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2007年1月31日 (水)

天使のじじい

もう1月が終わった。このひと月おもしろい毎日だったが、二十五年間の世間知らずには刺激が強すぎる世界であります。

請求書を受託先(請負先、契約先ともいいますね)に書いて送る。すると、ボスがいないときに先様から電話がありました。「送ってもらった請求書の件だけどね」 と低いドスの効いた女声。「はい、なんでしょうか」「ウチはいつも末〆の二ヵ月後払いなんだけどね」 

相手がまだ要件を言い終わらないうちに、「えーっ、二ヶ月後ですか」 と、つい言ってしまった。「んまあ!なんであなたがそんなことをいうのよ。あんたなにさま。うちはずうっと二ヵ月後決済でやってきたんだからね!」 と激怒させてしまった。「はあごめんなさい。まだ入って何も分らないものですから、おゆるしください」 といういいわけの言葉でさらに怒りはパワーアップし、「んまあ!んまあ。何も分らないならなんでそんな風にいわなきゃいけないの。だいたいね、四十万ぽっちのお金、いつだって払えるわよ。もう取引やめるわ」 ガチャン!

うわあああ。なんてこったい。考えたら確かにひどい生返事だった。いくら精密な請求書書き作業を中断させられる電話だったとはいえ、うわのそらで返事したのが主婦の域を出ていなかった。経理事務員としてあるまじきことを言ってしまった。私のせいで契約先を一つ失ったらどうしよう。とにかく社長にわびよう。社長にかくかくしかじかで・・と説明すると、「よか。ほっとけ。」

へ。いいの。

けっきょく、半日の間を置いて、お詫びの電話をし、事なきを得ました。

ガス風呂釜を卸している自営業のいとこにこの件を話してみたら、土建業はどこもみな、二ヵ月後決済は普通、いや二ヶ月ならいいほうで、四ヵ月後とかもざらにあるからとのことだった。へええ。あたしは知らなかったよ。

契約先もだけど、社員にもつわものがいる。ってか、ほとんどみんなすごい。笑。うなるよ。たまがるよ。今日入った人は、五十六くらいのおじさんなんだけど、何度も入退社を繰り返した人で、ボスが言われるには、お金がなくなったらまたぷいとあらわれて、数ヶ月働いて、ふいっと消えるそう。今、とても忙しい時季だから、無断欠勤の罰金もとらず、即、現場に出てもらったけど、一月後の給料日のあとがあぶないんだって。いなくなるから。笑

さわやかで邪気のない天使のような翁顔で、「あのう、今日のぶんの前借りで、数日分のお弁当代ください。ほんの二千円でいいから」・・とおっしゃる。きょうのくいっぷちだけを思って生きてこられたんだなあ。こういう人はなぜかみな、しあわせそうだよ。人のあわれみとか、へともおもっていない。すごいなあ。

「のんだくれ博徒」のばどさんも負けるな、きっと。

遠しゃぎり  『拓』16号評の四

遠しゃぎりガス灯潤む月今宵  松尾すみ子
                                            長崎市

茶が咲いて日々遠くなる縁者よ  〃

独居よきかな青い微醺の後の月  〃

初雪や竜巻の地をおもいおり   〃

松尾すみ子さんは九州俳句誌上でも存じ上げている。もう一昨年になるが、夏、長崎の原爆忌平和祈念俳句大会というものに参加した。(軽の車で一人で行った。高速を走れば二時間はかからなかった。路面電車と並んで走るのが怖し懐かしであった。)そのとき、市内を歩いた。かなり歩いた。ばかだから、まず福砂屋のかすてらを何本も買い込んで確保、それが重いのなんの、両手に提げて、坂の多い道を「くそうなんの因果で」といいながら、汗をかきかきちゃんぽんを食べに行ったのでした。はい、すまんこって。食い意地の人です。福砂屋とちゃんぽんやさんの間には、大きな浦上川が流れていて、それにはきれいな歩道橋がかかっていました。そこから写した写真があります。いつかアップしましょう。川の手前の道には緑ゆたかな街路樹が続いていました。青い実がなっていて、それを採って、句会の会場にいた人に「これは?」と尋ねましたら教えてくださったのが、ほかならぬ松尾すみ子さんであったわけです。ナンキンハゼが長崎の街路樹であり、秋には紅葉するとも教えてくださいました。もっとも、紅葉なのか、、黄葉なのか、秋に訪ねたことがなく、確認してはおりません。そういえばナンキンハゼ、東京の千駄ヶ谷駅から国際競技場へ抜ける道にも植えられていました。けっこう街路樹として人気が高いのでしょうか。

手鏡の中はは黄落ふいに私  松尾すみ子
                       句集  『紫木蓮』(平成16年)所収

「黄落」は「こうらく」と読み、読んで字のごとく、黄色の葉が散ることをいいます。晩秋の季語です。この句は、手鏡の中を見て、あまりにも自分の顔が母ににてきたことに驚きを禁じえないという感慨をよんだものです。最近、これと同じような思いを私もよく味わいます。

さて、拓の引用句です。とおしゃぎりの句、音も景色もヴェール越しの世界、月今宵と合っていて叙情的です。しゃぎりとは、おくんちのおはやしだそうです。http://www.d1.dion.ne.jp/~sira1998/kunti_nazo_syagiri.html

独居よきかな、というつぶやきに、戸畑の主人の母をおもいます。母は独居ですがちっともそれを悔やみません。まことに出来たひとです。先日、私にセーターを三枚も送ってくれました。あんた、自分のを買わんから。って言って。ありがたいことです。いつも自分のことより、人のことばかり考えている人です。その息子のわが夫はとびきりわがままな男ですが、この母があるかぎり、私はしあわせだとおもいます。青い微醺の後の月という措辞に、坂本繁二郎晩年の月の絵をおもいました。まさにそんなかんじの絵でしたから。目を悪くしていても、心眼でとらえて月がみえたんですね。茶の花の句には、松尾すみ子さんのこの無常の句のほかに、

茶の花のごとしお寺の合唱隊 福島幸子
                                          長崎市

という句もありました。

最後になりましたが、野田信章という俳人の句を今回は取り上げねばならないとおもいました。しかし、もう眠いので、また明日かきます。

2007年1月30日 (火)

冬の日

冬の日

2007年1月29日 (月)

おじぞうさん。

おじぞうさんというのは、わたくしが、会社のうら若き一隊員にひそかにつけたあだ名です。

彼は長崎の五島の出で、大学を中退して親元を離れ、初めてこちらへ出てきた実直な青年です。ぱっと見たとき、なぜか「あれ。なんで石のおじぞうさんがこんなところにいるんだろう」 というくらい、ぎこちなくて無口で素朴でした。わたくしもほぼ同じころに入社したくちですから、ものめずらしくていろいろと観察します。

今日、彼は夜勤が入っていて、寮で待機していました。そこへ突然の仕事が入りました。呼びにいくと、起きていて、すぐに出てきました。この寮というのがすさまじの男子寮で、あれはたぶんおそらく3DKに六人、いや七人が暮らしています。はじめは四、五人だったのですが、だんだん増えてこれ以上はさすがに無理というとこまで入ってます。というのも、応募してみえる人たちがなぜか住み込み希望の人ばかりです。一人ものってことです。住まいがないってことです。そんな中、彼は、とてもまじめで若く、ちょっと一人だけ雰囲気が違います。きっと探せば、ここよりずっといい条件の働き口があったと思う。でも警備会社で働くということは、夜勤をいとわないということで、さらには現場のなかで最も低い位を守るということです。これに耐えていければ、それは彼に大きな自信を与えるだろうし、かけがえのないことをその低い視点から学ぶだろうと思うのです。ほんとうに体力のぎりぎりまで使う、きつい仕事だし、それを身をもって知る仲間と支えあって、たくましくなってきたなあと感じます。おさない甘え顔だったのが、今はだいぶ違いますもの。

寮では食事も自分達で作ります。当番になっているようです。買い物はボスが週に二度出かけて食料品と生活用品と準備されます。でも、それでお弁当まで自分達で用意して、出かけるのは、並大抵ではないとおもう。それにこの仕事は、お昼をちゃんと食べられない確率のほうが高くて。交通整理は休めないからです。食べるとしたら、おにぎりをつまむくらいしか出来ない。今、入っている仕事とか、一人で朝の五時から夜の九時まで休みなしで立つ、というものです。これには食事時間はありません。いかにすごい職場かわかるでしょう。

やはり、男の子は、親元を遠く離れてこそ、自分の足で立てるのでしょう。いい手本を見せてもらったなあとかんじます。

杉田玄白の血

昨日、日曜の西日本新聞書評欄に、こんな記事を発見。乙骨一族と繋がっていますから、引用します。

版元日記:「玄白事始」

            梓書院  田村志朗

 昨年の五月、日本医師学会の総会が大分県中津市で行われ、その会場で、高橋伸明氏という方をご紹介いただいた。
  氏の奥さまは、かの有名な杉田玄白の七代目の血筋に当るという。さらに、「息子も医者になりましたが、考えてみますと、息子は玄白の八代目の血筋であり、二百五十六分の一の血液を引き継いでいることになります。つまり、二十ミリリットル弱の玄白の血液が流れているのです」 とおっしゃるのだ。
 これが縁となって、『杉田玄白探訪』(1300円)を刊行させていただくことになったのだが、その内容が大変興味深い。玄白はかなりおしゃれであったという話や、玄白と間宮林蔵の意外な関係、極め付きは、玄白が切支丹であったのではないかという説である。
 玄白といえば『解体新書』 しか思いつかない私に、一味違った杉田玄白像を味わわせていただいた。編集者として役得であったと思う。もう一つの役得は、高橋氏所蔵の『解体新書』(江戸期の写本) に直接触らせていただいたこと、併せてここに付しておく。

※ 「君が代を国歌としたり太郎乙」、の、乙骨太郎乙の直系の孫娘・永井菊枝氏の著書『小伝 乙骨家の歴史』 (星雲社)に詳しいのですが、乙骨太郎乙の妻は、杉田玄白の曾孫・継(つぎ)であります。杉田玄白の玄白は通称、諱(いみな)は翼(たすく)といい、七十を過ぎたころより、おのずから「七十翁九幸」、または「九幸老人田翼拜」 とサインしたといいます。 さて、その九幸のいみとは、

 一に泰平に生れたること、 二に都下に長じたること、 三に貴賤に交りたること、 四に長寿を保ちたること、 五に有禄を食(は)んだること、 六にいまだ貧をまったくせざること、 七に四海に名たること、 八に子孫の多きこと。 九に老いてますます壮(さかん)なること。

だそうです。                     

2007年1月28日 (日)

佐賀

佐賀

この交差点を左へ曲がり、まっすぐ行けば佐賀駅です。駅構内にあった百均のお店がなくなってました。ずぅあんねん!百円の土鍋、一人用のを買ってこようと思ったのに。こないだ小鍋を焦がしてしまったから。

佐賀

ワンルームマンションのある所から見た対岸。普通の家とアパート風の建物とビルとが面白い対比で建っている。夫の部屋のある階をよく間違えます。一階低い同じ位置の部屋をピンポン鳴らして、おかしいなあ・・って。自分の勘違いに気づいたときのはずかしさ。

佐賀

装画 高畑郁子 化幻地蔵 日と月

夫が今読んでいる本です。歴史ものが彼はほんとうに好きですねえ。私には徹底的に冷たい男で、次男が生まれてこのかた手もさわったことがありません。笑。まだ夫婦として機能しているのがふしぎな気がします。でも、読んでいる本を見るとき、ふうんそうかと感じます。どこかに通路があるんですよね。きょうも、せっかくわざわざ遠路(でもないが)行ってあげたのに、DVD の調子が悪いとなるや、ぷいとどこかにいなくなりました。まあ、しかし、あれが男というものでしょう。勤めてよかったと思ったのは、じぶんたちのこの関係を今一度見つめなおすことができるからです。男ばかりの職場で多くの男達を観察していると、夫が相対化されていきます。ありがたいなあと心からおもえるようになる。よかったよかった。

上の本の著者のブログ発見。http://www014.upp.so-net.ne.jp/siosen/index.html

2007年1月27日 (土)

利華さんのお便り

またまた、失礼いたします。
さくらん宛てにメッセージをカキコしようとするのですが、
どうも、書き込めない状況に陥ります。
こういう場合に私が、PCに対しての対処がわからず、
また、下記に添付しますので、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
ほんまに、ワンパターンの使用しかできない、ポンコツの私めで
ございます。
よろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

あ、それと、この間も、大浦みずきさんにラジオゲスト出演してもらい
ました!

