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2006年12月13日 (水)

農学者飯沼二郎の目  1

冬至に始めたブログもそろそろ一年になります。何をやりたいのかは解らないまま、次は何をすべきかは見えるのです。八女市出身の農学者高橋昇博士による戦時下の朝鮮半島の農業と農民の克明な調査研究に入るためには、すこし前準備が必要です。最初に、高橋博士の仕事を同じ農学者の目からご覧になり評価なさった、飯沼二郎氏の紹介文を先週まるごと引用しました。つぎは、高橋博士のただ一人の子にして、父の最期を看取った(ということばは正確ではないかもしれぬ。過労による突然死の現場に立ち会われた)ただ一人の人でもある高橋甲四郎氏の書かれた『父の遺稿』(海鳥社2001年刊)から、飯沼二郎氏との出会いを書かれた章をそのまま引きます。なぜ全文引用するかといえば、この文章から様々なことが生き生きと見えてくるからです。あたかも自分がそこにいたかのように。

    「飯沼先生との出会い」   

                高橋甲四郎

 1990年(平成二年)四月になって、未來社(姫野注・東京の出版社)の田口英治さんから、待望の電話がかかってきた。

 「あなたのお父さんの原稿について、五月中旬に飯沼二郎先生と二人で貴宅にお伺いしますので、その節はよろしくお願い致します」

 いよいよ具体的な話になってきた。私は緊張して答えた。

 「分かりました。ところで、お二人とも私はお顔を存じませんので、来宅される前にあなたの顔写真を送ってください。私の写真は今日明日中にお送りいたします」
 「承知しました。写真はできるだけ早くお送り致します。具体的日時は、飯沼先生のご都合もありますので、先生と打ち合わせて後にお返事いたします」

 こんなやり取りがあって、四月下旬になって、田口さんから再び電話があった。

 「飯沼二郎先生と相談の結果、五月十五日と十六日、八女市に滞在して、貴宅で遺稿を拝見させていただきたいと思います」

 五月十五日、新幹線で博多駅に着く二人を、私は駅まで迎えに行くことにした。十五日十五時三十七分に、「ひかり」153号は、定刻通り博多駅の新幹線ホームに入って来た。

 私は、田口さんの顔写真を手に持ち、打ち合わせておいた二号車の昇降口から乗り込み、中の様子を急いで見回した。すると、中央付近の座席から、すっくと立って両手を前の背もたれに置き、にこやかな笑顔でこちらを眺めていられる、背の高い方の姿が目に止まった。

 「もしや、あの方が飯沼二郎先生ではなかろうか」

 そう思いながら、ゆっくりと車内に入った。すると、その方の横から未來社の田口英治さんと思われる方がこちらに歩いて来られ、そのあとから背の高い方が続かれた。私は慌てて車外に降りてホームに出た。私は名刺を二人に差し出しながら挨拶をする。

 「田口です」

 田口さんも名刺を取り出して私に差し出された。

 「こちらが、飯沼先生です」

  田口さんが傍らの飯沼二郎先生を紹介される。飯沼先生は、「や」と軽く相づちを打たれた。三人は、鹿児島本線下りの特急に乗り換えるために、新幹線ホームの階段を下りて行った。
  私は、飯沼先生の荷物を持ってあげねばと思い、飯沼先生をあらためて見つめた。ノーネクタイのこざっぱりした服装、そこら付近をちょっと散歩して来るようないでたちである。手には何もお持ちになっていらっしゃらない。白くて平たい四角な布袋を右肩から引っ掛けておられるだけである。

 「先生、お持ちいたしましょう」

 と先生の方のつり紐に手をかけると、

 「いや、いい」

 と、きっぱりと断られ、さっさと階段を下りて行かれる。

 私たち三人は、再び階段を上がって在来線ホームに出て、しばらくしてやって来た下り特急「有明」19号に乗車した。
 特急は約三十分後、閑散とした羽犬塚駅に到着した。私は駅前の駐車場に預けておいた自家用車で、予約しておいた八女市内の中心街にあるプラザホテルに二人を案内した。一階からのエレベーターに乗って三階にある受付に行くと、蝶ネクタイに黒の背広を着ていた年若い男性従業員が、

 「ここは、前金になっています」

 と言うので、私が財布を取り出して二泊三日の二人分の宿泊費を支払おうとすると、飯沼先生が、私を押しのけるようにして、

 「こちらから望んで遺稿を見せてもらうのだから、私の宿泊料は私が支払うのは当然です」

 と言われた。私は慌てて、

 「いいえ、いいえ、遺稿の調査を依頼したのは私のほうですから、」

 と、飯沼先生の申し出を強く断わった。(あすにつづきます)。

 高橋甲四郎著『父の遺稿』(海鳥社2001年)から引用。

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コメント

ここを久しぶりで開きました。
というのも、飯沼二郎検索でアクセスがあっていたからです。
そして、わたしも飯沼二郎検索で、このサイトに行き着きました。二郎氏は熱心なキリスト者だったそうです。
また、ふしぎなことに、月野ぽぽなさんが昨日コメントされていた清水氏の実弟の死への追悼文も、ここで読むことができました。つながっていることがふしぎですね。

たまにここ、アクセスあります。

読まれていました。
わたしも読み返しています。

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