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2007年1月19日 (金)

神の旅

横光利一を想う。回ってきた前田圭衛子捌歌仙発句、これでした。

  遺伝子を針路にすべし神の旅   田中安芸

季語は「神の旅」、陰暦十月(出雲のみ神有月、ほかは神無月。神々が集まって翌年の縁結びを話し合うために出雲へと旅をなさることから、神の旅という季語が生まれた)、冬の季語です。

遺伝子を針路とする主体はだれなのか。「遺伝子を針路としなさいよ」、と言い聞かせてもらってるのは、他ならぬ神さまたちであるかのようです。ほいじゃ、だれがそんな偉そうな助言を神さんたちにするのでしょう。・・そこが謎なんです。皮肉っぽい批評性もある句です。

この句を読み、つい去年の菊歌仙(やわらか戦車)の冬樹蛉発句を連想しました。同じところから出ているから。でも、安芸さんの句は、より思索的です。一見、理屈句のように見えるけれども、その実、作者自身にも言葉にできないところを多くもつ。脇になにがつくだろう。

横光利一の『旅愁』から、「菊」がさりげない脇役として効果的に使われている部分を二箇所引きます。

「今はむかし、といふ言葉があるでせう。僕らは何げなくいつも使つてゐるが、どうも恐ろしい言葉ですよ、これがね。」 と突然彼は云つて菊から顔を放し、また濠の中を見降ろした。

「あなた、ほんとにどうかなすつたんぢやありません?」 と千鶴子はかう云ひたげに恐ろしさうな表情で矢代を見た。

「何んのこと、今はむかしつて?」

「今がつまりむかしで、今かうしてゐることが、むかしもかうしてゐたといふことですがね。きつと僕らの大むかしにもあなたと僕とのやうに、こんなにして帰つて来た先祖たちがゐたのですよ。むかし日本にお社が沢山建つて、今の人が淫祠だといつてるのがあるでせう。その淫祠の本體は非常にもう幾何学に似てるんですよ。それも球体の幾何学の非ユークリッドに似てゐて、ギリシヤのユークリッドみたいなあんな平面幾何ぢゃないもつと高級なものが御本体になつてゐたんですね。つまり、アインスタインの相対性原理の根幹みたいなものですよ。それもアインスタインのは、ただの無機物の世界としてだけより生かしてゐないところを、日本の淫祠のは、音波といふ四次元の世界を象徴した、つまり音波の拡がりのさまを、人間の生命力のシンボルとして解してゐるんですね。それも函数で出てるんだから、自然科学も大むかしの日本では、そこまで行つてゐたとまでは云はなくとも、そんなに非科学的なものではない。妙なものだ。今はむかしといふのは。」

ー中略ー

 まだ菊のあるのに木枯の日がつづいた。停留所でバスを待つ間、よく矢代の仰いだ欅の大樹も葉を吹き落され裸身になつた。ところどころに残つた枯葉も余命のつきた危いそよぎを見せ、彼の仰いでゐるまも、一葉づつ風に毮ぎ浚はれてかき消えた。しかし、この樹は雨の日のときにはまた別に見事な景観を表した。末端の小枝からそれぞれ大枝を伝い流れる雫が、数千疋の小蛇の集り下るやうに幹に対つて一斉に這ひ降りて来る。滑らかな肌は応接のいとまない忙しさで、ぎらぎら廻り輝く硝子の管のやうにも見え、空に突き立つた早瀬ともなつて、もの凄い速さで雨水を根元へ吸ひ込んだ。

※ 以上、引用おわり。名文です。自然描写が真に迫っている。生きている。なんどもなんども読みました。漢字、正字表記でしたが、時間がなくて申し訳ないですが、一字を除き現代表記とさせていただきました。これを読み、よぢおりるということばはないけども、這ひ降りるというきれいな日本語があることに気づきました。横光利一の最も有名な句は、「蟻臺上に餓ゑて月高し」。

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コメント

ここを読んで下さった方に感謝。
これです、Facta阿部しげさんが昔、日経紙に書いておられたフラクタル幾何学と五十鈴とケルズの書表紙の曼荼羅的渦模様。
横光利一、すごいなあ

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