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2006年12月19日 (火)

ふしぎなであい

締切がある文章をふたつ抱えていながら、どうしても今書いておきたいことを書いておこうと思います。

高橋甲四郎著『父の遺稿』を読み、まっさきにうわあって感動したこと、それは背景に落合直文が影のように登場することでした。これは、まさに「かささぎの旗」への祝意としか思えなかった。いまからその意味を書きます。

二週間ほど高橋甲四郎氏の父上で、偉大な農学者の故・高橋昇博士のなされた仕事を簡潔に紹介された飯沼二郎氏のことを甲四郎氏の文章でたどりました。じつは、あの膨大な遺稿には整理のための前段階がありまして、甲四郎先生が手付かずのままだった遺稿に気づいて、なんとかしようと思われたのが、四十一歳のころだったそうです。朝鮮から引き揚げてみえた父上を55歳で亡くされたのが、甲四郎先生21歳のころといいますから、すでに死後二十年が過ぎていたわけです。で、まず、どうなさったかといいますと、前からの知人であった(朝鮮に住んでいたころからの父の仕事仲間であった)森秀男氏に相談なさいました。東京の森氏に全ての遺稿を送り、読んでもらい、どうすべきか仰がれたのです。

結局は、この森秀男氏がとても親身になって遺稿の整理を進めてくださるのですが、途中で面白い展開になります。森氏もお仕事をなさっているわけですから、かかりきりにはなれないわけです。時間がかかります。遺稿目録は二ヶ月で出来ましたが、それからまた項目別に遺稿を整理するのにとても時間がかかりました。どのくらいの時間かというと、まずあっというまに十年がたちました。その時点で、森氏は奥様のおうちの養子になられて、落合秀男となられます。はいそうです、勘がいいかたはもう感づかれているかもしれませんが、この森さんこそ、落合直文の家に縁あってはいられたかたでした。つまり、高橋先生の遺稿整理に加えて、落合家の仕事までがその肩にのしかかってきたのです。落合秀男氏は、祖父(妻の祖父)直文の遺稿の整理に追われることを余儀なくされ、高橋遺稿は宙に浮く形となってきました。落合秀男氏から『落合直文ー近代短歌の黎明』(前田透・著)が出来上がって送られてきたときには、すでに高橋遺稿が秀男氏に送られてから二十年近く経っていたのです。

というわけで、ここから飯沼二郎先生や未來社との出会いが高橋遺稿には開けてくるのですが、落合直文って名がここに出てきたとき、うわあって驚いたものです。といいますのは、このブログを始めたきっかけになった乙骨一族の長老たる、永井菊枝氏から戴いた「近代短歌百年の歩み」という小冊子(永井菊枝・著)に、近代短歌の系図が付されていまして、その二人の始祖の一方が、ほかならぬ落合直文であったからです。今一人は、近代俳句の生みの親でもある正岡子規です。

高橋甲四郎先生は、無意識に出会っておられるのですけれども、これはとびきりすごい出会いであり、歴史的な出会いなんじゃないかと私はこころふるえます。ちなみに、甲四郎先生から、中古で買っても六千五百円はする『落合直文・近代短歌の黎明』 を、先日おじゃましたときに借りてきました。それが気になって読みたいのですが、まだ時間がないのです。

わたしにとって、君が代の歌は、政治的なイデオロギーとはまったく無縁の、恋歌であり、稲作の歌であり、種まきの歌であり、大奥での秘密の元旦儀式の歌であり、八女の天文年間の百首和歌の第一首目の歌であり、とにかく、はじまりのうた、祈念の歌であります。だから、たまたまであった人たちと、大きなふしぎなつながりかたをしているのがありがたいのです。うたのこころを探求する旅に出ると同時に、農業のたましひを訪ねる旅をもできるのが、ありがたいのです。

それを、いま、わすれぬうちに書いておきたかったのでした。

※ 書き忘れましたが、前田透氏(前田夕暮の子)は、『落合直文ー近代短歌の黎明』をまとめあげ、出版間近となったときに交通事故で亡くなり、そのあとを継がれたのが落合秀男氏であったそうです。

(これを書いたので、やっと心安らかに次へすすめます。やれやれ。)

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コメント

すごい出会いですね。
何でも一生懸命集中してると偶然が必然となる・・・のは、「父への手紙」執筆時何度も出会いました。

きっかけのキーワードは、佐世保海軍橋でしたね。
父と暮らした家をたずね歩いていて、隣の家の住人に合う事ができましたが、「そんな事の為にわざわざ東京から見えるのはよほど生活に余裕がないと出来ない事ですね・・・」と言われました。
他人にとってはそんな事でも私にとってはそこまで執念を燃やす事でした。

海軍橋から、ひめのさんとコンタクトを持つ事になった訳ですが、その時は、海軍橋より、甲四郎先生と会う事に執念を燃やしていたので、ついその事を話してしまいました。

いや、すごいわ!

佐世保海軍橋もですが、「さくら」さんにも縁があったのですよ。でもそれは教えません。

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