さくらさん、メッセージをありがとうございます。確かに、現代っ子のうえに、国語能力が極めて低い、私めのような人間には市丸さんの原文は、古墳から発掘されたものを解読している気分ですが、でも、内容と気持ちは痛いほど伝わり、こんな国語力の者でも涙が出てきます。ドラマも見ました。映画も観ました。
それにしても、市丸さんのご遺族の方とご交流があるとは、素晴らしいご縁ですね。私自身、この一年で姫野さんを通じて永井先生からお返事を頂戴したり、さくらさんのような方を通じて市丸さんがより近く感じられる気持ちになったり、光栄に思います。そして、ご縁を繋いでくださっている皆様に感謝しております。ネットというものをずっと警戒していましたが、こんな素晴らしい出会いもできるということは、有り難いです。

以上、利華さんからのお便りです。書き込めなかったそうで、ごめんなさい。たぶん、こちらの受信機能の低下だとおもいます。夕方は落ちます。というか、重くなります。なぜかは知りません。ウイルス対策は一応きちんとしているので、ココログ全体の負荷の問題だと思います。書かれた内容は、先日の拙ブログ「天使のミロンガ」へのコメントをめぐるやり取りです。東京のさくらさんがご紹介くださったサイトは、 http://officematsunaga.livedoor.biz/archives/50324619.html

です。一度開いてごらんくださいませ。さくらさん、ありがとうございました。それと、利華さんのラジオ番組、聴ける人はぜひお聞き下さいませ。ほれそこの京都のおかた。(京都三条ラジオカフェが届く範囲ってどのくらいじゃろうか?)

解纜19号より

別所真紀子氏より俳諧研究誌「解纜」19号を戴いた。大き目の定型封筒にちょうど入るサイズの文化の薫り高き同人誌である。印象的な表紙絵カットは小原洋一氏。一巻を引く。

   ソネット恋尽し「肉叢」

             捌  滝田 遊耳

 紅を肉叢(ししむら)として曼珠沙華 遊耳
  弾んで月もうきあがる水       秋扇
 少年は団栗独楽をてのひらに    千晴
  もっとシュールにもっと激しく     耳

 旅人にわが妻を貸す包(パオ)のうち  扇
     猛る牡牛は制御不能と         晴
 稜線といふやはらかき線なぞり     耳
   閑もてあます短夜の爪         扇

 哭く女嗤ふ女を待つピカソ        晴
   われめにおちてもがくももんが    耳
 鸚鵡貝にメモリーの量(かさ)巻き戻す 扇
   
   君が吐息を如月の筥        晴
 この先はちんからころりんと花の酒  耳
   燦爛として古都の春逝く       扇     

  

     平成十八年十月十九日首尾
                於 セシオン杉並

なぜこの巻きを引いたかといえば、秋扇さんの「旅人にわが妻を貸す包のうち」。

橋本光寳(はしもと・こうほう)というチベット学研究者にしてラマ教研究者が戦時中の昭和十七、八年ころに書いた痛快な日記「モンゴル冬の旅」(ノンブル社刊)に出てきました。この時代は石橋秀野の「櫻濃く」執筆時代とも重なりますし、興味がありましたので、数年前に買いました。例によってかささぎ読みです。ほんとはこのぶぶんより、共同便所の記載が圧倒的に秀逸なれど、それは又の機会に譲ります。

 ウヂムチン地方にはラマ三千あり、このうち西蔵(ちべっと)文を解するもの百分の一に過ぎず。外蒙との関係は全然なし。ラマと一般旗民の妻との間には確かに関係あり。しかし此処には日本式道徳をもってしては得ざる蒙古式道徳律あり。すなわち蒙人一般はインテリであり、救世者であるラマとの親密なる交際を非常に要望しあるところ。したがって親密なる俗人とラマとの間に於いては妻を中心にして益々その親密の度を加え、俗人は妻に対してよくラマに奉仕すべきことを慫慂する。かくて一旦関係の出来たるラマと俗人との間は兄弟以上の親密さを増すと云う。不思議なる心理あり。(「モンゴル冬の旅」橋本光寳より)

閉鎖的な社会ではこうすることで血の混合をはかったという見方もできるのでしょう。

空蝉の爪ー『拓』16号評の三

空蝉の爪棚田たがやす力ひめ    畑中 イツ子
                                                  (  松浦市 )

目が覚める一句である。
自分で詠んだ事はないが、これまで色々な空蝉句を読んできた。どれもが叙情的な追憶を詠み、かつてあり今はない恋への追慕、寂寥、あるいは無常感や虚無感の句であった。それらがきっと空蝉本来の持っている本情(人がそう受け取るだけだが)なのかもしれない。

空蝉の爪。たしかにあのかそけきむくろは、爪だけが異様に目立つ。それはまだ、生きる意志を持つ別の存在であるかのように。その爪が棚田をたがやす力を秘めているとかかれると納得する。そして、空蝉すらが死んでしまう日がくることがあるのだと思い至り、放置され消滅する美しい棚田を想う。声高な糾弾をしているふうでもない。だから余計に空蝉の爪がこころにひっかかる。まるで一生を農に生きた日本の母たちのことばにならない言葉のように感じられる。

高橋昇博士の大著『朝鮮半島の農法と農民』(飯沼二郎・高橋甲四郎・宮嶋博史・編著) に、「カマカキ」 という農具の写真が載っている。カマガキともいうそうだ。場所は京畿道水原邑(けいきどうみずはらむら)水原高等農林学校川口教室にて、1940年11月15日撮影。写真を見て戴くのがいちばんだが、文章で説明すると、まさに「空蝉の爪」 ににている。直角に刃先が曲がり、木の持ち手がついている。

大著本文をひらき説明を読む。鎌かき・・・大分県では草取りカンナと云う。畑にはあまり使用せず、又作物の刈り取りにも使用することなく、田圃の除草用に使用すると。中島友輔氏の話によれば、此の除草機を北松浦では「カマカギ」と云うと。満州島の「除草ホミ」を「カマ」と称するが如し。

※ 空蝉の写真が見れるサイト:http://homepage2.nifty.com/saisho/utsusemi/nukegaraphoto.html

  草取り鎌のサイト:http://www.kase-hamono.com/cgi-bin/kase_hp3/sitemaker.cgi?mode=page&page=page2&category=3 (朝鮮のカマカキはこの草取り鎌を直角にまげて、もう少しお手ごろふうでした。これはすごくりっぱですね。)

2007年1月25日 (木)

お給料日

きょうは初めてのお給料日、うれしいです。

きのう、珍しくボスが昼過ぎには帰宅されて、家で仕分けをなさるということでした。昔なつかしお金の仕分けです、お給料袋に詰める。

あれ、ほんっとに大変なんですよね。金種とその数を出すのは大変だし、一円も間違えず、袋詰めするのも苦労です。ましてや六十人ぶん近くともなれば。

記憶が蘇りました。むかし、ちっさい事務所で一年事務をやりましたが、お給料がやはり、振込みじゃなく袋詰め式でした。それが当然の時代だったのですね。銀行から大金を引き出すのがどきどきでしたね。事務所で明細を書き、袋づめするのはコトでした。でも一人でやってたなあ。あれって、考えたらですよ、ふしぎじゃないですか。当時はたちをやっと一歳すぎた小娘に、事務所従業員全員分のお給料をお任せするんですからね。日本人は女にお金を扱わせるのが慣習になっている国なんですねえ。不浄という点で同類に入れているのでしょう、きっと。

細長いテープのような明細書に基本給とか残業代とか税額とかもろもろを記入するとき、所長がなんともいえないニタリ顔で、ひめちゃん、ちょっと今月はこういうふうに書いてもらえんだろうか。と克明なメモを手にすりよってみえます。実際の金額より数万円少ない金額に、言われたとおり実行していました。もしや、公文書偽造の共犯者になりえる犯罪行為だったかもしれません。時に懐かしく思い出しますが、呑み代捻出の苦肉の策だったんでしょう。男とはかなしいいきものですじゃて。

2007年1月24日 (水)

職場

職場

となりの席の前の壁。デリバリーカレーメニューも立てかけてあります。

2007年1月23日 (火)

天金の書ー『拓16号』評の二

かもめ来よ天金の書をひらくたび  三橋敏雄

天金に触れて愛しよ秋の指     前川弘明
                                   (拓16号)

三橋敏雄の有名な句は、天金の書(閉じたときに頁の上部に金箔が施してある豪華なもの、転じて、大切な書物の意味ももつ)を開いたその形から、まるでかもめが飛んでいるようだと連想して生まれた句であろうという。(北村薫「詩歌の待ち伏せ」所収)。なるほど、そういわれてみればそういうふうに思える。発想のみなもとはそうであるとしても、句のもつロマンティックな香りは鴎、天金の書という両方ともにエキゾチックな取り合わせによるところが大きい。夢多き青年のイメージがある。

いっぽう、前川のは、「愛しよ」を「かなしよ」と橋本多佳子の「一指一趾愛し」と同様の読みをすると、凋落の憂いを内包した、中年の哀感に満ちた句によめる。それはそのまま、金箔の手触りのひんやりとした感覚をよみながら、もうすぐ天のみなぞこに達するいのちの切なさ悲しさを歌っている。いい句だなあとおもう。

白露や裁縫職人耄碌す  横山 隆

白露という古典的季語と裁縫職人が合致して、ペーソスがにじみ出る。耄碌のごてごてごつごつがとてもいい。選挙のスローガンみたいに言われる簡単な言葉で深いものをよむ、なんてやめてほしい人間には、琴線にふれるものをもつ。
叔母が久留米で三十年以上も裁縫職人をしている。先日その職場を訪ねたら、古い型のミシンがずらっと並び、さまざまな色の糸が置かれ、おばたち職人は固い古い椅子にかけて熱心に縫い物をしていた。半世紀も前の母の婚礼のときの着物を、もったいないからと洋服に仕立て直してくれたおば。若くて美しかったおばさん。こどもだった私はこのおばの家に泊まるのが楽しみだった。国鉄職員の狭い官舎。・・・一幅の絵のような記憶を思い出させる句だった。

