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2007年1月11日 (木)

ふけるー和歌と俳諧

北村薫が大好きです。去年からこっち『詩歌の待ち伏せ』 を上下巻よみました。窓拭きも大掃除もさぼって、でも本をよむことだけは怠らなかったわがままな正月でした。

このひとの読みには教えられること、示唆されることが多いのです。そんななか、下巻のあたまにあった、「ふける」 という日本語の用法の変遷を追跡したはなしが印象に残りました。ふけるとは、あんたもふけたねえ。よけいなおせわよふん。という時のふけるじゃなくて、秋更けて、というような場合の上品なかそけき、抽象性の高い更けるです。そのさいしょの歌の使用例は秋更けて、小夜ふけて、でした。それをあの藤原定家が「風更けて」 と、最初のひねりをいれた表現をしてから、段々とヴァリエーションを深めます。(と北村薫先生はかかれています)。

さ筵(むしろ)や待つ夜の秋の風更けて
                      月を片敷く宇治の橋姫  藤原定家

これを受けて、「音更けて」 とか「かげふけて」 という歌も登場するようになります。で、すぐに連想したのは、芭蕉七部集「冬の日」第二歌仙の 「床ふけて語ればいとこなる男」 荷兮(かけい) です。恋句です。芭蕉の付句が「縁さまたげの恨みのこりし」 と続きます。「床ふけて」。 この表現はとても違和感があったのですけど、北村薫の追跡をよんでいると、おなじ延長線上にある表現であることに気づきます。ではありますが、和歌と違って、ずいぶん大胆で俗っぽい「ふけて」 の用法です。まさに、俳諧の真骨頂とでもいうべき、一本の強靭な背骨を見せつけられたような気がする 「ふけて」 に、あらためて俗のすごさを感じます

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コメント

ふける。ありました。
北村薫かぁ!

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