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2007年1月23日 (火)

筆圧ー『拓』16号評の一

職場ではすべて手書きだ。パソコンはあるが開かない。そんな暇はないしその必要がない。請求書を書くのに肩がこる。場所、勤務時間、人員数、残業時間、克明に日誌のごとく記し、長いものではB5の用紙に五枚にもなる。自然、気合が入ると筆圧が上がり、だから肩がこるのだろう。

長崎の俳句誌『拓』16号をいただいた。だんだん面白くなる。いい句があった。これだ。

  蜂渡る明るさや厨青きもの   高比羅 素華

このひとは昔の人で故人(大正9年1月6日、29歳死去)だが、次の句を書いた高比羅濤華(たかひら・とうか)の兄、銀行員だったと阿野露團(あの・ろだん)の「近代長崎の俳林」には説明がある。わたくしはこの句を読んで、すぐにわが家の暗い厨と窓外のあかるさを想った。はちわたるあかるさや・くりやあをきもの。リズムが弾むようにしなり、一度二度、口ずさめばロッテグリーンガムのような味わいがひろがり、幸せな気分になれる。

  昼であってトランプふところにする耕をみる  濤華

  朝唄ふことをくちどめらるヽ春の炭燃え    濤華

兄は正統派の味わいの句、おとうとはさて。なんだこれは。トランプの句、自分は遊び人の目で、じいっとぼけっと無為に春耕をみている。春とは書かれていないが、冬ではありえない懶惰な風情が匂う。もうすこし俳句書きなら俳句書きらしく、きっちり定型におさめなよという気はおきない。じだらくなかんじが身上の句だ。はるとはこういうものじゃないかな。おとうととはこういうものじゃないかな。兄上の御苦労が目に浮かぶようだ。

  口遊むことを禁じて今朝の秋  恭子

今から十年以上前の俳句ざうるす時代の句だが、これを思い出した。鍬塚聰子さんから下の句をつけて短歌にしたらとからかわれたっけな。濤華の句は、察するに、ちゃぶ台までてんれてんれと降りてきていざめしをくらわんとしたが、飯を食いつつ、新聞をひろげたり鼻歌をうたったりするので家人にとがめられた・・のではないかなあと想わせる。一句にそういう光景を招きよせるような気配がある。一方、わが句は、朝ごはんを用意していても、夫の恋が気になって気になって、つい口をつくのはその手のはやり歌、それにハッとして自制するけれども、またしばらくすると歌ってしまってる。合わせ鏡のように、残されたほうもおなじ世界を裏から見るのである。自分にしか分らない句、いいのか悪いのか分らないが、濤華の句に触発されて十年ぶりに思い出した。若かったなあ。苦かったなあ。

さて、本題にもどす。私は海程という俳句誌を読んだことがない。興味もない。金子兜太が好きではないからだ。句がごちゃごちゃしているのは雑文みたいでうつくしくないし、耐えられない。そう想っていた。

前川弘明の句集は読んだが、これといって強くこころを打つものもなかった。しかし、前にも書いたように、悪口を書いてもそれを受け止める懐のひろさがある。そこが気に入った。おなじころ、かれはすごい句を書いた。これだ。

  月光や破船のように父坐る   前川弘明

まっすぐ負けている。

いさぎよく負けている。まけて坐しているのは、父ではなく彼自身だ。すっきりとした俳句である。こころざしの俳句である。

負けるところから、俳句は始まる。

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コメント

俳句は負けるところから始まる。であるか。心しておこう。

樹句集、しっかり読んだよ。
真っすぐな句がどれだけでも詠めるのに、あえて、自虐的諧謔的なものにしようという気概が読み取れるのが、姫野恭子の句。
ばどさんのブログを退廃と気迫が云々っていったけど、君の場合は、気概と気迫の句やね。

それと気になったのは、鮫島さんの句。
樹に入った当初から、なんか惹かれるもんがあった。
もうひとりは、古永房代さん。

ま、詳しくはまた書くわ。

迫りくる桃の節句に、私は飾る人形も持ち合わせていない。そんな折に、あなたからいただいたハガキは由緒ある高価な雛人形にも負けず劣らずの輝きがある(笑)

訪れる日には、思い出しながらそれを飾ろう。あなたの優しさに、こみ上げるものがあるかや?ってなことは、想像の世界。現実は、その日さえ忘れているだろう。

お礼を言いたかったけど、メルアドが消えちゃって連絡不能だ。何も書かなくていいから、メール送ってくれ。

PS >セイコさん
あなたと、強固さんの掛け合いは、下手な漫才より面白い。女傑に立ち向かえるのは、あなたしか居ないようだ(爆)

ばどさん。
こんなところで、そんなことをお誉めていただいては、返す言葉もございませぬ。

女傑には正攻法では敵いませぬゆえ、ちゃかしているだけにございます。なんてね。

PS >セイコさん
あなたと、強固さんの掛け合いは、下手な漫才より面白い。女傑に立ち向かえるのは、あなたしか居ないようだ(爆)

pudさん、はじめまして
私も全く同じような事をコメントしようと思っていたところでした。

お二人とも相当な読書量とあくなき探究心と情熱の持ち主ゆえ、そんな風になっておしまいになられたものと存じます。
(私も爆)

「強固・セイコ劇場」楽しみにしています。

いやあ、さくらさんにまでそんな期待をしていただくなんて。お褒めのことばと受け取っておきます(笑)。ありがたや。

ついでに訂正しておくと、読書量はたいしたものじゃありません。

学生の頃から、歴史が大の苦手でした。日本史のテストなんて、一夜漬けで赤点をなんとかクリアしたくらい。
でも、それがたたって、この歳になっても非常識なほど歴史に疎い。
今年の目標のひとつが、歴史の勉強です。
それも、読み物で。

だって、いまさら日本史の教科書開いたって、眠りクスリにしかならないことは明白ですから・・・。

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