冬耕の凹めば溜まる水の想  有村王志

冬の耕作だから水の想がきまる。抽象的な観念句だが、すとんと腑に落ちる。そこへいくと、

花の下人入れ代わり生き替わり  王志

などいう平凡な作をなぜ詠むのだろう。これには歌人、水原紫苑の有名な先蹤がある。それぐらいは知っていなければ、いつまでたっても九州は文化的な未開地といわれてしまう。・・と、えらそうなことを書いてしまってごめんなさい。歌の引用をしなければならないのに、そらで覚えていないのです。それに花の下ではなかった。いくらなんでも言いがかりだったとふっとあとで思い、あれは能を演じる人の踏む拍に絞っている歌だったなあと反省しました。むかし、父の手に引かれて町の小さな映画館(京座といったっけ)で美空ひばりのちゃんばら映画を見ていると、突然、場面が変わって、斬られた人も全員総出でチャンチャカチャンと花笠音頭みたいな踊りをしていた。そういう場面転換の速さを一句に内包している句でした。花は永遠。人は早送りの光の一点。そんな印象を残します。

われら団塊無手勝流の花咲かす  宇田蓋男

と思っておられますが、ほんとは一色の花かもしれず。自由と思ったとき人はなんと不自由なことか。

お下りのあとじょんだれて坂がある  横山哲夫
あらかぶんごつある彼のうらくんち    〃

お下り(正月の雨)と「じょんだれる」という方言が絶妙のひびきあい。八女でも言います。じょんだれる、とずんだれるとは似ていますが微妙に違うようです。また、あらかぶ(どちらかといえば下等な魚、あかい。よく冷凍にされてます。お味噌汁やから揚げにするとおいしい。標準和名はカサゴ)の句は、「彼のうらくんち」がよく私には意味がつかめませんでした。かの、浦くんち、なのか、かのうら・くんち、なのか。さあ。

すみません!まちがえました。「彼」が気になって気になって、ずっと調べていました。そのぎぐんという地名がながさきにはありまして、その彼とも関連するのかなと。あの彼とはなんでしょう。http://nagasaki.cool.ne.jp/tdragon/yogo.htm おくんち用語を調べてみましたら、「お下り」は、おくだりでありました。はい。私はおくだりをおさがりと同一視しておりました。お降り、御降とも書き、正月、ことに元旦に降る雨、雪をいいます。俳諧や和歌の歴史のなかでは「降り物」や「そびきもの」をとても重要視した歴史があり、それは天と地をつなぐものであるからでした。でも、この句は、長崎くんち、それも裏くんちを詠んでいる。ということは秋の季語ですから。そそっかしくて、申し訳ないです。でも、やはり、「彼」がまだ不明です。彼杵郡と書いて、そのぎ郡。その地名の意味も知りたいものです。ちなみに、いつものことながら、余計なことまで書いてしまうと、「樹(たちき)」の新年句会(投句式)の中にこんな句があり、強く印象に刻まれました。

放尿の他に用なきもの”彼奴め!”  (詠み人知らず)

わたくしてきに一位でしたね。まいったと思った。おとこの悲しさが分った気がした。前にも書きましたが、「戦力外通告」(藤田よしなが)を読み、おそわったのが、そのことについてだったので。知らなかったなあ。そんなデリケートなおとこのきもち。いやらしいなんておもわないよ。

※追記(10月6日)
  けさ、この文章にトラックバックがついてましたので、ひさびさに読み返しました。おくんちって、いまごろなのかな。

筆圧ー『拓』16号評の一

職場ではすべて手書きだ。パソコンはあるが開かない。そんな暇はないしその必要がない。請求書を書くのに肩がこる。場所、勤務時間、人員数、残業時間、克明に日誌のごとく記し、長いものではB5の用紙に五枚にもなる。自然、気合が入ると筆圧が上がり、だから肩がこるのだろう。

長崎の俳句誌『拓』16号をいただいた。だんだん面白くなる。いい句があった。これだ。

  蜂渡る明るさや厨青きもの   高比羅 素華

このひとは昔の人で故人(大正9年1月6日、29歳死去)だが、次の句を書いた高比羅濤華(たかひら・とうか)の兄、銀行員だったと阿野露團(あの・ろだん)の「近代長崎の俳林」には説明がある。わたくしはこの句を読んで、すぐにわが家の暗い厨と窓外のあかるさを想った。はちわたるあかるさや・くりやあをきもの。リズムが弾むようにしなり、一度二度、口ずさめばロッテグリーンガムのような味わいがひろがり、幸せな気分になれる。

  昼であってトランプふところにする耕をみる  濤華

  朝唄ふことをくちどめらるヽ春の炭燃え    濤華

兄は正統派の味わいの句、おとうとはさて。なんだこれは。トランプの句、自分は遊び人の目で、じいっとぼけっと無為に春耕をみている。春とは書かれていないが、冬ではありえない懶惰な風情が匂う。もうすこし俳句書きなら俳句書きらしく、きっちり定型におさめなよという気はおきない。じだらくなかんじが身上の句だ。はるとはこういうものじゃないかな。おとうととはこういうものじゃないかな。兄上の御苦労が目に浮かぶようだ。

  口遊むことを禁じて今朝の秋  恭子

今から十年以上前の俳句ざうるす時代の句だが、これを思い出した。鍬塚聰子さんから下の句をつけて短歌にしたらとからかわれたっけな。濤華の句は、察するに、ちゃぶ台までてんれてんれと降りてきていざめしをくらわんとしたが、飯を食いつつ、新聞をひろげたり鼻歌をうたったりするので家人にとがめられた・・のではないかなあと想わせる。一句にそういう光景を招きよせるような気配がある。一方、わが句は、朝ごはんを用意していても、夫の恋が気になって気になって、つい口をつくのはその手のはやり歌、それにハッとして自制するけれども、またしばらくすると歌ってしまってる。合わせ鏡のように、残されたほうもおなじ世界を裏から見るのである。自分にしか分らない句、いいのか悪いのか分らないが、濤華の句に触発されて十年ぶりに思い出した。若かったなあ。苦かったなあ。

さて、本題にもどす。私は海程という俳句誌を読んだことがない。興味もない。金子兜太が好きではないからだ。句がごちゃごちゃしているのは雑文みたいでうつくしくないし、耐えられない。そう想っていた。

前川弘明の句集は読んだが、これといって強くこころを打つものもなかった。しかし、前にも書いたように、悪口を書いてもそれを受け止める懐のひろさがある。そこが気に入った。おなじころ、かれはすごい句を書いた。これだ。

  月光や破船のように父坐る   前川弘明

まっすぐ負けている。

いさぎよく負けている。まけて坐しているのは、父ではなく彼自身だ。すっきりとした俳句である。こころざしの俳句である。

負けるところから、俳句は始まる。

2007年1月22日 (月)

ネイティヴ・ヤメリカン語

冬樹蛉さんちのブログで、ネイティヴヤメリカンを名乗る人と出会った。ギクっとした。思いがけないところでミウチと会ったようなばつの悪さでした。こうなったら八女弁でいこう。

土曜、十三の少年が三冊も漫画を買って持ってきたけん、なんば読みよるとーち聞いたら、「ぎんたま」っていうん。えっギンタマ。なにそれは!っと、どぎまぎして問い返せば、この字。とゆうて、「銀魂」と書かれた表紙を指す。ああなーるほど。どうでもいいことが気になるのどうのこうのの巻き。と書かれていたようだった。「おもしろいと?」「うん。おもしろいと。」

作者はだれ。「そらち」。
 へ?「空知」。

しらん。
とゆうことで、ウイキペディアの世話になる。
ウィキペディアはとても役にたちますが、資料として貼り付けをすると、次に開いたときにはもうすでに、「現在このでんわは使われておりません」 みたいな状態に陥っています。あれをなんとかしてほしい。使うほうとしては、全くなんにも出ないのが一番こまる。あいそもへったくれもない。どこか難があっても、記録として残しておいてほしい。おもしろいものがあるから。

たとえば、先日うちの次男が見ていたのですけど、明石家さんまのウイキペディア。よく調べて書かれていた。しかも芸がこまかい。おかしくておかしくて、つい座布団を三枚ほど投げた。内部事情に詳しい人が書いたんだろうか。批評性もあり、突っ込みが冴えていた。でも貼り付けても時に消えるのですよね。なにが不足あるいは余分なんだろ。興味のあるおかたは、ご自分で引かれたら、たぶん出ます。では。(どちらも出ませんが、いちおう。)

空知英秋:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%BA%E7%9F%A5%E8%8B%B1%E7%A7%8B

明石家さんま:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%AE%B6%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%BE

八女弁リンク:http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/

2007年1月21日 (日)

神の旅 3

しまった・・・と思い始めたのは、おととい「たちんぼう」 をしているときだった。何もすることがなく、ただ立っているという状態では、物を思う以外することがない。前田圭衛子特選句の「天の扉へふわり丹頂」。なんで目に入らなかったんだろう・・と自分のふしあなの目が恨まれた。

「恭子さん、一句に惚れたらあきまへんで!」 と、あれほど何度も言われたことを又やってしまってた。確かに隼の句の目をみはるような勢いに圧倒され、我を忘れていた。考えたら、先生はあの句をとってはいらっしゃらない。(二句選だった。)それは、発句を超える強さがあるからだ。隼の持つ世界は鷹狩りの覇権の世界へと通じてもいた。短句ながら一句で立っている句ともいえる。攝津幸彦の「見事な脇のさびしさよ」 が実感として胸に蘇る。わちゃー・・まだまだ修行があまいわ。私はあほでまぬけだ。

  遺伝子を針路にすべし神の旅
      天の扉へふわり丹頂

あたまに赤い冠をつけた優美な丹頂の左右対称な舞が想起されるや、すぐ心に永末恵子の短歌が浮かんできた。革手袋と丹頂とを同時にうたった作品で、きっちりとしたバランスをとる鳥の厳しい美しさを詠もうとしていた。正確にそらで覚えていないので、引用できない。歌集「くるる」 所収。(一度、野間幸恵さんの「俳句ざうるす」でご一緒した習作時代、請うて本人から戴いたもの。くるるは、樞、とぼそのことである。)

ああ。あーあ。ダメだ。当分自己嫌悪で再起不能だ。でも、気づいてよかった。読みを問うと同時に、それぞれのはらのうちをさぐり、各人の力量を互いに知らしめる。しかも自分はその内部にいて、のりをこえない。くうー!去年の自分の見事なまでにお粗末な捌を反省させられることしきりである。

丹頂鶴) http://www.bekkoame.ne.jp/~mayama/TANCHO/Tancho-1.htm

とはいえ、隼みたいな句には私はすぐヤラれる傾向があるのはなぜだろう。勢いがあるんですよねえ。こどもの句で、もう五年くらい前だが、こんな句を出してくれた子がいた。わすれない。

  はやぶさが北のほうへととんでゆく  北原大樹

2007年1月20日 (土)

ただ、たつ。

きのうは記念すべき日でした。はじめて現場にたったから。

年度末の工事が多くて、下水道やガス管や水道工事などで道路がふさがり、およびがかかります。断れないところがあるようで、みんなが無理に無理を重ねているこの一週間。一昨日は社長自らおでんの材料を買出しにゆかれ、鍋一杯にきれいに材料を切りそろえるところまでを自分でなさいました。警備から帰ってきた合間仕事にです。味付けはわたくしがしました。隊員さんたちはとても疲れているので、帰ってきてすぐ食べられるようにとの親心です。これが社長なんだなとおもいます。

