのが、利華さんのブログでも紹介があった東京は三鷹の町のお医者さまにして乙骨太郎乙の直系の孫娘・菊枝氏のご主人にあたるおかたです。そして、(ここからが大事です、ふしぎだから)書き忘れていたのですが、永井友二郎氏は、山本健吉こと石橋貞吉夫人の石橋秀野もその芥川賞受賞作『雁立』にちらりと出てくる、小説家で俳人・清水基吉氏の俳句誌『日矢』(鎌倉市)所属俳人でもあります。いくつも縁がかさなっていました。まるで最初からわかっていたかのような繋がり方がふしぎで仕様がありません。利華さんのブログを読むまで、そのことをうっかり忘れていたのも、妙なはなしです。笑。では、ひさびさの「円交」です。

 句誌の中から

       高野 花

「俳句をやって見ませんか。老年の趣味にいいですよ」 と、五・六年前に永井の友二郎義兄が、自分の入っている俳誌『日矢』(清水基吉氏主宰)を送ってすすめてくれました。その時はとても才能がないからと見送っていましたが、翌月も送って来られたので、では一寸やって見るか、と「日矢」に入会する事になりました。毎月、七句投句すると、先生がその中から三句か四句をのせて下さいます。独り暮しの身、頭の体操にでもと、以来細々ながら続けています。でも、一向に進歩せずお恥ずかしいのですが、その中から、円交関係、家族関係の句を書き出してみました。ご笑覧下さい。(高野花氏は永井菊枝氏の妹君。判事だった乙骨半二の末娘です。)

新年会の米寿喜寿なり姉夫婦 (古山綾夫・巴夫妻)

三世代のいとこの集ひ春うらら (昭和62年5月円交会)

亡き兄を偲びて春を惜しみけり (上の席上、亡兄元造と浦和高校でご一緒だった小室正夫氏がきぬ子姉に、元造の思出話をしている中で、「浦高の友達が元ちゃんに、きぬ子さんを嫁に欲しいと言ったら、駄目だって答えていたけど、その時はもう渡辺氏と決まってたのかい」と言うのを聞いて)

木登りをせし時もありさるすべり (大塚時代)

赤まんま遊びほうけし日の遠し

竹やぶへ父に抱かれし震災忌

雛飾るを手伝ひし日の遥かなり

辰年の兄思ひ出づ終戦忌  (次兄亨二)

母の日や疎開地に母みまかりし

はらからの傘寿古希祝ぎ秋深し (巴姉と菊枝姉)

寒波来て従弟の訃報とどきけり  (乙骨明夫氏)

曽祖父のえにしの甲斐路や秋深し (鈴木頼奈夫妻・英里くん、菊枝姉と共に、曽祖父乙骨耐軒ゆかりの甲府をたずねて) 

初春や祖父の漢詩の軸かけて

バレンタイン九十三翁往生す (古山綾夫義兄)

姉は喜寿妹は古希や春彼岸 (きぬ子姉と私)

父の日や父は江戸っ子落語好き

大伯父の伝記読みいる梅雨ごもり (二代目日銀総裁富田鉄之助[祖母継の姉縫の夫]の伝記を)

メサイアのホールにひびく冬の夜 (正木直子、永井菊枝両人出演)

叙勲記念のカード頂く青嵐  (乙骨達夫氏叙勲)

      (平成四年九月 識す)

還浄 1

きのう、鳥栖まで通夜に行く。私よりも年若いみほとけさまをみおくってきた。

そこで同年輩の真宗のお坊様のおはなしをきく。こんなおはなしであった。

みなさんのところではどうでしょうか。少なくとも私の知っている福岡筑紫圏内では、死人が出たら貼る忌中の文字は、あれは仏教のおしえとは相容れないので、やりません。死が忌むべきものならば、その対極にある生も忌むべきものとなるからです。生死と書いて、仏教用語ではショウジと読みます。生死のことは寿命といって如来に約束されたことがらでありますから、死は忌むべきものではない。かわりに、ゲンジョウ=還浄の文字を門にはります。死んだら、みな一人残らず浄土へ還るということを意味します。どんな命も、間違いなく浄土へお迎えしますよ、というのが浄土真宗の如来のみおしえです。

そういえば、三十年近いむかしである弟のときは記憶にないが、祖母が亡くなった十三年前のことははっきり覚えている。たしかに玄関には還浄と書かれた提灯が掲げられていた。あれはそういう意味があったのか。

