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2007年1月 4日 (木)

筑後一の宮 高良大社

筑後一の宮 高良大社

この急で長い階段の下に駐車場があります。今日は初出勤で初詣でした。事務所の車で全員高良大社へお参りにゆき、ふもとの公民館で社としてのささやかな新年会がありました。

筑後一の宮 高良大社

階段を上ってうしろを振り返ったらこんな景色。はるかに見える山並みは・・。

筑後一の宮 高良大社

お清め舎。ここで手と口をすすぎます。本殿を写すのは畏れ多く控えました。
個人的には、数年前に一人で何度か調べ物に来たことがあります。松尾桃青霊神社(とってもちいさい)という俳聖芭蕉を神としてお祀りしている祠があるので、それをさがしにきたのです。山の三合目くらいにありましたがわかりにくいところでした。

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コメント

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

全く持って知ってる場所ばかりのご紹介ありがたいこと!
高良大社へ弟を連れて行った思い出があるが、どういういきさつで弟とここへ行ったのか思い出せない。
私が井筒屋前の職場に通勤してる時、弟は久留米高専の学生でした。
殆どこの弟とは立ち入った話をしたことが無く、今思うと思春期のあのころ弟の話相手になってやりたかったと。
今でもすぐそばに住んでるけど立ち入った話はした事がないなぁ。
すみません、この場を借りて内輪の話をしてしまって。

さくらさん、ありがとうございます。ことしもよろしくおねがいします。
甲四郎先生の随筆の本を読んでいたら、その集のなかに、あるお姉さんが書かれたおとうとと題するエッセイがあって、それを読んでいろいろと考えてしまう私がいます。これはなぜか、じぶんでもおなじなやみをなやんだことがあるからですが、そのご、その姉弟がどうなったか弟は大丈夫か気になることです。なんのことかとおもわれるでしょうね。さくらさんが今おとうとさんのことを思い出されたのも意味があるのでしょうね。では、いってきます。

おはようございます。
随筆の本「おとうと」を、甲四郎先生のご尽力により読むことができました。
姉と弟、兄と妹の関係は、うまくいってる場合はまぶしいほどあこがれます。
戦時中はみな兄弟仲が良く、兄は親同然に妹を慈しみながら特攻隊に出撃しています。
その兄を恋人のように一生慕っている女性の話は良くあります。
この前甲四郎先生と一緒にお会いした、同級生のY子さんのお兄さんの話がこれがまた小説にしたいような衝撃の話があるのです。Y子さんに聞いて、いつかまとめて話したい。
うちの弟(7才下)は、無口でやさしいいい男(顔も)なのですが・・・・、今年は「弟と話す」年にします。
甲四郎先生有難うございました。

さくらさん。こうしろせんせいからコピーをもらわれたそうで、よんでくださってありがとうございます。私の書いたものでもないのに、なんとなく気になって。むしろ、お姉さんが気になっているのかもしれません。じぶんのいわば恥部にあたることをまっすぐに書いて、弟はどんなきもちがしたろう。書けるということは、大丈夫だったんだろうか。
とかまで、気になる。私の唯一のとりえは正直であること。ですが、どこまで書いていいかを思うと、悩ましいですね。伝えたい、でも、なやましい。というところです。では、またおたよりいたします。年賀状もさしあげず、失礼いたしました。

いえいえこちらこそ、新年のご挨拶もせずすみません。
一言コメントしたい記事もあり、あらっと思ってる間に新記事が次々と追加されて、ついていけてません。

そうそう、ひめのさんは身内の事、家庭の事をさらりとさっさっと書かれるさわやかさがうらやましいなと思っています。
甲四郎先生が、文章を書くには自分の事をさらけださなければいけません、と言われました。
自分の事を言わない、言わないで消化させる、押し込めてしまう事を習慣としてきた私はいまだにそれは出来ません。
今のところ写真でそれを発散させているようです。

「父への手紙」は一生に一回自分の事精いっぱいさらけだした結果です。
お父さんが戦死した人は全国にいっぱいいて、みんな苦労したのに自分だけ悲劇の主人公みたいになってはいけない・・・と思っています。

さくらさん。
お父さんが戦死した人は全国にいっぱいいて・・とかかれましたが、確かにそうかもしれませんが、具体的なその感情は、やはり一人ひとり微妙にちがうでしょう。それをおもえば、さくらさんがきっちりと書かれたことは、とても貴重なことであり、史料としても供養としても愛情としても、幾重にも価値あるしごとだったと思います。一方、私が、家族、ことに夫婦のことをあけすけに書くのは、全国にたくさん似た思いを抱いてもんもんとしている女性がいるだろうなと思うとかわいそうでかわいそうで、なんとかしたいからです。自己愛の変形かもしれませんが、少しでもきもちが楽になれるなら、いくらでもさらけだしてかきたいとおもいます。くるしみは、ほかならぬ自分の愛情だと思うから。

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