さて、着いてすぐ、ボスに替わって会社近くの静かな住宅地の下水工事現場の通行止めに立ちました。制服に誘導灯をもち、じっと立っていたら、だんだんと寒くなります。しかもまったく車も人も通らない。ただじっと三時間もたっていたことは人生ではじめてでした。たいくつでした。背後では地面を掘削する音が遠く響いてきます。ダンプやトラックがずっと向うに見えてます。みんな忙しそうです。目の前の団地では、黒い猫と白い猫がこれみよがしにニュルーンと伸びをして、こっちを睥睨します。駐車場角のさざんかの花の蜜を小鳥がつつき、花が散り敷いてます。静かな中にもゆっくりと時間がながれます。

車が進入しようとするのを二度阻止し、集会所から帰る主婦のみなさんが通るのを誘導したのが、すべての仕事でした。九時半から昼休みをはさみ、二時近くまで立ちました。ほんとは五時までが正規の任務ですが、早く下番した隊員さんが交代に来てくれたので事務所で事務をとることができました。

現場に立つという経験をし、隊員さんのご苦労がほんの少しわかり、よかったなあとおもいました。

2007年1月19日 (金)

神の旅 2

やっぱり、そうだった。神の旅歌仙ですが、前田先生は選句を連衆にさせる方式をとられました。いま、選句結果をもらったところです。

脇句、思ってたとおり、鷹匠の句になりました。だれの句だろう。こんなすごい句を書けるなんてなあと思ってたら、城倉吉野さんでした。それなら、わかる。このひとの句には何度もうなった記憶があるのです。自然描写がとっても秀逸です。沢都もうまいが、また別のあじわいです。

じつは、私は選句、自分の句を選びました。五人分の脇句候補があるのに、自分の句を選ぶことに、はずかしさは感じません。公平にみて、これと吉野さんの句がいい勝負だと思ったからです。発句と脇という関係では、どうつくのかがとわれますが、そのさい、発句を生かしているか、どう読んだか。それがまず大事です。

発句)遺伝子を針路にすべし神の旅  田中 安芸

脇)   拳かかげて放つ隼       城倉 吉野

      うからやからの仰ぐ荒星     拙句

こぶしかかげてはなつはやぶさ。一目見たときから、この「拳かかげて」に、うなってしまいました。力強くて古風で頑固な鷹匠が、たったこれだけのことばで生き生きとイメージされるからです。ひびきづけの、発句からは適度な距離を保った見事な脇でした。難をいえば、見事すぎて、発句とならぶところです。

そこへいくと、拙句は、まるで発句を翻訳でもしたようにべたつきで、わかりやすい。でも、日本の神の概念を、うからやからのレベルまで落として、上(カミ)が先祖であると捉えなおした点が、発句に寄り添ってその格を超えていない。と、自分ではおもったのですよねえ。

結果はこの二句が同じ四点。でも自薦は点数が低いそうで、次点でした。まあしかし、本望です。発句作者から点を入れてもらえたし、前田先生からも一点いただけましたから。それに負けた句はたしかにすごかったから。

笑ったのは、きのう、五歳上のいとこと電話で俳句の話をしていたら、選句は自分の句ならよくわかるけど、ほかの人の句はよくわからない。だから俳句大会の選句では自分の句を選んだよ、って彼女がいったことです。ほらね、これが「血」です。ずうずうしくて、というより、嘘がつけなくて、ごめんなさい。ちなみに、前田圭衛子選の特選句は、「天の扉へふわり丹頂」 でした。永淵丹さんです。

天使のミロンガ

通勤時間がまいにち長いので、以前買っていた英会話テープでも聞こうかなと思ったら、そうだった。テープ再生機が壊れCDプレイヤーになってたんだ。

アストロリコの京都文化会館ライブ録音版を聞いている。私はタンゴについてあまり知らない。(タンゴ本も引用したとこしか結局は読めませんでした。)

ピアソラという有名な作曲家がいたらしい。その人の曲ばかり演奏したものだ。聞いてすぐいいなあと感動した曲がある。「天使のミロンガ」。

映画『二人日和』の中で流れる、アストロリコの「黒由玄のテーマ」と同じポケットに属する曲だ。

いま、天使のミロンガで検索したら、でるわでるわ、有名な曲だったのですね。中でもギタリストの荘村清志のが目をひく。この人のリサイタル、学生時代に聞きにいったことがあるからですが。ものすごくきざなかんじの人だった。でもものすごくかっこよかった、女学生の目には。アルハンブラ宮殿の思い出、というきれいな曲がすきでした。いまも昔のままのイメージの人ですね。

で、よおく考えると、この曲名がいいのかもしれない。曲名が別のものだったら、こうもきざまれなかったでしょう。と、ことばでものをおもうわたしはおもいました。関係ないけれど、アストロリコの利華さんって、検索で出る写真より、もっとスマートできれいなのですね。

ヴァイオリンは光、バンドネオンは影というかんじで、からんでいきます。五重奏のためのコンチェルト、だったかなあ。とっても長い十分ちかくある曲。あれ聞くと過去のさまざまがフラッシュバックして見えるからふしぎです。

「天使のミロンガ」は、こどものころ遠くへ出かけ夕暮れが迫ると、なんともいえず心細いきもちに襲われた、切ないきもちをよみがえらせてくれます。あの心細さは、もう家に帰れないんじゃないかという不安や、当時頼り切っていたばあちゃんが死んでしまったらどうしよう・・と時に不安でたまらなくなっていた、そういうたぐいの原初的なさびしさです。大人の複雑な感情がからむものではなくて、もっと澄み切った初恋に近い、なつかしいさびしさです。ゆうぐれて一人、とぼとぼと歩いて遠い道を帰るこどものような。

それを聞くと、心が澄みます。かなしさで澄みます。だから、天使のミロンガという題なのかもしれません。

参照:1999年8月、ピアソラ・メモリアルコンサートからのライブ録音

こればかりをずうっと一ヶ月、聞いてます。

ZUM
ZUM
ZUM(スム)
アストロリコ七重奏
SOL-003、3000円(税込)
  1. ジャンヌとポール
  2. 五重奏のためのコンチェルト
  3. コントラティエンポ
  4. レビラード
  5. 天使のミロンガ
  6. 来るべき者
  7. スム
  8. 現実との3分間
  9. オブリビオン
  10. プレパレンセ
  11. フーガと神秘
  12. 新婚旅行(バンドネオン&ビオラ)

バンドネオンは、時間の融通無碍さがあり、「天使のミロンガ」では、同じメロディーが数度繰り返されるのですが、そのどれもが同じ拍ではありえません。微妙なゆらぎをともなった音が、長くあるいは短く演奏されるので、変化に富んで聞こえます。それに、いま、これをコピーして気づきましたが、題がどれも詩的で素晴らしい。そう思いませんか。

神の旅

横光利一を想う。回ってきた前田圭衛子捌歌仙発句、これでした。

  遺伝子を針路にすべし神の旅   田中安芸

季語は「神の旅」、陰暦十月(出雲のみ神有月、ほかは神無月。神々が集まって翌年の縁結びを話し合うために出雲へと旅をなさることから、神の旅という季語が生まれた)、冬の季語です。

遺伝子を針路とする主体はだれなのか。「遺伝子を針路としなさいよ」、と言い聞かせてもらってるのは、他ならぬ神さまたちであるかのようです。ほいじゃ、だれがそんな偉そうな助言を神さんたちにするのでしょう。・・そこが謎なんです。皮肉っぽい批評性もある句です。

この句を読み、つい去年の菊歌仙(やわらか戦車)の冬樹蛉発句を連想しました。同じところから出ているから。でも、安芸さんの句は、より思索的です。一見、理屈句のように見えるけれども、その実、作者自身にも言葉にできないところを多くもつ。脇になにがつくだろう。

横光利一の『旅愁』から、「菊」がさりげない脇役として効果的に使われている部分を二箇所引きます。

「今はむかし、といふ言葉があるでせう。僕らは何げなくいつも使つてゐるが、どうも恐ろしい言葉ですよ、これがね。」 と突然彼は云つて菊から顔を放し、また濠の中を見降ろした。

「あなた、ほんとにどうかなすつたんぢやありません?」 と千鶴子はかう云ひたげに恐ろしさうな表情で矢代を見た。

「何んのこと、今はむかしつて?」

「今がつまりむかしで、今かうしてゐることが、むかしもかうしてゐたといふことですがね。きつと僕らの大むかしにもあなたと僕とのやうに、こんなにして帰つて来た先祖たちがゐたのですよ。むかし日本にお社が沢山建つて、今の人が淫祠だといつてるのがあるでせう。その淫祠の本體は非常にもう幾何学に似てるんですよ。それも球体の幾何学の非ユークリッドに似てゐて、ギリシヤのユークリッドみたいなあんな平面幾何ぢゃないもつと高級なものが御本体になつてゐたんですね。つまり、アインスタインの相対性原理の根幹みたいなものですよ。それもアインスタインのは、ただの無機物の世界としてだけより生かしてゐないところを、日本の淫祠のは、音波といふ四次元の世界を象徴した、つまり音波の拡がりのさまを、人間の生命力のシンボルとして解してゐるんですね。それも函数で出てるんだから、自然科学も大むかしの日本では、そこまで行つてゐたとまでは云はなくとも、そんなに非科学的なものではない。妙なものだ。今はむかしといふのは。」

ー中略ー

 まだ菊のあるのに木枯の日がつづいた。停留所でバスを待つ間、よく矢代の仰いだ欅の大樹も葉を吹き落され裸身になつた。ところどころに残つた枯葉も余命のつきた危いそよぎを見せ、彼の仰いでゐるまも、一葉づつ風に毮ぎ浚はれてかき消えた。しかし、この樹は雨の日のときにはまた別に見事な景観を表した。末端の小枝からそれぞれ大枝を伝い流れる雫が、数千疋の小蛇の集り下るやうに幹に対つて一斉に這ひ降りて来る。滑らかな肌は応接のいとまない忙しさで、ぎらぎら廻り輝く硝子の管のやうにも見え、空に突き立つた早瀬ともなつて、もの凄い速さで雨水を根元へ吸ひ込んだ。

※ 以上、引用おわり。名文です。自然描写が真に迫っている。生きている。なんどもなんども読みました。漢字、正字表記でしたが、時間がなくて申し訳ないですが、一字を除き現代表記とさせていただきました。これを読み、よぢおりるということばはないけども、這ひ降りるというきれいな日本語があることに気づきました。横光利一の最も有名な句は、「蟻臺上に餓ゑて月高し」。

2007年1月18日 (木)

はんこやさん

はんこやさん

はんこやさん

久留米の千本杉の陸橋近辺、auの隣りのはんこやさんで三文判を作ってもらいました。日勤簿に必要でした。30分ほどで860円だったかな。安い、早い、うまい!ほんとにかわいいかんじのやさしいかんじのおだやかなかんじの印字ができました。職人さんの心意気でっしゃ。よいなあ。まちのはんこやさん。待ってるあいだに色々みました。上は口紅じゃなくてカラー印鑑の土台。がらすっぽいけど、なんだろう。ひねりがはいってたり、カットが入ってたりときれいでした。陳列棚も回り灯籠風。

ポスターの「方寸の芸術」 に目が釘付け。方寸は坂本繁二郎派のあなたならきっと感じる言葉です。方寸という名の文芸誌に文章を書いていたから。すべての芸術は方寸に切り取られる。

2007年1月17日 (水)

不二家のこと

年下のボーイフレンドと勝手に思い込んでる、わがブログの師である横浜のあっさむさんと、去年夏、たまたま「攀ぢ降りる蟻」で知った京都の冬樹蛉さん。どっちも四十代のいいおとこ、独身です。