山本健吉編の歳時記には妙に多いカソリックの行事が気になることもあり、十年ほど前に彼の初期の評論「きりしたん事始」を神田の古書店から求めていた。健吉は長崎でミッションの幼稚園に二年だったか通った。園ではイエスさまがどうなさいましたアーメンと唱え、家に戻れば、仏壇と神棚のある暮らしを何の違和感もなくおくり、その上、加賀藩の家老の家に生まれた母の翠に付き従ってきた祖父の側室である、横山かくばあさん(と書いてある)に可愛がられて育つ。慶応時代に学生結婚した藪秀野もまた大阪のミッションスクールをへて神田の文化学院に通った西洋思想とは近しいモガだった人だ。でも、どちらも根は生粋の日本人であり、非常にふかく切支丹についてもつきつめて研究したふしがある。健吉の友人には遠藤周作もいた。この本は昭和30年ごろ書かれたものだ。遠藤周作の『沈黙』とどう絡むのかは分らないけれど、その周辺の研究をしたものである。

そのなかに、戦国期の大名と宣教師とのわたりあいを書いたくだりがある。いつぞやコメントを戴いた大内家の子孫のかた(八女燈篭人形創始者の松延貫嵐のときに)にも読んでいただきたい。ご先祖のはなしだと思われる。引用したい。ただ、耳ざわりのいい話ではない、現代の道徳規範で考えれば。その点はあらかじめお断りいたします。

シャビエルが西日本の行く先々において、大聲して責めた日本人の三大罪悪とは、萬能なる創造主デウスを知らず偽りの神佛を拝すること、ソドムの悪習に耽ること、ならびに堕胎壓殺を行うことであつた。当時西日本第一の文化都市であった山口の領主大内義隆の前で、彼はローマ字で書いた信仰箇条を朗読したが、たまたまソドムの悪習を論じた一條に至り、「この罪を犯す者は豚よりも汚らわしく犬よりも劣る」 というのを聴くや、義隆は顔面蒼白となつて奥へ引き取つたという。これは義隆が自分の弱点を衝かれたのを憤つたためには違いないが、それのみでなく、そのような非妥協的・不寛容的な暴露の言辞のむくつけさを、長い伝統を経た日本人のデリケートな感性が受けつけなかつたゆえでもあると思う。

※ この昭和三十年代初期の本の文体は、現代表記への過渡期であり、漢字はまだ正字です。(変換する時間の関係で途中から簡略表記にしていることをお詫びします。)促音はおおきいままですが、かなの表記はちゃんと現代表記になっているのがふしぎといえばふしぎです。

2007年2月15日 (木)

横山康夫ー峰雲物語

   峰雲物語

         横山 康夫

陽を見たる    ひをみたる
日の        ひの
母瞽女の     ははごぜの
雛かな       ひひなかな

字を問へば    あざなをとへば
羽高岩伏     はだかいはぶし
漢の        あやの
足跡        あしあと

一の澤      いちのさは 
二の澤      にのさは
生き極まつて  いききはまつて 
賣らるる子    うらるるこ

恩讐の      おんしうの  
隧道       ずいだう
随喜の      ずいきの
夢半ば      ゆめなかば

鶴舞の      つるまひの
戀し        こひし
飛雪の      ひせつの
鶴見岳      つるみだけ

百年を     ももとせを
棚田は     たなだは
しのび     しのび
哭く水車    なくすいしや

死後は      しごは
櫻木        さくらぎ
周防見下す   すはうみおろす
鳥居立ち     とりゐだち

去にし子の     いにしこの
名は         なは
風に乗る      かぜにのる
狭霧臺       さぎりだい

南へ        みんなみへ
神發ち       かみたち
見返り坂      みかへりざか
にほふ       にほふ

北に         きたに
時雨の        しぐれの
語り繼がれし    かたりつがれし 
行者の杉      ぎやうじやのすぎ 

『円錐』32号より引用(2007年1月)

2007年2月14日 (水)

バービーボーイズ

先日のリチャード・マークスについで聴きたいのが、あのころいつも聞いていた、バービーボーイズのアルバムです。先日引越しの件で帰省した娘が、「おかあさん、むかしいつもかけていた「勇み足サミー」は、だれが歌ってたの。あれが聴きたい。なつかしい」 といいます。

しらべました。もうカセットはなくしていた。三十代に好きだったロックグループです。紅一点の混血バンド風で、とてもセクシーな歌声だった。eeney meeney barbee moe という名のアルバム。これが彼等のベストアルバムです。ほんとに毎日聞いてた。これと大瀧詠一のアルバム「a long vacation」。どっちも最高だったなあ。

ノーマジーン、さいこう!さらばシベリア鉄道、さいこう!

