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2007年1月12日 (金)

記憶の抽斗

学校の先生は昔の記憶、ことに生徒の記憶をどうやって保っておられるのでしょうか。

あるとき、高橋甲四郎先生が、こんな話をなさいました。

「わたしは職員室用の、小抽斗がたくさんある整理棚を買って、それに年度ごとの記憶を仕舞っています」、と。

だからきちんと色褪せないでいろんな思い出が残っているのですね。年度ごとに引き出しにしまう思い出の資料。まるで、パソコンの記憶ファイルのように、必要に応じて取り出せます。

なにかを思い出すときは、なにかに刺激されないと発火しません。それまでは、どんな鮮やかな大事な記憶も、眠りひめ状態です。

それで思い出しました。ねむり姫、という題の澁澤龍彦のおはなし。
どなたかきちんと記憶なさっていませんか。わたしは以前、星野石雀先生の「摩天楼」誌で沼野正子さんの表紙絵にあった、塔に閉じ込められた髪の長いおんなの子を見て、いつもその澁澤龍彦のねむり姫のお話を思い出しました。

西洋の眠り姫とはぜんぜん違うおはなしです。うーん。思い出せそうで、思い出せないなあ。日本のお姫さまのお話だったことと、なんとなく泉鏡花の天守物語や江戸川乱歩の押絵と旅する男ともほそい糸で連鎖する通路があったことだけは、思い出せます。

こどものことでとても気になることが今、あって、それと、そのねむりひめの話とが、結びつくのです。じぶんの深層意識はそれを知っているのに、なぜか知りたくなくて認めたくなくて、鍵がかかっているようなかんじなのです。そういうかんじ、ありませんか。記憶と思い出と予感と気配とは、そこにいま、影しかないという点において、同一の抽斗に入っています。

※ ねむり姫についてのブログ発見。http://blog.goo.ne.jp/curonyanko/e/706d79ec7c5109551b3a30f69aae5d94

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コメント

記憶の抽斗か。すごく惹かれるワードです。以前「百の抽斗」って連句があったね。なんか、記憶の抽斗という題目で連句やりたい気持ちにさせられました。
・・記憶と思い出と予感と気配とは、いまそこに影しかないという展において、同じ抽斗に入っています・・

わたしもつい最近、よく似た経験をしました。友人が使った「徳積み」って言葉から、これまで一度も使ってこなかった記憶の一部が飛び出したような気がしたよ。無意識という宇宙の中から、意識というわたしの内面に飛び出した。そんな気がした。

ウン。連句は、ほんとにいいよねえ。ブログでやったのはたしかにきつかったんだけどさ。でも、なんかすごいライブ感があったよ。せいこはんがよんでくれてたんなら、誘うんだった。こんどはじぇえええったい、さそうけん。
百の抽斗は、博多に前田先生が見えて、木場敬子さんが入られて巻いたときの作品じゃなかったかな?木場さん!懐かしいあったかい人だったなあ。貞永さんの葬儀のとき、前田先生も見えたのですが、木場さんが来てくれて、ベンツで貞永さんちがある生石付近を走ってくれた。そのときのことを、ときに思い出します。前田先生はなんといいようもなく勘が鋭くて、かなり先までを見通せる眼力がある俳人です。俳人だけならあの才能はなかったろう、俳諧師なのですよね、けっきょく。
連句のおかげで、実にゆたかな人脈をさずかったなあと、縁に感謝しています。

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