そのどちらもが同じココログそれも有料ので、いまメンテ中でコメントできない。書きたいことがあった。冬樹さんの「不二家」のことで何か大事なことを忘れてる気がした。

以前、

薯に芽や紫川はむらさきに  

という句ができたことがある。じぶんでは好きな句だ。短大生のころ、小倉に大分の友達と自炊していた。その子の家も農家で時にコメやみかんが送られてきたし、うちなどはしょっちゅういろんな野菜をおくってきた。じゃがいもは箱でどっさり収穫したときに送ってくれた。でも、二人だし古くなってきたら、だんだん芽がでてくる。それはでも、とってしまえば食べられるのだ。しわしわのジャガイモを捨てずに食べていた。コメも当時は今みたいに保存が進んでいなかったので、梅雨をすぎれば虫ができ、においもした。それでも二人ともそういうもんだと思って食べていた。

ところが、いまは違う。日本全体がぜいたく。というより、なんかへんな気がします。甲四郎先生に、不二家の問題をどうおもわれるのか聞いてみたいです。こんど、それ、聞きに行きますね。

現場至上主義

けさ、ちょっとのぞいたブログに書き込みをしたら、えっもう八時四分!しまった。あわててむすこと松葉杖を詰め込み、弁当も忘れず詰め込み、学校へ急ぐ。すいすいと信号が調子よく青にかわり、意外と早くつく。遅刻はまぬがれた。途中、携帯が鳴り、車を片側にとめ出たら、女ボス。(会社に二人のボスあり。一人は社長、いま一人は女ボスなり)。

「みんな出払ってて、これから社長と現場に出るから、事務所についたらすぐ電話転送を解除してね。誰か下番してきたら、こっちと替わるように言ってくれない」

との指示が威勢よくとびこんでくる。ははっ了解しました。強霜の昨日に較べると寒さは緩んだが、それでも寒の雨が細かく降る。こんなとき、現場に立つのはしぶいよ・・と、すっとばして30分で着く。車がすかすかのときで八女から久留米まで二十分、ラッシュには50分。ガソリン代はでないが広々とした駐車場が自由に使える、野っぱらの。いま一週間に一度ガソリンを満タンにする。それでもこの職場が気に入った。人を見る目と、組織全体を見る目が、小さい会社だから手に取るようにわかる。

飛び入りの契約が入ると、日勤の人が夜勤もしている。いったいいつ眠るのかなと出勤簿をつけながら事務はびびる。保険も年金もないし、出来高払いの日給です。それでもみんな元気で明るい。笑。忘れていたものを、思い出させてくれる。

さて、そんなわけで、今日は着いてすぐ雑用をこなし、しょっちゅう鳴る電話をさばき、賃金台帳と編成表をつけ、隊員さんが現場に立ったあと契約先から確認印をぽんと押してもらった伝票(時、所、隊員名、残業など書かれている)二十枚ほどをそれぞれの契約先ファイルに仕舞っているうちに、お昼になる。一人弁当を食べていると、女ボスから電話があり、悪いけど、替わってくれないだろうかといわれる。はいはい。なんでもやります。

制服、これがださくなくて、いつか着たいと思っていた。去年紹介した仏軍の服SOCOVETとおなじ色あいの上下に毛皮つきのジャンパーとキャップがついている。控え室でだぼだぼのズボンに着替えていると、「雨で昼は中止になった」といって隊員さんが帰ってみえた。うわあ、よかった!自衛隊あがりのあのしっかり者の隊員さんだ。替わってもらおう!

道が分らない隊員さんを先導し、現場へ直行。小雨が降るなか、社長が手に箒をもって、道を掃いている(社長は契約にないことまでする。さすがだ)姿が目にとびこんできた。あそこだ。ボスがうれしげに駆け寄る。現場は、マンション建築工事現場、大型車出入りのための交通誘導。警備を委託する契約者側はトラックで昼食をとり、警備員は休みなしということが多い。暑いときも寒いときも、大変なしごとだ。それをおもえば、先日刑事さんが立ち入り指導されたように、警備料金を上げる必要がある。昔は一人一日立つと二万円だったそう(と刑事さんがいった)だが、今はその半分にもみたないから。

たったひとつきで現場至上主義をうえつけられる。(きのうの日記)

2007年1月16日 (火)

光あれ

光あれ

青木繁 の絵です。明治39年24歳、1906年。油彩。
23.5×33 
明治40年中村吉蔵訳「旧約聖書物語」(金尾文淵堂刊)挿絵。

2007年1月15日 (月)

軽車両を除く

あさの通勤時、久留米市御井町から旗崎方面へ抜ける直線道路が、せまいために、一方通行になります。コの字の迂回路を通らねばなりません。標識をみますと、七時から九時までの規制、軽車両を除く。となっています。

これをずっと、「軽乗用車OK」 と思い込んでいた私は、はんつきちかく交通違反をしておりました。ごめんなさい。よく今まで無事だったなあ。軽車両とは、自転車や大八車、リヤカーなどを指す言葉だそうです。そういえばだれもこっちからは車が行かないとおもった。対向車のタクシーから警笛を鳴らされて、初めて、あれ?っと思い巡らした次第です。タクシーの運転手さん、ありがとうございました。

それにしても、軽車両はまぎらわしいことばです。かっこ、軽乗用車は含まず、と書いてほしいよ。ちゃんと免許とるとき、ここのとこはまちがうな!と習ってたはずなんですが・・。

2007年1月14日 (日)

佐賀ゆめタウン

佐賀ゆめタウン

父です。じっちゃんともいいます。セーターをズボンの中にいれるの、やめてっていってるんですが。初場所を夢中でみているところ。ほんとは、コーヒー牛乳のもとだけを撮るはずでした。牛乳嫌いの次男が、自分でお買い上げ。

佐賀ゆめタウン

駐車場。二階の大食堂から写す。佐賀ガスのタンクがあった。あとは交響曲田園。のどかなり。

佐賀ゆめタウン

松葉杖で階段をおりるのは危ないと聞きました。エスカレーターではご覧のとおり。

母、ケータイを買う。

母、昭和五年生れがケータイを買ふ。父と二人で近くのベスト電器に行き、決めてきた。どうやつて説明を受けたのか想像するだに笑へる。よかつた。なにはともあれ、ちやんと物を持ち帰つたから。

夫、私、長男がauのだから、おなじau。

教はるのがひと苦労(教へるのは倍苦労)みたいですが、ボケ封じ観音ケータイ様を、だいじにだいじにしませう。

母のケータイに妹二人のメールアドレスや電話番号など一切を入れてあげた。さつそく試してみる母。電話をかけるや、妹にいつた。「あんたの電話番号ば教えてくれんね」 

新しいケータイ文化は、この世代がひらく。

参照) いま一番あたらしいケータイのご紹介。「マリオットの盲点」あっさむくんのブログ。http://assam226.tea-nifty.com/mariotte/2007/01/iphone.html

↑こんなにボタンが大きくてカラフルだと、うれしいよねえ。

31文字倉庫

やまなみ短歌会所属歌人で、連句人、俳人でもある八女郡広川町の山下整子さんが長年勤めた役場をひいて専業主婦になり、ブログを立ち上げました。

31文字倉庫:http://tanka-souko.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_377a.html

旗揚げを祝い、八女の上煎茶で乾杯いたしましょう。31文字倉庫の株式上場おめでとう!

やまなみ短歌会には私の亡くなった伯母も所属していました。49で蜘蛛膜下で倒れ、60まで半身不随で生きた伯母。うたが生きる支えでした。先日その伯母の書いた十首ほどの歌がでてきました、とても胸を打つ歌でした。生活のなかから歌った貴いうた。
去年の一月に引用した八女の老人会誌にもやまなみ歌人がいらしたと思います。私は一度もよんだことないのですが、甲四郎先生の所属文芸誌の「黄櫨(こうろ)」も老舗だし、先日ちらっと見せていただいた頁には西日本新聞歌壇の吉泉さんがおられました。あ、このひとは歌壇に投稿されているベテランだぐらいはわかります。笑。ついでに見せてもらった、明治高専(現・九工大)の会報誌には、九州俳句や天籟通信で存じ上げている池田守一さんをおみかけしました。世間はせまいです。セイコさんは母上が福島高校前身の女学校卒でやまなみ歌人であられます。黄櫨はいつも読んでいるとのことです。おもえば筑後は文化のゆたかなところですね。こんな仲間が身ほとりにたくさんいて、私はしあわせです。

セイコさんのゆくてに花多からんことを祈ります。
また連句、しましょうね。

2007年1月13日 (土)

身一つの世界

ほんとに、なんにもない部屋だった。事務所のあるビルには隊員さんたちの寮があって、急に警備の仕事が入ったときなど、隊員を呼びにいかされる。やっとゆっくりほっとくつろごうとしている隊員を呼びにいくのは、なんとも辛いものである。

一度、ヘルメットをさがしてきてといわれ、上がって室内を探した。おとこばかりの所帯が殺風景なのは当然にしても、壁にカレンダー一枚かかっていないのには打たれた。家具がない、かざりがない、あそびがない。うわああ。カレンダーが手に入らなかったのかと思って、うちにカレンダーはあまっていますが・・と言ってみる。でも、いらないとのこと。この返事にまたまた、打たれる。まるで、家庭的なものすべてから、逃避でもするかのようである。なんて彼らは普通のひとたちと価値観が違うのだろう。私には予想もつかない世界だ。

きょうは、特別ばたばたと忙しかった。私も社のトラックで隊員を現場に移送した。それでもガス工事は予定を超えて時間がかかり、夜勤明けの隊員は、いつまでも飛び入りで入ってしまった仕事から帰れなかった。またすぐ夜勤があるのに、いったいいつ眠るのだろう。と、心配していたら、やっと終わって下番される。きっと夕方までの数時間を死んだように眠るのだろう。なんともはや、すごい職場である。厳しい職場である。それでも、だれも風邪一つひかないのは立派だ。一番のんきなパートの私が十日も風邪をひいていたのは情けなかったなと反省する。

そうそう、きょうは、まかない婦のしごとがまわってきた。予定外の仕事に駆り出された隊員が数人いて、眠る時間がないほど疲れておられるのをみかねて、料理当番を代わってあげる。寮には七人のこびとならぬ隊員さん、その七人ぶんの食材を確かめにいき、メモして献立を考え、カレーと、もやしの和え物を作り、たくあんをきざむ。その量はカレー大箱二箱ぶん。中辛カレーだったので、砂糖をいれて少しあまくした。これ、わが家ふう。だってうちには年寄とこどもしかいないから、からいのが苦手なんだよね。それに慣れてしまってるから、どうも中辛さえが辛く感じられる。きっと、なんだこの甘いカレーは!と、思うだろうが、このさい、文句は言わせない。

あしたとあさっての夕食の献立までは考えられたが、弁当まで自分達で作られることを思えば、わたしの予定通りの調理はできないかもしれない。それでも、乏しい材料で献立を考えることは、妙に楽しく、血がさわいだ。・・・まるで、しらゆきひめみたいだよね。52歳のしらゆきひめ。ううう。ちょう不気味。

2007年1月12日 (金)

応答発願

これまで私のブログ内での検索ワードで、いちばん「!!??」と感じたのは、「応答発願」でした。

おうとうはつがん。ん?これ、仏教の専門用語みたいですが、ちゃんとかささぎの旗でヒットしているけど、いったいそんな言葉、だれが入力したのかな。

そうおもいました。ところが、たしかに、ちゃんと書いているのですよね。記憶にないだけで、引用しています。ここです。この難しい論文のなかほどにあります。http://tokowotome.cocolog-nifty.com/blog/2006/05/2_02dc.html