http://crush-on.com/(これはバービーボーイズのサイトです。)
ウィキペディアの大瀧詠一を貼り付けたら、例によって現在使われておりません状態になりますが、ご自分でひかれてください。きっとおもしろいです。(妻は介護施設に勤めているとかまで書かれています。笑)

でも、よく娘が覚えていたなあ。思い出させてくれてありがとう。これは、きっと父や母が三橋美智也が聞きたかというのとおなじですね。私は三橋美智也も好きだし田端義男の帰り舟もすきですよ。

こんどの引越しもまた、むすめは私を軽トラで呼び寄せて、ただばたらきさせる予定のようです。とほほ。これで三回目よ!ツケといてね。きついんだからね。軽トラってガソリンはくうわ、ゆれるわ、乗り心地は堅いわ、長距離向きじゃないのよねえ。それで天神のどまんなか走るのは、ちょっとねえ。しかし、ほかならぬむすめのたのみだし、またこんども私は出かけてゆくのだろう。しょうがねえなあ。

おもいだしました。計算すれば当時四十二歳だった父が、短大生になる私と荷物を載せて、旧国道三号線を通って小倉まで、ひっこしを手伝ってくれたことを。きのうのことのようにあざやかです。弟がなきながら、おいかけてきました。心の届かぬラブレター、というのを、のーとのきれはしに書いて、くれたんだっけな。胸がいたくなります。なつかしくて、かなしくて。そんな記憶、ふだんはわすれているけど、ひょんなことで蘇るのですよね。まあたまには、いいでしょう。

2007年2月13日 (火)

バレンタイン警備

ばたばたと連休がおわった。ほんとは三連休のはずが、二連休でありました。きっと会社のみんなは目をしょぼしょぼさせて頑張っているだろうなあと思うと、ひとりだけのほほんとしておれなくて、自主的に出社いたしました。それで正解だった。とっても忙しかった。

ハンバーガー屋さんと老舗のケーキ屋を請け負っています。どこの店とはいえませんが、久留米と福岡市のです。あんな下層市民がかっくらうような大味のざざっとした食べ物、どこがおいしいのかと思うのですが、なさけないことに若者はあれが大好きとみえて、週末は混雑するのですって、ドライヴスルー。そこで、それをさばくのが警備のお仕事というわけです。

こういう職種はおしゃれですから、それに向かうときの制服も土方用とは異なり、ちょっと上品になります。しかも、土方用の隊員ではなく、ちょっときれいめの隊員を派遣します。一人女性隊員がいますが、今日は彼女でした。きれいなシングルマザーです。しかも明るくとても元気がいいので、みんなに好かれています。まわりが明るくなるって大事なことだなあと彼女をみてるとおもいますね。

彼女が帰社後いいました。

ああつかれたー。どっから来るのかってぐらい多かったのよ。ビラ配りまでさせられて。しかもカップルばっかり。あたまくるっちゃ。ついでにゴミ捨てもしてくれっていわれたけど、さすがにそれは断ったわよ。

おつかれさま!

もう一人のケーキ屋に行った男性隊員は、土方の現場と違って若いおんなのこがミニスカはいて沢山くるから、うれしいって目をきらきらさせていってましたね。じつに正直でよろしい。ホワイトデーの警備も請負済みだそうです。そんなこといってないで、自分がもらわんかいっていいそうになりました。

ところで、ひさびさにむすめが博多から帰ってきました。超ミニのグレーフラノのショートパンツに黒のブーツはいてましたねえ。夏はミニスカートに白ブーツだったことをおもえば、わかるような気はしますが・・ほんにむすめは元気じゃのう。来るたびに、もっと上品なかっこうをしてよと頼んでいるのですが、これが趣味なのと言って聞いてくれません。おかあさんのいうような格好していたらテンションがあがらない。としよりのひんしゅくを買うようなカッコがしたいんですって。娘と、男の性についてかたりあいました。なんでも話せるからむすめはいいですね。かなりおとなになってきました。年下の彼とはしばらく距離をおいてみるという。もっと安いとこにひっこしをするので、ボーナスのお金を使わずにとっているそう。金銭面で、しっかりしているなあと感じます。きっとバレンタインどころじゃないはずです、ことしは。

2007年2月11日 (日)

佐賀市役所

佐賀市役所

佐賀の空は広く、澄み切っています。

佐賀市役所

日曜土曜でも自動発券機で印鑑証明や住民票などをとることができます。とてもありがたいです。ちなみに八女市にも博多区にもこのような便利なサービスはありません。しくみは、市民カードを作りまして、暗証番号を登録します。あとはバンクカードとおなじです。一部三百円でした。(むすめが引越しをするので必要でした。)

