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2006年11月 2日 (木)

天体観測

DVD「天体観測」四巻までを見た。涙が出た。

こどもの読書感想文みたいな感想文で申し訳ない。

それで、今書いておきたいことがある。

こどものころ、星を見る子だった。空が暗かったし。
小学生の四年生くらいまで、家にお風呂がなく、共同風呂に入りにいっていた。その当時はそれが普通で、村には小さな浴場があった。なんと混浴だった。こどもだったので、あまり不思議とも思わなかったが、大人の女達はとても抵抗があったみたいだ。それはともかく、ある夜のこと、たぶん七時から八時ごろのことだと思う、祖母がお風呂からあがるのを外で待っていた。真っ暗な空には星がまたたいていた。見ていると、真横に流れる星がある。その星は、流れるというより、ゆっくりと同じ速さで進んでいるという感じであった。流れ星って真横に流れることもあるんだなと思うゆとりもなく、知識もなく、ただじっとみつめていた。すると、その横切る星が別の星にぶつかりそうになった。ああ・・と思っていると、その別の星は上の方にすっとせりあがって道を譲り、横切る星を通してから、いかにも「あわてずさわがず」といった感じで、ゆっくりともと居た場所に戻ったのである。あとは、なにごともなかったような夜空があり、進んでいた星はやはりずっと動いていた。私は星の観測専門家でもなく、こどもだったので、ばあちゃんが上がってきたらそれきり、星のことは胸にしまった。日常のこととはまったく別次元のことだと、こどもごころにも感じ取っていたのかもしれない、いまにしておもえば。

あれは、とてもふしぎな現象で、でも夢じゃなく、こどもの十歳くらいの私しか見ていなかったことではあるけども、だれか、あの日、あの夜、同じ現象を見た人はいないものかといつも思っている。昭和四十年くらいだったと記憶する。季節もはっきり覚えていない。でも、星の不思議な動きだけは今も鮮やかに印象に刻まれている。その後、夏に流れ星を何度かみたけれど、同じように真横に流れるものは一度も見なかった。だから、ひょっとして、あれは宇宙船かなにかで、ぶつかりそうになったものも、星じゃなくて衛星かなにかだったんじゃないかとか、いろいろと想像してみたけど、結局はわからない。だから、自分の希望的観測で話をまとめると、星は軌道をずれては動かないと皆んな思っているけども、ほんとは自由に動くことが出来る生き物なのだ。中心で星をうごかしているのは、高浜虚子みたいに頑固で融通の利かない季語という筋金入りの式目霊で、毎年毎年決まった季題を提供することに命をかけることができるひとたち。・・・・という考えは、どうだろか。すくなくとも、笑えるよね。何しろ、高浜虚子って、関東大震災のときでさえ、ゆうき定型の花鳥風月俳句をやっていたんだよ。すごくない。地球ってどんなときも忘れずに自転してくれるのと似ていない。

それにしても、五十二歳になり、はるか遠くまできてしまったなあという気がする。村の共同浴場があったところには、とうとうトヨタホームというのが見る間に建ち、年わかい家族が住むらしい。村の住民は老いて、時代の流れに棹をさすことから目をそむけそうになっている。やがてすべてが、あたらしくなるのだろうか。

今年の夏は家の二本の松のうちの一本が枯れた。
こどものときからあった松がいなくなって、さびしい。
今日は先月亡くなった従弟の初命日だった。
ふしぎと悲しくはない。
余りにも安らかな死に顔をしていたからである。

 

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コメント

ぶらぼー!!ひゃっほう!これ、いいねー。なんか観堂した。ってなんでふつうに感動させてくれんのだこのワープロは!漢字変換機能が、へんすぎだよ。私に媚をうっていない。はずしすぎだってばよ。
なんかさー。世の中も機械も意のままにはならないものだな。ま、思ったとおりに動いてくれたら、それはそれでブキミだけどね。
仕事量が二十日を過ぎたあたりから散文の一いや三分の一に減り、これが年度末ってことかーとおつな感慨にふけっておりました。みんな腑抜け状態。そのうえ、鳥栖の大手建設会社が破産。請け負ってただけに焦げ付きが出たもようであります。大正時代に創業の老舗でしたが、バブル期のマイナスを克服できなかったということらしい。しみじみ年度末じゃのう。

鳥栖の大手建設会社ってどこだろう?

昔は寝る前に外に板で作った台(ばんこ?)を置いて、そこにござを敷いて仰向けに寝て、空を見ながら祖母たちと話しながら過ごし、体が冷えてから、さぁ寝るかと蚊帳の中に入っていったもんです。
そん時、北斗星なんかはっきり見えて、流れ星も
天の川も良く見えましたね。
同じようなもの見てだまーって過ごしてきたことってありますよね。
今も見えます?天の川。

共同浴場のことも今思うとすごいですよね。
うちの部落にも共同風呂が2個あって、みんなで入っていたのすごい時代だったと今思います。
男時間女時間なんてなかったし、あの人が入ってる時は入りたくないなんて思った女の人いたはず。

さくらさん、こんばんは。
いまは見えないです。
たぶん見ようとしないからだろうとおもうよ。
バンコ、いまもウチにはある。
去年はそこで母と矢部川の花火を見ました。
共同風呂の記憶って強烈ですよね。
必ず一番風呂にはいるじいさんがいて、それがまたきたない入り方のひとで、いやだった。でも、それはそれとしてゆるしていたんだろうね、こどもごころにも。むかしって物乞いもいたし、戸のないお宮に寝泊りしている家族もみたし、いつも首を斜めにかしげて歩くばかとよばれる人もいた。いろんなおとなをみて、真剣にそだった気がします。
いつしかそれらのなつかしいひとたちを忘れてしまってた。それが、いまの職場では再びつながった。検診ではくじゃくという診断をうけたきれいなかおの人が、意外といい働き手だったりして、この世はおもしろい。位置たす位置は荷じゃないんだ。

この文章をやっと探した。
このブログ、四年にもなろうとしている今、整理しないとぐちゃぐちゃ。
これ、時間学・連句的のカテゴリーにいれたい。
なぜかSFのかてごりーにいれていた。
ほんとうのことなんです。
二十年ほどの昔、これを書いて朝日新聞の声にのせてもらったことがあります。そのとき、大分だったと思いますが天文好きの主婦のかた(星の投稿で有名なかたでした)がわたしのこの体験をよんで、空海の未聞の法を得たときのエピソードを連句的に投稿してくださったのを覚えています。切り抜きをとっていないので再現できませんが・・
高野山講坊行空(いまきづく、こうぼうは弘法に通じるね)のなくなったときの話をよむと、(といっても星野の黒木谷のこうやんどうのいしぶみで)口から星がでてきてる。そういうのはほんとにあったことだろうか。それとも表現上の暗喩だろうか。
って風にりくつであたまでものをおもうととたんにつまんなくなる。
しんごん密教や天台宗やの教義はさっぱり知りませんが、なんかにひっぱられてる。

「時間学」カテゴリーで初めて書いた記事はなんだったかを探したら、これでした。
へえ~!!
まさか保健医療経営大学に時間学研究室ができるとはね。
さっき、「時間学」で検索したら、保健医療経営大学オフィシャルブログの松永先生の記事が十位以内に入っていたのにも驚きました。

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