きづかないだけで、こんな風に、いろんなしごとをほとけさまにさせられること。それが、ひょっとしたら、応答発願かもしれないですね。

記憶の抽斗

学校の先生は昔の記憶、ことに生徒の記憶をどうやって保っておられるのでしょうか。

あるとき、高橋甲四郎先生が、こんな話をなさいました。

「わたしは職員室用の、小抽斗がたくさんある整理棚を買って、それに年度ごとの記憶を仕舞っています」、と。

だからきちんと色褪せないでいろんな思い出が残っているのですね。年度ごとに引き出しにしまう思い出の資料。まるで、パソコンの記憶ファイルのように、必要に応じて取り出せます。

なにかを思い出すときは、なにかに刺激されないと発火しません。それまでは、どんな鮮やかな大事な記憶も、眠りひめ状態です。

それで思い出しました。ねむり姫、という題の澁澤龍彦のおはなし。
どなたかきちんと記憶なさっていませんか。わたしは以前、星野石雀先生の「摩天楼」誌で沼野正子さんの表紙絵にあった、塔に閉じ込められた髪の長いおんなの子を見て、いつもその澁澤龍彦のねむり姫のお話を思い出しました。

西洋の眠り姫とはぜんぜん違うおはなしです。うーん。思い出せそうで、思い出せないなあ。日本のお姫さまのお話だったことと、なんとなく泉鏡花の天守物語や江戸川乱歩の押絵と旅する男ともほそい糸で連鎖する通路があったことだけは、思い出せます。

こどものことでとても気になることが今、あって、それと、そのねむりひめの話とが、結びつくのです。じぶんの深層意識はそれを知っているのに、なぜか知りたくなくて認めたくなくて、鍵がかかっているようなかんじなのです。そういうかんじ、ありませんか。記憶と思い出と予感と気配とは、そこにいま、影しかないという点において、同一の抽斗に入っています。

※ ねむり姫についてのブログ発見。http://blog.goo.ne.jp/curonyanko/e/706d79ec7c5109551b3a30f69aae5d94

2007年1月11日 (木)

ふけるー和歌と俳諧

北村薫が大好きです。去年からこっち『詩歌の待ち伏せ』 を上下巻よみました。窓拭きも大掃除もさぼって、でも本をよむことだけは怠らなかったわがままな正月でした。

このひとの読みには教えられること、示唆されることが多いのです。そんななか、下巻のあたまにあった、「ふける」 という日本語の用法の変遷を追跡したはなしが印象に残りました。ふけるとは、あんたもふけたねえ。よけいなおせわよふん。という時のふけるじゃなくて、秋更けて、というような場合の上品なかそけき、抽象性の高い更けるです。そのさいしょの歌の使用例は秋更けて、小夜ふけて、でした。それをあの藤原定家が「風更けて」 と、最初のひねりをいれた表現をしてから、段々とヴァリエーションを深めます。(と北村薫先生はかかれています)。

さ筵(むしろ)や待つ夜の秋の風更けて
                      月を片敷く宇治の橋姫  藤原定家

これを受けて、「音更けて」 とか「かげふけて」 という歌も登場するようになります。で、すぐに連想したのは、芭蕉七部集「冬の日」第二歌仙の 「床ふけて語ればいとこなる男」 荷兮(かけい) です。恋句です。芭蕉の付句が「縁さまたげの恨みのこりし」 と続きます。「床ふけて」。 この表現はとても違和感があったのですけど、北村薫の追跡をよんでいると、おなじ延長線上にある表現であることに気づきます。ではありますが、和歌と違って、ずいぶん大胆で俗っぽい「ふけて」 の用法です。まさに、俳諧の真骨頂とでもいうべき、一本の強靭な背骨を見せつけられたような気がする 「ふけて」 に、あらためて俗のすごさを感じます

2007年1月10日 (水)

季語、うりばう

去年ひさびさに人のたくさん集まる連句大会に参加して、小耳に挟んだひとさまのお話で「人は二度死ぬ」ってことを痛感したのが、ある人たちが言ってた、山本健吉の批評です。もう健吉ははやらない、って。・・そういうのを聞くのはいやでした。山本健吉は普遍であってほしいから。時期がきたら、必ずや、よみがえります健吉は。

そういえば最近、歳時記をいとこのために求めたとき、健吉の「季寄せ」(文藝春秋社刊、二千円の上下組。持ち運びに便利)を注文したところ、すぐには入手できませんでした。うたは世につれ、批評家もまた、とでもいうように。私の見渡したところ、山本健吉以後、かれを超える偉大な批評家は俳諧の世界には現れていない気がします。独特でしたから。

年賀状にあった俳句でわからない季語が一つありました。それは「うりぼう」旧仮名でうりばう。漢字で瓜坊。聞いたことはあるけど、なんだったか思い出せない。それで手持ちの角川の一番あたらしい初級者用の文庫版歳時記(一冊で五季分そろうやつ)を繰ってみたけど、でない。健吉の季寄せにもありませんでした。そこでパソコンで検索。あった。瓜坊(うりぼう:縦じまのある猪の子供)。季節はたしか秋だったような。(いいかげんでごめんなさい。)もちろん、手持ちのでもっとも古い江戸時代のも繰りました。載っていませんでした。

そうか、ことしは猪年ですからね。新年の季語と組み合わせて詠まれていました。

ちなみに瓜坊を使った句を書かれていた俳人は、前田圭衛子先生と横山康夫先生、さすがです。お二人ともわが敬愛する俳人です。

そうそう、今年の連句大会、国文祭の、の案内状が幸先よく新年に届きました。「踊る国文祭」っていうとおり、高松です。みなさま、行きましょう!えっと11月です、はい。ちょきんをしておきましょうね。

前田圭衛子の阿波踊り句ですごい名句がある。勢いと瞬発力のある写生句です。先生はご主人の仕事の関係で、二度、高松に住んでおられたそうです。この言い方はおかしいかな。人生のある時期、二度。それも子育て時代にです。

渦潮に蹴出しの赤を振る舞わん  前田圭衛子

      句集「ニッポニア・ニッポン」より。

2007年1月 9日 (火)

今日の現場近く

今日の現場近く

今日は、軽トラのマニュアル車でよたよたと通勤したら、着いてすぐ、「現場へ行ってくれ!」。いえ、足がない隊員さんを送っていったのです。地図をよく見る暇もなく急行しました。山本町追分というところです。その隊員さんは自衛隊を勤め上げた人でしたが、いろいろと興味深い話をしてくださいました。自衛隊って、小郡にもあるってしりませんでしたよ。・・さて、この写真の奥は高台になっていて、というより山で、突き当たりにお寺がありました。ここの仕事は公共の入札で勝ち得たガス水道工事の警備です。いつも突然お呼びがかかるので、誰かいるときはいいけれど、みんな出払っていたら、事務の専務までが駆り出されます。そのうちに私も立たざるを得ぬときも来ようか。・・・。暇なときに、交通警備のやりかたのビデオを見て、勉強せねば。これはハッキリ言って、上手下手がある仕事ですよね。

今日の現場近く

そのふもとに酒蔵がありました。調べると冨の壽というお酒を造っている会社でした。きれいですね。八女の喜多屋もきれいですが、ここもきれいでした。酒はのんだことないですが、おいしいでしょう。

今日の現場近く

そういえば、酒蔵のあるところは、なぜかどこも例外なく、塀がながながときれいに続いています。これはなぜでしょうか。煙突と長い塀。私のイメージする酒蔵の条件です。このあたりは、高良大社のある高良山の北側になります。

紅白歌合戦

ことし、いやちがった去年になりますかもう、大晦日の紅白歌合戦を見ませんでした。毎年かならずちょっとは見ていたのに、初めてぜんぜん見ませんでしたね。年末はずっと体調が悪く鼻かぜがぬけず、なれない仕事でばてて、することが目一杯で、そんな余裕はこれっぽっちもありませんでした。おせちも作りませんでしたとも。はじめてですね、そんなことは。

でも。(と、身をのりだす。)おっぱいぽろりの演出があったって本当ですか。へえー。犬みたいにおとなしい品行方正の、ブッダの如きエヌエッチケイがねえ。いや、あっぱれあっぱれ。

抗議にひるむなかれ。こんな辛気臭い世の中だからこそ、おっぱいにはかつやくしてほしいな。ハイ。

きょねん、ですね、わたくしが書いている、はりかたとしてのはいくへの応援のように、ながーく俳句をなさっている俳人のかたが、らしくない過激な俳句作品を発表なさいました。男版橋本多佳子作品みたいだった。笑

で、びっくりしたのです。女は男には浮気され、家庭にはとじこめられて、息ができない。親の顔色は伺わなきゃいかんし、全く人権なんてどこにあろうか。・・と長らく思ってきたのに、男も又、おなじように滅私奉公としかこの世のなりわいを感じられぬ人が少なからずいるのですよ!しかもご苦労なことに、選んだ詩形は俳句であり、精神をぎゅうっとたわめられる。そんなに自分を幾重にも押し込めて、息がつまるつまるとうなっていた日には身がもつまいが。・・いや、そこまでは書かれてはおりませんでしたが、そんなふうにわたくしは気を回しつつフォローして読んだのでありまする。(いやらしいやっちゃなあって声がする。でもこれが連句的ってことだよ。) ほんとに自分だけが苦労しているって思っていたら、にんげん、みんな似たようなものなのですわ。しみじみ手をとりあって、わーいいっしょだいっしょだって激励したかったほどです。

いつかも書いた新聞連載『戦力外通告』っていう藤田宜永の小説が終わったのですが、ときどき読んでました、私にしては熱心に。団塊世代の夫婦のありかたを現実に即して率直に描いていたからです。おとこは同級生と浮気をしている。おんなもまた若いおとこと浮気をしています。夫婦は夫婦なんだけど、恋愛の自由をたがいに認めようと努力し、しかし、夫のほうは妻の恋愛が許せないで苦悩している。これはよくわかる。封建的というより、それが男のさがなんだろう。小説は別に大団円では終わりませんでしたが、それがよかった。小説は、いいですね。なにか解き放たれます。俳句じゃなく、小説を選べばよかったなあ、斧田千晴みたいに。笑。

みなさん、斧田千晴(独身、花の四十代)の小説、三作出ていますから、買ってくださいませ。一押しは最新刊の『父の居た場所』(中日出版社、1200円)です。

中日出版のホームページ:http://chunichisyupan.jp/

それと京都に関心のあるかたは、ルポライター菊池昌治が克明に足で取材して書き上げた、「農耕と園藝」連載の文章をまとめた『現代にいきづく京の伝統野菜ー古都の食文化を担って』(誠文堂新光社、1890円)をぜひ買って読んでください。この人の文章はとても品格があり、うつくしい。まさに文は人なり、です。http://www.seibundo-net.co.jp/CGI/search/syousai.cgi?mode=id&id=02420

2007年1月 8日 (月)

八女市の成人式

いつからか八女市の成人式に秩序がもどっています。数年前から、元気のよい若者たちに和太鼓を叩いてもらうなどの地道な働きかけをした結果、それまではとても荒れていた成人式が、ぴたっと凪いだそうです。