佐賀市役所

単身赴任、いま五年目くらいですが、二年前に夫の車(新古車)を購入したとき、八女にあった夫の住民票を移動させたのです。たしか、県外で車を買うのは数万円割高になるからでした。うーん、よくわからない。あれはなんで高いのだろうね。運送約款?あそれは航空警備業界の用語か。よくしりませんが、とにかくそういうしくみでした。ふしぎなもので、住民票がなくなったとたん、なんだか離婚でもしたようなものさびしさにおそわれました。紙切れ一枚のことなのに。よそさまはどうしておられるのだろうか。けっこう、多いのですよね、単身赴任って。

2007年2月 8日 (木)

俳人山下整子ー閉ぢてひらいて

「樹」所属、山下整子の句を引用します。短歌と較べてみてください。

   閉ぢてひらいて  

             山下 整子

青白き角を生やして春を待つ
さみしさの塊となる薊かな
土筆の子石仏のやうに野に在りて
さみしいと寒いは似てゐる春隣り
学歴がなんぼのもんじゃ青き踏む
笑ひたい時に笑へよ花こぶし
菜の花が匿ってゐる金の猫
花散るやわれは空っぽの海を抱く
文具屋のスチール看板梅雨晴れ間
青時雨姿勢正して読む手紙
薯の葉に勢ふ水あり星迎へ
ストーカーのやうな目をして炎天下
歪めてはならぬものあり原爆忌
ふはふはの羞恥を洗ふ夏日かな
折鶴とつつぬけの空原爆忌
大小の大の字並ぶ午睡かな
サルビアの赤き縦列われを射る
ぬばたまの闇の向ふの麦酒かな
をとこにはをとこの唄の盂蘭盆会
町騒(まちざゐ)の中の孤独よ夏果てぬ
狛犬の口渇きたる夏日照り
海の色閉ぢこめてゐる水母かな
テトラポットのここからが海苔しぶき
充足には遠き日の暮れ白露かな
さみしげな水の星あり夏銀河
葬送の客がほどけて夏の菊
渓谷に星とホタルとたましひと
枯れ草の匂ひ顕たせて父が来る
新月や清濁合はせ飲む勇気
くさむらを閉ぢてひらいて月生るる
弱音吐く場所を捜して後の月
雨あとに月が転がる運動場
つはぶきの肩肘はらず咲きにけり
従順にあらざるわれもこすもすも
寄りかかる椅子はもたない十三夜
秋嶺や理由などなくて嫌はるる
狂ってもいいかな夜のかまどうま
和栗てふ語彙のやさしき洋菓子屋
挫折など知らない顔の冬薔薇
妻解かれ母を解かれて聖樹かな
元旦や今日より若い日は来ない

ひたすら、わびる。

仕事中、きのう、きょうと続けて交通誘導警備の仕方についてのクレームを受けた。思い切って正直に恥をさらすと、こんなの。

おたくの警備はかつてないほどひどい。監督の指示には従わないわ、勝手に車を通して渋滞させるわ、むくれるわ、こんなふうならどこかよそと代えなきゃいかんかと思いよります。おたくたちも疲れておられるでしょうが、こちらも(土建業界で道を作ってるとこ)疲れているんです。だれかほかのメンバーと代えてもらえませんかね。

ははあ。すみません。重々担当者から言って聞かせますから、どうか穏便にお願いいたします。ご迷惑をおかけします。隊員たちが疲れてご迷惑をおかけしました。ほんとうにすみませんでした。

あるいは、今朝はこんなの。一通りすがりの人から。

おたくの警備員さんはとってもあぶないですわ。通っていいゆうから通ってたら、あやうく事故りそうになりましたよ。私だけじゃない、妻もそういってます。警備員さんの指示を聞いてよけい危ないなんて、余計混雑するなんて、ひどいなあと思って、どこの警備会社かと調べたら、おたくでしたから、ひとこと申し上げておこうと通報しました。

そうでございましたか。本当にすみません。こちらから厳重に注意しますから、どうかお許しください。御通報いただきまして、ありがとうございました。

・・・わびながら、あの隊員、この隊員の悪気のない朴訥なお顔が浮かび、だんだん胸がいっぱいになってくる。そして、だんだんおかしくこっけいになってくる。いや、不謹慎とは思うけど、めちゃくちゃな交通の捌きをして、現場を混乱のうずにおとしいれた警備員。おまえがいないほうが安全だといわれる警備員。ビートたけしのネタみたいで、笑うしかないではないか。ここは笑おう。そして、事故がなかったことを喜ぼう。

