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2006年10月22日 (日)

どうらいご

今朝は八時から「どうらいご」があっていて、草刈機の音がうなっています。

どうらいごというのは村人総出でする道普請で、簡単にいえば、村の道を補修することです。むかしはほとんどの農道が砂利道だったので、時が経つとすぐにでこぼこになり、春と秋二回の道路愛護ぐらいでは間に合わなかったのですが、数年前にほぼすべての村道が舗装されて、でこぼこ補修をしなくてもよくなりました。(わが家の裏道といくつかだけが未舗装路)。今回も何トンかのバラスを購入して道の片側に積んであったのを、一輪車で穴ぼこ道に入れていく作業をしています。山の井用水系の小川が村を流れていますが、その川沿いの草刈も今日やります。村に住むというのは、そういう出事をきちんと果たすということでもあります。大昔から続いていることでしょう。各戸から一人出ればよく、うちはたいがい父が草刈機とスコップと持って出ます。これまで私が出たのは二回だけ、夫が一回、長男が一回。今後父が出られなくなれば私しかいないけど、草刈機を使えない。

数日前に熊本のあいらかんのんに行ったとき、帰路、前に一度通った遠回りの道に入り込みました。一面の平野、たんぼ。それはどこにでもある田舎の田園風景だったし、用水路もきれいにコンクリートで整備されていました。あとで調べたら、名のある用水路だったらしく、写真をアップしようかと思いましたが、近辺のとちっとも変らないので控えました。資料につけたものに写っています。数百年という時間の堆積がながれているちいさくきれいな側溝です。米作り農家がこの側溝の中の掃除を年に一回から二回やります。川に入って藻や草や芥を取り除き流れるようにします。ということはですよ、百姓がいなくなれば、川は流れなくなる。私はただ遠巻きにみているにせひゃくしょうですが、父母はからだの使い方一つとっても、身を道具としてやっている。そこまでの覚悟がない私は百姓はしないと言っているのですが、いつかせずにはおれないようになるだろう。

 ふるさとのクリーク地図は足で描く    恭子

  

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