おえらがたの説教を拝聴するタイプの儀式じゃなく、自作自演の動きある成人式だからでしょうか。荒れているところは、これにならえばどうでしょう。発表会形式とか、パーティ形式とか、ほかにもみんなで知恵をしぼれば、きっと楽しい有意義な成人式ができそうですよね。

なお、自分の成人式の記憶をたどれば、ゲストに神津善行さんが来ておられたことが印象に残っています。集合写真に写っていました。なにを話されたのかは全然覚えておりませんが、ただ、なんとなく都会の香りのするブンカジンが来た、という感じはしていた気がします。(これってけっこう、いなかでは大事なことなのですよね。イメージが。)

2007年1月 7日 (日)

れぎおん遅刊と前田先生のこと

歌仙「やわらか戦車」  

  起首平成18年8月29日(火)  満尾〃年10月14日(土)

初折オモテ
発句 生きたまま脳に届いて殖えて菊    冬樹 蛉
脇   赤とんばうを放ちやる空        姫野 恭子
第三 三日月に「子とろ子とろ」の響くらん  鍬塚 聰子
四    シナモン味のパンをください     倉本 朝世
五  スカートがはらり自転車から下りて   杉浦 清志
六    早き朝には冴ゆる橋げた       沢 都

ウラ  
一  脊振山ちぎれちぎれに雪降り初む   澄 たから
二    よく似た痣を見せ合つてをり     朝世
三  短髪のうなじはほそき指睦び     bud
四    発泡酒までおまけで釣るか    蛉
五  親王誕生こんなところに祝ひ旗    恭子
六    一挺二挺五つ玉十露盤     聰子
七  満月のうしろへ急ぐ馬の群れ    朝世
八    刈田狼藉許すまじいぞ      清志
九  啄みてひと声啼きしかちがらす   都
十    言へないことば少年にあり   たから
十一 黄昏におさげひっぱる花篝     bud       
十二   ひらきひもとく春潮の渦     恭子

ナオ
一  亀鳴くや重く張りたる右乳房       山本伽具耶
二    どろどろどろつとぐちやぐちやぐちやと   蛉
三  ああ僕の弔電四時に着くはずの     聰子
四    吹雪の中をサラ金に行く       清志
五  餅を切る手に包丁の食ひ込みて    たから
六    きさらぎになり書く初日記      bud
七  紫の魚棲む昇仙峡の瀞         恭子
八    水の匂ひの消えぬ古寺       都  
九  学歴とか家柄とか太腿とか       蛉 
十    信夫(しのぶ)もぢ摺ねぢれをとけば 聰子
十一 朝の月あなたが置いた月見草     bud
十二   ベランダへ出るドア半開き      清志

ナウ
一 黒人霊歌(ソウル)流れ祈りは海の底に積む  都
二    「やわらか戦車」退却します        蛉
三 酔客はただの茶漬けをご所望に      聰子
四    ぶつきらぼうに目刺のる卓       bud
五 初めてのやうにいくたび花待つや     たから
六    卒業生を昨日見送り            清志

歌仙「やわらか戦車」 連衆のみなさまへ

去年は運命の一巻にお付き合いいただき、とってもすごい付け句を出してくださったみなさまがた、ありがとうございました。ひさびさにとりだして、こうして読み返しておりますと、またあらたな感慨がわきます。ふだんはその日暮らしが精一杯で、深くはものを思わずにいますが、きのう、ようやく本歌仙の留め書きをれぎおん連載の拙稿「連句的」のなかに書くことができました。えっ、じゃ今まで何してたの、と冬樹蛉さんあたりから詰問されそうです。笑。というのも、冬樹さんからはもうずっと前に依頼していた留め書き原稿を戴いてたからです。人には早く頼んでおきながら、自分はなにのほほんと・・というお怒りごもっとも。これからその説明をいたしますから。

前田圭衛子先生が右手首骨折に遭われたのです。ちょうど山口国文祭連句大会が終わったばかりのころでした。先生はそれまで住んでおられた甲子園から神戸へ転出されたのですが、片づけ物をするときに踏み台から落ちて手でかばった結果、手首を骨折なさったのです。利き腕ですし、時間がかかります。れぎおんという連句界屈指の俳諧専門誌は、知る人ぞ知る、前田圭衛子一人の編集力でもっている同人誌です。B5判の毎号100ページ近いあの体裁の本を、きちんと著者校正をいれて遅配なく、これまで十四年も発行してこられたのは、ひとえに前田圭衛子先生の血のにじむような精進の結果です。膨大で旧仮名旧漢字も混じる難しい原稿の山を全部前田先生が一人でワープロ入力し、印刷屋へ持ち込む方式の本作りでこれまでやってこられたからです。わたしたち同人は、じっさいにかかっている経費や先生の労働量について、ときに思いを馳せることはあっても、正確には知りません。きっとすごい赤字だろうとは想像できますが・・。

人の上に立つということは自己犠牲の量に比例するという事実を、前田先生からはこのように折にふれ教えていただきます。(似た原理に、さいきん高橋甲四郎先生から聞いた、たらいの水の法則や、こんど入社した会社の社長がよくいわれる、責任ある者のつとめというのがあります。)

歌仙に参加してくださったみなさまには掲載のれぎおん冬号をお送りいたしますと約束しておりましたが、こういう理由でありますから、どうかしばらくお待ちくださいませね。

倉本朝世さんから年賀状をいただきました。元気で二本のブログを新規再開したとのこと、ほっとしました。ではみなさま、ことしもがんばっていきまっしょい。また、ほとぼりがさめたころ、不意打ちで、歌仙を始めないとも限りません。ああ、たのしかったなあ!まるでなぐりあいのような!!

2007年1月 6日 (土)

伊藤白潮 「卍」より 二句

去年最後に読んだ句集は伊藤白潮の『卍』でした。まだ全部は読みきれていない。分量もだけれど、語彙の多彩さが一筋縄では読めないようにしている。辞書を繰りつつ、楽しみながら味わう句集です。こういう本は最近少ないと思います。とてもユニークでリアリティに富んだ出だしの一句をご紹介しましょう。

 始動一発一月の浜を発つ   伊藤 白潮

第一章の「束脩」冒頭句にあたります。モーターボートのエンジンが一発でかかった喜び、爆音と小さな船体いっぱいに伝わる揺れが小気味いい。ボートのエンジンを起こしたことはありませんが、紐を「ひっぱる」式のエンジンのかけ方では農機具などがそうですから、イメージがよおく浮かびます。句集の冒頭句として申し分のない配置だと思いました。また、一月というずいぶんな季語もなんかいいかんじに自然です。数年前に読んだ紫微の会の歌仙「一月の」を思い出しました。これは名作(ことに出だしの三句)ですから、いつかご紹介いたします。では、そういうことで「束脩」とはなにか、ご自分でお調べくださいますように。

じつは、田中午次郎、つまり伊藤白潮の師についてなにか書こうとしたのですが、これがあまりよくはわからないのです。わかっているのは、石橋秀野の句集にその名が見えること、馬酔木と鶴の同人で秀野とは仲間だったことくらいです。昭和十八年と十九年の秀野の句に午次郎の名の前書をもつものが二つあります。一つは午次郎の応召への餞の句と思われる句、いまひとつは午次郎邸での供応の句です。

  午次郎さんへ(昭和18年)
 ぬかご飯妻子を離(か)るゝ箸ほそく   秀野

  田中午次郎氏居にて(昭和19年)
 親子して雉子鍋あつき没日かな     秀野

田中午次郎氏が鴫(しぎ)と言う名の俳句誌をおこされたのは昭和23年、すでに秀野は亡くなっていました。その鴫を引き継いでおられるのが他ならぬ伊藤白潮氏です。その方の句集を去年、山口の国文祭連句会に出席した折、山本伽具耶さんから戴きました。やっとゆっくり頁を繰り、あらためて縁のつながりのふしぎさに驚いているところです。伽具耶さん、ありがとう。なにか重要なメッセージをもらったきぶんです。

はじめに書いたように、全部はまだ読めていません。しかし、心に残る句をいまひとつ引いておきます。

 豚小屋のにほひ切なし初社   伊藤 白潮

昭和三十年代終り頃から四十年代初め頃、わが家にも豚を飼っていたことがあり、鮮やかにその光景を匂いとして思い出しました。たしかにあれは切ない匂いです。去勢の赤チンキの匂いであり、消毒液のにおいであり、清潔好きな豚の独特の餌の臭気であり、何ともいえぬものでした。なぜ豚がいたのかといいますと、ちょっと流行ったのだということです。でも難しかったらしくあっという間に記憶からいなくなりました。この句を読んで、そういう昭和のなつかしい時代を思い出すとともに、季語の初社がなんとも可笑しく、神社はたいてい人里はなれたところにあるけれど、豚舎も匂いゆえにたまたま近くにあるのかなあと考えさせられる広がりをもつ句です。(私のところの郷社=地域で一番格式が高い神社=もそういえば、豚ならぬ牛舎の近くにあるため、夏場などハエがすごいです。)

2007年1月 5日 (金)

松葉杖

十二月なかば、ずっと膝が痛いといってた次男が聖マリア病院で撮ったMRIの診断結果を、年末に子ども一人で受診させていたため、今日、あらためて次男を連れて先生にどういうものか説明を聞きに出かけた。息子は学校を、私は仕事を休んで。ああいう大病院になると担当の先生が見える日が曜日で決まっていて、それがほかならぬ今日だったからだ。

よく撮れた写真を明るい照明板の上に示しながら、「この左ひざの端の黒く写っているところが傷めているところです。正常なら白く写ります。」 と、若くて実直そうな女性の先生がおっしゃった。ふつうのホネを傷めているのであれば、わりと早く直りますけど、軟骨の場合は意外に時間がかかるのです。ともいわれた。サッカーをやっていることが原因だろうという。スポーツ選手に多い病気だとか。病名は、なんりせいこつなんこつしょう?だかなんだかとても覚えきれない病名だった。ちょっとまって、書いてもらったのを確認しますから。「離断性骨軟骨炎」 と書いてありました。・・なんだかこわそうな名前です。

治療はどうするのですか。膝に負担をかけないように、とりあえずは松葉杖を使ってもらいます、といわれる。おお、なんだか重病人みたいな雰囲気になってきた。本人は、普通にしていたら痛みはなく、少しでもスポーツをすればとても痛むという。とりあえず、毎日治療に通う必要があるので、自宅近くの整形外科に紹介状を書きますからと云われて、わが町の病院を紹介してくださった。いつも患者さんが多いところなので、できれば待たずにすむ別のとこをと言ってみたけど、別のとこにはMRIはないから紹介できないとにべもない。

いつのまにか医学はこんなふうに進んでいて、まずは検査機器の揃っているところが重宝がられる。じっさい、今日、朝から昼までかかった聖マリアでの受診のあと、町内の外科病院に紹介状を持参して、先生(とてもやさしい女の先生)から病気のより詳しい説明を聞きました。「知りたい情報がこれではわからないから」 と、ひざのおさらの写真をレントゲンですぐ撮られて(おさらが大きい場合、圧迫して軟骨に負担がかかるという)、すぐに見せて説明してくださったのですが(この点が町の病院はいいです。大病院は写真でも検査でも済んでから解析までに一ヶ月二ヶ月優に待たされる)、これではなんの異常もないようにみえますとおっしゃった。MRIになると、ホネのなかまでがくわしくわかるそうです。ということで、聖マリアで撮影したMRIは半月以上前のものなので、それから変化しているかもしれないと、九日にまた撮影する予約をいれる。

