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2006年11月 5日 (日)

白壁ギャラリー巡り

白壁ギャラリー巡り

紺屋町ギャラリーの樋口善造展を覗いてまいりました。すると、画伯はなんと『無冠の男』著者である小島直記氏とは画学生時代から交友があるそうで、写真が飾られておりました。奥様に了解を得て、撮らせていただいたものです。左から、三十代の小島直記氏、そのご母堂、そして二十歳の樋口氏です。(撮影時は1951年か、場所は東京芸大校庭。)

白壁ギャラリー巡り

展示されていた二十点あまりの絵の中で、一番こころひかれた絵(油彩)です。向うに見える飛形山(とびかたやま)の色が切なくて、胸がきゅんとなります。手前のコスモスが深い陰影を添えて、郷愁を誘う。八女はほんとにいい土地だと、この絵を見て、感じました。これと、黒木の山中の農家を描いた小品が欲しいとおもったけど、油絵は高いですね。二十万ほどします。見ただけで帰りました。富士山の絵、とてもきれいなピンクの暁光につつまれた、が、確か三万ほどでした。それはデジタルアートだから安いのだと言われた。ほんものは電通という会社が所有しているそうです。デジタルアートというのは本物をうつして、少し加筆したものとか。リトグラフと、デジタルアートと、油彩が展示されていました。

白壁ギャラリー巡り

絵を観に来た大学生をスケッチする和服姿の画伯の手。早くて精確です。

樋口善造画伯の略歴:
1931年 八女市生まれ
1949年 八女高校卒業(第一回生)
1954年 東京藝術大学油絵科卒業
      日展、光風会展に発表(光風会会員)
1983年 ドイツ観光局の依頼により、家族と共に
       ドイツに住んで製作する
1994年  10年間のドイツ生活を終え帰国
2004年  八女郡黒木町に移住する

アトリエ:八女郡黒木町大字今42-5

ずうっと前に、八女福島の横町町家交流館で求めていた小島直記著『坂本繁二郎伝』を、『無冠の男』を読んでから読みました。それによると、小島氏は、昭和38年、石橋文化会館ができたとき、ブリジストンの社員で、石橋会長の自伝の口述筆記を勤めたそうです。石橋コレクションの始まりは、石橋会長が久留米高等小学校六年生のころ、図画の先生だった坂本繁二郎から絵を指導された。その後坂本さんは東京に学び、フランスへ留学され、二十年もたって久留米に帰り、石橋会長宅の近くに住まわれた。昭和五年のある日、坂本さんは、郷里出身の青木繁は天才でたくさんの傑作を残したが、散逸したままで惜しい。これを買い集め、小さな美術館を建ててくれと言われた。だからその意を受けて四十歳ころから十年あまりで「海の幸」ほか代表作を集めた。・・小島直記はこう説明しています。たしかに事業も軌道にのり、資金的にも余裕ができたころであったが、絵画をあつめたのは金が余ってたからではない。坂本先生の訥々とした親友を思うきもちに打たれてのことだったと。その後、小島氏は石橋会長の特命を受けてフランスへ随行しますが、フランス語が堪能で文化にも通じておられたところが買われたのでしょう。それなのに、そうは書かれず、自分は自伝の口述筆記をしたからその労をねぎらわれたとかかれています。まことに、坂本繁二郎といい、小島直記といい、謙虚な謙虚なゆかしい人々です。今日知った樋口善造画伯もまた、その偉大な先人二人の薫陶を受けられた、穏やかでゆたりとした謙虚なお人柄だと感じ入りました。小島先生は、お仲人だったそうです。

 小島直記著『坂本繁二郎伝』 
     平成三年 茅ヶ崎の寓居にて執筆の文字あり。
     発行:八女市(市長・斉藤清美)
     製作:中央公論事業出版

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