無料ブログはココログ

« 収穫と保存 | トップページ | 市町村合併 »

2006年11月24日 (金)

薫槐第八集

札幌の村岸明子さんから、俳諧寺芭蕉舎幌の会作品集「薫槐」第八集が送られてきた。表紙のアジサイと天道虫の絵に淡い水彩が施されている、だから表紙がべこべこするという手作りの味わい深き大判本である。

ボス・クボタ亡き後も尻取り連句をやっておられるのか。・・と懐かしくぱらぱらと開き、スキップ読みをする。

それがいつしか引き込まれていた。おもしろいのだ。文芸臭などくそくらえって感じが、作品からもエッセイからもそこはかとなく立ちのぼる上品な仕上げになっている。

札幌の巨人、ボス・クボタこと窪田薫宗匠のことは、かたときも(というと嘘っぽいが)忘れたことはない。あれほど無心な連句狂には、これまで会った事がないからだ。

くわしくご紹介したい気持ちを抑え、文章から一つ、作品から一つ、残ったものを引用したい。

初心者の連句ノート(一)
                              馬場 雅美

ー連句とはなにかー
  「俳諧の連歌」のことである。近世、これを略称して『俳諧』と呼んでいたが、近代になって発句が独立して『俳句』となったので、「俳諧」を「連句」と称するようになったという。
  なるほど、なるほど。一寸、これに知識を補足しておこう。電子辞書で「連歌」を引いてみる。連歌とは和歌の上の句(五・七・五)と下の句(七・七)の唱和形式である。万葉から始まったこの合作形式が、院政時代から多人数の長く連ねる形式、長連歌として発達。第一句を発句、次を脇、第三句を第三、最終句を挙句といった。なるほど、こうした言葉は既に古くからあったのだ。万葉(十四)では頭句のことを既に発句(はつく)と称しているのである。句数によって、歌仙、四十四、五十韻、百韻、千句、万句などがある。
    では、俳諧之連歌の俳諧とは何か。これも電子辞書のお世話になる。「滑稽味を帯びた和歌の一体」とある。万葉の戯言歌の系統という。古今集には「俳諧歌」と称するものが巻十九に収められているとか。
   つまり、俳諧之連歌(すなわち俳諧)とは和歌の唱和形式で、滑稽味を帯びたものを指すのだ。近世になって、この滑稽をもっぱらとする連歌形式が連歌から独立したのである。それが俳諧之連歌すなわち俳諧となった、というわけである。この滑稽を専らとし、言語遊戯的俳諧を高尚な芸術に高めたのが芭蕉さんであった。 

(感想)一部を引きました。電子辞書ってすごいなあと感心したものですから。岩国連句大会の座でも、ねこみのの人は三人とも電子辞書を開いていなすったとです。持っていないとは、いなか人の私と、捌だけでした。それはどうでもいいことではありますが、ここに引いたのは、ちょうど私が数年前に「暦論」のなかでねこみの主宰であられた故・東明雅先生の著『芭蕉の恋句』を一部引用したときに、どういう意味かよくわからず、勝手に自分なりのヨミをして引いたことがあり、あとでその間違いに気づいて、次号で訂正をいれたことがあったからです。それは何かといいますと・・けっこう、重大な、むずかしい問題かもしれないので、これも私の「暦論その十二」から引用します。

 今回、恋句の伝統について調べているうち、東明雅著『芭蕉の恋句』(岩波書店刊)と出合った。主として蕉門俳諧に於ける芭蕉と門弟との恋句のさまざまを紹介されている。その中の一節。

・・・お前たちは知るまいが、昔は恋の句が出ると、相手の作者は恋をしかけられましたと挨拶したものであった。また五十韻・百韻の作品でも、その中に恋句がなければ、一巻とは言わず、半端ものとした。(「恋句の伝統」の章の芭蕉の言)。
 三百年前の俳諧師芭蕉が話している昔とは当時より五百年ほど前の連歌の伝統である。

この最後の文章の、五百年前という数字ですが、私が勝手に、でもけっこう深く考えて付け加えた数字です。ほんとうはどうなんだろうかと、こういう点はやはり学者の先生じゃないとわからないです。いま、読んで気づくのは、芭蕉の言っている昔とはそんな大昔ではなくて、芭蕉自身がじっさいに出た座で知っている程度の昔なのですよね。それなのに、私がそのときとっさに考えたのは、連歌の成立した時代でした。心のどこかに、平安時代の唱和する和歌のかたちを思い浮かべていたのでしょう。ことほどさように、論というのはむずかしいものですね。(東明雅先生は、私のお送りした暦論を見て、この五百年にはびっくりした、と書かれていました。ははは。いまはなつかしい思い出です)。

さて、どの作品を引用しましょう。上の芭蕉のことば、つぼを言い当てていると思いました。恋句がなければはんぱものだというのです。その目で見れば、意外と恋句にこれはというのが少ない。というか全くないように思える半歌仙もあった。なぜだろう。受け取り方かもしれませんが。長くなりましたので、一部引用にいたします。個人的に川崎展宏さんは好きな俳人ですから、彼に敬意を表して、これを。

     歌仙 尻取り「春塵も」の巻
            平成17年3月5日起首5月10日満尾

おもて三句

春塵も頂く光盧遮那佛       川崎 展宏
  つらつらみるにつらつら燕   村岸 明子
目貼り剥ぎ遠き山脈仰ぎみて   稲葉 由紀

※盧遮那佛(るしゃなぶつ) とは・・http://www.nnh.to/diary/2003/06/08.html
  そういえば、中国の大統領は、Mr Hu と表記されますものね。関係ないか。
 与謝野晶子が詠んだ盧遮那佛 ・・http://www2s.biglobe.ne.jp/~Taiju/taiju_annex/1901_yosano_1.htm

« 収穫と保存 | トップページ | 市町村合併 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 薫槐第八集:

« 収穫と保存 | トップページ | 市町村合併 »

最近のトラックバック

2020年2月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29