松葉杖はどうしましょうか。
使わずに痛くないなら、使う必要もないでしょう。でも、直るまでサッカーはできないし、膝はかばう必要があるので、当分は重病人という表示のため持っていったほうがいいでしょう。・・なあるほど。それにしても、松葉杖って重たいし、これで歩くの、疲れますね。

検索で見つけた病気の説明:http://www.tahara-seikei.com/1066.htm

十歳から十五歳の少年に多いとあります。次男はホネを傷めやすく、サッカーを始めて、一年に一、二回は足のどこかの部位を痛め、病院通いをしています。こんどもたいしたことはなかろうとたかをくくっていました。でも、知ればこわい病気です。放っておくとホネが壊死すると書かれている。先生はそこまでおっしゃらなかったのですが・・・きちんと治療しなきゃなりません。これでは当分できませんね、サッカーも運動も。

2007年1月 4日 (木)

筑後一の宮 高良大社

筑後一の宮 高良大社

この急で長い階段の下に駐車場があります。今日は初出勤で初詣でした。事務所の車で全員高良大社へお参りにゆき、ふもとの公民館で社としてのささやかな新年会がありました。

筑後一の宮 高良大社

階段を上ってうしろを振り返ったらこんな景色。はるかに見える山並みは・・。

筑後一の宮 高良大社

お清め舎。ここで手と口をすすぎます。本殿を写すのは畏れ多く控えました。
個人的には、数年前に一人で何度か調べ物に来たことがあります。松尾桃青霊神社(とってもちいさい)という俳聖芭蕉を神としてお祀りしている祠があるので、それをさがしにきたのです。山の三合目くらいにありましたがわかりにくいところでした。

2007年1月 3日 (水)

ブラインド・タッチ

高橋甲四郎先生のところへパソコンワードのタイピングのやりかたが載っているテキストを持っていく約束でしたが、まだ行けておりません。

二年前、次男が久留米の塾に通っていたとき、私は時間がもったいなかったので、ゆめたうんにあったパソコン教室に通いました。むすこを塾に送り届けて、自分はパソコンを習いにゆきました。授業料はけっこう高かったのですが、(まだ支払っています。いつまで払うのでしょうね。まるで重税に喘ぐお百姓。笑)自分の好きな時間帯に通えて、優しい若いおねえさんやおにいさんが教えてくれるので、きもちがよかったのです。考えてみたら、なぜあのころはあんなにぜいたくなくらしができてたんだろ。塾に行く日は、次男と二人、晩御飯は好きなものを食べて帰ってたものね。あ、そうか。長男の学資保険のお金があったのでした。二つ入っていたから、余裕でしたが、気づけばそれがもうなくなっています。ほんとにお金は足、限りある資源だね。と、ひとごとみたいに書いてるところがいよいよあほです。借金しないでよくこれまでこれたと、自分でもふしぎなきがします。

主人は単身赴任でいないし、ぽっかりとさみしいので、買い物依存とかアルコール依存とか不倫とかに走らなかったかわりに、子どもの塾通いに熱中したものとおもわれます。よくぞごぶじで、と、むすこと自分をほめてやりたい。やっとわかってきたのですが、主人も偉いなあとおもいました。職業柄、ひとさまの履歴書を目にすることがあります。(小さい会社ですから、人事も兼ねるのです)。ひとところにじっとしておれず、職業を変える人が多いです。わが夫は結婚したときから、ずっと同じです。同期の人たちが次々にやめていっても、やめませんでした。それが何を意味するか、あまり考えたこともなかったのです。しかし、給与台帳を記していると、いやでもそのことに想いが行きます。有難かったなあって。夫の収入が安定していることはとても幸せなことでした。だから三人も子を授かり育てることができたのです。その点では親にも夫にも感謝しています。

パソコンを習うまでは、ワープロを使いこなしてました。趣味で十年ほど毎月なにか長文を打ち込む暮らしをしていたから、ひらがな入力が身についてしまってました。それも完全な自己流でした。ところが、教室の先生がおっしゃるには、ローマ字入力で、ブラインドタッチの練習をしなさいと。理由は分らなかったのですが、長男もローマ字入力がいいよっていうし、また一からやり直しました。三ヶ月くらいその練習ばかりやりましたね。さいしょはとても遅かったのですが、だんだん早くなっていきました。ミスも少なくなっていきます。いまは、かなりできるほうじゃないかなと感じています。試験を受けたわけじゃないですが。

甲四郎先生がおっしゃったのは、ローマ字だとたった二十六文字を覚えるだけですむが、かな入力だとその倍は覚えなければいけない。だからローマ字が優れているんだろうって。さすが算数の先生の考えられることは違いますね。理屈がきちんと通っています。

あす、いければ、行って届けてこよう。テキスト、もったいないですもんね、四千円くらいしたのに、二度とは見る気がしないしろものです。ワードのぶんとエクセルのぶんと二つある。二年近くのあいだに二つの講座を受けていたからです。

無料のタイピング講座のついているサイトを今日、発見しました。勉強されたいかたはどうぞ。でも、やっぱりただのものはそれだけのものでしかないのよね。お金と暇を注ぎ込むことがけっこう大事だ。のぼせぐあいがそれに比例するから。

 1 http://web.e-typing.ne.jp/

 2 http://www.geocities.jp/blindtouch_master/

2007年1月 2日 (火)

橋本多佳子句集『紅絲』

大晦日、鼻づまりで頭が重いのをこらえ何とか一冊の本を読み上げ、文章を書いた。「九州俳句」誌に連載させていただいている「張形としての俳句」七回目の原稿。だれを取り上げるかは決めていた。ー橋本多佳子である。

十一月の終わり、八女図書館に資料を探しに行く。が、なにもない。有名な俳人なのになんでないんだ。久留米で探す。一冊、閉架にあった。『橋本多佳子全集第一巻』。借りた。

この一冊しかなかったことは幸いであった。重圧を感じなくて済んだ。

風邪のひどさに打ち克ち、びゅんびゅん読む。28歳から41歳までの作品をあつめた処女句集『海燕』、師の山口誓子の序文に注目する。「女流作家には二つの道がある。女の道と男の道である。」で始まり、女の道は甘えという天引が最初から用意されている道だが、男の道は仮借ない峻厳な道だと説き、橋本多佳子は男の道を行く稀な女流の一人だとする。心中に微塵も甘えがなく覚悟をすえて歩んでいるからだ、と。出発にあたり、かような有難いことばを師から頂戴できる女流俳人は、やはり天引のある女の道を行っているんじゃないかという読者のあらぬ疑いはおきざりにされる仕掛けだ。

作品を読む。私は知らなかった。このひとは俳句をはじめてから夫を亡くしたのであった。逆ではない。夫を亡くしたから俳句を始めたのではない。それでも、夫の葬儀の句を読んでいると、なにかしらじらしいものを感受する自分がいる。きれいにことばをととのえて、詩として人様の目に供する配偶者の死。いつぞや書いた山下淳の「流域雑記」の香月泰男のシベリアシリーズへの想いと重なるような気さえした。しかし、表現者はいつもだれもがおなじことをやっているではないか。と自分を無理に納得させて先へ進む。

「海燕」の俳句は下手ではないが、上手に書こうとしている。だからあまりこころに食い入らない。ただ、おなじ素材を何度も連作で詠んでいるものは、視点を変えるたび、だんだん素材が本性をあらわすようなかんじが出ている。そこは迫力だと感じた。曼珠沙華など、しつこいくらいによんでいる。それがいい。

第二句集「信濃」。昭和二十二年七月(石橋秀野の死亡した年である)刊行。これもパス。

第三句集「紅絲」。文字通り、これは橋本多佳子の嚆矢である。一読し、打たれた。最初の句から全編、緊張感にあふれ、たましいをゆるがすふるえに満ち満ちている。わたしのしっている多佳子の句のほとんどは、この句集から生れたことがわかった。山口誓子の序文が、これにもついているが、こころのこもったいい文章であるにもかかわらず、多佳子の句にあきらかに負けている。退いている。

 「紅絲」は、多佳子俳句を貫く一筋の何かもの悲しいものである。(誓子)

よくもまあ、そんななまぬるいことばがいえたものだ。何か物悲しいもの、なんかではない。そんなゆるいものでは断じてない。もっとはげしい、大地をはいずりまわるようなのたうちまわるようなおんなの性のさびしさをたたきつけているのに、なにが「何かもの悲しいもの」だろうか。誓子は、正視しえていないのである。あの時代の男達は、おんなの性を、生を、正視する勇気がなかったのである。

時代はかわった。しかし、その点に関して、なにが変わったろうか。なんにも変らない。かわりようがないのだ。おんなにうまれるとは、けっきょく、そういうことだ。

ここで作品を引用したいところだが、きりなく引いてしまいそうでこわいので、いっさいやめておく。興味のあるひとは句集をお求めの上、ごらんください。第四句集「海彦」、第五句集「命終」とつづきますが、迫力という点からは、この『紅絲』が最高だと感じます。年齢的に48から52というのはおんなとしてのさいごの峠の時期なのでしょうね。なお、かささぎの旗で去年とりあげた、大善寺の俳人、中村マサコの『左手の約束』の句は、この多佳子句集から多くの血をうけていることに読んでいて気づきました。血を受けるとは、それは語彙の継承を指しているのですが、かようにして豊かなる語彙を後世につないでゆくというのは、いのちの継承であり、とてもたいせつな文化であるとあらためて思いました。

橋本多佳子全集から

雪の日の浴身一指一趾愛し(句集『命終』)

いなびかり北よりすれば北を見る(句集『紅絲』)

あぢさゐや昨日の手紙はや古ぶ(句集『紅絲』)

梅雨の藻よ恋しきものの如く寄る(句集『紅絲』)

生いつまで桜をもつて日を裹(つつ)む(句集『海彦』)

後記(一つの問いとして)

筆頭にあげた雪の日の浴身の句ですが、これは最期の句です。(遺句集の最後から二番目に置かれている句です。)安西均の最期の詩『指を洗ふ』のあたまにもこの句が引用されていて、ていねいにるびがふられている。そのよみは、「ゆきのひのよくしんいっしいっしかなし」です。しかし、今回読みましたところ、句にルビはなかった。ということは、九州俳句の本田幸信氏が言われた「いとし」もありうるということです。さて、そこであらためてこの「愛し」をどう読むのかが問われます。安西均はなぜ原典にはないルビまでふったのか。それは、この句はこう響かせねばならないとする明確な黙契を句のなかに読み、あきらかにそれを守ろうとしたのです、いとしと読んでしまうものたちから。

2007年1月 1日 (月)

あけおめ。

あけおめ。

で、あけましておめでとう、という意味ですって。

いやあ、さっぱりと刈り上げた松山千春あたまみたいで、武士の一分みたいに潔いですね。(へ。どこがじゃ)

かささぎの旗も二年目に入りました。どこまでやれるかわかりませんが、ぼちぼちと書きたいことを書いてまいる所存であります。だんだん所信表明演説みたいになってきたので、このへんで失礼しますが、なにとぞ今年もご愛読、ご声援、ちゃちゃかたおよびおはやしかたもふくむなどなど、小沢昭一的ココロでふしてお願いいたします。(ああ、はらへったなあー。なんかない?おおどんべいがあった。おおっとどんべえがただしいのか。ごぼてんの。)

※ つなぎはかんすい。

http://www.agulin.aoyama.ac.jp/kanpou/aguli/agulitext/aguli58/aguli58-p05.htm

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