若い隊員の一人は、もう長らく休んでいない。それだけ元気ともいえるし、それだけ忙しいともいえる。彼はかわいそうな身の上で、家に居場所がなく、食うにも事欠いて骨皮すじえもん状態だったところを社長に拾われて、ここの寮に住み着き、しっかり働くようになったという。また、ある隊員は、ナガサキから自転車で家出してきたところを拾われたという。どの人も苦労してここへたどり着いた人ばかりである。なんだかせつない男たちばかりなのだ。このところ、とても激しく忙しくて、毎日のように夜勤が続く。どの隊員も社長もボスも、くたくただ。でも、ここは歯をくいしばって乗り切るしかない。現場で生コン打ちをしている道作りの土方の人や、市のガス管を点検している人や、汚水管を埋設工事していたり、水道工事している人たちは、もっときついかもしれないから。いずれも期限内で終わらせるような仕事ばかりだからだ。

それをおもえば、朝の通勤で多少の渋滞があることは我慢しようという気になってくる。(ほんとは多少どころじゃないけどね。)どちらさまも、ご安全に。くれぐれも誘導ミスには最大限の注意を払ってくださいませ。私がいうべきことではございませんが。

社長がいわれてました。警備業界は、この時期にできるだけ多くの夜勤をこなさねば、立ち行かない世界なのだと。体力気力との勝負だと。その意味が、わかりかけてきました。

梅、もうちょっと

梅、もうちょっと

2007年2月 5日 (月)

うどんとかラーメンとか

うどんとかラーメンとか

昨日佐賀に行った。就職前は、つまり十二月初めまでは、ほぼ二週間に一度水曜日に行っては、洗濯や買い物掃除をしていた。それが忙しさを理由に行かないでおったところ、どうもよくない気がして。先週から日曜に「あらかじめ電話をして」行くようにした。行っても本人はすぐそそくさと出て行くのだ。笑。まったく。かよいの家政婦ロボット以下だ。子をうむキカイ。けっこうなことだ。キカイならどんなによかろう。

愚痴をいっても何もかわらないからね。昨日は、パチンコに勝っていたのか(この近くにあるらしい)、初めてラーメンをおごってくれた。それがここ。松原神社(えーと、佐賀神社・・字がちがうな・・のとなりにある)のすぐ前。佐賀はおいしいラーメン屋さんが少ないんだよね。でもたしかにおいしかった。一律550円。たべさせてくれたあとは、ほなさいなら、ってニヤリと笑って、またぱちんこへと去っていったのであった。

うどんとかラーメンとか

久留米ゆめタウン前の「あずみ」のごぼう天うどんといなりのセット。特価380円くらい。味は並。とりあえずおなかいっぱいになる。お昼にお弁当を持っていけなかったとき用。お店では安い果物も売っています。グレープフルーツが四個で150円だった。買った。次男がすきなので。ぐるりと隠し包丁をいれて、十字の切れ込みをいれ、砂糖をかけて食べるとおいしいですよね。すっぱくて。

うどんとかラーメンとか

ここが例の「てうち庵」。筑後市から分家して八女にもできました。あの「見直そう見直そう」のソンポの歌を歌ってる声と同じような声の職人さんが、「いらっしゃいませー」っていってくれる。うどん(かまぼこ、あげたま、わかめ、ねぎいり)と、きのこめしの蒸篭蒸し、たこときゅうりの酢の物でランチ価格の500円が最大人気。(写真)おいしい。上の部類。

あと、私とむすこのおきにいりの桐乃家(きりのや)のうどんを撮っていませんが、そのうちにとります。きりのやのうどんは柳腰だけど、おいしい。それに箸休めが小皿にとりほうだいもうれしい。あと、ここのお茶はおいしい。激戦になってきました。まさか八女のあんなところにてうち庵がくるとは。すぐ近くなのです、きりのやとかウエストとは。

※ すみません。写真と文章が上下、入れかわっておりまする。

2007年2月 4日 (日)

うらかみ川

うらかみ川

2005年8月27日ナガサキにて

Ballads

ひさしぶりで聞きました。リチャード・マークスの『Ballads』。

こころにしみます。なつかしいなあ。1994年のヒット・アルバムです。

now and forever I will be your man

くぅーっこんな言葉をいわれてみたいぞ。

http://www.toshiba-emi.co.jp/richardmarx/

この人の声はスティングとどこか似ている。でもずっと甘い。

このアルバムの中で一番好きな曲は、「Right Here Waiting」,次に「Now And Forever」。ライトヒアウエイティングの歌詞が虫食い問題になったの、みーつけた。きみもさあやってみないか。 http://www.ne.jp/asahi/celica/super/rightherewaiting.pdf

