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2006年12月 8日 (金)

農学者・高橋昇 2

昨日の『高橋昇ー朝鮮の農民に学んだ農学者』からの続きです。

 総督府農試は、各道農試の中心的存在であり、本場は水原、支場は朝鮮内、七ヶ所にあった。それらの支場の中でも沙里院は西鮮支場ともよばれ、朝鮮北西部の畑作地帯を研究対象とした。高橋は総督府農試着任以来、1928年まで水原の本場におり、以後、ながく沙里院支場長であった。日本の作物学は、明治以来こんにちに至るまで稲作中心に集中し、畑作の研究はほとんど等閑に付された。したがって、傲慢な日本人農学者たちも稲作技術については、日本の技術を朝鮮農民に高圧的におしつけたが、畑作技術については、自信をもって「指導」する技術をもたなかった。

 朝鮮の畑作を研究対象とした沙里院支場の場長として高橋が長く勤務したことは、彼の目を朝鮮の在来技術に向けさせることを不可避にすると同時に、また、朝鮮の在来技術に深い関心をもっていたからこそ、彼は沙里院支場長に任命されたのでもあった。

 水原本場時代に、彼のした仕事は稲の遺伝、育種関係の研究であり、それは彼の学位論文になった。しかし、それよりも、むしろ、彼らしい特色のある仕事としては、朝鮮中から主要作物ー水稲はもとより、大小麦、とうもろこし、高粱、黍(きび)、稗、粟、大小緑豆、胡麻などー二万以上の品種を精力的にあつめて、その特性を調査した仕事である。現在栽培されているもののみならず、朝鮮の古農書ー農事直説、衿陽雑録、山林経済、海東農書、林園経済志等ーに現れた品種名まで調査した。この頃から、高橋は、日本人農学者がほとんど関心をもたなかった朝鮮の古農書に深い関心をもっていた。そして異名同種の多かった朝鮮の品種名統一の必要性を説き、作物品種命名規定まで提案した。また、この品種特性調査に基づいて、200近い朝鮮農業地図を作成した。これらはいずれも、朝鮮の在来農法に確固たる基礎を与えようとするものであった。

 1928年、沙里院支場の第二代場長として沙里院に赴任する。このときから、彼の特色ある仕事が次々に生れることになる。すでに、初代場長の武田總七郎は、西北朝鮮地方に古くから行われていた二年三作法(麦ー大豆ー粟)を「すべての輪作法中、もっとも工夫を凝らしたもので、その苦心惨憺の跡は歴然たるものがある。要するに、その学問を応用せることにおいて、ほとんど遺憾なきこと、世界にこの右に出るものはない」と高く評価したが、しかし、日本人農学者一般からは、それは時代遅れの好ましくない農法であり、何とかして止めさせるべきもの、と考えられていた。高橋は、改めてこれに着目し、科学的立場で、その合理性を解明しようとしたのである。

 朝鮮における畑作は、1、秋播麦類の越冬と寒害、2、春季の乾燥、3、夏季の多雨による過湿に対する対策を主要な内容とし、そのため作物の種類と播種位置、畦の幅や高さ、耕起の深さなどが合理的に考えられていた。上記の二年三作法では、麦作を中軸として三作物の特性がうまく組み合わされ、広い畦の溝に麦を播き、豆は間作、粟は間作ではなく翌春、畦の上に播かれた。

          (あしたにつづく)。

※ 水原 http://www.asahi-net.or.jp/~qv5e-tcy/honbun/kankoku4.htm

参照:世界の農書:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BE%B2%E6%9B%B8 このうち、朝鮮の農書をひもとけば、飯沼二郎先生の引かれた数冊の名がでてまいります。

きのう引用した、朝鮮では日本の収奪により米を食べることができなかったと言う話は、はじめて知る話でした。しかし、母にそのことを言うと、むかしは、日本も同じようなものだったとこぼしました。うちは小作の百姓でしたようで、庄屋さんがほとんど持っていかれるというか年貢米として納めるので、あまりこめは食べられなかったそうです。

だからなのか、私がこどものアトピーやアレルギー体質を変えようと、玄米に近い精白をしたり、麦を大量に混ぜたりすると、「うわ。こげなまっ黒かコメ、だれがたべようか」 と言って、敬遠します。そして、保坂加津夫という俳人の、次の句を絶賛します。昭和一桁世代、わからないです。

  兄弟の多かりし世のさつまいも   加津夫

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コメント

こんばんは
私は甲四郎先生の本は「父の遺稿」と「わが青春に食いなし」を読ませて頂いただけで、お父様の専門書の内容は殆ど知りません。もしお借りしたとしても、私の能力では殆ど理解できないものと思っています。

要点を書いて下さってとても解り安いです。
読まれるスピードと集中力もすごいなぁと思っています。

つづきを楽しみにしています。

さくらさん。おはようございます。
誤解されているようです。この文章は私が書いたのではありません。例の三キロもある大著の編者の一人、京大の偉い学者先生が書かれたものです。膨大なものを読みこなす専門知識と学識があり、一般に伝えるためには、簡潔な紹介をしなければなりませんが、私は父母の農業を見て育ってはいても知識は皆無です。でも、写すことはできます。手で入力すれば、手が読みます。
自分が書いたような気になれます。笑

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