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2006年12月16日 (土)

農学者飯沼二郎の目  4

(昨日からの続きです。)

 世界に一つしかない資料

             高橋甲四郎

 昼食が終わってしばらく休憩して、三人は再び二階に上がった。
 午前中にすでに実態調査を見られた飯沼先生は、満ち足りた顔を私に向けられ、

 「さて、実態調査以外のものを見せていただきましょうか」

 とおっしゃった。今度は「実態調査」以外の研究論文、「犂に関する研究」、「水田雑草に関する研究」、「稲作の歴史的発展過程(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)」、「耒耜(たび)考」等々(巻末「備考 高橋昇遺稿・資料目録」参照) を、飯沼先生の前のテーブルに積み重ねていった。

 私は非常勤講師をしている地元の私立高校に午後から出掛けねばならなかったので、二人に失礼して、自宅から車で十分くらいの同校に向かった。
 私の担当科目は数学である。この日は私にとって父の遺稿出版の計画が具体化されつつあるよき日であり、気持が晴れ晴れとしていたためか、教壇でも快適に授業が進められた。

 楽しく授業を終えて、足どりも軽く自宅に帰ったのは午後四時ごろだった。すぐ二階に上がると、飯沼先生は積み上げられていた遺稿をほとんど見てしまわれて、横に置かれていた。その傍らで田口さんが、私の姿を見られるや、

 「飯沼先生は、一枚一枚を実に丁寧に、熱心にご覧になっていられましたよ」

 と感嘆していられた。
 飯沼先生は、たくさんの遺稿の中から、表紙に「犂に関する研究」と書いてある一冊を取り出して私に見せ、

 「この『犂に関する研究』は、極めて専門的に書かれており、よくまとまっているので、今回の出版に入りきらなかったら、後日、単行本として出版されたほうがいいでしょう」

 と言われた。

 こうして見終わられた飯沼先生は、いざ立ち上がろうとされたが、長らく座って閲覧されていたために足がしびれたのか、なかなか立ち上がることができない。「うん、うん」 と言われて、ゆっくりゆっくりと立ち上がられた。私は心配になって、

 「大丈夫ですか」

 と、声をかけると、

 「大丈夫」

 と、口をしっかり結んで答えられた。飯沼先生は足のしびれが治ったころ、私と田口さんに向かって、りんとした声でおっしゃった。

 「まず、実態調査を発刊したい」

 田口さんの「中に書いてある図はどうしましょうか」という質問に、

 「図は原図のまま印刷したがよい。そのほうが味がある。校正も原文で行う!」

 びしっとした声でおっしゃった。つまり、きれいに清書された原稿で校正をするのでなく、あくまで父の乱雑な走り書きの元原稿で構成を行い、図も模写されたものを印刷するのでなく、父の直筆の原図をそのまま印刷するということである。

 聞いていて、なにか私の胸の奥からこみ上げてくるものがあった。そして、思わず心の中で叫んだ。

 「さすがは飯沼二郎先生である。すごい!」

     (あすにつづきます。)

高橋甲四郎著『父の遺稿』(海鳥社2001年)から引用。

参考文献: 耒耜(たび)とは・・・気合で読めそうな気がする資料をふたつ。
http://cidian.sina.com.cn/cidian/search.php?key=%F1%E7%F1%EAhttp://www.kepu.com.cn/gb/technology/ancientech/ancientech_mechanics/200312310013.html

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