(上記サイトの表記にいくつか間違いがあります。正しいのはこれ。歌も聴けます)http://www.ladyjayes.com/rightherewaiting.html

↑ でも、最後にある「BACK」につなぐと固まるのでご注意ください。

2007年2月 3日 (土)

『樹』 瀧春樹の叙情

所属誌、大分の「樹」(たちき、大分県中津市三光森山、瀧春樹編集発行月刊俳句誌) が創刊十五周年を記念して合同句集を編んだ。それが先日とどく。代表である瀧春樹主宰の句をひきます。

湖へ散る    

       瀧 春樹(たき はるき)

櫨紅葉乾けば魚の骨ばかり
落葉焚くたび肉体を進む錆び
箸二膳妻へ吹雪の窓開けて
折り鶴が翔んだよ梅が開いたよ
触れたくて触れないでいる龍の玉
蛇に脱ぐ衣あり5勺の酒があり
高きより水落ち瀧になる他なし
あれが葛だよ 全身で漕ぐ車椅子
村人に蟹股多し韮の花
石筍のまぎれて秋の夜を太る
大根引く山の没日へ尻つきだし
大寒の鳥の樹猿の樹朝はじまる
粗忽とは花より先に出てくる葉
子に遺すものなし茄子に花咲かせ
蛞蝓に塩 非常口が見当たらぬ
空蝉へ息吹き込んで敗者なり
霧霽れて楔型文字という反射
生きること即ちいくさ韮咲かせ
旗やがてたたむ国歌よ猿酒よ
村中の酒澄みわたる流れ星
東洲齋寫楽が海へ刷る初日
水禽のあるいは人間嫌いなり
歯を抜いて冬樹の間(あい)が広くなる
鴉にも訛ありけり春田打つ
蒲公英の絮へ埴輪の口が開く
花嵐魚揉みあうばかりなり
踊子草に朝日燦燦たる動悸
藁で束ねて男でござる桜鯛
夏の川愚直に朝の飯が噴く
虹の端をしずめて車椅子のあり

はんぶんを全句引きました。

触れたくて触れないでいる龍の玉

この句ですが、こどものころ、まだことばもよく知らない、六、七歳のころを思い出させます。近くの野辺を仲間と遊びまわっておったのですが、かくれんぼして、よその庭先でふと見つけた龍の玉が、それはそれは美しいたからものに思えて、びっくりして、とろうか、どうしようかと幼心に思ったことが記憶のなかに今もあります。緑の細長い葉叢に隠れてひっそりとある、紫の小さなぴかぴか光る龍のたま。うん、わかるわかるよ!とすなおに感じた句です。すごいなあと思った句です。

東洲齋寫楽が海へ刷る初日

これも好きな句です。あの初日の色は、写楽が海へすり出した版画の絵だというのです。字面、リズム、スケールの大きさ、それにイメージの切り結ぶ世界が一幅の掛け軸のようです。

高きより水落ち瀧になる他なし

瀧春樹その人を指す句であるとかんじます。まさに瀧春樹は一本の瀧の樹です。

季語「龍の玉」http://www3.ocn.ne.jp/~shoonen/kyoshi26.html
                   http://www.geocities.co.jp/Milkyway/7108/sub2.html

追記)
上記のサイトにあった句ですが、

   龍の玉深く蔵すといふことを  虚子
   蛇の鬚に実のなつてゐし子どもかな 草田男

このどちらもよくわかります。ことばでものをおもわざるころに龍の玉に出会った人は、みなそうだろうとおもう。しみじみ、遠くまできたなあと感じます。と同時に、龍の玉は一月の季語だと知りますと、こんなに寒いときでも、元気で平気で外遊びをしておったんだなあと、自分達のこども時代の野生をなつかしみ、いとおしくおもいます。句がそのことに気づかせてくれました。

督促のしかた。

月末〆の請求書を気合を入れて一球入魂じょうたいで書いていると、じゃんじゃんなるんです。電話が。

はい、かささぎ警備保障でございます。

あのう何々と言いますが、そちらにまるまるさんはおられるでしょうか。

はい、今、現場で仕事中ですが。

それでは、何々から電話があったとお伝え下さい。

承知しました。

ガチャン。・・とこんな感じの電話が午前中に二回もあったら、そのたびに仕事は中断を余儀なくされて、迷惑この上ない。長い長い計算をやっているときなど相手をののしりたくなる。笑

じっさい、ソフトにののしりました。

あのう、電話するのがそちらのお仕事とは思いますが、こちらも仕事してるんですけど。よければお昼休みにかけてくださいませんかノルマなら。でも、本人は夕方しか帰りませんよ。お分かりでしょう。

