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2007年1月21日 (日)

神の旅 3

しまった・・・と思い始めたのは、おととい「たちんぼう」 をしているときだった。何もすることがなく、ただ立っているという状態では、物を思う以外することがない。前田圭衛子特選句の「天の扉へふわり丹頂」。なんで目に入らなかったんだろう・・と自分のふしあなの目が恨まれた。

「恭子さん、一句に惚れたらあきまへんで!」 と、あれほど何度も言われたことを又やってしまってた。確かに隼の句の目をみはるような勢いに圧倒され、我を忘れていた。考えたら、先生はあの句をとってはいらっしゃらない。(二句選だった。)それは、発句を超える強さがあるからだ。隼の持つ世界は鷹狩りの覇権の世界へと通じてもいた。短句ながら一句で立っている句ともいえる。攝津幸彦の「見事な脇のさびしさよ」 が実感として胸に蘇る。わちゃー・・まだまだ修行があまいわ。私はあほでまぬけだ。

  遺伝子を針路にすべし神の旅
      天の扉へふわり丹頂

あたまに赤い冠をつけた優美な丹頂の左右対称な舞が想起されるや、すぐ心に永末恵子の短歌が浮かんできた。革手袋と丹頂とを同時にうたった作品で、きっちりとしたバランスをとる鳥の厳しい美しさを詠もうとしていた。正確にそらで覚えていないので、引用できない。歌集「くるる」 所収。(一度、野間幸恵さんの「俳句ざうるす」でご一緒した習作時代、請うて本人から戴いたもの。くるるは、樞、とぼそのことである。)

ああ。あーあ。ダメだ。当分自己嫌悪で再起不能だ。でも、気づいてよかった。読みを問うと同時に、それぞれのはらのうちをさぐり、各人の力量を互いに知らしめる。しかも自分はその内部にいて、のりをこえない。くうー!去年の自分の見事なまでにお粗末な捌を反省させられることしきりである。

丹頂鶴) http://www.bekkoame.ne.jp/~mayama/TANCHO/Tancho-1.htm

とはいえ、隼みたいな句には私はすぐヤラれる傾向があるのはなぜだろう。勢いがあるんですよねえ。こどもの句で、もう五年くらい前だが、こんな句を出してくれた子がいた。わすれない。

  はやぶさが北のほうへととんでゆく  北原大樹

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コメント

確かに、わたしも大らかな良句より、インパクトの強い句に惹かれがち。そこには、勢いが感じられるものが多いから。

その句の持つ、裏側の真実、あるいは情愛といったものを読み取るチカラはわたしにはまだない。
達人とも思える君ですらそうなのであれば、おのれの非力さを憂れうることもなし。

凡庸でないよ、君は。たちんぼうをしながら、読みの浅さに自ら気づき、自己嫌悪に陥るのですから。

せいこはん。慰めてくれてありがとう。前田先生は年季がぜんぜん違うし、先の先までみえておられる。こちらの手のうちなんて見抜かれています。

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