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2006年12月15日 (金)

農学者飯沼二郎の目  3

(『父の遺稿』高橋甲四郎著の「出版への胎動」から、引用を続けます。)

 翌日、午前九時少し前に、プラザホテルに宿泊中の田口さんから、

 「よかったら迎えにきてほしい」

 と電話がかかってきた。
 自家用車で迎えに行くと、二人はすでに出掛ける支度をして待っていられた。二人を乗せて自宅に戻り、二階の座敷に案内をする。前日座敷一杯に広げておいた遺稿や資料などは、すべて一応ダンボールの中に片づけておいた。

 「今日はまず、農業実態調査から拝見したいと思いますが・・・」

 二階に上がられるや、飯沼先生はこうおっしゃった。系統的に、「黄海道実態調査」、「全羅南北道実態調査」、「江原道実態調査」等々の厚い表紙で項目ごとに綴じられている遺稿を、ダンボール六個の中から次々と取り出して、飯沼先生の前のテーブルの上に置いていった。飯沼先生は、これらの原稿一枚一枚を丹念に開きながら、昨日と同じように熱心に読んでおられた。
 田口さんも飯沼先生の横で、飯沼先生の説明に耳を傾けたり、ほかの資料などを一つ一つ手に取って見ていられた。

 昼近くなり、遺稿調査をいったん中断して、一階の座敷で私を含めて三人で昼食をとることにした。飯沼先生は、昨日よりもやや興奮気味の様子だった。食事中、私にいろいろなことをお尋ねになった。

 「あなたのお父さんは、朝鮮農民の間では、どのようなお方でしたか」

 「ご家庭におけるお父さんは、どのようなお方でしたか」等々。

 食事が終わるころ、私のほうから父が残したこの膨大な遺稿についての今後の処置についてお尋ねした。飯沼先生はきっぱりと言われた。

 「学問というものは、万人の共有物でなければなりません。個人が独占すべきものではありません。ましてや、これを利用して売名行為に走るものでないことは、言うまでもありません」

 飯沼先生のお話を聞いているうちに、私は旧制中学校時代に読んだ本の文句を思い出していた。岩波文庫の岩波茂雄氏が、岩波文庫を発刊するに際し、その発刊の趣旨を文庫本の巻末に、「読書子に寄す」と題して執筆している次の言葉である。

  真理は万人に求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことは常に進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を小数者の書斎と研究室とより解放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう。

 こうして岩波茂雄氏は、低廉で、誰でもたやすく手に入る「岩波文庫」を創設し、人類文化の遺産を広く民衆に解放されたのである。

 この精神こそ、飯沼先生がおっしゃっていたことではなかろうか。この「読者子に寄す」の文章は、数十年経ったいまでも私の脳裏にこびりついて、鮮明に思い出すことができるのである。だからこそ、飯沼先生の一言一句が、短い言葉ながら、私の脳裏にスポンジが水を吸い上げるように染み込んでいったのである。(あすの「世界に一つしかない資料」につづきます)。

高橋甲四郎著『父の遺稿』(海鳥社2001年)から引用。

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