相手は返事もなく電話を切られた。あちらもつらいしごとですねえ。

こういう電話はサラ金関係の督促の電話だそうです。

2007年2月 2日 (金)

秋瑾 その2

(きのうのつづきです。文章: 狭間直樹京大教授)

20世紀初頭の東京は、清国をはじめ、ヴェトナムやフィリッピンさらにはインドなどの革命をこころざす青年があつまる政治活動の中心地であり、彼等の必要とする情報の発信源だったのである。その東京で彼女は実践女学校に学んだのだが、彼女は「この上なく人のよい」、礼儀正しい女性との印象を人びとにのこしている。

ところが、帰国して一年半後、秋瑾は故郷の紹興で武装蜂起を主導し、未発のうちに逮捕されて斬首の刑に処された。時に31歳。逃げる余裕はあったのだから、あえて動こうとしなかったのは、そのような「成仁」 への道を彼女自身が選んだからである。その「凛」とした生き様が世にあたえた衝撃はきわめて大きかった。

秋瑾の伝記として、私たちは武田泰淳氏の名作『秋風秋雨人を愁殺すー秋瑾女士伝』 をもっている。それが雑誌『展望』 に発表されたのはほとんど40年前、1967年のことである。そのころの日本、さらに世界には、大きな変動の時期にさしかかっているかの予感がみなぎっていたと言ってよいだろう。そのような時代にあって小説家の武田氏は、秋瑾とその周辺の人びとの心象風景を描き出すことにより、うちつづく革命と戦乱を生き抜いてきた中国人の「重苦しい気持ち」 を日本の読者に伝えようとされたのだった。これは、東アジア世界における秋瑾を媒介とした精神史的交流の重要な成果だといえる。

永田氏がこの大作に取り組む呼び水となったのは、やはり武田氏の秋瑾伝であった。紹興の街を歩いていて、『秋風秋雨人を愁殺す』 の心象風景が胸に浮かんだことが、のめり込みへのきっかけだったという。今の時代「閉塞」 というべき状況のもとで、氏は秋瑾なる「ひとつの凛とした魂の軌跡」 を追い、「圧縮された精神の密度」 を描くことにより、理念にもとづく実践の輝きを人びとの心に映そうとされたのである。これは、東アジア世界における秋瑾を媒介とした精神史的交流の、武田氏をつぐ成果といってよいだろう。

    (あしたにつづく。)

武田泰淳は石橋秀野に戒名を与えた、僧でもあった小説家です。

実践女学校:http://www.jissen.ac.jp/library/shimoda/documents/his09.htm
                 (ここのサイトに昭和八年の運動会の映像があります。見ますと、まるで北朝鮮のマスゲームを見てしまったような感慨がありました。)

魚藍観音 『拓』16号評の五

花大根愚痴なき母に逢う怖さ  野田 信章

魚藍観音春の葉っぱの無尽蔵  〃

軀に余るがじゅまるの黙五月旅  〃

雨に舞う青すじあげは君の忌ぞ  〃

秋情(あきごころ)白鯉がいる跨ぎます 〃

火星はいずこみずなら落葉堆し  〃

わたくしは、このひとの奥様を確かに知っているとおもいました。一度も会ったことはありません。ただ、一度だけ、生前の野田田美子の句にまっすぐ感応したことがありました。そのことを今も忘れずにいます。忘れられずにいます。

薄ら陽の花三椏よ母に癌  野田田美子「九州俳句」誌より

坂本繁二郎の絵が世に出るきっかけとなる、夏目漱石がその言霊で絶賛した牛の絵が、たしか「薄れ日」といいました。わたくしはおもいます、きっと夏目漱石は、絵そのものよりも、その絵に流れる空気の色と、題名(言霊)との織り成すものに打たれたんだなあと。同じくわたくしは、この句を読んだとき、句に流れる緊張感、切迫感、非情感、そういった瀬戸際のぎりぎりの思いを一身に受け止める花三椏のその花の、すがた、字面、ことに亞の字の切なさ刹那さ、が胸にせまり、いてもたってもおれないようなきもちになりました。それを書いた記憶があります。そうしたら、あとになって作者本人からおはがきを頂きまして、あの句の母とは自分のことです、とさらりとかかれていました。えっとおどろきました。ただ一度だけ、そういうようなこころの行き来がありました。九州俳句誌の一読者としての。

