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2006年10月 2日 (月)

告悔口上

    告悔口上 

                 姫野恭子

 主よ 
  あなたが彼に負わせた荷は
 重すぎて  彼には
 潰れてしまうほどに重すぎて。

 二千年もの時を隔てても
 決して色褪せる事のない
 一人の男の 鮮明で
 大いなる死が
 この小さな星の上で
 際限なく繰り返される  人々の
 修羅の歴史を塗り変えゆくように

 私には彼の  みじめな死こそが
 これまで無意味に生きてきた私の
 うす汚れた歳月を拭(ぬぐ)う
 確固とした  手形となる。

 この方は  まこと神の子であったと
 自分達の手で屠った  その男を
 人々が悼んだように
 主よ  お聞き下さい
 私も彼を屠りました!
 自らの安穏な生と引き替えにー

 されど  主よ
 彼は死を投げたその手で命を摑み
 年ごと  私の心の廃園に
 杳(くら)い緋色の実を結ぶ。

 〈 選評 〉 丸山 豊

 宗教的な視点から人間存在の本質を問うのが宗教詩であろう。姫野さんの詩は告悔のかたちをとり、宗教詩のカテゴリーに入る。あまたの宗教があり、おびただしい入信者をもつにかかわらず、今日の日本には宗教詩がすくない。宗教詩の価値判断については、宗教性と美学との二つの立場があって容易でないが、もっと宗教に関与する詩が作られてよいはずである。そういう意味で今月は姫野さんの作品をとりあげてみた。(1987年2月2日、西日本読者文芸詩欄)

 きょうは弟の命日です。福岡大渇水があった昭和53年のきょうの昼、シンナーによる急性薬物中毒で死にました。

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コメント

昨日夜松山から帰ってきました。9月30日は松山の市内路面電車が「熊本の日」とかで1日中ただでした。熊本市が負担してくれるのだそうです。「なぜか?」と伊予鉄道に勤める友に聞くと、今年は夏目漱石の「坊ちゃん」が発刊百年目で、漱石は松山の学校の先生を辞めた後、熊本で教鞭をとり、草枕とか名作を残し、松山と熊本はつながりがあるそうです。熊本にも路面電車があるしね。それにしても熊本市は太っ腹ですね。
(弟さんが安らかでありますようにお祈りいたします。)

たからさん、おかえりなさい。久しぶりの故郷、リフレッシュできたみたいでよかったですね。松山も四国も一度も行ったことがないので行ってみたいです。
坊っちゃん百年記念で一日ただのり、一千万円も熊本市が寄付するなんて、へえー。それだけ漱石効果で熊本は潤っているのでしょうか。よくわからない話ですね。でもそういうとこ、いいですね。文化の恩義をお金で還元するなんて。

連句ですが、月の句を今、調べています。いま、なんともいえない月がでています。実は、さっき、いとこが死んだ。アル中治療中でした。まだ47歳、これからというときに。ショックです。

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