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2006年11月26日 (日)

雨の日曜

ひさびさの雨の日曜日です。
昨日午後から、次男の学校のともだちが来てとまっています。おそくまで楽しそうな話し声が聞こえていました。まだ寝ています。試験があるから一緒に勉強するという話でした。晩御飯は、カツカレーとリンゴヨーグルトにしました。(いぜん、焼肉をしたら、肉しか食べなかった。彼もうちのも。)

きのうブログ記事を二本書き、見直す間もなくアップしたのですが、山本伽具耶さんに気の毒なことをしてしまった・・で終わってました。きちんとお詫びしておかねばと思います。

菊歌仙の名残のオモテで、伽具耶さんの句をいただきました。それが違っていました。口頭で聞いた句を筆記するときに、記憶のなかでことばが微妙にかわっていたようです。そのことに「しろがね」誌を読んでいてはたと気づきました。それをお詫びいたします。

原) 亀鳴くや重たく張りし右乳房
(誤・・亀鳴くや張りて重たき右の乳)

ハリテオモタキのほうが調子がいいから自然と記憶が組みかわったんだと思います。さばきとしては、原句にもどそうかとも思いましたが、濁音がないほうがすっきりするように感じ、連句はあのままにします。
一方、きのうご紹介のマザー・テレサの句は、あざみの音とマザーの音が韻を踏むように重なっていて、それが自然なひびきあいとなっていました。山本健吉がいうように、名句は自然に暗唱させられるというのは、ほんとうです。

山本伽具耶夫妻の結婚記念日とワレラ夫婦のそれがまったく同じでした。同年同月同日の赤口の日。(この赤口、俳諧的。なんか詠めそう。午前中だけ縁起がいいという日)ことし25年でありまする。わたしなどは結婚記念日そのものを完全に忘却しておったのですが、最近なにかの拍子に戸籍をみたら、ちゃんと記載があった。笑

新聞連載小説を読んだためしがないのに、いま連載中の『戦力外通告』っていう藤田よしなが(宜永でした、宜はよきという意味)という人のはきちんと読んでいます。身につまされる。いずこもおなじ秋の暮っていうかなあ。わかる年になってきました。

追伸:

なぜかふたたび、間違えてました。あきれます。原句、本当は、

亀鳴くや重く張りたる右乳房      山本伽具耶

です。暗くくぐもった重たい韻律で、句の世界とオンがぴたっと合致する。これのほうがいいですね。なにがいいたいかといえば、母音のおとのひびきでした。俳句は短いので、母音がよくひびきます。・・なんども失礼しました。ばたばたしていると、ろくなことはない。

ところで、何度も正確な記憶ができなかったおわびに、句の背景を考えてみました。
作者は四十代の後半です。こどもたちも育っている。なのに育児の記憶が「今」のものとして歌われるのはなぜでしょうか。

連句では前句との関連があります。でも俳句は独立して読む。そのとき読者は作者に対して知識があれば、読みを深めることができます。これは、そういう句の動機を考えることで句の奥行きを知ることができるという見本のような作品です。現代女性の苦悩の一端を考えることでもあります。

先日の河野輝暉氏の御句集でも、世間的な読みをすれば、彼は校長先生にまでなられたかたですし、たくさんの立派な受賞作品があるベテラン俳人です。しかしながら、句集を(とてもたくさんの収録数、600句以上!)なんども読んでいるうちに、そういう虚像ではなく、真の河野輝暉像がだんだん屹立してくるのでした。句として見栄えのいい形のいい完成された句は、ちっとも魅力的じゃないです。あらじょうずねえでおわりです。でも、句に謎があるようなのは、いつまでも心に残って、なぜだと考えさせる。そういう作品が私にとっての優れた句なんだなと、おもいます。無意識のうちに書かれたような一句。それです。

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