それから、一年ほどして、田美子さんは亡くなられました。

俳人としての歴史は、田美子さんのほうがご主人の信章さんより短いのでしょうが、ただ一句の持つ命をかけた輝きは色あせることはありません。そして、一人になられた信章さんは、なぜか句に凄味が加わりました。わたくしは海程調というか匂いというか、が、とてもいやでした。所属誌の主宰も、有力俳人も、それから九州俳句によるあまたの俳人たちも、そのにおいを付着させていることがいやでした。だから、野田信章氏から金子兜太先生の講演録を戴いたときも、さすがにカリスマ性のある俳人はすごいなあとは思いながら、読む気がしなかった。尊敬する俳人である高木一惠氏からも、兜太先生のあの著とあの著はすごくいいから、読みなさいよ、といわれたのですが、それもまた。これはわたくしの了見の狭さだと思います。生理的に受け付けないのですよねえ。しかたない。笑

空に舞う青すじあげは君の忌ぞ

魚藍観音(ぎょらんかんのん)の句、上の一句、はたまた花大根の一句、どれもきっぱりと切れていて、しかも断層がふかくて、印象にのこる。死者は断層に棲む。

魚藍観音: http://homepage2.nifty.com/isso/ikituki/ikituki.html
青すじあげは:http://www.education.ne.jp/mitaka/sansho-es/kyoshitu/99/41/aosujiageha.htm 

なお、この野田氏の身は、身に区の正字(品性の品の字にある口みっつ:永末恵子)、鍬塚聰子氏の身は、身に本です。秀野や横光利一時代の身は、骨が豊かと書く字、現代はただの身です。

2007年2月 1日 (木)

女傑 秋瑾

秋瑾と書いて、しゅうきんと読む。れぎおん同人・永田圭介渾身の秋瑾評伝『競雄女侠伝』が秋瑾の祖国中国で翻訳出版されるという。永田氏よりお便りをいただいたので、ご紹介する。私の知識ではうまく紹介できないので、狭間直樹氏の序文を一部引く。

永田圭介 『秋瑾伝』 序文

   狭間 直樹
       (京都大学名誉教授 京都産業大学教授 
        孫文記念館館長)

前略

歴史は持続をその本質とするものだが、時に大きな飛躍をともなう転換期に出くわすことがある。中国史上の大転換期といえば、まず諸子百家が縦横無尽の活躍をした春秋戦国時代である。その結果としてつくりだされたのが、秦の始皇帝にはじまる皇帝支配の王朝体勢であった。「近代」 は春秋戦国時代にまさるとも劣らぬ激動の時代であり、そこでは人の心をゆさぶる多くのドラマが生み出された。

「女性革命家秋瑾」 は、その「近代」 の一段、ラスト・エンペラー溥儀を退位においこんだ辛亥革命の主役の一人である。

辛亥革命では、多くの女性が活躍したのだが、歴史舞台への女性の登場ということも中国史の新しい段階を示すことだった。それらの女性のなかで、みずからの信念に殉じた秋瑾の姿は際だってあざやかなものである。

秋瑾がみずからの人生の意義に目覚めたのは、祖国の紹興や北京における生活の中でのことである。だが彼女が女性革命家となるには、日本の土を踏むことが必要だった。

        つづく。

※ 拓の感想文の途中でありますが、すべてのことが根では繋がっている(私の中では)ので、突然入ってきたこの秋瑾をあいだにはさみます。朝と夜の時間で出来る範囲でやります。 

五殻神社

かっこわるい。請求書を書くとき現場名で「ごこく神社傍」というのを、ボスにどう綴るんだか聞かれて、つい「五殻神社」 と教えてしまいました。

五穀神社です正解は。

とてもキップがよくて、さばさばして、私の百倍強気であるボスは書道が趣味です。自分で書かれた実に見事な変体仮名(草書)書道で、和歌の額装が、あちこちにさりげなく掲げられています。さいしょに面接に来た日、応接室で待たせられたのですが、そのときも、なんでこんながさつな職場にこんな優雅でゆかしいものがあるんだと、いぶかしくてなりませんでした。そのこともまた、縁を感じたんですよね。

五穀神社でありますが間違いを正す勇気がなく、五殻神社のままです。

五穀神社と護国神社では音が通じるので、きっとなにかいわれとかあるのでしょうね。五穀神社は久留米の日吉町だったかな、ラーメンの大砲があるところの近くにあります。護国神社のほうも、あちこちにありましょうが、私には福岡の西新近くの護国神社がすぐに浮かびます。

それと、さいきん気づいたことですけど、季節の季の字は禾(のぎ)のこどもとかきますよね。で、英語の季節、シーズンは、海のこどもとかきます。海のこどもと、のぎのこどもが、であうところは、どこでしょう。

五穀:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%A9%80

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