無料ブログはココログ

« ラストクォーター | トップページ | 天体観測 »

2006年10月31日 (火)

孝のはじめ

「身体髪膚(はっぷ)之を父母に受く。
敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり」

中国古典『孝経』の言葉で、孝行とはまず親に頂いた体を傷つけないことだそうです。

では、孝行の最後はなんでしょう。

「身を立て、名を揚げ、やよ励めよ」・・だそうです、意訳すれば。

なんだか、毎日毎日テレビで頭を下げておられる校長先生(みんなおなじ人にみえます)の姿をみていますと、身につまされる。いじめで死ぬ子達もかわいそうだけど、いじめる子達のこころの闇も身につまされる。なんだかうっかり声もあげられない窮屈な世の中になってきましたね。世の中全体がうつになるような、そんなかんじがします。こどもたちが元気じゃない国は、どこかゆがんでいます。

記憶の中に、往復びんたで豪快に教室の端から端までを往復していた先生がいた。戦争帰りの先生だった。軍隊の記憶をひきずってらしたんだなあって今は思えるけど、ね。怖かった。だれも、それをとがめなかった。そういう時代だった。先生のそういうところはきらいだったけど、子供心に、真剣に絵心を教えてくださったのが伝わり、忘れられぬ恩師である。私が絵を好きなのは、この先生のおかげだ。早くに亡くなられてしまったけど、いまも時に思い出す、懐かしい先生である。気迫が、ぜんぜん、今の人たちとは、違っていた。

思い出せば、小学校のときの先生は、みなきちんと記憶に残っている。一年生のときの平島寿美江先生には、国語を教えていただいた。文章を読み、ふかく考えることを教えていただいた。それに、初めて、この国には鼻濁音という音があって、じつに気色悪い音をだすということも(わたしがそう感じただけですが)。三年生のときの椿原先生はハンサムな先生だったけど、ひいきをなさるからあまり好きじゃなかった。子ども心にも、偏りを感じさせる先生だったし、なんというかエッチなかんじがしたんだよ。そういう感じ、幼くてもわかるのね。ラッキーなことに一年で代わられて、四年生のときは佐藤ミヨカ先生、とても公平な先生だった。そして五六年で小川尚好先生だったんだけど、絵の指導がとてもうまくて、私は先生の指導により描いた絵で、大きな賞をいただいたことを今も誇りに思っている。父母が納屋の中で筵を織っている姿を写生した絵であった。ああ、あの絵は処分されたのだろうなあ。残っていれば、見てみたいし、大事にしたいけど。

夏の終わりごろに「サンダルとトランペット」を書いたとき、通りすがりの女性から、きついご意見をいただいたが、あのときはそれに答えることができなかった。でも、今ならこたえることができる。何度生まれ変わっても、きっと同じようにするだろうと。それが私だから。このきもちにたどり着くのに、十五年かかった。

« ラストクォーター | トップページ | 天体観測 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 孝のはじめ:

« ラストクォーター | トップページ | 天体観測 »

最近のトラックバック

2020年3月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31